山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

白人セレブが黒人を救う物語だが…

2025-02-28 23:36:40 | アート・文化

 2009年アメリカで公開された映画「しあわせの隠れ場所」を録画で観る。原作はマイケル・ルイス『ブラインドサイドアメフトがもたらした奇跡』で、白人セレブが貧窮の黒人をプロの一流アメフト選手にしていく実話物語だ。監督はジョンリーハンコック、セレブ婦人を演じたサンドラ・ブロックは2010年アカデミー賞の主演女優賞を受賞している。

  

 実在のマイケル・オアーをクイントン・アーロンが演じているが、最初のぎこちないおどおどしていた様子をうまく演じていた。家族全体がこの異邦人を前向きに受け入れようと、とくにサンドラのマイケルをぐいぐい成長させていく指導性に目を見張る。

 

 また、子役の存在はぎくしゃくしたまわりの関係を和らげていく演技も秀逸だ。そのため、前半はほとんど笑顔を見せなかったマイケルも、後半になってやっと笑顔を見せる余裕をもつようになっていく。そうした過程を丁寧に演出している。しかし、穿った見方をすれば、かわいそうな黒人を白人セレブの善意で救うという、救世主白人の定番の物語にしているところが論争にもなった。

 

  実際、マイケルの地元のスラム街の黒人たちの不気味さはその通りだったかもしれないが、黒人の多くがそのようなものとして一方的に描かれていたように思われてしまう。そこには、白人の優位性が貫かれており、ハリウッドの本音も見え隠れする。最近になって、やっとアカデミー賞を有色系人種や作品に授与するようになってきたのも事実だ。そして、人種差別主義者の大統領が2選になったいまそうした流れはどうなっていくか注視したいところだ。そんなことも考えさせる映画でもあった。

 

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もう見られなくなったマンホール

2025-02-25 22:39:58 | 路上観察

 昨日、イベントに行った時の会場周辺で見慣れないマンホールのふたを発見。イベント開催前だったので急いでカメラに収めて会場に突入。しばらくぶりのマンホール探訪ともなった。下水道は、紀元前からメソポタミヤ・古代インド・古代ローマなどの都市で設置されたが、本格的にはペストやコレラなどの伝染病の大流行があり、それ以降の14~15世紀ごろから、欧米の主要都市に下水道・マンホールが敷設されていった。日本はそれらを踏まえ神田に1884年下水道ができ、全国に広まっていく。

 

 マンホールの下側には、「OHTAKE FOUNDRY」と会社名が刻印されていた。その先頭には〇の中にTの字が入っているロゴがあった。ものによってはその〇がギザギザだったり、ロゴの位置が会社名の真ん中にあったり、試行錯誤している。調べてみたら、個人で創業したのが1931年、合資会社にしたのが1947年、社名の「大嶽鋳工」を「オオタケファンドリー」に変更したのが1991年、残念ながら会社が倒産したのが2015年と最近のことだった。本店は愛知県津島市にあった。「オオタケ」は公的施設にも食い込んでいたようなのだが、どうして傾いていったのかはわからない。戦前・戦後の草創からピークのバブルへと下水道事業にかかわる波乱万丈の星霜を歩んだことは間違いない。

 

 マンホールの上側には、「MTJA 600 1500KG」という識別番号が小さく刻印されていた。関係者にはこのマンホールの場所や用途が番号からわかるだろうが、下水道なのかどうかは定かではない。ふつうはマンホールの中央に雨水とか汚水とか表示しているのが多いのだがね。

 いずれにしても、この「二重の平織り」パターンの日本的なデザインは設置当時はしゃれていたのだろうと推察される。今ではアニメぽいデザインだったり、カラフルな色使いだったり、デザインカードを発行したり、観光の目玉にもする、というほどの変身ぶりだ。破産してしまったこの会社のマンホールはどこかで往時の苦楽を秘めてじっとしているに違いない。どこかでいつだかわからないが、再会できることを期待したい。

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だから「生きて、抗え。」

2025-02-22 20:02:11 | アート・文化

  全米で驚異的な注目を受けた映画「ゴジラ ー1.0」を録画で観る。2023年11月に上映された本作品は、ゴジラシリーズ37作目にあたり、ゴジラ誕生70周年記念にもなる。時代背景は太平洋戦争の終戦直後から復興を懸命に邁進していった頃の日本だった。

   監督はVFX撮影で注目されている山崎貴。表題の「ー1.0」は、敗戦した日本の直後をゼロとするとゴジラの出現で復興しつつある東京が再び破壊された意味でマイナス1.0という意味があるようだ。今回のゴジラの存在は今までのゴジラ以上の圧倒的な破壊力が表現されている。それはどうにも解決不能の壁に日本の国家と国民が追い込まれている状況にあった、という設定だ。

  

 それは、今日のウクライナやパレスチナの置かれている情勢と酷似している。同時にそれは、ゴジラ出現情報を隠してきた日本政府に対して「情報統制はこの国のお家芸だからね」とか、体質が以前と「変わらない日本だから」という台詞に監督の日本の今の時代認識が感じられる。しかし、そういう困難な状況でも、戦前の反省から未来のために「生きて」いくこと、困難な現状に自分なりに抗うことを提起しているというのが本作品のテーマのように思う。

 

 主人公の特攻隊生き残りの「神木隆之介」(敷島)の全身を使った演技がとびきりいい。また、近所の癖のあるしかし敷島の家族を支援してくれる「安藤サクラ」(太田)の演技も光る。ゴジラ封じ込めにかけるブレーンの「吉岡秀隆」(野田)は「always三丁目の夕日」で一緒だった監督との信頼関係が伝わってくる。          (以上の画像は「TOHO CO.LTD.」から)

   (画像は「ファミ通」webから)

 ゴジラのとどめを刺したのは、ゼロ戦の後継機・局地戦闘機「震雷(シンデン)」を操縦した敷島の体当たりだった。しかし、エンディングは見事な意外性と感動が仕組まれていた。なお、「震雷」はB29の迎撃用として開発されたが、実戦をしないまま終戦を迎えた幻の戦闘機だった。小さな翼が機体の前方にあり、プロペラが後ろにあるという異形の戦闘機だった。とにかく、VFXの迫力ある画面はハリウッドを震撼させた技術力が満タンであり、興行収入も大いに稼いだ作品となった。娯楽だけに終わらない監督の願いが込められた噛み応えある映像が実現した。

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「粗忽((ソコツ)の釘」のおおらかさ

2025-02-19 23:19:20 | アート・文化

 何度聞いても飽きない落語がある。何度聞いても同じところでまた笑ってしまう。その発想の切り口に唸ってしまう。それが柳家小三治の落語「粗忽の釘」だった。古典落語の素晴らしさは登場人物が金持ちではない貧乏な庶民やヨタローのような弱者だということだ。それを支えているのが大家さんとか隠居さんらで、長屋に住む人々らの弱点をカバーしている人間模様が心地よい。

  

 小三治の師匠の「小さん」の「粗忽の釘」を聞いたが、笑いを取ろうとする作為があんまりない。たんたんとストーリーテーリングを続ける好々爺のようだ。「小さん」は落語界の人間国宝第1号として1995年に認定され、第2号は上方落語中興の祖・「三代目桂米朝」が翌年の1996年に認定。第3号は「小さん」の弟子の「十代目小三治」が2014年に認定となった。師弟がダブル認定とはすごい。第4号は2023年認定されたオーソドックスな「五街道雲助」だが名前のすごさの割には知られていない。

  

 「小三治」は、落語の魅力について、噺は単純だが聞いても演じても面白いということ、登場人物がどこにもいるような身近な人がいて、それらの断片を集めて缶詰にしていることだと看破している。確かに、小三治の落語は高尚なテーマや心理を説いているわけではない。しかし、小三治に密着したNHKのドキュメンタリーでは、彼の表情や所作はまるで哲学者のように真摯だった。そこから、当たり前のなかにある人間のおかしさ・どうしようもなさから笑いを産み出す。当世の漫才ブームのように、笑いを取るために汲々としている姿とは次元が違う。

   (画像はsuumoのwebから)

 長屋には家具が少ないから壁の梁に釘を打ち付けてふだん使うものを吊るす。「粗忽の釘」は、引越しをする八ちゃんのそそっかしさ(粗忽)を描いたコメデイだ。内容は師匠の「小さん」と同じ流れを踏襲しているが、「小三治」はありふれた隙間をていねいに直撃してこれでもかと拡大していくキレが大いに違う。

   (イラストはJTwebサイトから)

 今、チケットがなかなか取れないという当代人気の「春風亭一之輔」の「粗忽の釘」を観たが、小三治に迫る実力のほどが見て取れる。八ちゃんが引越し先の隣で「落ち着きに来た」といって、おのろけや口笛を吹いたりする所作は現代的で、「古今亭志ん朝」並みの声量・テンポ・振りの抑揚は江戸落語らしくウケもいい。将来の人間国宝の候補になれる素質を感じる

  (画像はsuumoのwebから)

 「粗忽の釘」は関西では「宿替え」という表題で演じられている。それでユーチューブで「桂枝雀」の芸も観たが機関銃のようなテンポの語りは上方特有で、飽きさせない話術がある。枝雀はそれに体ごとくゆらせるところに破調の魅力がある。

 それにしても、「小三治」の芸には今風のパロディや高いテンポのパワーをやらなくても、日常の暮らしの中にあるディティールから産み出す話術は一品だ。それが自然体から出てくるように見えるが、それは本人の呻吟した苦闘の中から誕生した「言の葉」に違いない。同時に聞いた「猫の災難」も珠玉の落語だった。酒に酔っていく様は、本当に酔っ払っているのではないかと思うほどの描写だ。残念ながら、2021年に鬼籍に入ってしまった。

 「落語は笑わせるものではない。本来の芸とは無理に笑わせるものではない」と語る「小三治」は、噺を聞いてくすっと笑うのが落語の真骨頂だという。達観したこの昭和の名人は、今のお笑い芸人の闊歩をどう思っているのだろうか。

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畑から石が大豊作 !?

2025-02-17 18:35:09 | 屋外作業

 先月末からぼちぼち手を付けてきた茶畑跡の荒地にジャガイモ畑を作ることになった。しかし、茶木の根っこが一部残っていたり、大小の石も残っていたり、その後猛威を振るったススキ群落の根っこがあったり、畑にするにはかなり難航する。そのため、耕運機のスクリューの軸が折れてしまうという事態にもなった。さいわい、1本の新しい軸を変えただけで耕運機は復活できたが、やっぱり力による現状変更はいい結果は生まない。ススキの根っこの除去には鶴嘴の活躍はあったが、全身を使ったのであちこち筋肉痛にもなる。

   しかし、数千年前か数万年前かはわからないが、もともと付近に川が流れていたようで石が続々出てきた。こりゃあ、家庭用の耕運機じゃあ歯がたたない。なにしろ、30cm前後の石も出てくるのでこのときもツルハシが大活躍。わが菜園はクワよりツルハシを常用する理由が当然あるわけだ。ひどいときは、3cm径の重い鉄棒をもってきてテコの原理で石を排出することもあった。

  

 はじめて移住したときには50cm前後の石があちこちあり、一つの石を一日がかりで掘り出したこともあった。今ではそんなパワーはないが、当時は希望に満ちていたから楽しく作業ができていた。また、近くの古道は武田軍を攻める家康軍が行軍していたらしいから、家康の座った石がここにあったかもしれない !?  

 

 毎回のように、小さな石はバケツに収穫し、ビニール・プラスチック類も回収する。以前は掘り出した石の処理に困ったが、今はこの石が貴重なのだった。

  というのは、裏山への坂道の補強に石を使うのだ。数年前に階段を手作りで作ったものの、経年劣化や少しづつ土砂が流出しているので石の補給が必要になっている。つまり、ここに石捨て場としても再活用しているというわけだ。さらに、家屋の土台もじわりと土砂が減ってきていることもあり、今後、石がもっと補給しなければならないことがわかった。いずれ、大量の砂利を購入しなければならないだろう。

  さてこうした経過を経て、なんとか畝ができあがっていく。さっそく、「メークイーン」と「アンデスレッド」、さらには初めて栽培する「インカのめざめ」の植え付けが完了した。あと、3本の畝を作ればジャガイモ畑はすべて完了となる。

  

 ジャガイモの植え付けの後は防寒・害獣対策だが、トンネルカバーが足りなくなって、接ぎ張りだらけのトンネルとなってしまった。まずは防寒はしっかりやらなくてはと、畝の脇には刈り取ったススキを配置したが、強風が来ると飛んでしまうので、伐根したススキの根っこをいくつか重しにする。というわけで、手元にある「資源ごみ素材」を生かしながらぐうたら作業をゆったり続けている。

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「弥勒プロジェクト」の行方は

2025-02-14 11:00:37 | 読書

  「知の巨人」といわれた松岡正剛氏が去年の8月に肺炎で亡くなった。編集業界ではマルチに活躍する異彩の重鎮だった。ネットの「千夜千冊」での書評はその深さと広さには刮目する鋭さに満ちていた。ということで、彼とそのチームがビジュアルに編集構成した『NARASIA 日本と東アジアの潮流』(丸善、2009.5)を読む。

  全頁をめくっても美術書を開いたような構成になっている。しかし、肝心の表紙はおとなしい。金粉を散らしたつもりのようだが、それは金粉そのものではないし、表紙が汚れているような印象になってしまったとも思える。もしくは、日本と東アジアとの浮遊する歴史を象徴したいのだろうか。

 

 それはともかく、 表紙をめくると「この一冊で、日本・奈良・東アジアが見えてくる」と示唆して暗示めいた密書の謎解きが始まる。その次をめくると、英雄が時運に乗じて変幻自在に活躍する「雲蒸龍変」、文武両道を兼ねた政治を表す「緯武経文」とか、物(月)の解釈は立場(舟)によって異なる「一月三舟」とか、初めて出会うような四字熟語が読者を突然襲う。この熟語から何が見えてくるというのだろうかと不安になる。

 

 2010年は平城京遷都(710年)から1300年を迎える。それを記念して出版されたのが本書である。同時の記念事業としては、平城京跡地をメイン会場として363万人を迎え、さらに奈良県内の各地・各寺院施設でも独自のイベントが行われ、県内全体の総来場者数は延べ2140万人となり、その全国への経済波及効果を約3210億円、県内では約970億円に上るという。

   平城遷都の710年は、日本で初めて本格的な首都が誕生し、ユーラシア文化との国際交流などを得て天平文化も花開いた国家としてのスタート地点だった。それから1300年後、東アジアの発展は着実にあるもののその混沌はいまだカオス状況にある。日本も隣人のアジアではなく欧化政策を優先させてきた経過もある。そんなところから、かつての奈良ー東アジアー日本という「narasia」潮流を大胆に見直し、「平城遷都1300年記念事業」を推進することになった。その一環として「弥勒プロジェクト」が誕生した。

 

 それに関連して「日本と東アジアの未来を考える委員会」が創立され、美術家の平山郁夫氏を委員長に政財界・芸術・学術・行政各界から約100名近くの日本の錚々たる顔ぶれが参集した。この委員の名簿を見て感じたことは、あまりにトップクラスの人材のため、これらの人脈を支える親衛隊がいるのだろうかと疑問に思った。機能不全に陥るのではないかと予想された。事業としては黒字になったようだが、「弥勒」精神の実現ではなかなか手間取ったようだ。一過性の祭りごとを永く支えるにはそれを推進するプロモーターの存在が欠かせない。その羅針盤ともいうべきアイテムの一つが本書だったようだが、消化しきれないまま今日に至ったように思える。

 

 本書では、戦前の三木清や竹内好らが提唱した「東亜共同体論」について触れられていないのが残念だった。彼らの理論は欧米中心主義に対抗する理念として先験的なものだったが、結果的には軍による大東亜共栄圏構想にすり替えられてしまった。しかし、最近は世界史の考え方に欧米中心主義の解釈から脱却の動きとして、世界に影響を与えたアジアとその周辺の歴史的意義が再考されてきている。

 その意味では、本書関連の「記念事業」のめざしていたものはもっと再評価しても良い。見え透いた経済効果ばかりの大阪万博よりは、松岡正剛氏が残した精神はもっともっと評価するべきだ。 (画像はすべて本書から)

                                              

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ジビエ・卵・生コンが献上

2025-02-12 21:10:16 | 出会い・近隣

 寒さもひと山超えたようなここ数日。近隣の人とは外でなかなか会わない日が続くそんなとき、近隣から和宮様に献上されたものが続いた。なかでも、秋までは近隣を荒らしていたシカやイノシシの生肉が献上された。今年早々の害獣捕獲はハンターにとっては忙しかったという。そのおすそ分けをたっぷりいただいた。和宮様は自らの手でさっそく筋などを取り除き圧力釜で生肉を柔らかくしている。

 

 

 夕飯には柔らかいチーズハンバーグを下賜していただいたのを食べてみる。さらには、大根とシカ・イノシシとの煮物もいただく。加えて、ジビエカレーへと続いた。カレーが出てくるとカメラを忘れ撮る前に食らいついてしまったので画像がない。とにかく柔らかい。生姜・ニンニクを入れた関係で害獣特有の臭みもない。歯の悪いオラにもスムーズに食べられた。

 

  

 そして、鶏を飼っている近所から20個以上の生卵も届いたのだった。たんぱく質が取りにくい環境の過疎地にありながらこうした食材をたっぷり確保できる豊穣はなかなか都会では難しい。大量にいただいた卵のほとんどは、韓国風に半熟にして醤油に漬け込んだ「まやく(麻薬)卵」に変身。確かに何度もお替りしてしまう麻薬卵だ。本当にありがたい。

   

  そのうちに、突然近隣から電話があり、「余った生のコンクリートがあるのでいるかい」というので、二つ返事でいただくことになった。駐車場にしたいと前々から希望していた場所があったので「渡りに船」だった。さっそく、ミキサー車がやってきてこれもたっぷりいただいた。夕方近くだったので、生コンを流しただけなのできれいな仕上げをする余裕はなかった。寒さ厳しい幕開けの本年の冬だったが、近隣から次々といただきものが続き、心には春がとっくに届いていたのだった。

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ダルマさんまたよろしく

2025-02-10 23:05:58 | できごと・事件

 今年一番の寒波がやってくるというので、あわててダルマストーブの煙突掃除を行う。しばらく使っていなかったので煤もしっかりたまっていた。二年ぶりだろうか。この煙突掃除がけっこうめんどくさいのでついついダルマさんとは冷戦状態だった。しかし、長い寒波がやってくるというのでやっと重い腰をあげて二日間もかけて掃除をする。

 高所作業なのでなんどもビスを落として探したり代わりのビスを探したり、想定のてんやわんやでもあった。加齢によって指や手が硬直していてビスを落としてしまうが、脚立を降りたり登ったりこれは体のリハビリだと自分に言い聞かせる。煤を吸うのは人間の体にはよくないが、肥料としてなら草木灰と同じように使えるらしいので、さっそく畑に撒いてみる。

 

 そのうちに、日本海側の猛烈な積雪が報道され、あれよあれよという間にわが中山間地にも番が回ってきて久しぶりの雪が積もった。煙突掃除を事前にやっていたのは正解だった。風速が強くてなかなか焚き火がしばらくできなかったので、木の枝も竹も近くにたっぷり山積みされている。それをえっちらおっちら運搬するのも冬のいい運動になる。そうして寒さに震えながらも連日の薪づくりとなる。

 

 太い薪が少ないのが弱点だが、まずは剪定した細い枝や支柱で活躍していた古い竹を大量にダルマさんに投入する。また、家の裏から杉の枯葉も無尽蔵に供給できる。そのうえ、古い領収書もついでに燃やしていく。その火ももったいないので、片隅に残っていたジャガイモやヤツガシラを蒸したり、冷凍庫の底に眠っていたエビも焼いてみたり、食べることも相変わらず余念はないさ。畑から出てくる残渣が少しずつ灰になり、これもまもなく肥料として循環していく。

  

 ダルマさんの熱いエネルギーを浴びながら、ジャガイモの種づくりも始まった。去年作った残りの「キタアカリ」「アンデスレッド」「メークウィーン」「パープルシャドウ」の面々だ。ダルマさんからいただく灰はジャガイモの切り口にまぶす。それに今年は、「男爵」「インカのめざめ」も参入する。ちょっと欲張りすぎたが、欲望は止められない。春がそこまで匍匐前進してきている。そしてまもなく、畑の方も忙しくなる。

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花道から凛々しく「しばらく、しばらく!!!」

2025-02-07 22:27:55 | アート・文化

 2021年に行われた東京オリンピック開会式で市川海老蔵の『暫(シバラク)』のパフォーマンスが表現された。歌舞伎十八番の代表的な作品だ。清原武衡(タケヒラ)が、自分の意にそわない人々を家来に命じて斬ろうとするところに、「しばらく」という声とともに鎌倉権五郎が花道から登場し、敵を一網打尽に倒し人々の命を助けるという勧善懲悪の物語。その人気にあやかって権五郎の女性版の「女暫」も上演されていく。

  それを幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師・歌川豊斎(ホウサイ・三代目歌川国貞)が描いた役者絵がいい。その「女暫」は、巴御前といういつものご都合主義甚だしい設定だ。巴御前は平安時代末期 、平家掃討作戦で活躍したとされる大刀と強弓の女武者。したがって、太刀がでかく表現されている。日本画のようなきりりとした表情の「女暫」は、1901年(明治34年)に襲名をした五代目「中村芝翫」だった<1911年(明治44年)には「五代目中村歌右衛門」を襲名>

 

 男性が演じる伝統的な鎌倉権五郎は、衣装といい化粧といい派手なのが自慢だ。物語の内容がシンプルだがこういうヒーローの派手さと立ち回りの切れが好きなのが大衆だ。衣装や小道具を合わせるとかなりの重さになる。それでミエを切るから拍手喝采で声がかかる。

 

 冒頭の画像には「市村座十一月狂言」というタイトルがあった。江戸には多数の芝居小屋があったが、天保の改革によりにより浅草に移転され、最終的に中村座・森田座・市村座の江戸三座が生き残る。興行主 と演者とは1年契約で、11月に切替えられたため、「十一月狂言」は、俳優の顔見世興行となる。したがって、軽い演目の『暫(シバラク) 』が演じられるのが通例だった。

 

 「暫」の舞台映像でよく目にするのは、市川家の家紋だ。初代團十郎が初舞台をするときに常連のファンから贈られたのが三つの枡だったことで、それを家紋にしたという。そのことで、この演目は市川家のお家芸であることをしっかりアッピールしているわけだ。そこで、中村芝翫の「巴御前」はというと、巻物を合わせた「祇園守紋」という家紋だ。

   この家紋は、京都八坂神社が配布するお守りをデザインしたもの。その守護神は疫病・伝染病や災難を守ってくれる牛頭(ゴズ)天王。そんな由来から家紋にしたようだ。中央で交差する巻物を十字架に見立てて、隠れキリシタンも使用したという。

  

  芝翫の「巴御前」の髪には、呪力を宿した力の象徴でもある白い「力紙」(チカラガミ)と「烏帽子」が見られる。そこに、梅だろうか花かんざしでにぎやかにしている。歌川豊斎の気品ある役者絵は、絵から産み出る様々な謎が迫ってくる。まだまだわからない謎が多くて手に余ってしまう。浮世絵はほんとに謎の博覧会でいつも消化不良を起こしてしまうが、その魅力にはかなわない。また会いにいくよー。

 

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レトルト介護食がどっさり届く

2025-02-05 22:51:44 | できごと・事件

 和宮様のご令嬢からレトルト介護食がどっさり届いてびっくり。冷凍なので全部を冷蔵庫に収めるのが大変だった。さすがのご令嬢、その素早い行動に感心する。そんなこともあり、毎日の食事は2~4個のレトルトパウチ食品を食べることになった。基本は、朝食は野菜ジュースとパン、昼食・夕食にこの介護食を中心にしながら、ときに温かく柔らかいソバやおでんが花開く。届いた中になんと、何種類ものお弁当がでんと鎮座していた。そこには、単品のおかずもぎっしり並んでいた。さっそく、うまそうな「チーズハンバーグ弁当」を食べてみる。

 

 どういうわけか、最初にハンバーグを箸で半分に切ってみる。すると硬直した手ではあったが見事にスムーズに切れたので安心して歯が半分留守になった口角に投入する。舌で噛んでみると不覚にも「うまい!!」と叫んでしまった。そうして、おじやもどきのごはんをはじめニンジン・ブロッコリーなどの野菜を次々口内へ投入する。みーんな柔らかく味もしっかり保持している。味気ない病院食を想像していたが、これだけ旨味を追求している事業所のなみなみならない思い入れが沁みてくる。

 

 ほかにも、「赤魚の西京焼き風弁当」「とんかつの玉子とじ弁当」なども食べてみたが、どれも手抜きのない味だった。今度は、単品の、「ごはん」「ホタテとエビの中華あんかけ」「すき焼き風寄せ煮」「肉じゃが」「筑前煮」「クリームソースオムレツ」なども同じように食べてみたが、それぞれ納得がいく味覚だった。

 ミキサーだと元の形がなくなるが本製品は元の形を残しながら栄養バランスも考えているという優れものだ。もちろん、歯がなくてかむ力が弱くなっても充分食べられる食品だった。強いて言えば、食欲旺盛なオラには量が少なくてもの足りないのでいくつかの単品が欲しくなる。

 

 これらを商品化した「大塚製薬」グループを称賛すべきだろう。製薬会社がこうした弱者への分野に乗り出した社会貢献の心意気が素晴らしい。雪印乳業も出資していることは味にも影響しているのを感じられる。会社名の「イーエヌ大塚製薬」の「E」と「N」は、経腸栄養(Enteral Nutrition)の頭文字に由来しているという。また、愛称の「あいーと」という名前は、英語で「I eat=私は食べる」というところから、能動的に自分から食べていく、楽しく、おいしく食事をとっていく、そういった想いから名付けたという。

 

 下の歯がないことで歯肉が落ち着いてきたことを実感する。ついこの間では、流動食じゃあないと受け付けなかった口内はいま、柔らかいソバやラーメンもなんとか食べられるようになったし、主食のおかゆも市販のものを購入してそこに梅干や柔らかい野菜を入れても食べられるようになった。これも、いち早く手掛けていただいた和宮様の玄米おかゆの先験的効果があったことは間違いない。

 

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