山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ついに流動食シフトへ

2025-01-29 12:04:37 | できごと・事件

 一昨日、残念ながら歯医者でグラグラだった下の歯を全部抜いてもらった。5~6年前、他の歯医者で入れ歯を推奨されていたが、それを拒否して現在の歯医者でなんとか永らえていたのだった。

 

 先週から、酷使していた歯が痛くなったり、噛むのももどかしくなったりして、食べ終わるのに倍以上の時間がかかるようになってしまった。それを察知した和宮様は恐れ多くもおかゆや介護食を直接調理してくださった。

   そうして、ブロッコリーをミキサーでつぶしたスープとウナギをのせたおかゆを食べてから、下の歯全部の抜歯をしようと決意したというわけだ。さいわい上側の歯はなんとか健在だったのが救いだ。だから、毎朝普通に食べていたバナナも前歯だけでなんとか薄くカットし、つぶしながら食べる状態となってしまった。

  

 そのため、市販の噛まなくてもよい煮込みスープをネットで探して入手。それは流動食の味や栄養を補助し、その食づくりの負担軽減を図ったものだ。こうした食材は、スーパーではなかなお目にかかれないのがわかった。犬猫のフードはいっぱい置いてあるが、いわゆる介護食や流動食の食品は見つからない。あったとしても「おかゆ」ぐらいしか置いていない。

 

 きょうの昼食は「焼きそば」だった。麺をフライパンで炒めてからミキサーでペースト状にする。食べてみるとなるほど焼きそば味だった。梅干を入れるとさらに濃い味となった。また、焼きそばに入れる野菜や肉の具も同じようペースト状にしたうえで紅ショウガを入れる。見たくれは少ないように見えるが食べてみるとけっこう満腹になる。

 

 夕飯は、おでんだった。練り物を汁ごとミキサーにかけペースト状にしてから、市販レトルトの「だし巻卵」を投入する。また、おでんの大根もミキサーにかけて同じようにしてからレトルトの「鶏肉のトマト煮」を投入する。食材の形はないが味はコクが出ていておいしく食べられる。おかげで、病院食のような物足りなさが解消されている。ありがたい流動食となった。入れ歯ができるまではこれらの流動食を楽しむことにする。 

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穏やかな陽ざしをたわわに実る

2025-01-27 21:35:48 | 野菜・果樹

 近所の裏山に実った柑橘みかんをいっぱいいただく。先日は花ユズなどをダンボール数箱をいただいたばかりだった。朝の野菜ジュースにはそのユズを毎日2個前後を投入したものだった。急峻な斜面にある小さな柑橘園には植えて間もないシークワーサー・デコポン・イヨカン・キンカン・カボスなども芽生えている。端に実っていた「夏ミカン」は全部収穫していいよ、と言われたので、1個だけ残してありがたく全部いただいた。まるでわが家の専属みかん園になったみたいだ。

  

 もう1本の「夏みかん」も適度に収穫したら、合計段ボール3箱分ほどになった。これは毎朝1個分はジュースに投入されている。残りの柑橘類はその地主が収穫して懸命に近隣に配っている。十年ほど前は、畏友の天野貢さんの山奥から段ボール5~6箱分を収穫してきて、この地主にも数箱引き取ってもらったことがあった。立場が逆転したのが面白い。果樹が大木になると個人では対応できなくなっていることが多い。

  

 そういえば、天野さんが病死する数カ月前、ハッサクの収穫をするために木に登っていたところ失敗して落ちてしまったことを想い出す。背中全体が内出血で紫色になっていたが、天野さんが近所の人に応援を頼んでくれて数人の女性が来てくれた。結果的には病院へ行ってシップをすることで事なきを得たことがある。このことから、後期高齢者はもう昔の杵柄は通用しないことを自覚すべし、ということだね。だもんで、果樹の持ち主が高齢者になると収穫できなくなり放置せざるを得ないということになる。

 

 このたびいただいた「ハッサク」も背負い篭いっぱいになっている。果樹園の地主は処分に困っているだろうから、今度はオラのルートで食品ロス解消のため適度に配分していくということとなる。果物は買えば高価なのでなんとも、贅沢な過疎地での豊穣ドラマでもある。だから、都会の人が過疎地や地方とつながると豊かさをお互いが共有できるのになー。

 

 

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「お茶漬けの味」の行方は!

2025-01-24 08:34:48 | アート・文化

  久しぶりに小津安二郎監督の映画DVDを観る。コロナ事件以来映画館から遠ざかってしまった。それもそのはず山奥から都会へまかり出るのもおっくうになったし、在宅で観られる映画が溜まってきているせいもある。もちろん、寒さのせいで外に出る勇気が半減しているのが本音でもある。夕飯前に「お茶漬けの味」(1952年公開)を急遽観ることにした。 

 戦時中に当局に脚本を持ち込んだが、戦時なのに有閑マダムが旅行で遊びに行くのは問題だとか、兵役に従事する前夜にお茶漬けとはけしからんとか、反戦を言っているわけではないのに許可が出なかったという事件があった。当初の企画をベースにして戦後書き直したのが本作品である。

  

 地方出身で読書好きの物静かな主人公・佐竹茂吉(佐分利信)と上流階級出身のお嬢様でツンツンしている妻の妙子(小暮美千代)との倦怠期にある夫婦のぶつかり合いと和解の物語となっている。しばらく観ているといつお茶漬け場面が出てくるのだろうと心配になってくる。女友達との温泉旅行を終えて汽車で幾何学的な鉄橋を渡っていくシーンでは、これは夫婦の決裂かとさえ思っていた。

 あいかわらず、小津監督のローアングルからの日本家屋の場面展開がユニークだ。障子やドアに囲まれた部屋の袖から登場人物が出てきてストーリーを牽引していくという構図はまるで舞台を観ているような錯覚に襲われる。

 

 それに、女性の華やかなファッションが見どころでもある。その女友達は津島恵子・淡島千景・上原葉子(加山雄三の母)らが花を添える。とりわけ、小暮美千代の和洋のいでたちは夫への不遜な態度ではあるもののその妖艶な魅力を十分際立たせている。

 敗戦後間もない庶民のエネルギーが巷に漲る。ラーメン、トンカツ、競輪、パチンコ、野球といった場面が挿入されていったのも、戦時中の不自由な縛りからの解放という意味合いもあったのに違いない。オラが子どものとき親父に連れられてパチンコ屋に行ったことがある。落ちていた玉を拾ってパチンコをやるのが楽しみだった。そのときのパチンコ台も映画の通り、立ったままで一個ずつ玉を入れるものだった。しかし、茂吉の戦友であり、パチンコ屋の親爺役の笠智衆は、「こんなもんが流行っている間は世の中はようならんです。つまらんです。いかんです。」と言わせている。 

 

 それに、戦死した友人の弟役の鶴田浩二が格好いい。こんな若い鶴田浩二を観たのは初めてだ。見合いをたびたび拒否していた姪役の津島恵子とその鶴田浩二とのカップルが、ラーメンを一緒に啜るシーンが出てきたり、二人のデートが映画の最終場面となっていく。それがどういう意味かはわからないが、佐竹夫婦のぎくしゃくした夫婦関係とは違う新しい戦後の男女関係を託した監督の願いが込められているようにも思われた。

  

 安タバコの「朝日」を吸い、漬物と猫まんまご飯を愛する商社マンの質素な茂吉。それに苛立つお嬢様育ちの妙子だったが、急に夫が海外出張となってしまう。しかし、途中で飛行機がエンジントラブルとなり羽田に戻り夫は深夜に帰国する。腹が減った茂吉に妙子も一緒にお茶漬けを作って食べる。いつもはお手伝いさんがやるであろう糠みその漬物に手を突っ込む妙子に茂吉がその手のにおいをかいでほほ笑む。

 そこで、妻の高慢な態度に不満を言わないでいた寛容な茂吉の心の広さに、妙子は涙を浮かべる。ここで、シンプルだがコクのある「お茶漬けの味」を二人は共有することになる。そこに、茂吉が言う「お茶漬けは夫婦の味」だという世界を確認して大団円を迎える。険悪な空気感からこの安らかな空気感への転換が、皇軍兵士だった小津安二郎のめざす「日常」の価値だったのかもしれない。

 

 

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キウイジャングルと格闘する

2025-01-22 21:47:45 | 農作業・野菜

 夏の記録的な暑さもありキウイフルーツの収穫はあまり多くはなかったように思えた。収穫は11月の文化の日あたりが標準だったが、今年は11月の8・9日に一気に行う。大まかに数えると500個近くに肉薄したようで、ほぼ例年並みの収穫のようだった。しかしそのあとの剪定が収穫以上に手間がかかり、これをやっておかないと数は多くても小さめの果実となってしまう。

 

 いつもの通りのんびり剪定していく。ついでに隣の「ヒメコブシ」の大木や「グミ」の剪定もしたりして気分転換もして飽きないよう道草する。というのも、下から剪定ばさみで伐っていくと首が痛くなっていくからでもある。また、枝からオスとメスとのころあい調整も考えていくと、親の主枝を見上げながら側枝を辿っていくのも首に負担がいく。だもんで、ときどき小さな踏み台に乗って上からの剪定も始める。

  

 しばらくすると、ツルによるジャングル状態が少しずつなくなり、遠景の山並みの景観を眺める余裕が出てくる。しかし、鋸で切ったおが屑が目に入ったり、喉に入ったりのリスクも注意しなければならない。そのため、剪定ばさみの役割は大きい。といっても、枝がやや太いとやっぱり鋸の出番であるのは変わらない。

 

 それを無理やり剪定ばさみでやってしまうとハサミが切れなくなってしまうし、よけいな力を使ってしまう。なんだかんだと言いながら、完了するのに5日間もかかってしまった。枝がどうしても空高く伸びようとするのでジャングルになり葉に陽が当たらなくなるので、枝の誘引も必要となる。なかなか教科書通りにはいかない。ほとんど自己流剪定でまったくの放置栽培だけど、毎年そこそこの実を作ってくれるのがありがたい。

 

 人工授粉もやってないし、摘果もほぼ気分次第だし、ときどき思い出して肥料をあげたりのズボラ栽培にもかかわらず、病害虫もなく安定した結果を毎年届けてくれる。主枝がかなり老木になり世代交代が必要だが、そのタイミングが難しい。今回は強剪定はしなかったが、老木に若い枝が見えると大胆に伐る勇気がなくなる。

 

 近隣の山間部の農家でもキウイフルーツ栽培がよく行われているのをたびたび目撃する。しかしその多くは手入れがされなくなっている。後期高齢者が多くなりそこまで手が回らないというのが現実だ。その意味で、若者が「果実収穫隊」として、年寄りの家で実った果実、例えば、夏ミカン・柿・梅・キウイ・ブルーベリー・ビワ・イチジク・などの収穫や剪定を請け負って、それを広く販売するようなことなんかできないかと思うことたびたびだ。だけどもう、自分自身が後期高齢者になってしまって、好きな木登りもままならなくなってしまい、トホホという現実に置かれている。

 だもんで、剪定した枝を燃やして焼き芋くらいでもしようともくろんでいる日々なのであったー。が、最近風も強く火事が多発していてそれもできていない状態が続いている。人生思うとおりには行かないのだ。そうして、キウイの入った野菜ジュースを毎朝堪能するのだった。

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農業と廃プラスチックは問題にならないのか

2025-01-20 23:06:12 | 意見・所感

 家庭菜園をやっていていつも気になることがある。それは農業資材にプラスチックが多く利用されていることだ。オラも今までマルチ・カバー・紐などにそれを多用してきたが、その破片が土壌によく紛れていることが気がかりだった。だもんで、その破片を拾うのも最近の重要な作業ともなっている。たとえば、古いプラ縄などの破片が細かく落ちているのを見ると健康や生態系にも影響するのではないかと、このところ紐はシュロ縄を使うことにしている。

   

 

 実際、回収されたプラスチックさえも、焼却されたり埋め立てされたり海洋投棄されたりもしている。それは地球規模で拡大され続け、それは地球温暖化をはじめ生態系の破壊・魚類や鳥・人間などにも影響が出ているのは周知の事実だ。人類の経済優先の選択は便利さは向上したものの失われたものはあまりに大きい。その意味で、江戸時代のエコ暮らしの先進性は世界的にも評価されなければならないし、それは自然との共生・経済と報徳との融合など、その精神的生き方をも学ばなければならない。国連で採択された「SDGs」も一時的なキャンペーンで終わりつつある現状で、人類の生き方には肉薄できていない。

  

 それで、できるだけ土壌にプラスチック類が残されないようにはしているが、マイクロプラスチックもどうしても出てしまう。実際、ホームセンターに行っても農業資材の多くがプラスチック製なのも気になる。ビニールハウス・肥料袋・紐類・被覆シートなどあげればきりがない。農協も経済界もわずかながら検討をしているようだが及び腰というほかない。農業の守護神であるべき農協が残念ながら硬直したまま機能不全に陥っている。オラが定期的に愛読している農文協の『季刊地域』の先駆性は農協を越えている。同社の月刊『現代農業』の果たす役割はさらに大きいがなかなか読む時間が追い付かない。読者数が多い『家の光』の欠けているスピリットが農文協にはある。

 したがって、今できる私的なこととはまずは紐を昔ながらの紐をできるだけ復活することから始めた。また、古い綿の衣類は裂いて紐にして、キュウリ、インゲン・トマト・エンドウなど誘引の紐に活用している。生分解性のマルチも市販され一時利用したが高価でわが年金予算からは残念ながら手が出ない。無農薬を貫徹していることだけはせめてもの良心のあかしとしている。 

 

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ハラハラ・ドキドキの華麗なサーカス

2025-01-17 21:25:20 | アート・文化

 セシル・デミル監督の映画「地上最大のショウ」(アメリカ、1952年公開)をDVDで観る。映画のタイトルは知っていたが今まで観ていなかったのでまずは観ることだ。70%はサーカスの醍醐味が存分に観られる映画だった。主演は筋肉マンのチャールトン・ヘストンがこのサーカスの座長役だ。

  

 映画を支えたのは、「リングリングブラザーズ・バーナムベイリー」という「地上最大の規模」を持ったサーカス団だった。なにしろ、資材・用具をはじめ500頭以上の動物やスタッフ1500人以上を運ぶ車両が90両もあるサーカス専用の列車をも保有していた。映画でもその迫力が随所に出てくる。映画の後半では、その列車の事故によって化粧を落とさないわけありピエロが人命を救っていくという仕掛けが、ショウだけでないドラマにしている。

  

  ふつう映画の上映時間は90分から120分くらいだと思うが、本作品は152分もあった。それだけ、サーカスを見せる場面をこってり見せてくれたわけでもある。衣装もこれでもかというくらい派手でファッションショウのような行進が食傷気味になるくらい。いっぽう、現実的には動物虐待で訴えられ観客も減りだし150年の歴史を持ったサーカス団も廃業となっていった。

  

 それにしても、チャールトン・ヘストンはカッコいい。むかし、「ベンハー」という映画を観たからだ。しかし今思うと、キリスト生誕と復活に絡んだユダヤ貴族の息子(ヘストン)の過酷な運命と戦車競技の迫力とが見どころだけど、要するにユダヤ教賛歌の宗教映画でもあり、現在のアメリカのダブルスタンダードの二面性が見え隠れしてしまうのが気に食わない。

 

 オラがずいぶん長く持っていた本に猪俣勝人『世界映画名作全史・戦後編』(社会思想社、1974.12)がある。本はすっかり茶褐色に変色してしまっている。そこには、第一部に70編の優れた名作が選ばれているが、そこには「地上最大のショウ」の名前はなかった。次の第二部の80編の映画の粗筋が書かれた名作が紹介されているが、そこにもなかった。ということは、莫大な予算とサーカスに特化した大スぺクタル規模の「地上最大のショウ」にもかかわらず、作品としては今一つということだろうか。メロドラマ風の内容が浅いということなのかもしれない。

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たゆた(漂)えども沈まず

2025-01-15 22:37:18 | アート・文化

 今年の年賀状の中に、オラの人生の羅針盤である作家・高尾五郎さんの絵葉書が混じっていた。いつもは、五郎さんや仲間が描いた油絵などの手製絵葉書が多かったが、今回は開高健(カイコウタケシ)の言葉の絵葉書だった。「朝露の一滴にも天と地が映っている」との禅僧のような名言が力強く書かれた絵葉書だった。

  

 開高氏(1930-1989)は、プロ作家になる前にサントリーのコピーライターとしてとくにトリスウイスキーの宣伝に魅力的な文才を発揮したのは有名だ。その後、そこで鍛えてきた金言をまとめて『開高健名言辞典』(小学館)を刊行している。この辞典の表題は「漂(タユタ)えども沈まず」という言葉だった。

  

 この言葉はもともとパリ市の紋章に添えられた船乗り組合の標語(ラテン語)だった。日本のNECじゃないよ。パリはセーヌ川の中心にあるためいくども災害にあったが、それでも沈まずなんとか復興してきたし、戦乱・革命などに翻弄されながらも柔軟に乗り越え発展してきたのだ、それはこれからのパリの針路だ、という市民の心意気・決意が表現されている。芥川賞作家・開高氏が愛した言葉だ。

 

 「朝露の一滴にも天と地が映っている」という名言に対して、「天台ジャーナル第150号」には優れたコメントを載せている。その一部を要約すると、「はかない露にも一瞬であれ、この世界は投影されて存在している。人間の生き死にや、喜怒哀楽が交錯する人間世界の出来事などと関係なく、自然は人間の状況には無関心にあり続ける。ベトナム戦争の取材でとりとめた一命を、大自然の中で、自らの生命をその一部とする開高氏。露に映る天と大地も、己の眼に映る天と大地も同じ世界で。」と、珠玉の解説をしている、さすが「一隅を照らす」視点が鋭い。

 

 茅ヶ崎市にある開高氏の邸宅は、「開高健記念館」として市に寄贈されている。なお、高尾五郎氏の代表作『ゼームス坂物語』全4巻が清流出版から刊行されている。

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今年も芋汁をいただき お礼にキクイモ

2025-01-13 22:16:11 | 出会い・近隣

  お正月になってまもなく、近所からことしも ヤマノイモ(自然薯)の芋汁をいただく。さっそく麦飯に芋汁をかけて飲み込むようにいただく。こだわりがあるようですり鉢で何度もすり潰すという。だから粒が感じられないほど細かくスープのようにのど越しがいい。昨年の年末には、里芋をダンボールいっぱいにもらったばかりだった。

  

 芋汁をいただいたたとき、たまたま掘り出したキクイモで唐揚げを料理したばかりだった。なんとタイミングがいいことか。酒・ニンニク・醤油・片栗粉・トウバンジャン・ごま油の中にキクイモを投入する。それをサラダ油の中に少しずついれて揚げていく。レシピどおりやらない・やれないのがオラの流儀だ。でも面白いようにキクイモの唐揚げができていく。食べてみると衣はカリカリ中身はホクホクで甘い。これなら喜んでもらえそうだと芋汁への返礼品に化けた。

 

 そういえば、10月の半ばにキクイモを試掘してみて、まだ収穫には早いと様子をみることにした。成長が早いのでいつもびくびくしながら大量に出ませんようにとも思いつつその収穫を期待する。

 

 12月上旬になってついに本格的な収穫となる。久しぶりのキクイモの収穫だ。かつては食べきれなくて困っていたが、冬場の食材が不足気味だったので栽培を再開したのだった。いつもは凍えながら水洗いして泥を落としていたが、今回は陽当たりの良い所へ移動してやったので寒さに震えることはクリアする。そしてこれら大量の収穫物は糖尿病予備軍兵士に贈られることになった。さて、そろそろ次の収穫を急がないと霜にやられてしまう。体には抜群のキクイモだが手間がかかるのでスーパーなどでは市販されないことが多い。キクイモさまさまになりそうな冬になりそうだ。

 

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混沌の時代だからこそ老子の出番

2025-01-10 18:40:56 | 読書

 ヨーロッパで出航の出口を失ったロシアは最近は日本海への脱出口を探っている。大国の戦火と力による現状変更は時代錯誤ではなく、実際に直面している現実となっている。また、わが国内の閉塞した状況での犯罪・殺人事件も止む兆しはない。

 そんな中だからこそ、紀元前8~3世紀の中国で群雄割拠する春秋戦国時代に一石を投じた「老子」に注目せざるを得ない。だもんで(方言)、童門冬二(ドウモンフユジ)『男の老子』(PHP研究所、2007.11)を読む。「男の」という表題は気にくわないが、企業戦士・サラリーマンをターゲットにしているからなのだろうか。そこがもう著者の勇み足に思えてならない。

 

 戦乱と殺戮が絶えない紀元前中国の乱世のさなか、孔子・孟子・孫子・墨子・老子など「諸子百家」の学者・ブレーン集団が創出していく。これらの思想が現代でも受け継がれているというのが大国のすごいところだ。戦争は国も人も暮らしも疲弊させていく。そんなとき、老子は「小国寡民(カミン)」のユートピアを提唱する。つまり、「住む人の少ない小さな国」だ。

 それはまさに、オラたちが住む過疎地ではないか、過疎地で桃源郷を実現していくことこそ老子の「道」ではないかと、我田引水の欲が動き出す。著者によれば、「良識を持った自己自治のできる人間」として、「常に弱く・柔らかく・後ろへ退く<へりくだりの精神>を発揮しつづけることだ」ということになる。

 

 老子というと現実逃避の空気を感じないでもない。しかし、自分たちの命や暮らしなどの安心を守るうえではそれも一つの選択肢だ。実際オラがこの過疎地にやってきたのもそんな精神状態があったのも否定しない。と同時に、今この過疎地に暮らしていて精神的な安らぎと自然からの恵みや豊穣をいただいていることも間違いない。老子の言う「無為自然」、自然の摂理に満ちた次元と清貧のぎりぎりの次元とに身を置いて、謙虚に現実を生きる、という発想は「小国」の地方が豊かに生きる上で大きな目標となる。

 

  東京都で美濃部亮吉知事のブレーンだった著者が都会に住む自分が老子的発想を取り入れている暮らしを時間軸で紹介している。つまり、桃源郷のような環境でない都会でも老子的生き方は可能だとする。著者のそれは確かに規則的でストイックな精神生活だ。だからか、本書を80歳で出版するほどのパワーが漲っているわけだ。が、うがった見方をすれば、エリート官僚らしく老子をよく勉強している成果の賜物でもある。ただし、伊集院静のような苦悩の果てから産み出された言葉の迫力が感じられない。

  

 実在したかが不明の老子ではあるが、戦火の中で人間いかに生き抜くのかという究極に置かれた老子たちの苦悩にもっと迫ってほしい、と無理難題が疼いてしまう。しかしながら、特攻隊崩れの著者があえて老子を取り上げた著者の奮闘・感性・優しさは公務員の鑑であったのは伝わってくる。著者は昨年2024年6月、96歳で逝去している。

 小国の実現には、「個人の自治力が基盤」であるとの著者の視点はまさにその通りだが、その実現はかなり難しい。と同時に最近は、過疎地や地方をあえて移住する若者たちがいることや「ポツンと一軒家」の番組に出てくる高齢者の生き方にはまさに老子的生き方をかなり実現しているように思える。そこに時代を拓くひとつの可能性がある。 

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新幹線から富士山を見られたが

2025-01-08 22:10:16 | 風景

 久しぶりに新幹線に乗る。各駅停車の「こだま」ではあるが東京方面に向かう。おそらく年末年始の期間だったら座れなかったかも、と安心して空いている自由席の窓側に席を取る。すると、思いもかけず富士山が見えてきた。あわててぽんこつカメラを取り出してシャッターを切る。

  

 車窓からは原野あり住宅街あり工業団地ありそんなパノラマを送りながらも、富士山の存在が圧巻する。やはり絵になるといつも思う。昨日は雨模様だったのできょうの晴天がうれしい。新富士市に入ると煤煙を吐き出す煙突が気になる。これから会う超高齢者の怪気炎の前触れであろうか。

   

 富士の清流のおかげで製紙業も盛んになる。以前、この辺を車で通ったとき煤煙と煙突で富士が包囲されているように見えた時もあった。今では技術革新が進んできれいな煙になったんだろうが、富士山の自然のおかげで生産が成り立っていることを肝に銘じてもらいたいと切に思う。超高齢者の怪気炎には絶望の哀しみがあり人間への怒りがあり「自己中」の毒素も混じり合う。

  

 そのうちに、雲がどんどん多くなって雄大な山塊が見えなくなってしまった。裾野の雄大な広がりを見たかったが残念。2~30年前に富士の原野でキノコ採りをしていたのを想い出す。そこでも、自衛隊の演習による大砲の音が空気をつんざき轟いていたのを残念に思ったものだった。

 これから出会う事態は予測済みである。人間は死ぬ寸前まで変わらないものだという予測は外れてほしいのだが、希望を持ち続けるということはいかに難しいことかを今までずいぶん見てきた。

  

 やんごとなき用事が終わり、やはり予想通りの結果だった。帰りは深夜となった。反対のホームには「こだま」が停車していた。トンボ返りのむなしさと変わらぬ「怪気炎」の孤独に心が乱れた。怪気炎を吐くだけ生きている証明でもあるが、そのぶん周りから人が遠ざかってしまう。その現実がわかっていない回路がなんともわびしい。

 乗り換えに1時間ほどあったので、冷たい風が吹きすさぶ暗い商店街を歩く。久しぶりにラーメン屋に入る。熱いラーメンをすすって寒さをこらえる。しかし歯が悪いのを忘れていた。完食するのに時間がかかった。慌てて駅に戻ると乗るべき電車が数分前に出てしまった。駅員に聞くと、「次の電車は明日の朝です」と明るい声で言われる。終電が出発したばかりだった。

   

 冷や汗をかいてなんとかタクシーに飛び乗ったが、豚骨ラーメンと餃子を一気に詰め込んだせいか、今度は下痢ピー気味となった。それをしばらく我慢しつつタクシーを降りてコンビニのトイレに駆け込む。トイレの中でやっと解放感に浸ることとなる。一日の行程の中に人生の陥穽が見事に凝縮されたような一日ともなった。やっぱり都会の毒を吸うとえらいめに合うということか。オラも超高齢者に確実に匍匐前進を続けている。「超」が付く前に討ち死にしてしまうかもしれない。ともかくあしたはいい日になりますように。

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