山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ロッテ独占のガム

2021-01-31 22:14:45 | 特産品・モノ

 ときどき、ガムを嚙む。口の中を掃除したいときにガムを口中に放り込む。さらには、嚙むことで最近物忘れがひどくなったので認知症対策でもある。ガムを買いに行ってみるが商品棚の90%がロッテではないか。もっと多様であって良いのではないかと探すが、選択のしようがない。しかも、ジイジには高価格だ。

 あるときたまたま、カインズと広島大学の杉山教授プロジェクトとの共同開発の乳酸菌入りのガムを発見。キシリトール配合、シュガレスのヘルシーな志向も気に入った。ふたの部分に表示されている「OFF to ON」というコンセプトがわからなかったが、塩分などの不要な部分はoff、栄養補給など体に良い部分はon,ということらしい。それ自体は素晴らしい。ただし、原産国が韓国、輸入がカインズなので、なんとなくロッテの臭いがやっぱり漂う。ロッテ一人勝ちの現状をどう思う?

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「キウイ」ジャングルに突入す

2021-01-30 19:07:11 | 農作業・野菜

 ジャングル状態になっていたキウイフルーツの剪定に5日間くらいかかる。毎年のことだがキウイの生命力に感心する。朝の野菜ジュースにはキウイがいまだにしっかりメンバーに入っている。その意味でも、剪定はお礼でもあるがこのジャングル状態を脱皮するのには時間がかかるのは承知はしていた。

  

 鋸と剪定鋏だけをたよりに粛々と進める。上ばっかり向いていると首が痛くなったり、ハサミの酷使で手が痛くなったりもしたが、ごまかしながらなんとか全てを終了することができた。あとは、この残骸をどうするかが宿題となったが、今はしばらくそのままとする。というのも、すぐ近くの「桑の木」の剪定が待っているからでもある。切れ味の悪くなった鋸もまだ一線で活躍している。

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ダジャレもいいがウィルキンソンさんが偉い

2021-01-29 22:36:56 | 特産品・モノ

 娘から「ジンジャーエール」3本が宅急便で送られてきた。神田明神にちなんだ「神社声援」のラベルが貼ってある。JR東日本グループが推奨しているようだ。ジンジャーは「生姜」、エールはビールの一種だそうだがノンアルコール。日本には、コカ・コーラ社の「カナダドライ」とアサヒ飲料の「ウィルキンソン」が代表的だ。そういえば、ときどきカナダドライを飲むときもあった。このジンジャエールは佐賀県産のものだった。それは素晴らしい。

 飲み心地は、生姜味が辛口と甘口と両方に調和してしっかり生かされている。ウィルキンソンとは、日本に定住したイギリス人で有馬温泉近くで天然の炭酸鉱泉を発見し、ジンジャーエールを商品化しているのがわかった。そうだ以前、有馬温泉に行ったときこの炭酸飲料を飲んだことを想い出した。

               

 ついでに言えば、オイラは神社の「エール」には否定的なのだ。明治以来、戦争に民衆を駆り立てた責任を神社は未だ取らないからだ。それどころか、天皇の威光を利用しているのが気にくわない。時流にのって民衆を煽ってしまった行為を謙虚に内省すべきなのではないか。廃仏毀釈の先鋒を担った傲慢さが腹立たしい。関係者が石仏の首をちょんぎったり、お寺を破壊してしまったり(お寺も問題あったのだけど)、の狼藉を悔い改めたのだろうか。そうした反省がないまま神社の正面を日の丸や旭日旗で埋めてしまう傲慢さ・思考停止が残念だ。しかし今はそれを異様と感じない風化が悲しい。とほざきながら、しっかりジンジャーエールを飲み干してしまった。もう1本はいけるが我慢する。イデオロギーを振りかざさないムラの小さな神社のほうがつつましい。     

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初めてアオジをとらえる

2021-01-28 22:08:00 | 生き物

 いつも一瞬で見逃してしまう「アオジ」(ホオジロ科)をなんとかカメラに収める。じっとしていないのでピントが合わないままシャッターを押してしまう。暗い木陰の地面から突然現れては飛び立っていくとき、なんとなく模様を覚えてはいたが、カメラに収めたのは初めてだった。

                 

 大きさはスズメくらい。「アオジ」の「青」は、古語の「緑」の意味。「ジ」は、ホオジロを示すという説もあるが愛称の「児」の説をとりたい。もう少し近くならピントも絞れるのだろうが、距離がありすぎる。次回はもう少し仲良くしたーい。

   

 和宮様お気に入りの「ジョウビタキ」が農作業を視察にやってくる。鳥の方から近づいてくるのだから急いでシャッターを探す。そしていつもながら、ピンボケとなってしまう。「秋に常に来るヒタキ」だから「常鶲」という説がわかりやすい。

   

 人間には比較的人懐っこいが、鳥どおしでは縄張り争いが激しい。似ている色・模様を持つ「モズ」との縄張り争いが有名らしいが、まだ現場に立ち会っていない。最近、モズの到来が少なくなったせいか。

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趣味も嗜好も振る舞いも社会構造が規定する?

2021-01-27 20:37:26 | 読書

 ついこの間に放映していたNHKの「100分de名著」のテキスト『ディスタンシオン』を読み終えた。フランスの社会学者・ブルデュー(1930-2002)が1979年に著した名著だという。ディスタンシオンとは、フランス語で「区別」という意味。本書によれば、私的な趣味・嗜好・身のこなしなどの性向は、本人の学歴・出身階層などの社会構造によって規定されているという。難解な言葉がオイラの海馬の眠気を誘ったが、要するに「それはそうだな」と経験的に思う。

  

 本書で飛び交う、文化資本・ハビトウス・「界」とかの見慣れない言葉と抽象的言葉に翻弄されたが、「趣味という私的な領域がいかに社会構造と結びついているか」ということに尽きる。それは、赤貧に育ったオイラが高校へ行ったとき、周りの生徒の言葉遣いや雰囲気に品格があったことが第一印象だったのを想い出した。しかしその「品」には、貧しさに育った者の辛さや怒りそして希望というものがわからない楽天性というものを内包していた。

  

 それはブルデュー自身の生い立ちにも垣間見えた。その目でフランスの植民地アルジェリアの独立運動をも冷静に調査・分析している。それは本書の著者・岸政彦さんが沖縄の民衆とかかわっているのと似ている。そして何よりも、「他者の合理性」とは、「私の合理性」とは違うという指摘が鋭い。他人や民衆が「そうしてしまう」にはそれなりの「合理性」、「その人がその人である理由」があることを否定しない、という立場を保持している。それは膨大なインタビューから結論したものだけに説得力がある。

 原書だったらとっくにお手をあげていた内容だったが、わかりやすいテキストのおかげでなんとかブルデューさんにアプローチできた気がする。テキストを送ってくれたコロナ禍で書斎に封じ込められた畏友のダビンチさんにこうべを垂れてやまない。

 

 

 

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雨も雪もまだ足りない

2021-01-26 21:29:22 | できごと・事件

 元気のいい「クコ」がぐんぐん育ってはいるものの、まだ実をつけるには至っていない。というより、いつごろ実が育つのかがわからない。近くの路肩にもクコがあるが実をつけているのを見たことがない。花は確認したものの、実が本当につくものなのだろうか。しかも、夏も秋も冬も雨が極端に少ない。

   

 2週間前に降った雪も茶畑を真っ白にはできなかった。茶樹を抜根した所だけが真っ白だった。おかげで今のそこは毎朝のように霜が降りていて、歩くのにはぬかるんでいる状態だ。したがって、いろいろやりたいことがあるが進捗できないままだ。

          

 昨日の雨も予報を大きく外れちょびちょびだった。したがって、少ない雨も雪も国道沿いの湧水地はいまだに止まったままだ。いつもだと、どくどく出ているはずなのに。水汲みする人がいつもいるはずだが最近は見かけない。バランスのいい自然界のシステムが壊れている。そんな自然界と人間界の隙間に、コロナが新開地を発見し開拓したということなのかもしれない。

 このところ、わが家も医者通いが多くなり体のてっぺんから足まで「がたつき」が目立ってきた。同じように、器具類も壊れだすのが目立ってきた。きょうは、給湯器からお湯が出なくなり、ガス屋さんに来てもらった。結局、器具を取り換えることになった。最低、16万円以上はかかるという。これから年金暮らしのわが家はもうしばらく近所でもらった野菜を中心に暮らさねばならない。人間も社会も自然も、そしてモノも精神も、大都市も田舎も壊れていく時代を迎えてしまったのだろうか。

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いただきもので暮らす

2021-01-25 19:48:37 | 出会い・近隣

 今回の年末年始は、近隣からいただいた野菜たちで食欲を満喫した。イノシシが荒らした畑の野菜はことごとく失敗、秋後半に新たに植えたものの生育は悪い。それを知ってか、近隣から余った野菜を次々持ってきてくれたのだった。いただいた小豆はお汁粉にして食べ放題の主食に。そこに磯辺焼きを添える。そして、畑で何とか生き延びた赤大根「くるり」とレタスを収穫してサラダにして副食。

  

 そしてある夕方、段ボールのなかに大根・赤大根・ネギ・白菜が詰めてあり、底に大きいミカンが入れてあったそれが玄関先に置いてあった。そこに添えてあった手紙はじつに心のこもったものだった。その前後に、違う農家からも小松菜・水菜・春菊などをいただく。おかげで、野菜を買うことなく毎食野菜を食べられる「身分」となった。ありがたい。毎回手を合わせていただく。

   地域のつながりがあれば、餓死しないで生きていける。コロナでますます人間の孤立が顕著になっていくが、それを解決していくのが人間のつながりだ。だから、「空間は過疎につながりは過密に」というシステムを田舎は本質的に選んだのかもしれない。

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コーヒー色のハブ茶を飲む

2021-01-24 18:26:50 | 食彩・山菜・きのこ

 「唐箕」でゴミを飛ばしておいたハブ茶の「エビスグサ」。手作業で数種類の篩にかけてゴミ出しを5~6回繰り返すがなかなか理想通りにはいかない。

             

 それから、フライパンで焙煎する。焦げた匂いがしてきたころを目安に焙煎を止める。少しさましたところで、種をやかんに入れて20~30分ほど低温で沸かしていく。沸かす時間が短いと色が薄く、味も濃厚ではない。

             

 いよいよ飲み時だ。コーヒーと同じようにフィルターで濾してからカップに注ぐ。色はコーヒーと全く変わらない。飲んでみるとコクのある麦茶というところだろうか。人によっては漢方薬のような味かもしれない。効能は、便秘・眼精疲労・生活習慣病・疲労回復・肌荒れ等に良いとされる。しかも、ノンカフェインなので安心。これからしっかり飲もうと思うけど、手間がかかるのがちょっと心配だ。

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崩土が続く

2021-01-23 22:04:11 | できごと・事件

 昨年の大雨で従来から懸案だった国道の急斜面地が崩落した。道路そのものには被害はなかったので、いつもどおりの通行はできているがいつ崩落してもおかしくはない。とりあえずは、コンクリートの吹き付け工法で崩落を食い止めているが、角度がまるで90度もあるんじゃないかと思うくらいだ。

 真下の川には崩落した大木2本がまだ横たわっている。吹き付け工事は早くやってはいるが、一車線しかない貧弱なここの国道はいつも予算がないと工事が中途で終わってきた。しかも、十メートルくらい先の所も崩土が起きている。ここも、補強工事が行われているもののいかにも不安をかきたてる貧弱さだ。

         

 もしここで交通が遮断されると、かなり遠回りをしなければならない。スクールバスや人工透析車も打撃となる。迂回路だって林道みたいな所なので大型台風や大雨が続けば安全は保障できない。すると、わが集落も陸の孤島になってしまう危険性にさらされる。

 東京オリンピックに大規模予算を投入しないでこういう所にもっと予算を回してほしいものだ。これ以上東京に地球に穴を掘らないでくれ、と叫びたい。

  

 それよりも、地方でも安心して住めるような施策がほしいところだ。この現場で写真を撮っていると7~8台も通行するダンプのおじさんのひとりが「ここは大丈夫かね」と突然運転席から話しかけられた。道路の亀裂もたびたびあり、とりあえずの補修はあるもののいつも場当たり的だ。まるで、日本の政治やコロナ対応と酷似している。

 

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荒地から花壇へ

2021-01-22 21:05:01 | 出会い・近隣

 国道の法面は雑草の荒野だった。毎年灼熱の夏に集落として草刈りをやってきている。しかし、法面はかなり急峻であること、その担い手が高齢者ばかりになってきたことなどから、作業の存続が危惧されていた。そこで、低木や草花を植えていって雑草面積を少なくしていこうと提案してきた。しかし、その土壌は瓦礫ばかりで土そのものが少ないのでなかなか育たない。

 紫陽花がやっと花をつけるようにもなってきたが、新しく植えたドウダンツツジが青息吐息だった。そこで、周囲の雑草を刈り取って肥料を周りに撒いていく。

   

 また、土壌が流れないよう近くの竹林から竹の支柱を伐ってきて土留めの支柱を打ち込む。そこに、長い竹を横に敷いて固めていく。予算ゼロでありあわせの資材を投入する。一人でこれをやり抜くにはそれなりの覚悟がいる。そこが揺らいでいたとき、地元の大工さんが隣の河川の整備をひとりでやり始めたのだった。それがバネとなって作業がスムーズになったのは言うまでもない。

           

 法面には、空き缶が投げ捨てられていたり、ビニール類が散乱していたりしていたので、それらも回収していく。肥料袋が風で吹き飛ばされてゴミになっているのも無視できない。今できることを粛々とやることがコロナがあるなしにかかわらずいちばんと思いいたる。

 また、アフガンで殺された中村哲さんの強烈な意志力を想い出す。それに比べれば自分の意志の薄弱さが露呈する。とにかく続けること、止めないことだ。実際、小さな紫陽花が大きな花をつけてきたではないか。これに確信を持つべきなんだな。そうだ、自分のためにやっているんだということを忘れてはならない。

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