山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

「弥勒プロジェクト」の行方は

2025-02-14 11:00:37 | 読書

  「知の巨人」といわれた松岡正剛氏が去年の8月に肺炎で亡くなった。編集業界ではマルチに活躍する異彩の重鎮だった。ネットの「千夜千冊」での書評はその深さと広さには刮目する鋭さに満ちていた。ということで、彼とそのチームがビジュアルに編集構成した『NARASIA 日本と東アジアの潮流』(丸善、2009.5)を読む。

  全頁をめくっても美術書を開いたような構成になっている。しかし、肝心の表紙はおとなしい。金粉を散らしたつもりのようだが、それは金粉そのものではないし、表紙が汚れているような印象になってしまったとも思える。もしくは、日本と東アジアとの浮遊する歴史を象徴したいのだろうか。

 

 それはともかく、 表紙をめくると「この一冊で、日本・奈良・東アジアが見えてくる」と示唆して暗示めいた密書の謎解きが始まる。その次をめくると、英雄が時運に乗じて変幻自在に活躍する「雲蒸龍変」、文武両道を兼ねた政治を表す「緯武経文」とか、物(月)の解釈は立場(舟)によって異なる「一月三舟」とか、初めて出会うような四字熟語が読者を突然襲う。この熟語から何が見えてくるというのだろうかと不安になる。

 

 2010年は平城京遷都(710年)から1300年を迎える。それを記念して出版されたのが本書である。同時の記念事業としては、平城京跡地をメイン会場として363万人を迎え、さらに奈良県内の各地・各寺院施設でも独自のイベントが行われ、県内全体の総来場者数は延べ2140万人となり、その全国への経済波及効果を約3210億円、県内では約970億円に上るという。

   平城遷都の710年は、日本で初めて本格的な首都が誕生し、ユーラシア文化との国際交流などを得て天平文化も花開いた国家としてのスタート地点だった。それから1300年後、東アジアの発展は着実にあるもののその混沌はいまだカオス状況にある。日本も隣人のアジアではなく欧化政策を優先させてきた経過もある。そんなところから、かつての奈良ー東アジアー日本という「narasia」潮流を大胆に見直し、「平城遷都1300年記念事業」を推進することになった。その一環として「弥勒プロジェクト」が誕生した。

 

 それに関連して「日本と東アジアの未来を考える委員会」が創立され、美術家の平山郁夫氏を委員長に政財界・芸術・学術・行政各界から約100名近くの日本の錚々たる顔ぶれが参集した。この委員の名簿を見て感じたことは、あまりにトップクラスの人材のため、これらの人脈を支える親衛隊がいるのだろうかと疑問に思った。機能不全に陥るのではないかと予想された。事業としては黒字になったようだが、「弥勒」精神の実現ではなかなか手間取ったようだ。一過性の祭りごとを永く支えるにはそれを推進するプロモーターの存在が欠かせない。その羅針盤ともいうべきアイテムの一つが本書だったようだが、消化しきれないまま今日に至ったように思える。

 

 本書では、戦前の三木清や竹内好らが提唱した「東亜共同体論」について触れられていないのが残念だった。彼らの理論は欧米中心主義に対抗する理念として先験的なものだったが、結果的には軍による大東亜共栄圏構想にすり替えられてしまった。しかし、最近は世界史の考え方に欧米中心主義の解釈から脱却の動きとして、世界に影響を与えたアジアとその周辺の歴史的意義が再考されてきている。

 その意味では、本書関連の「記念事業」のめざしていたものはもっと再評価しても良い。見え透いた経済効果ばかりの大阪万博よりは、松岡正剛氏が残した精神はもっともっと評価するべきだ。 (画像はすべて本書から)

                                              

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

史上に刻印された平安女性の活躍

2025-02-01 09:43:00 | 読書

 大河ドラマ「光る君へ」が終わったが、読みかけだった服藤早苗『源氏物語の時代を生きた女性たち』(NHK出版、2023.12)をやっと読み終える。平安中期に輩出した女流文学は世界的に観ても驚異的なできごとだ。とくに日記は、事務的な備忘録の域を出ない場合が多いのが一般的だが、「紫式部日記」「蜻蛉日記」「和泉式部日記」「更級日記」などの女流作家が、自叙伝・結婚恋愛・随筆などを内容とした「日記文学」を確立していったところが、今に至るデイープな世界を形成している。

  (引用はokke webから)

 その背景は、「唐」からの離脱としての国風文化の進展から、「かな文字」が発明され女流貴族の錬磨によって熟成されたことが大きい。さらには、背景として女性天皇や皇后の政治的政策的存在感もあり、それは、今日の国連が日本を指弾しているように、女性天皇誕生に否定的な日本の後進性を暴露するものでもある。その意味でも、女性は歴史的に重要な役割を担った古代そして平安には燦然と輝く星でもあった。

 

 (引用は、ライブドアニュースwebから)

 著者は、家具・調度品のデザインについても当時の女性の果たした役割も論じていたが、女性の婚姻・出産・労働・商売・旅行・神仏詣・家事など、ライフサイクル全般を紹介しているため、その詳細は省略されていたのが残念。

   女流作家の担い手は、中下流貴族の「受領」層の娘が多かった。そのため、立身出世のためには短歌・管弦・漢籍・能筆の力量が問われる競争社会におかれた面もある。さらには、主人がほかの女性に入りびたり帰ってこない孤独の心情をぶつける場としては、日記や物語は絶好の自己表現ともなった。

    また、婚姻形態は「妻方の両親が婿を取り、新婚当初は妻方で生活し、一定期間たつと新処居住に移り、けっして夫の両親とは同じ屋敷に住まない」と、著者は女性史研究の先達者・高群逸枝(タカムレイツエ)氏の主張をまとめながら、母系制家族形態が生きていたことを証明している。一時的にせよ、それは嫁姑問題はおこらず女性にとっては過ごしやすい環境でもあった。

   著者は、「男たちが、借り物の外国語である漢字や漢籍を下敷きに日記を書き、公的文書や漢詩を作っていたとき、女たちは、心の内面を描写できる仮名、いわば自国語で、自己を語ったのである。この仮名文字が、わが国の平易な日本文を定着させていったことはいうまでもない。女たちは、伝統文化の基礎をしっかりと固めたのである。」と、その背景を展開する。なお、藤原道長が書いた漢文調の『御堂関白記』は、当時の貴族社会を知る世界最古の直筆日記として「ユネスコ記憶遺産」に登録されている。

   女性のライフサイクルからの間口が広すぎて、論点がやや舌足らずになってしまったのが残念。むしろ、文化を創る女性たちや皇后の周りの女官・女房らのサロンなどに絞ったほうが主題にのっとったことになったのではないかと思われた。いずれにせよ、当時の男女格差は厳然としてあったものの、王朝を支えた中核には女性の活躍・役割、とりわけ今日に至る日本文化への貢献は計り知れない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

混沌の時代だからこそ老子の出番

2025-01-10 18:40:56 | 読書

 ヨーロッパで出航の出口を失ったロシアは最近は日本海への脱出口を探っている。大国の戦火と力による現状変更は時代錯誤ではなく、実際に直面している現実となっている。また、わが国内の閉塞した状況での犯罪・殺人事件も止む兆しはない。

 そんな中だからこそ、紀元前8~3世紀の中国で群雄割拠する春秋戦国時代に一石を投じた「老子」に注目せざるを得ない。だもんで(方言)、童門冬二(ドウモンフユジ)『男の老子』(PHP研究所、2007.11)を読む。「男の」という表題は気にくわないが、企業戦士・サラリーマンをターゲットにしているからなのだろうか。そこがもう著者の勇み足に思えてならない。

 

 戦乱と殺戮が絶えない紀元前中国の乱世のさなか、孔子・孟子・孫子・墨子・老子など「諸子百家」の学者・ブレーン集団が創出していく。これらの思想が現代でも受け継がれているというのが大国のすごいところだ。戦争は国も人も暮らしも疲弊させていく。そんなとき、老子は「小国寡民(カミン)」のユートピアを提唱する。つまり、「住む人の少ない小さな国」だ。

 それはまさに、オラたちが住む過疎地ではないか、過疎地で桃源郷を実現していくことこそ老子の「道」ではないかと、我田引水の欲が動き出す。著者によれば、「良識を持った自己自治のできる人間」として、「常に弱く・柔らかく・後ろへ退く<へりくだりの精神>を発揮しつづけることだ」ということになる。

 

 老子というと現実逃避の空気を感じないでもない。しかし、自分たちの命や暮らしなどの安心を守るうえではそれも一つの選択肢だ。実際オラがこの過疎地にやってきたのもそんな精神状態があったのも否定しない。と同時に、今この過疎地に暮らしていて精神的な安らぎと自然からの恵みや豊穣をいただいていることも間違いない。老子の言う「無為自然」、自然の摂理に満ちた次元と清貧のぎりぎりの次元とに身を置いて、謙虚に現実を生きる、という発想は「小国」の地方が豊かに生きる上で大きな目標となる。

 

  東京都で美濃部亮吉知事のブレーンだった著者が都会に住む自分が老子的発想を取り入れている暮らしを時間軸で紹介している。つまり、桃源郷のような環境でない都会でも老子的生き方は可能だとする。著者のそれは確かに規則的でストイックな精神生活だ。だからか、本書を80歳で出版するほどのパワーが漲っているわけだ。が、うがった見方をすれば、エリート官僚らしく老子をよく勉強している成果の賜物でもある。ただし、伊集院静のような苦悩の果てから産み出された言葉の迫力が感じられない。

  

 実在したかが不明の老子ではあるが、戦火の中で人間いかに生き抜くのかという究極に置かれた老子たちの苦悩にもっと迫ってほしい、と無理難題が疼いてしまう。しかしながら、特攻隊崩れの著者があえて老子を取り上げた著者の奮闘・感性・優しさは公務員の鑑であったのは伝わってくる。著者は昨年2024年6月、96歳で逝去している。

 小国の実現には、「個人の自治力が基盤」であるとの著者の視点はまさにその通りだが、その実現はかなり難しい。と同時に最近は、過疎地や地方をあえて移住する若者たちがいることや「ポツンと一軒家」の番組に出てくる高齢者の生き方にはまさに老子的生き方をかなり実現しているように思える。そこに時代を拓くひとつの可能性がある。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「二十億光年の孤独」を感じた青年は

2024-12-27 17:27:59 | 読書

 今年の11月に日本を代表する詩人・谷川俊太郎が老衰で亡くなった。詩集を読むのが好きだったオラにも俊太郎は生きる喜びを与え続けてくれた。というのも、ほかの作家の詩は解読が難しかったり、独りよがりだったりするなか、俊太郎の詩は構えずにしてその世界をふらりと入れてくれる。彼のデビュー作『二十億光年の孤独』(集英社文庫、2008.2)を再度取りよせて読んでみる。「二十億光年」とは当時言われていた宇宙の直径である。現在では900億光年を上回るという。

 

 「二十億光年の孤独」の詩は、たった16行しかない詩だ。「 万有引力とは ひき合う孤独の力である / 宇宙はひずんでいる それ故みんなはもとめ合う / 宇宙はどんどん膨らんでいく それ故みんなは不安である / 二十億光年の孤独に 僕は思わずくしゃみをした 」といったフレ-ズのリズムは終生変わらなかった気がする。17歳で詩作を初め、21歳で本詩集を刊行したこの青年はそのまんま変わらず老詩人となり、92歳で大往生を遂げる。海外でも人気がある俊太郎だが、本書には英訳付きの初文庫化と18歳の時の自筆ノートを収録している。

    (好学社)

 オラの子どもにもなんどともなく読み聞かせをしたのが、絵本の『スイミー』だったり、『もこもこ』だった。俊太郎は、哲学者の谷川徹三の一人息子として恵まれた環境に産まれ、不登校のときは模型飛行機づくりやラジオ組み立てに没頭するのが、本書の手記にも出てくる。だから、一人っ子の孤独を引きずりながらも、より広く宇宙の中での孤独や不安をも感じ取る。でも、最後はくしゃみしてしまう。そこに、俊太郎の真骨頂が仕組まれている。俊太郎青年はそんな孤独を感じつつもそれを越える「面白さ」や「好奇心」を発揮した青春にも踏み込んでいったのだった。

   (文研出版)

 その才能を見抜いた父は当時の大御所・三好達治に俊太郎の詩を見せたら、「穴ぼこだらけの東京に 若者らしく哀切に 悲哀に於いて快活に ーーーげに快活に思ひあまった嘆息に ときにくさめを放つのだこの若者は ああこの若者は 冬のさなかに永らく待たれたものとして 突忽とはるかな国からやってきた」と、絶賛した序詩を寄せている。

 都会のTシャツを愛する『世間シラズ』の甘ったれ坊ちゃんは、恵まれた環境を十分に生かして言葉の連続革命を引き起こした。詩壇のビートルズだと思う。存命中にノーベル賞を与えても良かった逸材だ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こころの傷をバネに辺境を渡る

2024-12-20 21:55:00 | 読書

 ひょんなことから、井上光晴『井上光晴詩集』(思潮社、1971.7)を読み始めた。前半は青年らしい正義感あふれる社会への異議申し立ての詩に溢れている。それが後半になると、言葉をこね回し難解になっていく。しかし、魅力は常に底辺に生きる人への共感だった。

  

 井上光晴の詩や小説は、絵描きの父が家にいなかったり、母が家出したりで祖母の手で育ったことがルーツのようだ。幼少期から「嘘つきみっちゃん」と呼ばれていたように、彼が言う生い立ちや経歴は虚構であることが多い。また瀬戸内寂聴と愛人関係にあったことは有名でもあった。寂聴が出家したのもその関係にケリをつけるためということだった。娘の直木賞作家・井上荒野(アレノ)は、父の虚構癖や寂聴と母との親戚のような関係を小説にしている。

  

 その娘の実話小説『あちらにいる鬼』(監督・廣木隆一)が映画化され、光晴が豊川悦司、寂聴が寺島しのぶ、母が広末涼子が演じている。原一男監督のドキュメンタリー映画「全身小説家」にもそうした証言や晩年の光晴のナマの姿を描いている。

 

 本詩集から、「金網の張ってある掲示板に 父の名前は見えなかった 父は何度も爪吉の頭をなでながら がっかりしたように笑っていた --ー爪吉、活動でもみろか ーーーうん、父ちゃん試験に落ちたのか

 たぶん冬だったろう ほこりをたてた風が二人の足もとで 悲しく巻いていた  ーーー心配せんでいいよ、爪吉  落っこちることはハンマー振った時 とうからわかっていた ーーー父ちゃん、力がないからなあ 

 眼に入った爪吉のごみを舌でとりながら 弱々しく父は言った  ーーーうん、父ちゃん、本当に力がないからなあ」 という詩は、ぐっときた。 これは詩というより散文ではないかとさえ思えてしまうが。

 

 本詩集は、やや厚めの紙からなり、約3cmほどの重厚な製本となっている。 表紙やそれをめくるとシュールな円形の造形が次々出てくる。その意味は分からなかったが、著者のやるせない空虚を表現しているように思えた。それは、1970年代の三里塚・沖縄闘争、赤軍派のハイジャック、ウーマンリブ運動、日米安保条約の自動延長、光化学スモッグ発生、三島由紀夫割腹事件、チッソ・イタイイタイ病事件など、高度成長経済の歪みとともに社会不安が増大していく時期と著者の心の表現でもあったのかもしれない。

 

 本書の作品は、現実と虚構にある辺境をあぶりだすものではあるものの、全体としては詩集のもつ情感とか余白とかリズムとかが熟成しないままの印象が残った。ここから、作者は虚構の小説の世界に入っていくところに居場所を見つけたようだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「いま」をそのまま受けいれることから始まる

2024-12-18 22:26:07 | 読書

 十数年前に読んでからわが座右の書ともなった本は、英米文学者・加島祥造『求めない』という詩集だった。一人暮らしをしている兄にこの本の贈ったらぴんと来なかったようだったが。翻訳者としても有名だった加島氏はすべてを捨てて山奥に移住する。そうして、「伊那谷の老子」とも言われ、そこで出会った外国人女性と意気投合する。しかし、そのパートナーの死に直面しふさぎこんでいたが、彼女の骨を庭に散骨することでようやくそれを受け容れるようになる。その様子はNHKで ”Alone, but not lonely.として放映された。そうして、続編『受いれる』(小学館、2012.7)も刊行された。

 

 そのあとがきで、「私のいちばん近くにいて絶えず支えてくれた人を失いました。私にはどうすることもできない別離でした」という絶望的状況の中で、「こんな私を彼女が望んでいるわけはない」と思い直してから、「受いれる」という言葉にたどり着いたという。不条理がまかり通る世の現実や経験則から、「受け入れる」という言葉はオラには禁句でもあった。

 

 著者は、「現代に生きる人は 社会の自分にばかり支配されて 心は固くなり 柔らかな命の自分を 受いれることが 難しくなっていく  それがすべての苦しみの 原点だと言えるんだ」と指摘する。だ が、尖ったオラの心はいまだに「伊那谷の仙人」の境地には達していない。日本も世界も殺戮や収奪をやっている権力者・財界やフツーの「善人」が少なくない。そうした現実に対して加島さんのお坊ちゃん体質がぷんぷんしてならなかったのだが。

    

 それでも著者は宣言する。「人は陽を背に負い 陰を胸に抱いて 和に向かって進む」と、老子の言葉を引用する。さまざまな苦難に直面してその結果伊那谷の山奥に「逃避」したくらい、絶望と対峙していた英米文学者は東洋の「老荘」に出会う。そこから、ベストセラーともなる『求めない』の境地に至る。そして、出会った女性を看取って『受いれる』の境地に達する。そこには、本書に出てくる「はじめの自分」が発揮されている。

   

 つまり、そこには社会に出た「次の自分」の蒙昧を脱した少年がいた。どんなに苦難が襲うとも「はじめの自分」を温存していたということだろうか。「はじめの自分に還って 自分は自然の一部、 大きな力につながっている、と思えば はじめの自分は息をふきかえすんだ」と、覚醒する。だから、「天と地につながる目で見ると 歴史上の英雄は みんな 大たわけさ」と喝破する。

 

 なるほど、英雄好みのおじさんの「博識」は絶好の視聴率獲得の餌食にもなる、ってわけさ。「悲しみを受いれるとき 苦しみを受いれるとき <受いれる>ことの ほんとうの価値を知る」ことになる。「すると、運命の流れが変わる」という達観した仙人になれるわけだ。

 いっぽう、今話題ともなっている「政治とカネ」や闇バイト・通り魔殺人事件なんかにもつながっている現実も無視できない。オラも尖ってしまった牙をソフトな入れ歯にするつもりだけどね。

 

 
    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栄華と陰謀の王朝を生きた女性の凛然

2024-12-14 08:42:02 | 読書

 大河ドラマ「光る君へ」が明日で最終回。ドラマは主演・脚本・制作統括・演出をすべて女性が担当するのは史上初という。その時代考証を担当している倉本一弘氏の『藤原道長の権力と欲望・紫式部の時代』(文春新書、2023.8)をあわてて読み終える。本書を読むと、脚本家の大石静さんがかなりこれを参考にしているのが伝わってくる。(画像の殆どは、山川出版社、「詳説日本史図録」、2008.11から)

  

 道長の日記「御堂関白記」は、ユネスコの「世界の記憶」遺産として2013年6月に登録された。為政者が自ら日記を書くのは世界でも稀であり、千年前の日記が多く残されている日本はきわめて特殊だと著者は指摘する。本書では、道長の「御堂関白記」、優れた官僚の藤原実資(サネスケ)「小右記」、能書家で有名な藤原行成「権記」(ゴンキ)らの日記とともに、道長の人物像を立体的に描いているのが特徴だ。

 

 そうした描写が、道長が単なる独裁者ではなく自己矛盾と対峙したり、一条天皇や三条天皇との確執を耐えたり画策したり、弱点も表した人物像にしている。それがドラマの脚本には大いに参考になったことと推察する。道長と紫式部とが直接出会ったかどうかについては歴史的証拠はまだないようだが、著者は道長の娘・中宮の彰子のために紫式部を採用し、一条天皇の心を取り入れるために「源氏物語」を書かせたとする。というのも、当時の和紙の料紙は民間では入手できない貴重で高価なものだったことから、道長が筆・墨・硯等を含めた執筆依頼・支援なしには書けなかったと推定している。

 (画像は刀剣ワールドwebから)

 また、王朝内での権力闘争や愛憎の絡む政権内での藤原 実資のリアルで冷静な対応をしていた事例が本書で幾度も取り上げられている。道長を一番批判していた実資ではあるものの天皇や女房らの取次役・相談役としても信頼されていたのも実資だった。同時に、政権を担う公卿・政治家は、漢文・和歌・楽器・踊りなどの文化的嗜みも求められていたのも、現代の政治家の金権体質に対する提起ともなっている。

  

 大河ドラマでもそうだったが、次々と登場する藤原一族の名前を覚えるのは一苦労だった。それに、天皇の外戚になろうと画策させられる女性の名前も覚えきれない。視聴率が低かったのも単純な戦国ものとはひと味違うドラマに戸惑いがあったのかもしれない。道長の頂点を極めた政権の座は、自らの心身の不安定さとともにまもなく揺らいでいく。大河ドラマの最後のセリフは式部の「嵐が来るわ」だった。武士の時代がじわじわとやってきていた。

 ついでながら、失意のまひろに、従者で短い台詞しかなかった乙丸(矢部太郎)が、「私を置いていかないでください。どこまでもお供しとうございます」とか、一緒に「都に帰りたーい」と、何度も連呼する初めての自己主要シーンは画期的だった。貴族社会だけの描写ではない配慮に脚本が光る。 

 

 「おわりに」で著者は、「道長は確かに、日本の歴史上、最高度の権力を手に入れた。しかしだからといって、最高度に幸福であったかは、誰も知ることのできないことである」と、結んでいる。息子の頼道は平等院に阿弥陀堂を落成したのはせめてもの権力者の平和的な祈願と信仰の賜物であり、その文化遺産は現代にも燦然と佇立している。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絶望のなかで自分がやれること

2024-12-07 17:10:12 | 読書

 前々から読みたいと思っていた武道家で思想家の内田樹の「街場…」シリーズ。『街場の共同体論』(潮出版社、2017.1)をやっと読み終える。創価学会系の雑誌『潮』に連載してきたものを単行本にまとめたものが本書である。目次を見ると、家族論、格差社会、学校教育、コミニケーション能力、師弟論などで、共同体という言葉が見当たらない。ムラ社会に生きていると共同体とのかかわりは無視できない。内田氏の生きている世界は都会中心であるのがやや気になる。

  

 ムラで生活していると、水源地・生活道路・草刈りなどの整備や神社・祭り・防災訓練の行事がらみの共同作業が少なくない。水源地の泥の除去や林道の枯れ枝・土砂の撤去や水道のメーター点検などは、グループの当番制で三カ月に一回廻って来る。その意味では、群馬県上野村にも居住している哲学者・内山節氏の本のほうがムラの様子がリアルに出てきて身近な感じがする。とはいえ、二人とも易しい言葉で活字化しているので哲学に縁遠いオラたちにとって入り口は入りやすい。

  

 さて、本書では内山氏が自分の意見を断言する過激な物言いに引っかかる人もいるかとも思えたが、「まえがき」に「当たり前のこと」を言っているだけだと強調する。続けて著者は、政治家・エコノミスト・メディアらの指導者や大衆の幼児化が甚だしく、経済成長がすべてという呪縛から解放されないまま、国土や国民の荒廃が進行してしまったと指摘する。「そのような集団的な思考停止状態に現代日本人は置かれ」、「この深い絶望感が本書の基調低音をかたちづくって」いるとしている。

  

 オラも、専門家にとっては厳密な表現はあるだろうが内山氏のそのくらいの断言は容認できると思えた。そして、阪神大震災を体験した著者は、「絶望的な状態に置かれたときには、まず足元の瓦礫を拾い上げることから始める」、そうした当たり前の行為が「自分にできること」だったという。そこに、絶望状態から自分を救う第一歩があるというところに著者の真骨頂がある気がする。

  

 共同体論については、「現代日本における共同体の危機は、いきなり天から襲来した災厄ではなく、何十年もかけて、僕たち日本人が自らの手で仕込んだ」「国民の営々たる努力の<成果>」であり、その「仕組みが破綻し始めた以上、それを補正するための努力にも同じくらいの時間がかかると覚悟したほうがいい」と結ぶ。

  

 この著者の終末観というか、絶望感はよくわかる気がする。オラもいろいろ地域づくりなどの活動もしてきたが、その壁の厚さに絶望的にもなったが、最近は自分が終末高齢者になって体や大脳のあちこちが齟齬することが増えたこともあり、「今自分ができることをする」ことをベースに日々を迎えてきた。姜尚中の言う、自分の中の「根拠地」を構築していく大切さを実感している。その意味で、著者の「初めの一歩」に大いに共感してやまないことしきりだ。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庶民からの視点で絵巻物を見る

2024-11-16 22:56:52 | 読書

 1980年代から2000年にかけて歴史家・網野善彦氏らを中心として日本中世史ブームが起きる。それは従来の農民と武士・貴族との中心史観だけではなく、職人・女性・海民・山民・部落民ら今まで光が当たらなかった庶民からの日本社会の分析でもある。そうしたいわゆる「網野史学」の端緒は、異端の民俗学者・宮本常一(ツネイチ)の丹念なフィールドワークからの影響が強く反映されている。庶民の膨大な用具や諸分野の暮らしの聞き取りに裏打ちされた宮本氏の視点から、古代以降の絵巻物を読み解いていったのが本書『絵巻物に見る日本庶民生活誌』(中央公論社、1981.3)だった。

 

 絵巻物は関係者以外なかなか見る機会がない。本書には絵巻物の図版画像が119点も掲載されている貴重な公開となっている。そこには、行事・民具・子供・便所・家畜・船・漁具・建築・風俗・履物・植物・狩猟など当時の暮らしの多彩なモノ・人・自然を観察することができる。ただし、本書がハンディな新書本なので、絵も小さく不鮮明でもあり、画像を読み解くのには苦労する。

 

 本当は絵巻物の画像をブログに引用したいところだが、読み手の視点からは極めて見にくく技術的に至難の業だった。そこで、宮本氏の本の表紙を多用することとなった。

 さて、宮本氏は冒頭に開口一番、「絵巻物を見ていてしみじみ考えさせられるのは民衆の明るさ・天衣無縫さである」という。庶民の単調で素朴な生活にもかかわらず、「日々の生活を楽しんでいる」のが絵から伝わってくると氏は強調する。

  (更級日記紀行、平安時代の肉食)

  対照的に、貴族・僧侶らの行事や儀式は堅苦しいものに終始しているのを庶民は物見高く見物している。そのうえついには、それを祭りとして自分たちで楽しく演出してしまう器量をもっていたと氏は評価する。こうした好奇心旺盛な庶民の姿は、幕末にやってきた外国人が自由闊達な子供たちをみて一様に感動しているのと共通点がある。

 その意味で、日本人のおおらかさを失ってしまったのは明治以降ではないかと思われる。幕藩体制の江戸時代では分権国家の側面もあったが、明治政府の強権的さらには軍国的体制の徹底は、違う考え方を排除するタブーというものが暗黙の裡にはびこっていく。その延長が日本社会の基層の重しとなって同調圧力を産み出したのではないか。

  

 現在、大河ドラマで「光る君へ」の平安王朝を放映しているが、当時の王朝の建物は、高床式で壁が少なく隙間だらけで冬が寒いのがわかる。そのため、女性の衣服がなぜ十二単になってしまったかが読み取れる。いっぽう、民衆は竪穴住居もどきの土間住まいがしばらく続いたようだ。

 同じく、大河ドラマでは公家の烏帽子にこだわっているのがわかる。本書でも烏帽子をかぶったまま就寝している絵巻を紹介している。

  

 従来の裸足の生活から履物を履くようになったのは、土間住居から床住居へと変化し、稲わらが利用されてきたことと関係したのではないかと氏は分析する。また、便所というものがない時代、足下駄については脱糞放尿用として利用されたのではないかという提起も納得がいく。

 

 それにしても、宮本氏の聞き取りの謙虚さが相手の心を和ませていくのが伝わってくる。それらのさりげない情報が氏のかけがいのない知的財産となった。したがって、何気ない絵巻物の中から庶民の発する暮らしの喜怒哀楽の詳細を汲んでいったのだと思えてならない。 

 なお、本書は1981年3月に発行されたが、宮本氏が亡くなったのが同年1月のことだった。したがって、本書は最晩年の一冊となった。そのためか、巻末に「著作目録」が付随されている。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古代日本に海人族あり

2024-10-26 21:05:39 | 読書

 オラが縄文人に興味があるのをブラボーさんは見抜いていて、その縄文人を凌いだ海人族の勇往なエネルギーを描いた漫画・諸星大二郎の『海神記(カイジンキ)』3巻(潮出版社、1992~1994年)を送ってくれた。時代的には空白の4世紀と言われる古代日本を揺るがした九州から北上する海人(アマ)らの物語だ。この時代の歴史研究は今後の考古学の成果を期待したいところだが、著者が90年代に海人族に早くも着目したところは群を抜く視点でもある。まさに、漫画ならではの想像力の手法が生かされた世界が展開されていく。

  

 邪馬台国の卑弥呼が亡くなり、その後ヤマトから派遣された倭軍が朝鮮半島に介入していくなか、この頃より7世紀頃まで戦火にいた渡来人が日本に移住していく、という背景がある。。第1巻表紙にある「七支刀(シチシトウ)」は百済王から倭王に贈られたものだが、本書ではミケツという少年がその宝剣を持つ。柳田国男が海の神は子どもの姿をしているという民間信仰があったことを伝えていたが、著者はそれをヒントに海神(ワタツミ)を海童(ワタツミ)として登場させ、混乱する諸国平定のヤマ場で宝剣を掲げていく。なお、当時の九州は統一されたクニはなく、「末羅(マツラ)」「伊都(イト)」「奴(ナ)」などの小国家が分立していた。

 

 著者は百済亡命者の軍人が海人族を担っているというパワーの強さも配置している。また、博多周辺で交易を担っていた安曇族もそこに参画している。が、安曇族がなぜそこに関与していったか、そしてなぜ山奥の長野「安曇野」に移住したのかが興味あるところだ。祭事にはデカイ大船の山車を繰り出す理由のからくりもそのへんにあるようだ。これだけでもドラマになる。残念ながら本書はそれには触れていないが、続編があればきっと掲載されていくことだろう。

 

 海を舞台とした物語だけに海の持つ人間の存在を超えるパワーを勇壮に描いているのも本書の見どころだ。また、丸太をくり抜いただけの小船や百済人が乗っているモダンな大船などその描写も時代考察を研究されているのがわかる。そのほか、服装・装飾・刺墨・仮面などもよく調べてある。

 個人的には、著者の人物の表情がどの作品も生硬なのが気になる。登場人物が多いせいか、だれだったかしばしばわからなかったので、登場人物をコピーして読んだのが正解だった。髪型・髭・帽子・刺青・眉毛などの違いが分かってきた。

  

 著者は、「古事記」や「日本書紀」をずいぶん読み込みながら同時に解明が充分されていなかった海人たちの進取の生き方にスポットを当てているので、読んでいて歯ごたえがある作品になっている。神武東征をモデルにした気配があるがスーパーヒーローが出てこないのがいい。また、シャーマンの女性の存在が大きいのも時代を感じさせるとともに男性中心になりがちな歴史物に堕していないのも好感が持てる。また、海童の子どもらしい振る舞いが戦乱の多い物語ではホッとする。

  

 日本人のルーツ・古代日本の成り立ち・神道のルーツなど根源的な問題と対峙しながら描かれた本書のスケールの魅力に強烈なファンがいる。そのため著者の作品は入手が困難なものが多い。ぜひ、続刊が望まれるがその壁の大きさに著者は呻吟としているに違いない。しかしながら、現代の宗教が世俗的に堕し、「どうにも病んだ世界に見えるのに比して、古代の神々は混沌とした力強い生命力に溢れているように思える」という著者の結びが珠玉な輝きを持つ。

       

「古代における神と人々との拘わり」を「海の匂いでまとめた物語」にしたいという著者の狙いは遅筆で苦しんだぶん、読者に伝わっていると思えてならない。私小説風の狭いミーイズムがアニメや漫画を席捲しているなか、本書の壮大なダイナリズムは記念碑的な作品となっている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする