山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

なんとか河津桜が開花した

2024-02-28 23:23:06 | できごと・事件

 先週のこと。わが畑の脇の河津桜がほぼ満開となった。植樹しておよそ十年ほどになるが、シカの食害を受けながらも久しぶりの青空のもとたくましく開花している。これだけ太くなってくると、さすがにシカも手出しはしなくなってきている。シカだから手は出ないのは当たり前か??

  

 それでもまだまだ樹は若い。カワズザクラ自体は、1955年に伊豆河津町で発見、増殖され始めたのが1968年。オラが伊豆の河津町に行ったのがその20年後の80年代かと思われる。それでも、駐車場がなくて苦労するくらい観光客がやってきていた。町あげてまちづくりの目玉にしたというのが戦略的に成功したわけだ。

      

 さて、その隣にもカワズザクラがもう一本あるが、こちらは2分咲きというところ。同じ時期に植えたのに成長が遅い。こちらは、5~6回以上シカに枝をめちゃめちゃに折られ樹皮も食べられ、途中であきらめかけたことがあるほどの状態だった。そういうド根性桜なのだ。こちらも現在は、シカは手出しをしなくなったので傷だらけの防獣柵は卒業となった。このまま順調に生育してほしい。

 

 わが家から車で20分ほど行った所のカワズザクラは、満開のピーク。そろそろ葉が出始めだしたところ。ところがその花見をする人を見たことがない。というオラも、車からチラリと見るだけだが。この並木の延長にはもっと長い桜並木が川沿いにある。目黒川の人ごみあふれる花見もいいが、じっくり花見をするにはおすすめの場所である。

 

 江戸の大名屋敷の庭園は1000箇所を超えるほどあったという。だから、園芸が産業としても成長したとともに植木職人が育ち、染井村で産まれたソメイヨシノが全国に広まっていく。世界一を誇った江戸の田園国家は今や花の代わりにビルとマンションを満開にした。そこには、利権や欲望に群がる魔界のおこぼれこそ豊かさだ国民に洗脳する。

 『都市を終わらせる』のは、21世紀の課題だが、現実の世界はジェノサイドをしても心痛まない指導者の魔術に忖度・従順するしかない日々がある。日本は「同調圧力」というみんなと同じ考えにあることで安心を得るという催眠術から未だ醒めない日々が続く。江戸の指導者・大名は少なくとも花を愛する心はあったということは確かなようだ。 

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水源地が危ない!!

2024-02-26 22:11:21 | 出会い・近隣

  昨年の台風の影響で、水源地への道に亀裂が走った。オラたちの水源は二つの川からだった。その川には小さなタンクがあり、定期的にタンクに詰まった砂利や枯葉を排除することになっている。したがって、その川の水源に行くには車では行けなくなり、徒歩で数十分かけて歩くしかないという状況になった。

       

 山から流れ出た雨水は林道の一部を崩落させた。集落の人らが作ったコンクリート道路の一部が壊れ始め、亀裂が100mほどできてしまった。その亀裂の中に雨水が浸入すると道そのものが崩落してしまうので、とりあえずブルーシートで蔽いをしてできるだけ雨の侵入を防ぐ。

   

 そんななか、その道路がどれだけ沈下しているかを住民が自前で調査している。よくわからないが、レーザーの測定器のようなものを持ち込んでいる。画像首の下の緑の線で調整している。その結果、これらの数値を書き込みながら累計を行政に届けて、ゆくゆくは地盤沈下防止工事をお願いしたいというわけだ。

  

 調整は1㎜単位で行われている。結果は、大きな数値の変化はみられなかったようでまずは安心ということらしい。ブルーシート・砂袋効果が効いているわけだ。これらの資材は地元の防災倉庫からのもので、砂袋は自治会の力を得ながらそれこそ住民が総力を挙げてやり遂げた代物だ。

 というわけで、地域のライフラインは住民自身がやれることをやっている。住民自治の原点を見た思いだ。能登の地震災害の爪痕もなまなましいが、中山間地では地震以上に土砂崩れがいちばんの恐怖でもある。この崖下には、茶畑や鶏舎があるので地元の生活に影響が出てくる。

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謎は解けたがもう会えないか

2024-02-23 20:06:16 | 自動車・エンブレム

 5~6年前だろうか、小さな店の駐車場で何気なく撮っておいた車のカラフルなロゴのある車名がわからないでいた。ずっと気にはなっていたがやっとそれが「ニッサン・ルネッサ」であることが判明した。赤・青・緑のカラーで言えば、イタリアの「アルファロメオ」のロゴが斬新だった。しかし、いろいろ探してみたが外車にはなかった。

  ロゴの「R」は、二重にダブっているように見えた。その「R」とは、「Run」「Recreation」「Relax」の三つの意味がある。趣旨はファミリーカーの親しみのある乗り心地のようだった。販売期間は1997 ~2001年で、一代限りのレアな車種となった。ただし、その開発は後の「リーフ」誕生のきっかけとなった。その後、ルネッサのこのロゴとは一度も会っていない。デザインはシンプルながら色彩豊かなお気に入りの一つだ。

       

 もう一つのレアなエンブレムは、トヨタの「カムリ」だった。1980年に「セリカ・カムリ」として発表し、1983年からは「カムリ」ブランドでカローラと並ぶ屋台骨となった。というのも、2002年~2017年の北米連続販売数N0.1を記録している世界戦略車だからだ。このエンブレムも初期だけしかないようでなかなか会うことはできない。

 カムリは、ロゴのとおり「CAMRY」の「C」と「冠」のイメージ。冠の下には二本の棒があるが、二代目か。初代は一本なのかもしれない。   

    

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「浜野矩隋」は実在のアーティストだった

2024-02-21 22:07:10 | アート・文化

 五代目圓楽の人情噺にまたまた酩酊する。「浜野矩隋(ノリユキ)」は江戸後期に活躍した実在の名人の「浜野矩康(ノリヤス)」につながる彫金師だった。落語では最初は腕の悪い一人息子という設定。酒好きの先代「矩康」が49歳で亡くなり、そのため息子「矩隋」への期待は大きかった。骨董屋の若狭屋は彼への支援を惜しまなかったが、腕の悪さにさすがに匙を投げたことからクライマックスが始まる。

      (画像はaucfan webから)

 この噺の山場は、若狭屋の諫言をきっかけとした母親の「矩隋」への戒めだった。古典落語の先進性は女性差別も表面的には散見するが、今回のように息子への説諭がきわめて説得力があるという点である。人生の大事な節目で女性がダメ男を覚醒させていくという場面がしばしばある。公教育が不備な時代にあって、落語がある意味では人生や人の道を学ぶ社会教育や家庭教育の一端を担っていたのではないかとうことを発見する。

 

 五代目圓楽の名人ぶりは、斬新な切り口で品の良い笑いを紡ぎ出す。小話の「短命」では見事な笑いの連発を誘う。何回聞いてもそれが新鮮だから不思議だ。そうした古典落語を聞いていると、今日のマスコミを巣くうお笑い頂戴ブームの浅薄さを抉り出して余りある。

 エピローグでは、江戸の儒学者の坂静山(バンセイザン)の次の言葉で締めくくる。「怠らで行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし遅くとも」。牛歩の一歩を続けていけばきっとゴールは見えてくる、というわけだ。そもそも、怠惰だった「矩隋」が名人になった理由がここにある。

  (画像は「落語のごくらく」webから)

  実在の「浜野矩隋(ノリユキ)」は、刀剣の装飾の「腰元彫り」として当時では名人と言われていた。上の画像のとおり、刀剣の柄部分の装飾だが、靖国神社「遊就館」にいまも保管されている。

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鐘が鳴るとき、運命が廻り始める

2024-02-19 21:14:39 | アート・文化

 雨が続きそうなのでこれ幸いと、若者たちで好評を博した『ダブリンの鐘つきカビ人間』のDVDの[2002年版]を観る。2002年の4~5月には6か所で全国公演が繰り広げられた。その後もキャストや内容も再編され公演は続けられて、2020年には久しぶりの再演を予定したがコロナ禍で中止となった。

    

 背景はアイルランドらしい中世で起きた怪しい物語。人によって症状が違う奇病の蔓延で町が衰退し、森が広がり魑魅魍魎が巣くう田舎での出来事だ。その奇病で誰も近づきたがらない醜い容姿となったカビ人間と、思っていることの反対の言葉しか喋れなくなった美しい娘が主人公となっている。

 2002年版の主演は大倉孝二と水野真紀だが、その後、佐藤隆太と上西星来らも主演している。王様役はいずれも原作の後藤ひろひとで、漫画チックなギャグを乱発している。

     (画像はELTRAのwebから)

 アイルランドと言えば、エンヤのヒーリングやアイリッシュギターの音楽など、自然と一体的なメロディが想起される。しかし、見事にそれは壊される。この舞台は「劇団・新感線」の流れをくむギャグとパロディ満載のコメディだった。それは一時流行した「キン肉マン」のギャグが連想された。

   (画像は「ケルトの笛屋さんweb」から)

 奇病を完治しムラを立て直すには、「伝説の剣」を探し当てなければならないという。そこへ、偶然立ち寄った若い旅人二人がその冒険の旅に出かける。そのあらましは、歌あり、踊りあり、活劇ありでテンポよく飽きさせない。そこにブラックファンタジーとギャグの「これでもか調味料」でかき回される。

   (画像はパルコ劇場webから)

そうして、「伝説の剣」と不思議な歌、さらに不思議な鐘の音が合わさった時、悲しくも美しく、そして残酷な奇跡がおきる。前半のドタバタから後半の緊張したラブロマンスが感動を詰め込む。差別されてきたカビ人間は、山高帽のチャップリンの孤独と哀しさとがダブって見えた。

    (画像はアイルランドのロマネスクwebから)

 いつも大民族からの侵略と迫害を受けてきたアイルランド人に対して、司馬遼太郎は「客観的には百敗の民である」と評した。しかも、いまだにイギリスからの圧力は根強い。しかし、司馬は「アイルランド人は主観的には不敗だと思っている」と付け加える。そんな魂が、民話・神話・音楽に現れている。「伝説の剣」のデザインは、キリスト教の十字架と違いケルト土着の丸十字の形をしたものだった。キリスト教より古いケルトの宗教は縄文文化と似ている世界観がある。コメディでありながらそんな奥行をもチラリと感じさせた舞台だった。

  

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「犬神博士」の破天荒な回想奇談

2024-02-16 22:05:29 | 読書

 昭和6年(1931年)に「福岡日々新聞」に連載されたという夢野久作『犬神博士』(角川文庫、1974.7)を読む。ときあたかも、満州事変が始まり軍部の中国侵略が本格化していく背景での執筆だった。表紙のイラストは俳優の米倉斉加年(マサカネ)。本書を読み進んでいくうちに、この表紙の人物は犬神博士だったんだろう、米倉の感性の鋭さに脱帽する。この眼の鋭さは本書の主人公の人間や社会を見る心眼そのもののように思えた。

    

 残念ながら、新聞社の都合で連載は未完で終わったようだが、連載が続いたならば長編の代表作にもなったに違いない。冒頭は、博士の少年時代の哀しくもまた痛快回想録というところからスタートする。本当の親かどうかわからないいかさま旅芸人のもとで赤貧の暮らしと虐待体験を受けながら少年は各地を放浪する。そこでこれでもかと追い詰められた数々の事件を、「異形異端」の少年は超能力で難局を乗り越えていく物語だ。

     

 軍靴が跋扈している時代に、純文学でもなく、怪奇・推理小説でもなく、プロレタリア文学でもなく、強いていえば児童文学に近く、従来になかったジャンルを開拓している。地方新聞だったこともあり限られた読者層しか流布していなかった。そこへ、戦後になり再評価のスポットを全国的に当てたのが鶴見俊輔だった。たしかに、今日読んでも通用する痛快活劇を読むような清涼感と底辺の庶民目線とが後押した小説だった。それは、『竹取物語』のような現世の人間や政治家を揶揄した展開もあり、軍事体制を強化していた国家権力からの圧力がなかったのが意外だった。

   

 本書の時代内容は日清・日露戦争あたりの明治末期、戦争を支えるエネルギーとして九州筑豊の炭鉱が後半の舞台となった。そこに、藩閥政府と利権にからむ政商・やくざに対して、不平士族や壮士を中心とする政治結社「玄洋社」とが対立・暴動に発展していく。政商とは「三角(ミスミ)」「岩垣」という名前を使っているが、これはかの有名な大企業であるのがわかる。また、実名の結社「玄洋社」の楢山到は「頭山満」であるのもわかる。著者が子どものときから可愛がってもらっていた頭山満のおおらかな風格が克明に描かれている。

   

 玄洋社というと、右翼のテロリスト集団のような面もあるが、アジアを外国の植民地支配から解放するという観点からインドのボースや中国の孫文ら革命家を匿ったり支援をしていた。頭山満や著者の父である杉山茂丸の人格の大きさがその運動を支えていたことが伝わってくる。

   

 なお、異端文学に詳しい松田修は、「チイ=犬神博士とは、神そのものであった」とし、日本の神々の特性は少年、両性具有、流浪であったという。そして、「その伝統が、基層的部分である底辺の芸能者によって継承され」、夢野は本書主人公の女装の少年(犬神博士)に憑依させたのではないかと分析したようである。

   

  加えて、著者の代表作『ドグマ・マグラ』を読む前にほかの短編を読んでおくといいよ、というブラボーさんの助言に従って本書を読んだわけだが、パラパラと『ドグマ・マグラ』をめくった結果、確かにオラの脳幹には難解であり読み終わるのも時間がかかりそうなのがわかった。ブラボーさんと夢野久作とがしばしばダブってしまった。犬神博士の超能力が欲しい。

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焙煎を忘れる

2024-02-14 22:42:07 | 食彩・山菜・きのこ

 わが大地で自由奔放に野生化していたハトムギ・エビスグサ・エゴマのご三家の収穫が終わり、いよいよ食べたり飲んだりの段階にやっと到達した。今年度はハトムギ4個・エゴマ3個・エビスグサ2個の合計9個となった。ハトムギは先行して種そのものを粉にしてハトムギ茶として飲み始めている。殻なども一緒に混じっているが市販のハトムギ茶と味はあまり変わらない気がする。今回はエゴマのパウダーを作ってみる。

        

 エゴマ油は一本2000円以上もする高級品だ。油を搾るのは失敗しているので、それは諦めて丸ごとパウダーを作ってみることにした。粒が小さいのでどうしてもカスが紛れてしまうが味に影響するかどうか、油分との兼ね合いや油の酸化具合が心配ではあった。市販のパウダーは油の搾りかすで製品化している。

   

 岩谷の「ミルサー」で種を粉状にする。案の定、油分がダマ状になってしまう。そうそう、ミルサーにかける前に焙煎を忘れる。これは味に重大な欠陥があることが予想される。とりあえず、大匙5~6杯分をミルサーの力を借りてみる。

   

 スクランブルエッグもどきの卵料理にオラのエゴマパウダーを混ぜ込む。塩・胡椒・チーズ・ルッコラ・バターなどをブレンドする。エゴマの量が少なかったか、チーズが邪魔したか、やはり焙煎していなかったせいか、今回はエゴマの味は充分生かせなかった。

 それはともかく、エゴマは別名「ジュウネン」と言われるほど、食べれば十年も長生きできるという健康食材だ。失敗しても食べられるだけでも感謝しなければならない。なにしろ、畑を邪魔してしまう問題児にもなっているからね。それを食べるなんて、イノシシやシカのジビエみたいなもんだ。次回はどういうレシピで展開するか、試行錯誤が始まった。

 

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豹柄のマンホール!!

2024-02-12 22:24:32 | 路上観察

 先月末の横浜での路上観察の続き。消火栓のマンホールの外縁地紋に豹柄があった。オレンジ色とよくデザインがマッチしていて消火栓のイメージを変える斬新なマンホールだ。外縁の下側には消火栓を意味する「Fire Hydrant」を刻印しているのは外国人にも優しい。中央の「消火栓」のフォントもよく見るとデザイナーの伸びやかなセンスが伝わってくる。なお、中央の地紋のマークは横浜の波を表したのではないかと思ったが、どうだろうか。

      

 また、歩道の煉瓦をそのまま採用したマンホールもあった。このところ、環境創造局のマスコット「だいちゃん」を中央に配置するカラー版もあるが、これはその前に作られていると思われるオーソドックスな「市章」がでんと鎮座する。ちなみに、そのマークは、「ハマ」のカタカナを合体させた横浜市の市章である。受枠には■マークを配列している。これだけでは水道用か下水用かわからないが、きっと合流としての用途ではないかと推測する。

    

 さらにその歩道周辺には、小型の水道マンホールがあった。「仕切弁」の表示があったが、これは水道が破裂したりの事故の際水流を止めたりする機能があるものだ。水道管が枝分かれする所に多い。中央左の「V」記号はわからないが、おそらくバルブ(Valve)かも。水道管の口径は75mm。中央の噴水マークは、横浜市水道局。色がブルーであるのがわかりやすい。

 その近くには、口径100mmを表示したものもあり、こちらは山吹色を配し、外周と「水」マークはブルーの二色となっていた。シンプルそのものだ。

  

  上部の側溝蓋は横浜ではまだ少ないようだったが、2014年ごろから増えてきているらしい。枯葉が入り込まないようにという配慮なのだろうか、金属部分が半分以上を占めている。空間が少ないので自転車等は滑りやすくなる。もちろん、道路際ではなく中央を走っていれば問題ないが。見ようによっては、胸に両手を当てている爽やかなデザインとも見えたが。

 次の画像は中央に「ハマ」マークがある標準的な側溝蓋だ。しかし、これ以前は中央の縦線が無かった。その理由は、細いタイヤが嵌まってしまうというのが真相らしい。そのため、中央ラインができたが、これでは薩摩もどきかということになってしまう。また、この溝は10個あるが、以前は8個だったから空間の幅が広かったというわけだ。ロード乗りやクロスバイクはこれでまずはひと安心。

         

 よく見かけるガスの小型マンh-ル。地紋の菱型模様といい、カタカナの「ガス」や「K」記号のフォントといい、シンプルの極致を極めている。「K」記号は、「お客様遮断弁」ということらしいが詳細は分からない。「K」記号以外にも、P,N,M,S,W,Cなどがあるそうだが、確認していない。マニアの間では、ガスの性質上ガス会社は情報公開をできるだけ秘匿したいようで、その記号の意味するものを入手できないという。たかが身近なマンホールだけど、その意味するところは広い。最近はカラーマンホールも増えるどころか、その「カード」を自治体が販売しているようになってきた。

 

 

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キツネにだまされなくなったのは…

2024-02-09 22:05:39 | 読書

 最近は愛車に乗ると五代目圓楽の落語が流れるようになっている。名人の落語はやはり聴きごたえがあり、B級落語家の話は残念ながら平板で品がなく話の彫りもない。さて、落語の「王子のきつね」はいろいろな人が演じているが、ひとを化かすキツネが人間から化かされるという「逆さ落ち」の代表的な噺。

       

 絶世の美女に化けたキツネがインド・中国そして日本に流れたものの、正体を見破れられて硫黄の臭う那須に逃れて「殺生石」になったという話が残っている。芭蕉が「飛ぶものは雲ばかりなり石の上」を紹介するところは圓楽らしい。その辺から、噺が展開されていく。

           

 さて、そんな噺を聞いて間もなく、内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社、2007.11)を読み終わったところだった。哲学者の内山氏はいつものように易しい言葉を重ねつつも、ずっしりした中身は変わらない。著者によれば、1965年(昭和40年)ごろを境にキツネに化かされるという話が消滅していったという。当時と言えば、東海道新幹線や東京オリンピックをやりきったことに象徴されたように、日本は高度経済成長を遂げ、世界第2位の経済大国ともなった。

   (王子キツネの行列webから)

 それまでの日本は、「我執を捨て、煩悩を捨て、知性によって物事を解釈しわかった気になる精神を捨て、自然の一員になっていく」という、つまりは自然に帰ること、自然と一体であることであった。ところが、「伝統的なヨーロッパの思想は人間が知性をもつことで文明が開けたと考える」。その影響が本格的に日本に浸透していくのが1965年以降というわけだ。

 さらには、勝ち組の権力者の「中央の歴史」や「国民の歴史」は、過去より現在のほうがマシだという擬制を無意識のうちに醸成させていくものだ。しかし、「自然環境という視点からみれば、歴史は<後退の歴史>であった」にもかかわらず、だ。ある国の発展は同時にある国の後退・崩壊をもたらしていくのが現実だ。

          (大日本図書から)

 西洋で言う「発展とか発達」とかいう直線的な言葉の魔術でわれわれをだまくらすが、日本の循環的な里山文化は、キツネにだまされてきた歴史を包含する「見えない歴史」の一つではないかと著者は提起する。

 そして、今日の豊かさのさなかにありながらも、同時に「身体の充足感・生命の充足感」に乏しいという現実にある。それは、「知性を介してしかとらえられない世界に暮らしているがゆえに、ここから見えなくなった世界にいる自分の充足感のなさ」があると指摘する。

    (三重民話webから)  

 「現代の私たちは、知性によってとらえられたものを絶対視して生きている。その結果、知性を介するととらえられなくなってしまうものを、つかむことが苦手になった」という文脈から、キツネに騙されなくなった理由を位置づける。

 キツネにだまされた物語は、自然と人間との生命の歴史の中で見いだされた共存的な暮らしが成立していた時代だ。しかしその歴史を読み取れなくなった私たちは、見えなくなった世界の迷宮に彷徨っているということになるのだろうのか。

        

 圓楽が、静岡の学校寄席でこの「王子のキツネ」をやったところ大好評だったという。人間に追われて生き物は絶滅状態にあるいま、それは現代にも通じるもので、地球上でいちばん悪いものは人間なんだと子どもたちは理解したようだったと述べている。それは童話作家・新見南吉の『ごんぎつね』の名作にも、キツネと人間との哀しみとして結実・昇華されている。

 

 

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冬は補修が日課となった

2024-02-07 22:25:46 | 農作業・野菜

 春から秋にかけて畑の防獣柵がたびたび破壊される。そのたびに一時的な補修はしたが、晩秋にはあきらめてそのままにしておいた。破壊者の主犯はシカである。壊されたところに突風が吹いてダメージは連鎖となっていく。場所によっては体当たりしたような箇所もあり、購入した支柱が曲がってしまったのもあった。

       

 そこで、寒風の中少しづつ補修をすることにする。まずは購入したやわな支柱は使わないで近くの太めの竹を伐ってきてそれを支柱にしていく作業を手始めとしていく。その竹を2mくらいに伐り、先端をナタで細くして土中に建てていく。ついでに、畑の範囲を広くとって、葉を食害されていた幾本かのアジサイの救出を兼ねて防獣柵の面積を拡大した。 

 支柱を立てるだけでは強度がないのがわかり、打ち込んだ支柱と支柱をつなぐ横の竹棒を補強していく。それにはかなりの長い竹の確保が必要となった。幸い近くに竹林があるのでそれで調達する。ただし、長い竹は車に乗らないので徒歩の往復で運搬していく。これも足腰のリハビリだと思い込むと負担にはならない。

 また、柵の周りにはススキやツタ植物が酷かったのでそれも根から取り除いていく。おかげでずいぶん時間がかかったがなんとか小さな畑の一つが一件落着となる。ハンターも正月返上で害獣駆除でがんばっていたが追いつかないという。そして、なんと次の防獣柵の補修が待っている。

 

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