山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

大晦日に「プレイパーク」アゲイン

2021-12-31 16:54:15 | 市民活動・まち育て

 五日前に行なったプレイパークの打ち上げもどきを、きょうの大晦日にやるという。朝起きて間もなくのわが家周辺には雪が積もっていたので、こりゃコンディションが悪いのではないかとしばし様子を見る。天気予報では雪がやむはずだというので、雪が降りしきるなか会場に恐る恐る向かう。

  

 するとなんてこった、近くの道路も現地にも雪の面影がない。遠くの山々はうっすらと積雪が確認できたが会場の原っぱには若い参加者の熱気の炎によって雪が霧散してしまったようだった。しかも、会場にはいろいろな仕掛けが転がっているのも主催者側の配慮や準備の跡が見逃せない。

   

 その仕掛けの一端では、前回のヤギさんはもちろんアメリカのブロイラーの主流だった「プリマスロック」が広い網の中で公開され、子どもたちはしばらく餌やりを楽しんでいた。また、タイヤブランコやシーソーの定番の遊びも体験しつつ、焚き火で暖をとりながらまわりにある枯草を投入していた。

  

 お昼を過ぎたころ、ピザや釜で炊いたご飯のカレーライスもできあがり、さらには、山猿さん親子が作った豚汁がお腹も心も温めてくれた。鍋からはみ出るほどの具たくさんの豚汁も後半にはわずかしか残っていなかったところから、お代りした人が続出したわけだ。それもそのはず。味噌は山猿さんが作った麹たっぷりの味噌だったからね。オイラは前回と同様焙煎したエチオピアモカコーヒーとギンナンを用意して参入。

  

 そしてなんと、全裸の少年がドラム缶風呂に入るというではないか。さすがに入る前はブルブル震えてはいたが、風呂につかると「♪いい湯だな」というわけだ。こんな体験を大晦日にやるっていう発想は神社めぐりを超えた未来を感じる。

  

 その近くには、行水をしてしまった幼児もいた。焚き火の煙や粉雪がときどき襲ってきたようだが、それもなんのその風流を優先したのだった。なんという豊かさがこの時空にはあるのだろうか。「縮小する日本」の現実をただす希望がここにはある。それも、自然体で展開する親子の穏やかな空気がいい。これらを大切にしていけば、世知辛い現実の世界をうまく泳ぎ切るに違いない。

 

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奥州に平和な独立国があったことを言いたいんだな!!

2021-12-29 20:30:38 | 読書

 前々から勝ち組となった歴史観に疑問をもっていた。最近は明治維新や明治政府樹立は正しい選択だったのだろうかという疑問がますます湧いてくる。そのうえさらに、東北や北海道の歴史は差別の歴史でもあった。古代から続く征夷大将軍という役職はついこの間まであった。だから、蝦夷のアテルイへの関心もその一つだった。そしてその「まつろわぬものたち」の代弁者ともいうべき高橋克彦氏が描いた壮大な小説『炎(ホムラ)立つ』全5巻(講談社文庫、1995.9)をやっと読み終える。

                 

 本書は、1993年に放映されたNHKの大河ドラマ「炎立つ」の原作ともなっている。脚本は中島丈博、主演は藤原経清を演じた渡辺謙。平安貴族の宮廷政治から平氏・源氏の武家政治へとの変貌する契機となった、奥州の「前九年の役・後三年の役」の時代が舞台だ。横尾忠則氏が描いた表紙デザインも素晴らしいが、よーく見ないと意図がわかりにくいのが残念。

                    

 高橋克彦氏はとどのつまり、縄文文化の中心は東北にあり、それはヤマト朝廷ができる前から東北が日本の中心だったということを描いた物語でもあった。そしてそれは、ヤマトに圧迫されていた蝦夷であり、出雲から疎開した物部氏らだった。彼らは陸奥を中心として朝廷とは独立したクニを築いていた。

                    

 陰謀と裏切りの戦乱の京都に対し、縄文の伝統を守り森に住む平和的な陸奥が対照的だ。「前九年の役」の「役」とは、外国との戦争を表現する。内乱であれば「○○の乱」と言うべきだ。つまり、当時の東北は朝廷にとっては異国だったのだ。

 陸奥の統一的な指導者が安倍氏だった。アテルイを征した坂上田村麻呂の教訓から安倍氏は朝廷との融和を図ってきたが、関東で源氏の基盤を作ろうとしていた源頼義・義家父子らの介入により戦乱が12年も続く。

                    

 蝦夷の鍛えられた戦力と冬の厳しさという自然力は、仲間であった隣の清原氏の参戦により蝦夷は敗北する。しかしその後の、清原氏の内部分裂による「後三年の役」で源氏の台頭は決定的となる。それにもかかわらず、武家支配を恐れた朝廷は源氏を冷遇したことで、逆に、東北支配は安倍氏の流れをくむ藤原清衡・秀衡・泰衡の奥州藤原氏が任命される。朝廷のリアルなしたたかさがみごとに表現されている。

                    

 平泉を拠点とする奥州の藤原氏の登場は130年も続く日本で最初の武家政治を築く。その経済的栄華は、金の産出であり、馬の生育であり、宋との貿易などで支えられた。その象徴が金色に輝く中尊寺だ。しかし、その平和的な栄華は、頼朝ら源氏の策略で滅ぼされていく。

 解説を書いた評論家の井家上(イケガミ)隆幸氏は、「高橋克彦は、中央国家からみれば古代から一貫して<被征服者>である<蝦夷>の民の側に身をおくことで、この灰のなかから燃え上がった<叛>の正当であることを主張する」と、的確な評価をしている。東北の魂のルーツはここにありと著者が叫んでいる。この叫びを現代日本は受け止められるのだろうか。          

                       

 

 

 

 

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生姜とウコンのパウダー

2021-12-27 19:08:11 | 食彩・山菜・きのこ

 成長がいまいちだった生姜だがなんとか収穫を終えて、それを和宮様はスライスしてから蒸す作業(一枚ずつ並べる)をし、さらに乾燥(これも一枚ずつ並べる)させたうえに、それをミルで粉砕しパウダーを作っていた。それらを手作業でやるのはかなり時間がかかる。ミルで粉にはするものの完全な粉にするためにはすり鉢で仕上げなければならない。

     

 生姜のパウダーがあると通年で生姜を利用できるので便利だ。しかし、市販で買うとなると結構高い。この手間を考えると高価なのも致し方ないと納得もいく。

                 

 乾燥は天日干しを基本とするが晴れを継続するのは難しい。そこで、晴れが続かない場合は、家庭用の乾燥機にいれて終日乾燥していく。乾燥が甘いとカビが生えてしまい、味も落ちる。とてもお世話になっている近隣に瓶に入れたパウダーをプレゼントすると大いに喜んでくれる。

          

 こんどは、バタフライガーデンで育てた「ウコン」も同じような手順でパウダーにしていく。ウコンは二日酔い対策のドリンクなどで有名だが、英名の「ターメリック」としてカレーのスパイス・色づけとしても大いに利用されているのは言うまでもない。さて、少量ながらパウダーにはしたものの、それを何に活用するか和宮様は考えあぐねている。鉄分も含有する栄養豊富な食材だが。            

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過疎地でのプレイパーク 2

2021-12-24 21:03:28 | 市民活動・まち育て

 感動は収まらない。プレイパークは、いわゆる行政が作った公園とは違って、住民とボランティアとが運営する市民運動でもある。場所が公立の公園の一部である場合もあるが、行政と住民との「協働」で事業が行われる場合が多い。今回は行政に頼らず自前でやりきっているのが素晴らしい。フキちゃんの想いを支える夫や地元の移住者たちの全面的な協力、さらにはよそのプレイパーク関係者との連携が大きい。

   

 「冒険遊び場」と呼んでいる場合もある。「自分の責任で自由に遊ぶ」ことをモットーに、子どもの好奇心と主体性を伸ばすのが目的だ。そのスタッフとしてプレイワーカーが常駐したいところだが、それを支える財源の確保は行政の支援なしには難しい。

 今回のプレイパークはフェイスブック情報で近県からの応援で成り立っている。とはいえ、地元の若い移住者の想いが十分反映されている。耕作放棄地の原っぱには、音楽あり、ドラム缶風呂あり、手作りシーソーあり、焚き火場あり、サーキット場ありと、手作りの環境づくりにあふれている。

   

 子どもがまだ小さいので親の出番や役割がはっきりしている。しかし、子どもが小学生になってくると矛盾も増えていく。プレイパーク運動の成り立ちの頃は、「親や大人は邪魔だ」みたいなおとな不信のニュアンスを創始者たちからしばしば感じられた。言い換えれば、いかに口出ししないで子どもを見守れるかということ、おとなも育たないと伴走者にもなれないというわけだ。オイラはおとなと子どものゾーンを別にしてそれぞれ好きなことをやることで自立していく連帯を重視したいという立場だ。

    

 会場では、マシュマロを焼いている親子がいて、その子どもは慣れた手つきで次々焼いていく姿が印象的だった。親子の今までの経験値が生かされいる。また、お昼には焼きおにぎりを楽しんだり、ビー玉を七輪で焼いて「クラックビー玉」のアクセサリーを作ったり、おとなの優れた経験値があることも発見だった。

              

 近くのニワトリ小屋には、皮膚・肉・骨が黒い「烏骨鶏」や白と黒の縞々模様の「プリマスロック」が飼われていた。また、焼いたばかりの「たこ焼き」の差し入れが何回も回ってくるのも心をホッとさせてくれる。都会のプレイパークとは一味違う過疎地らしい持ち味を発揮させてくれた一日だった。

 それでも、煙を出すことや知らない人の出入りがあることで、近隣からの理解は難しい。来年はここでの開催ではない方向を模索中のようだ。それは当初のプレイパーク運動が必ず直面する課題でもある。その意味で、まわりの住民にとってオアシスともなる場にしていく柔軟性が求められる。正しいこと、意味あることは、必ずしも受け入れられないのは世の常でもある。それを突破していくには継続や実績とともに地域の信頼関係の構築という地味なしたたかさが求められる。

 

 

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過疎地でのプレイパーク 1

2021-12-22 21:48:36 | 市民活動・まち育て

 この間の日曜日。フキちゃんの呼びかけで昨年に引き続き2回目のプレイパークが始まった。子ども自体が少ない過疎地でのプレイパークは果たして実現するのだろうかというオイラの杞憂は見事に外れた。東京・神奈川のプレイパークを見に行ってきたフキちゃんの情熱は形となって実現したのだった。

      

 近県からもやってきた参加者約30組くらいの親子はのびのびと原っぱでくつろいでいく。セイタカアワダチソウの枯枝を刈り取りながら荒地はどんどんめくるめくプレイパークへと変身していった。ホステスのヤギさんがみんなを迎えてくれた。子どもたちのほとんどは就学前の幼児だった。プレイパークといえば都会の公園で実施していることが多いものの、それを過疎地で実現させようとする志は高い。

   

 リタイヤ組もちらほら応援に出かける。山猿さんはコーヒーの焙煎をフライパンを使って生豆からやってくれた。時間はかかるが緑っぽい豆から茶色になっていく過程が面白い。オイラは拾ってきたギンナンを炒って食べてもらう。コーヒーもギンナンも好評だった。楽しむのは子どもだけではつまらない。

    

 会場の一角で草刈りをやる人や土を固める人がいた。はじめは何をしているのかわからなかったが、そこに転がっているカラフルな自転車に意味があった。

   

 ちょっとしたサーキット場が手作りで完成。ペダルとブレーキのないランニング自転車「ストライダー」のサーキットが耕作放棄地にできたのだった。さすがみんな若いママパパの発想だ。サーキットづくりをはじめ何も言われなくても自主的にやり切っている姿が素晴らしい。そんな輪のなかに子どもたちがいる。

 移住して数年しかたっていないフキちゃん夫婦だが、自分の切実な想いを実現してしまったパワーには脱帽するしかない。これからは地域の人をいかに参加してもらうかという本来的な課題がつきまとう。そのハードルはかなり難関だが、のんびりやり続けることによって希望がやってくる。

 オイラのパソコンもやっと機嫌を直してくれた。やれやれ(>_<)

 

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里芋をダッチオーブンで

2021-12-20 22:57:02 | 農作業・野菜

   今まで里芋をダッチオーブンで焼いたことがなかったので、急遽焚き火でやることにする。
 さいわい、強風もなかったし、燃やす残骸もたまっていたので、ドラムカンかまどを使う。
 いちばん下には竹の枝を敷く。その上に、いくつかの木の枝を積んでおく。というのは、竹の葉を燃やすとその火の粉が舞い上がり、延焼の危険もあるからだ。



 おかげで、里芋も焦げることなくほどよく焼くこともできた。ついでに、その消し炭で烏賊を七輪で焼くことも忘れない。
 焚き火という風物詩もなくなってしまいそうな昨今、その暮らしのなかの文化がいとおしい。珍しく3時間という短時間でささやかな儀式を終わらせる。
 遅い昼食にほくほくの里芋と海老芋、烏賊が献上されたのはいうまでもない。

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前掛けにこもる創業者精神

2021-12-17 22:12:26 | 農作業・野菜

 先日、山猿さんから立派な前掛けをいただく。これは〈帆前掛け〉といって帆船の丈夫な帆布で作られたことに由来するらしい。醸造業に多く使用され、木箱運搬の引っ掛かりにも耐えられる丈夫さや汚れ解消に重宝だった。そういえば、オイラの少年時代、前掛けを肩に掛けて木箱の酒を運んでいたのを想いだした。

 1662年に酒造業を長野で創業したという宮坂醸造は360年くらいも続く老舗だ。味噌は1916年に開始し、〈宮坂醸造kk〉を名乗る。終戦直後のビタミン不足をふまえてビタミン入り味噌を発売し、業界初の袋詰め味噌を流通させる。
 したがって、この前掛けはその頃の怒涛のような心意気がこもっている。その後、社名を〈神洲一味噌kk〉したのが、2017年。現在はフリーズドライ食品や海外進出をはたしている。〈神洲一〉とは信州一とか日本一とかの野望がこもっているのだろう。
 山猿さんの親父さんは魚屋だったというから、そのルートから店にあったのにちがいない。
 この前掛けを腰にしゃきっと結んで創業者精神に想いを馳せていけたらと思うばかりだ。

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搾油機を入手したが❗

2021-12-15 21:07:10 | 農作業・野菜


エゴマの種を収穫したものの油にすることができないでいた。そこで、オランダ製のピテバという手動の搾油機をネットから入手した。貧しい農家向けに開発したものだという。なるほどおいらにぴったりだ。日本製のものがない。電動ならあるが5万以上もする。
 とりあえずオランダ産のものを組立たてる。がしかし、部品があまってしまう。それはつまりこの機械を使うには頑丈な枠を作れというわけらしい。説明がない。日本の〈取説〉がいかに親切かを思い知る。
 仕方なく、廃材を駆使して枠をやっと造る。まもなくエゴマを乾燥させて油搾りに到達する。やっとゴールに近づいた。

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坂上忍を護れないものか!

2021-12-13 21:32:31 | 農作業・野菜

 フジテレビ〈バイキング〉で活躍中だった坂上忍が降板するという。日大の闇をえぐった報道は溜飲を下げる発言が見事だった。彼が降板するとなるとますますメディアの劣化に拍車がかかる。
 前々から彼の突っ込みはフジ路線からはみだすもので、いずれ当局との衝突は避けられないとみていた。当たり障りのないキャスターが徘徊するメディアの行き先は愚民化を産むしかない。これで同調圧力が磨きがかかる。

 いまも接続は遮断状態なのでスマホからだ。来週に新しいモデムが来る。ネット社会のこの遅さに愕然とする。巨大企業の硬直化が致命的だ。だから、世界から遅れるのた。

 

 

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まぁーだだよ❗

2021-12-10 21:07:27 | 農作業・野菜
いまだ接続できず指を咥えています。今までだったら一日たてば自然に治るのに今回は手強い。いましばらくお待ち下さい。トラブルのノウハウが適切に解消できないネット社会はじつは発展途上中ではないか、と思えてならない。
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