山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ますます脳髄がクモってきた!?

2023-06-30 23:23:09 | 生き物

 わが家には数種類の蜘蛛が居候している。日本最大級の大きさのアシダカグモ軍曹のおかげか隙間だらけの古民家の割にはゴキブリは少ない。また、天井に巣くう小さな蜘蛛が食事中にツーッと天井から糸とともに降りてくることもしばし。そんな蜘蛛屋敷の中に、身体に一対の白線のあるキシダグモがやってきた。

    

 日本の蜘蛛研究の先駆者だった岸田博士の名前がつけられたキシダグモは、模様も多彩で同定が難しい。「スジボソハシリグモ」かと思ったが、「イオウイロハシリグモ」の「スジボケ型」か、「スジアカハシリグモ」かなどと、いろいろ検討したがなかなか結論が出ない。学会でも図鑑でも混乱の跡もみられる。こりゃー、オラの脳髄がクモってしまうのも忘れっぽいのもヨシとするしかない。    

  ほとんどの蜘蛛は、8個の眼を持っているというが、あまりに小さくて肉眼ではなかなか確認できない。それはトンボのような複眼ではなく、2列の8個の単眼があるという。それぞれの機能・役割があるようだ。自然界には知らないことがまだまだ天文学的にある。(イラストは福光村昆虫記から)   

           

 その翌日、畑で白線が一本の蜘蛛を発見。こちらはキシダグモではなく、「コモリグモ」の仲間のようだ。あまりに毛深く単眼の位置がよくわからない。コモリグモはタランチュラの仲間で、1973年までは毒グモ科所属だった。しかし、毒の心配はなく、子育てに特徴があるので「子守り」グモとなって独立した。しかも、害虫を食べてくれる有益な味方でもある。なにしろ、蜘蛛研究が発展途上なのが残念。防衛費の一部を削っても予算を増やしていきたいものだ。

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敵は虫だけではなかった!!

2023-06-28 21:05:36 | できごと・事件

  先月上旬、バタフライガーデンの中央に飛騨の伝統野菜である「飛騨カボチャ」の若い苗を植えた。虫よけシートの覆いをやらなかったので、さっそく「ウリハムシ」の格好の餌となってしまった。若い葉は穴だらけとなってしまった。あわてて、数本を植え替えたりしたものの、次はもっと深刻な事態となった。

          

 根っこごと引っこ抜いた「奴」がいたのだった。まともな苗は一つもないほどとなった。覆いシートをすぐにしなかったことが悔やまれる。仕方がないので、埋め戻すしか手がなかった。

             

 当局の情報によれば、黒マルチに犯人の足跡がいくつか残っていたという。その鑑識の結果から、おそらくその足跡はシカによるものであると断定した。ものぐさ当局の割には早い対応だった。

            

 防獣柵が完全にできていないこともあるが、どこから侵入したのかは定かではない。出入口からではないことは確かだ。うだる暑さの中、やれる修復をのんびりやるしかない。まずはカボチャの苗を埋め戻し、それからトンネル支柱をセットし、虫よけシートを被せる。

           

 次に、畝の周りに枯れた茶樹を配置する。これが意外に効果がある。めんどくさいことはやらないのは動物も人間も同じ。よほど腹がすいていないと突入はしない。その後、ようすを見ていたら侵入は止まったようだった。敵もさるもので、これだけでは引き下がらないことは予想される。さて、次はどうする!? それはシカシカわからない!?

 

 

 

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伸びやかに緩やかに!!

2023-06-26 22:28:45 | 市民活動・まち育て

  第4日曜日はプレイパーク(冒険遊び場)の定例日。10時ごろから10組近くの親子がチラホラ集まってくる。そこにオイラのようなジイジも参入する。お昼にはいつもの羽釜のご飯に味噌汁が焚き火など直火でつくられる。隅っこの方では女子中学生がお母さんが薄くスライスしたジャガイモを油で揚げてポテトチップを作っている。

               

 黙々とその中学生がポテチを揚げていく姿が穏やかな中山間地の空気とマッチしている。全国のニュースでは悲惨な殺害・傷害・強盗が毎日のようにひしめき合っているし、世界もそれ以上の深刻な戦争と環境破壊が繰り返されている。その同じ地球で、この穏やかで伸びやかなプレイパークという空間はなんと居心地がいいのだろう。

  

 オイラは畑から持参したハーブ2種類をブレンドしたハーブティーを飲みながら目の前に見えるニワトリの動きに心をあたためる。もちろん、七輪でお湯を沸かして生のミントを投入して、みんなにも味わってもらう。いつもなら、コーヒーの生豆をフライパンで焙煎したコーヒーを飲んでもらうのだが、きょうは初参加で師匠の黒ちゃんが抹茶のお茶を振舞ってくれた。

           

 そのうちに、子どもたちがニワトリが卵を産んだよと歓声を上げていた。さっそく大人たちが見に行くと確かに立派な褐色の卵が日陰の繁みに産まれていた。定例会があるたびに、十羽ほどのニワトリを運んでくれる西田夫妻の配慮がいつもながらありがたい。

   

 子どもたちは、ドラム缶風呂に入ったり、廃車の軽トラックプールに入ったり、そこからベニヤ滑り台を上り下りしたり、じつにたくましく伸びやかに過ごしたのだった。人数的には少なかった子どもだが、用意された環境は見事に子どもたちを満足させるものだった。

 オイラは新島直送の「クサヤ」を焚き火で焼く。初めて食べた人もいたし、クサヤに誘われてやってきたという人もいた。また、こぼれ種で芽を出したゴーヤの苗二十数個を持ち込んでお土産とした。

           

 そのうちに、この日が誕生日だった子どもにケーキが運ばれた。みんなで歌を歌って誕生を讃え、ケーキを分け合った。野外での最高のバースデーとなった。こうした経験値の数々は子どもにもおとなにも穏やかな心の風景を刻んでいくに違いない。「勝手連」応援団のオイラとしても、「ジコチューミーイズム」を払拭するうえでもジイヤの存在価値を確認する世界でもある。

 

 

 

 

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どうする「近衛」!! 加担か回避か

2023-06-23 23:54:13 | 読書

  ロシアのウクライナ侵略により、ロシアの多くの知識人は海外へ逃避してきている現在、日本の場合はどうだったかを知りたくなった。そこで、1930年代の満州事変とともに日本の軍事体制が強固になっていったとき、当時の近衛内閣のブレーン組織が形成された。その経過を当事者が記したのが、酒井三郎『昭和研究会ーある知識人集団の軌跡』(講談社文庫、1985.6)だった。

    

 ロシアの場合は「事なかれ主義」が歴史的に処世術だったようで、今回もそういう風潮が読み取れる。オイラがペレストロイカのソビエトに行った時もそういう空気がどこでも見られたのを記憶している。しかし、日本の場合は、国民もマスコミも財界もこぞって戦時体制を賞賛し積極的に加担していった事実を忘れてはならない。日本の方が軍部だけでなく民間も積極的だったということだ。

   

 そんな風潮を抱えた臨戦体制の時代に近衛内閣が成立し、それとともに「昭和研究会」が組織された。そのメンバーを見ると、右から左まで各界を代表する一流の知識人が結集された。しかし、統帥権を理由に軍部の情報が内閣に正確に伝わっていないことが多く、陸軍大臣や海軍大臣の意向をくまないと組閣もできず、歴代総理は総辞職を繰り返すしかないしくみでもあった。

                

 そんななか、天皇の信任の厚い近衛は、ブレーンを中心に精力的に「研究会」を開いていく。テーマごとに毎週のように開催され、世界と日本との政治・経済などの現状が分析されていく。そこで明らかになったのは、西洋のリベラリズム・ファシズム・コミュニズムの跋扈だった。それに対抗する国策が急務だとした。その一つとして反ファシズムを明確に表明していた。その当時としては勇気ある画期的提言であったが、軍部や警察の監視の対象団体にもなったのは言うまでもない。。

           

 そうした状況下で、その対抗理念を構築したのが哲学者の三木清らだった。巻末に、「新日本の思想原理」「協同主義の哲学的基礎」「協同主義の経済倫理」「日本経済再編成試案」「綱領」等が掲載されていたが、一般的には難解だ。要するに、世界の元凶はファシズム・コミュニズム・西洋中心主義のリベラリズムであり、それを克服する鍵は東洋思想にあり、東亜を中心とする「協同主義」にあるとしたのだった。

         

 包容性・調和といった東洋的思想と個を重んじる西洋思想とを活かした総合的・統一的な「協同主義」には、読んでいてロマンさえ感じ入る。また、それを経済・文化的に保障していくEUのような「東亜共同体」が不可欠とした。

   近現代史家の林千勝は、日本を潰したのは昭和研究会だとしているがそれは極めて一面的だ。結果的に近衛新体制は軍事体制に巻き込まれてしまったのは間違いはない。しかし、平和志向の努力虚しく強力な軍部の力に対抗できなかったというべきだ。昭和研究会の評価については意外にも触らないようにしているように見える。

   

 近衛も昭和天皇も結果的には軍部を抑えることができず、アメリカとの平和交渉も頓挫し、太平洋戦争へと突入する。近衛は自決、三木清は投獄され獄中で病死。研究会に結集していた多くの知識人は戦後、保守派の中心的論客として登場していく。著者の酒井は撃墜王の戦闘パイロットとしても勇名をはせた。

 三木の協同主義は「大東亜共栄圏」として事実上植民地獲得の手段として変質していく。また、国民自身の革新的運動を図った「大政翼賛会」も結局同じく臨戦態勢の手段として変質していく。研究会が構想した理想はことごとく軍事体制に収斂していく。ここをどのように総括するのか、それは現代的課題ではないかと思わざるを得ない。

 

    

   

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地球からの祟りか、怨念か !!??

2023-06-21 23:16:45 | できごと・事件

 今月上旬に猛威をふるった台風2号は静岡に記録的な大雨を叩きつけていった。線状降水帯による大雨はオイラが住む上流部にも川沿いの道路をいくつも寸断させていった。久しぶりにその国道をゆっくり通行してみる。停電した原因とみられる電柱の破折とガードレールの崩落を確認した。現場はすでに新しいコンクリート製の電柱に変わっていた。

           

 そばに転がっていた電柱を見ると、先端部分が折れていた。きっと、ガードレールが崩落するに伴い樹木が倒れてその勢いで電線に引っ掛かり電柱が折れたのに違いない、と勝手に推測する。ここから街中に進むにつれて寸断された道路がいくつも見られた。

             

 次に見たのは、川の壁面が崩落したことでガードレールも落下した場所だった。落下したガードレールは10m近くはあったろうか。その近くを車で通行するのだから恐る恐る行くしかない。人間が作り出した技術も叡智もなんとあっけなく破壊されてしまうのだろう。

  

 そしてまた次は、昨年秋の台風15号で崩落した箇所を修復していたところだった。つまり、同じ場所を再度襲ったというわけだ。そこは橋のたもとで、小さな小屋が流され、その残骸が落ちていた。しかもなんと、コンクリートの壁面も流されていた。自然の破壊力のすさまじさを思い知る。後日、下流域を通ったらもっと被害が出ているのが分かった。

           

 昭和初期に森林鉄道が走っていたという狭い軌道のトンネルを通る。トンネルの出口に崩落があって通行止めがしばらく続いた。つまりそこは、しばらく陸の孤島になってしまった集落となった。「開通して心がやっと晴れやかになった」と地元の声を聞いた。地球の軋みの苦しみが人間に届いたのだろうか。プーチンよ、戦争なんかやっている場合かー!? 気候変動対策の先陣を切る大国になってもらいたいものだ。

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ジャングル化した梅林へ!?

2023-06-19 21:37:49 | 市民活動・まち育て

 数日前に急遽連絡があり、昨日プレイパークに集まり、近くの梅林に行くことになった。というのも、しばらく手付かずになってしまったという山の梅林で梅を収穫しようという次第だ。プレイパークでよく出会う親子十数人と現場に行く。そこは樹形が伸び放題の暗い梅林で、脚立か木登りしないと実は獲れない状態だった。できる範囲でノコギリでやや強い剪定をしながらまずは収穫に専念する。

           

 市販されているような斑点のない梅は皆無に近かった。枝が上に真っ直ぐ伸びたり、徒長枝が暴れていたことで実に太陽がしっかり当たっていないせいかと思えた。この斑点はカビやウィルスによるようだが、中身には大きな影響はないそうだ。樹は老木が多く更新もされていないから、文句は言えない。

          

 本当は、上のイラストのように樹形が横広で樹高を低くするのが生産用梅の理想の樹形だ。ここの梅林を時間をかけて少しずつ剪定していこうということになった。子どもたちも木に登ったり、転がった梅を拾って集めたり、奇声を上げて収穫作業に参加している。また、子どもと鬼ごっこをやってくれるママもいた。ふだんはひっそりした山あいに子どもの歓声が久しぶりに炸裂する。

 最後に、地主さんに敬意を払う意味で、枝をまとめて整理したり、捨てられた梅を数か所に集めたり、誰かが無断で廃棄した燃えないゴミを回収してから現場を後にする。(イラストは、[ともさんのHP]から)

   

 プレイパークに戻ってからはいつものように食事をとったり土やニワトリと遊んだり、親子でゆったりした臨時のプレイパークとなった。いつもながら、脚立・ダンボール・かごなどの荷物や参加者らのピストン輸送にがんばる主催者の西田君らの熱気がありがたい。

 高齢者が多くなり梅林の管理も厳しくなった中山間地に若い親子がこうしてかかわっている姿がまぶしい。このような風景の実現を行政はなぜ推進・応援できないのだろうか、考えさせられる。行政マンやその退職者が地元でボランティアをやっている姿はなかなか出会わない。だから、ボランティアの意味やその心もつかめない。それではボランティアの組織化もできないわけだ。

          

 梅仕事を毎年やってきた和宮様に収穫した梅を献上したら、今年はできないと思っていたら適度な量の梅がきたのでびっくりされていた。さっそく、状態の良い梅をチョイスしながら梅シロップを作ろうと、まずは梅を選別してから洗う作業を始め出した。それから冷凍庫に選別した梅を次々入庫し始めていた。もう一週間前に収穫できたらもっと状態の良い梅を確保できたかもしれない。梅はタイミングが微妙。だけどそれ以上に、ひっそりした山間地で親子の歓声を観ることができたのが最大の収穫だ。 

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「レ」と「フ」だったんだ!!

2023-06-16 23:35:46 | 自動車・エンブレム

 スバルのエンブレムといえば、星座のスバルである「六連星」マークをよく見る。 富士重工が旧中島飛行機系の企業を吸収合併した姿がロゴに表現されている。その原点を忘れまいとする社是が伝わってくる。このロゴは2003年には使われ始めたようだ。

          

 しかしその前段で使われたロゴがある。それは「レガシイ」という意欲的な高級車だった。それは1980年代に襲った富士重工業の倒産の危機を救った車種だった。自社で培ってきた航空産業の技術を生かしたエンジンや内外装などを創意したことで販売実績をあげたのだった。外国人が好きな盾のデザインの中に「レ」と「フ」の字が読み取れる。

          

 「レ」とはレガシイ(LEGACY)のカタカナと英語の頭文字を採用しているようだ。その下に富士重工の「フ」の字を配置している。このデザインの中に起死回生の願いが感じられる。これらのロゴは、二代目・三代目前期に使っている。それ以外の期間は「六連星」マークだ。したがって、本車種は、ロゴの変遷はあるが「旗艦車」として現在に至る。門外漢のオイラにはわからないが、その経過はあらゆる技術の総意をそのたびに駆使・発表している。「レガシイ」とは遺産の意味だが、「後世に受け継がれるもの」の意味でもある。そんな心意気を感じる作品となっている。7代目は2019年北米で販売。

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戸を開けたらオニかギンか??

2023-06-14 23:24:16 | 生き物

  10時半ごろいつものように、郵便がポストに届いた音がした。なのでおもむろに、郵便を取りに玄関の戸を開けてポストへ向かう。あっと、さっきまではいなかったはずのトンボを踏みそうになる。よく見たら、黒と黄色のツートンカラーで腹側を見せて転がっている「オニヤンマ」だった。郵便屋さんが届けてくれたとしか考えられない。

    

 しかし、オニヤンマの碧眼の目玉が見当たらない。黒っぽくなった片目だけが残っていた。長さを図ったら95mmもあった。トンボ界最大級の大きなジャンボトンボだ。なにしろ、時速80kmも飛行するというつわものだ。いままで、飛行するオニヤンマを撮ろうとしてもとても無理、なかなか止まってくれない。だから、オニヤンマが飛んでいてもカメラを向けることは諦めていた。

            

 ギンヤンマはなかなか出会うことは少ないが、オニヤンマは水辺に行けば出会うことが幾たびかあった。なぜオニの名前がついたかは定説がないようだが、黒と黄色のカラーから鬼のパンツを連想するところからというのが一般的な解説だ。

            

 しかし、背中側の模様を見てみると鬼の形相が見えてくる。歌舞伎役者の「隈取」のような化粧にも見える。これは大発見と小躍りしたが、とあるサイトに同じような記述があった。残念。

   

 トンボの羽にはナノクラスの凸凹があるという。それが微風でも強風でもスムーズに飛翔できる秘訣だ。最近はその原理を使って大電力用の超小型「マイクロ風力発電」の研究もされ実用化の検討もされつつある。さらには、その羽には微細なナノ構造の突起があり、それによって細菌やカビが付いても破壊できる抗菌作用があるという。こちらはすでにエアコンに取り付けるなどの実用化段階に入っている。トンボの羽の秘密はじつに深い。

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ニンニクを吊るしたよ

2023-06-12 22:55:07 | 農作業・野菜

 先月末に、ニンニクを収穫してそれを軒下に吊るす。梅雨や台風がやってくる前だったのがよかったー。いつもの軟腐病の病害もわずかだったのでホッとする。足腰が悪くなってきた和宮様をフォローしたのは2年ぶりにやってきたご息女の次女だった。

 今年のニンニクも青森県田子町(タッコ)の「福地ホワイト六片」の品種。田子町は農家の出稼ぎをなくすために全町あげて着手し、痩せた火山灰地に畜産で出た堆肥をまぜて土壌改良したものだ。隣の福地村の品種を選択して一本化したのも成功の秘訣だ。価格が高いのが玉にきずだが、町民の地道な努力は讃えたいところだ。

           

 ニンニクは紀元前から古代エジプトなどですでに栽培され世界に広まった。日本では飛鳥・奈良時代に伝来されてはいたものの、仏教の関係で爆発的には広まらなかったようだ。つまり、山寺でときどき見聞する石柱の「不許葷酒入山門」(クンシュサンモンニイルヲユルサズ)のように、強壮作用による煩悩の増長を戒めたものだ。

   

 ニンニクの利用については、黒ニンニクを中心にいただいている。黒ニンニクにしておけば利用が一年中できるのがいい。朝食にひとかけらいただくのがルーティンワークとなる。黒ニンニクは2004年ごろから急速に広まり最近はリーズナブルな価格でも販売されている。ちなみに、青森産のニンニクは国内生産の70~80%を占める。

  

 さらに、ここ数年の朝食はガーリックバタートーストともなっている。今のところ、バターにニンニクを入れているが、ハーブなども活用してはどうかと思っている。また、パンは白い食パンより全粒粉や石窯パンなどがぴったりだ。とくに石窯パンは火で焼くのではなく熱した石の遠赤外線の輻射熱で焼いているので、旨味も食感も一味違う。

 

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アリはハチが進化したもの

2023-06-09 23:20:17 | 生き物

 畳に15mmくらいのでかい「クロオオアリ」が歩き回っていた。時期的に雨後の晴れた日に多数のオスアリとメスアリが「結婚飛行」をして交尾するというが、それにはずれた一匹がむなしく来たのだろうか。とにかくデカイ。日本の最大級のアリだけに迫力がある。

       

 クロオオアリの女王の寿命は10~20年で数万匹のコロニーを形成するという社会性のあるアリだ。女王が死ぬとその巣も崩壊する。寿命が1~2年の働きアリの任務も細分化されコロニー形成に大きな役割を果たして死んでいく。毒はないので無害だけど咬まれたら痛そうだ。基本的には幼虫や死骸、さらには花の蜜を集める平和主義者でもある。あまりに大きいので女王陛下のお出ましかとびっくりした次第だ。アリはハチが進化した優れ者だ。

   

 また、おとなしそうな「フタオビハバチ」らしきハチもやってきていた。「葉蜂」らしくふだんは葉を食べて成長する。蜂を見ると刺される心配があるが毒針はないハバチだ。日本には500種以上もあるだけに、同定には手こずってしまう。

      

 しかしながら、似た仲間に「ハグロフタオビドロバチ」というドロバチがいる。こちらのほうがより近いかもしれない。ハバチのほうの帯が黄色に対しこちらは帯の色が橙色というのは決定打なのだろうか。

 そのうちに、同定に迷走しているうちに「エントツドロバチ」というのに出会う。正式名は、「オオカバフスジドロバチ(大樺斑條泥蜂)」というが、覚えにくい。そういえば、わが家にはドロバチの巣がいくつもある。竹の筒に泥の巣があるときもある。そういう状況証拠からこれが最終的にはぴったりだという結論に至るが…。

 

 

   

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