山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

「二十億光年の孤独」を感じた青年は

2024-12-27 17:27:59 | 読書

 今年の11月に日本を代表する詩人・谷川俊太郎が老衰で亡くなった。詩集を読むのが好きだったオラにも俊太郎は生きる喜びを与え続けてくれた。というのも、ほかの作家の詩は解読が難しかったり、独りよがりだったりするなか、俊太郎の詩は構えずにしてその世界をふらりと入れてくれる。彼のデビュー作『二十億光年の孤独』(集英社文庫、2008.2)を再度取りよせて読んでみる。「二十億光年」とは当時言われていた宇宙の直径である。現在では900億光年を上回るという。

 

 「二十億光年の孤独」の詩は、たった16行しかない詩だ。「 万有引力とは ひき合う孤独の力である / 宇宙はひずんでいる それ故みんなはもとめ合う / 宇宙はどんどん膨らんでいく それ故みんなは不安である / 二十億光年の孤独に 僕は思わずくしゃみをした 」といったフレ-ズのリズムは終生変わらなかった気がする。17歳で詩作を初め、21歳で本詩集を刊行したこの青年はそのまんま変わらず老詩人となり、92歳で大往生を遂げる。海外でも人気がある俊太郎だが、本書には英訳付きの初文庫化と18歳の時の自筆ノートを収録している。

    (好学社)

 オラの子どもにもなんどともなく読み聞かせをしたのが、絵本の『スイミー』だったり、『もこもこ』だった。俊太郎は、哲学者の谷川徹三の一人息子として恵まれた環境に産まれ、不登校のときは模型飛行機づくりやラジオ組み立てに没頭するのが、本書の手記にも出てくる。だから、一人っ子の孤独を引きずりながらも、より広く宇宙の中での孤独や不安をも感じ取る。でも、最後はくしゃみしてしまう。そこに、俊太郎の真骨頂が仕組まれている。俊太郎青年はそんな孤独を感じつつもそれを越える「面白さ」や「好奇心」を発揮した青春にも踏み込んでいったのだった。

   (文研出版)

 その才能を見抜いた父は当時の大御所・三好達治に俊太郎の詩を見せたら、「穴ぼこだらけの東京に 若者らしく哀切に 悲哀に於いて快活に ーーーげに快活に思ひあまった嘆息に ときにくさめを放つのだこの若者は ああこの若者は 冬のさなかに永らく待たれたものとして 突忽とはるかな国からやってきた」と、絶賛した序詩を寄せている。

 都会のTシャツを愛する『世間シラズ』の甘ったれ坊ちゃんは、恵まれた環境を十分に生かして言葉の連続革命を引き起こした。詩壇のビートルズだと思う。存命中にノーベル賞を与えても良かった逸材だ。

 

 

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こころの傷をバネに辺境を渡る

2024-12-20 21:55:00 | 読書

 ひょんなことから、井上光晴『井上光晴詩集』(思潮社、1971.7)を読み始めた。前半は青年らしい正義感あふれる社会への異議申し立ての詩に溢れている。それが後半になると、言葉をこね回し難解になっていく。しかし、魅力は常に底辺に生きる人への共感だった。

  

 井上光晴の詩や小説は、絵描きの父が家にいなかったり、母が家出したりで祖母の手で育ったことがルーツのようだ。幼少期から「嘘つきみっちゃん」と呼ばれていたように、彼が言う生い立ちや経歴は虚構であることが多い。また瀬戸内寂聴と愛人関係にあったことは有名でもあった。寂聴が出家したのもその関係にケリをつけるためということだった。娘の直木賞作家・井上荒野(アレノ)は、父の虚構癖や寂聴と母との親戚のような関係を小説にしている。

  

 その娘の実話小説『あちらにいる鬼』(監督・廣木隆一)が映画化され、光晴が豊川悦司、寂聴が寺島しのぶ、母が広末涼子が演じている。原一男監督のドキュメンタリー映画「全身小説家」にもそうした証言や晩年の光晴のナマの姿を描いている。

 

 本詩集から、「金網の張ってある掲示板に 父の名前は見えなかった 父は何度も爪吉の頭をなでながら がっかりしたように笑っていた --ー爪吉、活動でもみろか ーーーうん、父ちゃん試験に落ちたのか

 たぶん冬だったろう ほこりをたてた風が二人の足もとで 悲しく巻いていた  ーーー心配せんでいいよ、爪吉  落っこちることはハンマー振った時 とうからわかっていた ーーー父ちゃん、力がないからなあ 

 眼に入った爪吉のごみを舌でとりながら 弱々しく父は言った  ーーーうん、父ちゃん、本当に力がないからなあ」 という詩は、ぐっときた。 これは詩というより散文ではないかとさえ思えてしまうが。

 

 本詩集は、やや厚めの紙からなり、約3cmほどの重厚な製本となっている。 表紙やそれをめくるとシュールな円形の造形が次々出てくる。その意味は分からなかったが、著者のやるせない空虚を表現しているように思えた。それは、1970年代の三里塚・沖縄闘争、赤軍派のハイジャック、ウーマンリブ運動、日米安保条約の自動延長、光化学スモッグ発生、三島由紀夫割腹事件、チッソ・イタイイタイ病事件など、高度成長経済の歪みとともに社会不安が増大していく時期と著者の心の表現でもあったのかもしれない。

 

 本書の作品は、現実と虚構にある辺境をあぶりだすものではあるものの、全体としては詩集のもつ情感とか余白とかリズムとかが熟成しないままの印象が残った。ここから、作者は虚構の小説の世界に入っていくところに居場所を見つけたようだ。

 

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「いま」をそのまま受けいれることから始まる

2024-12-18 22:26:07 | 読書

 十数年前に読んでからわが座右の書ともなった本は、英米文学者・加島祥造『求めない』という詩集だった。一人暮らしをしている兄にこの本の贈ったらぴんと来なかったようだったが。翻訳者としても有名だった加島氏はすべてを捨てて山奥に移住する。そうして、「伊那谷の老子」とも言われ、そこで出会った外国人女性と意気投合する。しかし、そのパートナーの死に直面しふさぎこんでいたが、彼女の骨を庭に散骨することでようやくそれを受け容れるようになる。その様子はNHKで ”Alone, but not lonely.として放映された。そうして、続編『受いれる』(小学館、2012.7)も刊行された。

 

 そのあとがきで、「私のいちばん近くにいて絶えず支えてくれた人を失いました。私にはどうすることもできない別離でした」という絶望的状況の中で、「こんな私を彼女が望んでいるわけはない」と思い直してから、「受いれる」という言葉にたどり着いたという。不条理がまかり通る世の現実や経験則から、「受け入れる」という言葉はオラには禁句でもあった。

 

 著者は、「現代に生きる人は 社会の自分にばかり支配されて 心は固くなり 柔らかな命の自分を 受いれることが 難しくなっていく  それがすべての苦しみの 原点だと言えるんだ」と指摘する。だ が、尖ったオラの心はいまだに「伊那谷の仙人」の境地には達していない。日本も世界も殺戮や収奪をやっている権力者・財界やフツーの「善人」が少なくない。そうした現実に対して加島さんのお坊ちゃん体質がぷんぷんしてならなかったのだが。

    

 それでも著者は宣言する。「人は陽を背に負い 陰を胸に抱いて 和に向かって進む」と、老子の言葉を引用する。さまざまな苦難に直面してその結果伊那谷の山奥に「逃避」したくらい、絶望と対峙していた英米文学者は東洋の「老荘」に出会う。そこから、ベストセラーともなる『求めない』の境地に至る。そして、出会った女性を看取って『受いれる』の境地に達する。そこには、本書に出てくる「はじめの自分」が発揮されている。

   

 つまり、そこには社会に出た「次の自分」の蒙昧を脱した少年がいた。どんなに苦難が襲うとも「はじめの自分」を温存していたということだろうか。「はじめの自分に還って 自分は自然の一部、 大きな力につながっている、と思えば はじめの自分は息をふきかえすんだ」と、覚醒する。だから、「天と地につながる目で見ると 歴史上の英雄は みんな 大たわけさ」と喝破する。

 

 なるほど、英雄好みのおじさんの「博識」は絶好の視聴率獲得の餌食にもなる、ってわけさ。「悲しみを受いれるとき 苦しみを受いれるとき <受いれる>ことの ほんとうの価値を知る」ことになる。「すると、運命の流れが変わる」という達観した仙人になれるわけだ。

 いっぽう、今話題ともなっている「政治とカネ」や闇バイト・通り魔殺人事件なんかにもつながっている現実も無視できない。オラも尖ってしまった牙をソフトな入れ歯にするつもりだけどね。

 

 
    

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栄華と陰謀の王朝を生きた女性の凛然

2024-12-14 08:42:02 | 読書

 大河ドラマ「光る君へ」が明日で最終回。ドラマは主演・脚本・制作統括・演出をすべて女性が担当するのは史上初という。その時代考証を担当している倉本一弘氏の『藤原道長の権力と欲望・紫式部の時代』(文春新書、2023.8)をあわてて読み終える。本書を読むと、脚本家の大石静さんがかなりこれを参考にしているのが伝わってくる。(画像の殆どは、山川出版社、「詳説日本史図録」、2008.11から)

  

 道長の日記「御堂関白記」は、ユネスコの「世界の記憶」遺産として2013年6月に登録された。為政者が自ら日記を書くのは世界でも稀であり、千年前の日記が多く残されている日本はきわめて特殊だと著者は指摘する。本書では、道長の「御堂関白記」、優れた官僚の藤原実資(サネスケ)「小右記」、能書家で有名な藤原行成「権記」(ゴンキ)らの日記とともに、道長の人物像を立体的に描いているのが特徴だ。

 

 そうした描写が、道長が単なる独裁者ではなく自己矛盾と対峙したり、一条天皇や三条天皇との確執を耐えたり画策したり、弱点も表した人物像にしている。それがドラマの脚本には大いに参考になったことと推察する。道長と紫式部とが直接出会ったかどうかについては歴史的証拠はまだないようだが、著者は道長の娘・中宮の彰子のために紫式部を採用し、一条天皇の心を取り入れるために「源氏物語」を書かせたとする。というのも、当時の和紙の料紙は民間では入手できない貴重で高価なものだったことから、道長が筆・墨・硯等を含めた執筆依頼・支援なしには書けなかったと推定している。

 (画像は刀剣ワールドwebから)

 また、王朝内での権力闘争や愛憎の絡む政権内での藤原 実資のリアルで冷静な対応をしていた事例が本書で幾度も取り上げられている。道長を一番批判していた実資ではあるものの天皇や女房らの取次役・相談役としても信頼されていたのも実資だった。同時に、政権を担う公卿・政治家は、漢文・和歌・楽器・踊りなどの文化的嗜みも求められていたのも、現代の政治家の金権体質に対する提起ともなっている。

  

 大河ドラマでもそうだったが、次々と登場する藤原一族の名前を覚えるのは一苦労だった。それに、天皇の外戚になろうと画策させられる女性の名前も覚えきれない。視聴率が低かったのも単純な戦国ものとはひと味違うドラマに戸惑いがあったのかもしれない。道長の頂点を極めた政権の座は、自らの心身の不安定さとともにまもなく揺らいでいく。大河ドラマの最後のセリフは式部の「嵐が来るわ」だった。武士の時代がじわじわとやってきていた。

 ついでながら、失意のまひろに、従者で短い台詞しかなかった乙丸(矢部太郎)が、「私を置いていかないでください。どこまでもお供しとうございます」とか、一緒に「都に帰りたーい」と、何度も連呼する初めての自己主要シーンは画期的だった。貴族社会だけの描写ではない配慮に脚本が光る。 

 

 「おわりに」で著者は、「道長は確かに、日本の歴史上、最高度の権力を手に入れた。しかしだからといって、最高度に幸福であったかは、誰も知ることのできないことである」と、結んでいる。息子の頼道は平等院に阿弥陀堂を落成したのはせめてもの権力者の平和的な祈願と信仰の賜物であり、その文化遺産は現代にも燦然と佇立している。

 

 

 

 

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絶望のなかで自分がやれること

2024-12-07 17:10:12 | 読書

 前々から読みたいと思っていた武道家で思想家の内田樹の「街場…」シリーズ。『街場の共同体論』(潮出版社、2017.1)をやっと読み終える。創価学会系の雑誌『潮』に連載してきたものを単行本にまとめたものが本書である。目次を見ると、家族論、格差社会、学校教育、コミニケーション能力、師弟論などで、共同体という言葉が見当たらない。ムラ社会に生きていると共同体とのかかわりは無視できない。内田氏の生きている世界は都会中心であるのがやや気になる。

  

 ムラで生活していると、水源地・生活道路・草刈りなどの整備や神社・祭り・防災訓練の行事がらみの共同作業が少なくない。水源地の泥の除去や林道の枯れ枝・土砂の撤去や水道のメーター点検などは、グループの当番制で三カ月に一回廻って来る。その意味では、群馬県上野村にも居住している哲学者・内山節氏の本のほうがムラの様子がリアルに出てきて身近な感じがする。とはいえ、二人とも易しい言葉で活字化しているので哲学に縁遠いオラたちにとって入り口は入りやすい。

  

 さて、本書では内山氏が自分の意見を断言する過激な物言いに引っかかる人もいるかとも思えたが、「まえがき」に「当たり前のこと」を言っているだけだと強調する。続けて著者は、政治家・エコノミスト・メディアらの指導者や大衆の幼児化が甚だしく、経済成長がすべてという呪縛から解放されないまま、国土や国民の荒廃が進行してしまったと指摘する。「そのような集団的な思考停止状態に現代日本人は置かれ」、「この深い絶望感が本書の基調低音をかたちづくって」いるとしている。

  

 オラも、専門家にとっては厳密な表現はあるだろうが内山氏のそのくらいの断言は容認できると思えた。そして、阪神大震災を体験した著者は、「絶望的な状態に置かれたときには、まず足元の瓦礫を拾い上げることから始める」、そうした当たり前の行為が「自分にできること」だったという。そこに、絶望状態から自分を救う第一歩があるというところに著者の真骨頂がある気がする。

  

 共同体論については、「現代日本における共同体の危機は、いきなり天から襲来した災厄ではなく、何十年もかけて、僕たち日本人が自らの手で仕込んだ」「国民の営々たる努力の<成果>」であり、その「仕組みが破綻し始めた以上、それを補正するための努力にも同じくらいの時間がかかると覚悟したほうがいい」と結ぶ。

  

 この著者の終末観というか、絶望感はよくわかる気がする。オラもいろいろ地域づくりなどの活動もしてきたが、その壁の厚さに絶望的にもなったが、最近は自分が終末高齢者になって体や大脳のあちこちが齟齬することが増えたこともあり、「今自分ができることをする」ことをベースに日々を迎えてきた。姜尚中の言う、自分の中の「根拠地」を構築していく大切さを実感している。その意味で、著者の「初めの一歩」に大いに共感してやまないことしきりだ。

 

 

 

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庶民からの視点で絵巻物を見る

2024-11-16 22:56:52 | 読書

 1980年代から2000年にかけて歴史家・網野善彦氏らを中心として日本中世史ブームが起きる。それは従来の農民と武士・貴族との中心史観だけではなく、職人・女性・海民・山民・部落民ら今まで光が当たらなかった庶民からの日本社会の分析でもある。そうしたいわゆる「網野史学」の端緒は、異端の民俗学者・宮本常一(ツネイチ)の丹念なフィールドワークからの影響が強く反映されている。庶民の膨大な用具や諸分野の暮らしの聞き取りに裏打ちされた宮本氏の視点から、古代以降の絵巻物を読み解いていったのが本書『絵巻物に見る日本庶民生活誌』(中央公論社、1981.3)だった。

 

 絵巻物は関係者以外なかなか見る機会がない。本書には絵巻物の図版画像が119点も掲載されている貴重な公開となっている。そこには、行事・民具・子供・便所・家畜・船・漁具・建築・風俗・履物・植物・狩猟など当時の暮らしの多彩なモノ・人・自然を観察することができる。ただし、本書がハンディな新書本なので、絵も小さく不鮮明でもあり、画像を読み解くのには苦労する。

 

 本当は絵巻物の画像をブログに引用したいところだが、読み手の視点からは極めて見にくく技術的に至難の業だった。そこで、宮本氏の本の表紙を多用することとなった。

 さて、宮本氏は冒頭に開口一番、「絵巻物を見ていてしみじみ考えさせられるのは民衆の明るさ・天衣無縫さである」という。庶民の単調で素朴な生活にもかかわらず、「日々の生活を楽しんでいる」のが絵から伝わってくると氏は強調する。

  (更級日記紀行、平安時代の肉食)

  対照的に、貴族・僧侶らの行事や儀式は堅苦しいものに終始しているのを庶民は物見高く見物している。そのうえついには、それを祭りとして自分たちで楽しく演出してしまう器量をもっていたと氏は評価する。こうした好奇心旺盛な庶民の姿は、幕末にやってきた外国人が自由闊達な子供たちをみて一様に感動しているのと共通点がある。

 その意味で、日本人のおおらかさを失ってしまったのは明治以降ではないかと思われる。幕藩体制の江戸時代では分権国家の側面もあったが、明治政府の強権的さらには軍国的体制の徹底は、違う考え方を排除するタブーというものが暗黙の裡にはびこっていく。その延長が日本社会の基層の重しとなって同調圧力を産み出したのではないか。

  

 現在、大河ドラマで「光る君へ」の平安王朝を放映しているが、当時の王朝の建物は、高床式で壁が少なく隙間だらけで冬が寒いのがわかる。そのため、女性の衣服がなぜ十二単になってしまったかが読み取れる。いっぽう、民衆は竪穴住居もどきの土間住まいがしばらく続いたようだ。

 同じく、大河ドラマでは公家の烏帽子にこだわっているのがわかる。本書でも烏帽子をかぶったまま就寝している絵巻を紹介している。

  

 従来の裸足の生活から履物を履くようになったのは、土間住居から床住居へと変化し、稲わらが利用されてきたことと関係したのではないかと氏は分析する。また、便所というものがない時代、足下駄については脱糞放尿用として利用されたのではないかという提起も納得がいく。

 

 それにしても、宮本氏の聞き取りの謙虚さが相手の心を和ませていくのが伝わってくる。それらのさりげない情報が氏のかけがいのない知的財産となった。したがって、何気ない絵巻物の中から庶民の発する暮らしの喜怒哀楽の詳細を汲んでいったのだと思えてならない。 

 なお、本書は1981年3月に発行されたが、宮本氏が亡くなったのが同年1月のことだった。したがって、本書は最晩年の一冊となった。そのためか、巻末に「著作目録」が付随されている。

 

 

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古代日本に海人族あり

2024-10-26 21:05:39 | 読書

 オラが縄文人に興味があるのをブラボーさんは見抜いていて、その縄文人を凌いだ海人族の勇往なエネルギーを描いた漫画・諸星大二郎の『海神記(カイジンキ)』3巻(潮出版社、1992~1994年)を送ってくれた。時代的には空白の4世紀と言われる古代日本を揺るがした九州から北上する海人(アマ)らの物語だ。この時代の歴史研究は今後の考古学の成果を期待したいところだが、著者が90年代に海人族に早くも着目したところは群を抜く視点でもある。まさに、漫画ならではの想像力の手法が生かされた世界が展開されていく。

  

 邪馬台国の卑弥呼が亡くなり、その後ヤマトから派遣された倭軍が朝鮮半島に介入していくなか、この頃より7世紀頃まで戦火にいた渡来人が日本に移住していく、という背景がある。。第1巻表紙にある「七支刀(シチシトウ)」は百済王から倭王に贈られたものだが、本書ではミケツという少年がその宝剣を持つ。柳田国男が海の神は子どもの姿をしているという民間信仰があったことを伝えていたが、著者はそれをヒントに海神(ワタツミ)を海童(ワタツミ)として登場させ、混乱する諸国平定のヤマ場で宝剣を掲げていく。なお、当時の九州は統一されたクニはなく、「末羅(マツラ)」「伊都(イト)」「奴(ナ)」などの小国家が分立していた。

 

 著者は百済亡命者の軍人が海人族を担っているというパワーの強さも配置している。また、博多周辺で交易を担っていた安曇族もそこに参画している。が、安曇族がなぜそこに関与していったか、そしてなぜ山奥の長野「安曇野」に移住したのかが興味あるところだ。祭事にはデカイ大船の山車を繰り出す理由のからくりもそのへんにあるようだ。これだけでもドラマになる。残念ながら本書はそれには触れていないが、続編があればきっと掲載されていくことだろう。

 

 海を舞台とした物語だけに海の持つ人間の存在を超えるパワーを勇壮に描いているのも本書の見どころだ。また、丸太をくり抜いただけの小船や百済人が乗っているモダンな大船などその描写も時代考察を研究されているのがわかる。そのほか、服装・装飾・刺墨・仮面などもよく調べてある。

 個人的には、著者の人物の表情がどの作品も生硬なのが気になる。登場人物が多いせいか、だれだったかしばしばわからなかったので、登場人物をコピーして読んだのが正解だった。髪型・髭・帽子・刺青・眉毛などの違いが分かってきた。

  

 著者は、「古事記」や「日本書紀」をずいぶん読み込みながら同時に解明が充分されていなかった海人たちの進取の生き方にスポットを当てているので、読んでいて歯ごたえがある作品になっている。神武東征をモデルにした気配があるがスーパーヒーローが出てこないのがいい。また、シャーマンの女性の存在が大きいのも時代を感じさせるとともに男性中心になりがちな歴史物に堕していないのも好感が持てる。また、海童の子どもらしい振る舞いが戦乱の多い物語ではホッとする。

  

 日本人のルーツ・古代日本の成り立ち・神道のルーツなど根源的な問題と対峙しながら描かれた本書のスケールの魅力に強烈なファンがいる。そのため著者の作品は入手が困難なものが多い。ぜひ、続刊が望まれるがその壁の大きさに著者は呻吟としているに違いない。しかしながら、現代の宗教が世俗的に堕し、「どうにも病んだ世界に見えるのに比して、古代の神々は混沌とした力強い生命力に溢れているように思える」という著者の結びが珠玉な輝きを持つ。

       

「古代における神と人々との拘わり」を「海の匂いでまとめた物語」にしたいという著者の狙いは遅筆で苦しんだぶん、読者に伝わっていると思えてならない。私小説風の狭いミーイズムがアニメや漫画を席捲しているなか、本書の壮大なダイナリズムは記念碑的な作品となっている。

 

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くずし字はパズル!?

2024-10-12 09:22:28 | 読書

   役者絵の粋な浮世絵に魅せられて間もないが、その画面の中に俳諧・狂歌・川柳などが出ている場合がある。でもそのほとんどはオラの力では解読できない。そこで、使われている「くずし字」を知っておけばわかるようになるのではと、油井宏子『古文書くずし字・見わけかたの極意』(2013.4 柏書房)を読んでみた。動機は安易だったが、ひらがなは漢字にルーツがあることは分かったものの、同じひらがなでもいろんな漢字が使われていて、さらに崩し方も多様であるのがわかった。

 少なくとも、本書は5~6回は読み直す教科書的な価値はある。だから、くずし字のルーツを知る楽しさはパズルのようだった。しかし、予想以上にそれが難解でもあったのも誤算だ。

 

 たまたま目にした歌舞伎役者・中村芝翫(シカン)の「団扇絵」の俳諧を調べることとなってしまった。風鈴の下の句の「涼しさや」までは読めたが、そこから先が進めない。もちろん、その下の扇子の句も解読不能。最初からつまずいてしまった。本役者絵は、明治維新前年の慶応3年(1867)に混乱の江戸で上演し発行されたもの。どんな役柄だったかがわかると解読のヒントとなるのだけど。

  

 一つの字がわかっても、センテンスとして意味が通じないと判読したことにならない。まるで、始めて外国語に遭遇したような気分だ。だから、江戸庶民は読み書きが大変だったと思われる。だから、世界でも指折りの民間学校の寺子屋や藩の学校が隆盛したこともうなずける。 

 

 なりゆきで 、字典を購入して一字一字解読をしてみたがなかなかの迷宮入り作業となった。何度もやめようかと思ったが、部分的に解読できた喜びも無視できない。書道の心得のある方には書き順がわかるようだが、それが苦手のオラには道は遠い。解読できたと思う方はぜひコメントくださいね。

 

 参考までに、百人一首に出てくる紫式部の和歌で一句。「めぐりあひてみしや それともわかぬまに  雲かくれにし 夜半の月かな」と読めた方は才能あり。(菅野俊輔「江戸のくずし字入門」から)

 これからもしばらく、くずし字とのにらめっこが続くようだ。後期高齢者になり、あとがないのにもかかわらず時間が足りない。長い昼寝・朝寝はしっかりとっているけど。

 

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二分された天皇家と出雲王朝の暗闘・隠蔽

2024-08-31 15:51:19 | 読書

 諸星大二郎の漫画「暗黒神話」にほだされて、古代の最大の謎・縄文人の行方や出雲王朝の消滅がやはり気になる。そこでまた、民間の異端の歴史家として数多くの書物を上梓している関裕二『縄文人国家=出雲王朝の謎』(徳間書店、1993.7)を読む。『聖徳太子は蘇我入鹿である』とか『なぜ<日本書紀>は古代史を偽装したのか』とか、のセンセーショナルな書物を一貫して提起している著者にはかねがね注目しているからでもある。

 

 というのも、著者がいつも指摘しているのは日本書紀の神話などをベースにしている学者たちの思考停止への批判がある。もちろん、著者の機械主義的な単純論法のめちゃぶりには異論もないわけでもないが、著者が言わんとする方向性は大いに共感するものがある。「九州王朝(現天皇家)=弥生人国家(渡来人)=アマテラス」と「出雲王朝(滅亡王朝)=縄文人国家(先住民族)=スサノオ」との暗闘の歴史が示したのは確かに明快でわかりやすい。

  

 「征夷大将軍」は江戸まで続いた称号だが、「征夷」とは言うまでもなく、東北にもう一つの異人の国家があったということだ。古代以来の歴史はこの異人に対する征圧の歴史でもある。だから、オラはそのもう一つの歴史、つまり制覇された敗者の歴史の掘り起こしが必要だとかねがね思っていたからだ。それを丹念に追究し孤塁を守ってきたのが、在野の関裕二氏だ。ときどき、蝦夷の指導者「アテルイ」が取りざたされてもいるが、大河ドラマでは1993年放映した「炎立つ」で奥州藤原氏を描いたのが精いっぱいで、蝦夷やアイヌを直接主題にするのはタブーなのではないか。

 

 モヤモヤした日本の曖昧さの中にタブーはしっかり存在する。その一つが出雲王朝の滅亡・掃討であり、「暗黒神話」のルーツでもあり、プロパガンダの成果でもあった。著者は、「弥生以降の稲作文化のみを日本文化だと錯覚すると、やがて大きなしっぺ返しを受けることになろう」と、佐治芳彦氏を引用して持論を補強している。文献重視の史学界にあって、神社や民間伝承に光を当てたのは哲学者・梅原猛でもあるが、関裕二氏は従来の「史学界の常識に、真向から反対」する立場をあえて堅持している。

 

 「ヤマトタケルは東国縄文人の英雄だった」「聖徳太子は縄文人だった」とのショッキングな著者の言い分の背景には、数十年にわたる推論の積み重ねがある。そして、「日本の歴史は、天皇家と、天皇家によって抹殺された縄文人との間の格闘史といっても過言ではない」と断定し、「縄文人の誇りを残そうと戦った者たちの鎮魂の意をこめて」、本書は捧げられた。

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諸家の理想はあれど未だ人類は成長できず

2024-08-24 12:21:59 | 読書

 ブラボーコレクションからの課題図書の二冊目、諸星大二郎『孔子暗黒伝』(集英社、1988.5)を読み終える。発刊された1980年代後半と言えば、東西冷戦が終わって、アメリカの一人勝ちと東欧革命が始まるとともに、新たなグローバル経済が世界を跋扈していく頃だ。日本はバブル経済がはじけ平成不況へと迷宮に突入する。

 1970年代後半、「週刊少年ジャンプ」に連載されていたのが本書である。前作の『暗黒神話』と同じように、古代史・文学・哲学・考古学・文化人類学・宗教・民俗学・オカルトなど広いジャンルをバックに孔子と陰陽二つの性格に翻弄される「ハリハラ」の苦悩と挫折とが表現されていく。

  (画像はletuce's roomから)

 冒頭の孔子とその弟子は、宋の刺客に追われていて、逃げ込んだ所は滅亡した「周王」の墓室だった。そこには饕餮(トウテツ)文様に飾られた部屋があった。この文様は、財産・食べ物を食い尽くす神・怪物・鬼などを表す魔獣であると言われている。その魔獣がときどき本書に登場する。

 そういえば、30年ほど前だろうか、中国の長江沿いに高い古代文明が形成されていた「三星堆(サンセイタイ)」や「仰韶(ギョウショウ)」遺跡の出土品を見に行ったことがある。その文様を見ると、中国のルーツと言われた「黄河文明」とは違うもので、むしろマヤ文明や古代エジプトの装飾に似ていた。

 

 本書を貫く著者のイデアは、「陰陽五行説」のように思える。つまり、宇宙・世界・社会を陰陽二元的にとらえ、自然や物事は「木・火・土・金・水」の元素から成り立つとしている考え方だ。それがときにバランスが崩れ人間も世界も自然も変容されていく。その混沌世界の残虐なリアルを著者はこれでもかと描いていく。少年漫画誌にはふさわしかったかどうかは疑問だが、人間の首切りが普通に描かれている。

 

 また、「易経」の語句が本書にたびたび引用されているが、オラの狭い感覚だと「占い」のイメージが強い。しかし、「易経」は儒教の基本書籍である五経易経書経詩経礼記春秋の筆頭に挙げられる経典で、東洋思想の根幹をなす哲学書。また、四書大学中庸論語孟子)は江戸時代後期には下級武士や庶民にまで普及し、読書能力や教養などの文化水準向上に果たした功績も大きい。なお、中国の漢代には、儒教が国教として採用され、四書五経は官吏登用試験の基礎ともなった。

   

 最終章で、混沌とした破天荒な世界に対して孔子は「それでも 四季はめぐり 草木は茂り 何事もなかったかのように過ぎてゆく 天は何もいわんのだ」「天が何もいわずとも すべては過ぎゆき 人びとは生きてゆくではないか」とつぶやく。

 それは、「迫害が起こって今日まで二十年、この日本の黒い土地に多くの信徒の呻きがみち、司祭の赤い血が流れ、教会の塔が崩れていくのに、神は自分にささげられた余りにもむごい犠牲を前にして、なお黙っていられる」と遠藤周作『沈黙』のラストシーンとつながるものがある。

 

 全編を通して、中国・インド・東南アジア・日本・宇宙へと場面は変転し、そこに、孔子・周王・武王・老子・仏陀・ヤマトタケルらが配置されていく、という壮大な装置に読者を引きずり込む。本書への各種経典からの引用は難解この上ない哲学書もどきにすることで、現代にも進行しているリアルな残虐と混沌を予言するとともに、極端な刺激を抑制している。

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 要するに、科学技術や生活は向上しても、人類の残虐性や頽廃は簡単にはリセットできない渦中にあるということを正視しなければならないということか。杜甫の「国破れて山河在り,城春にして草木深し」とあるが、現代の戦争によれば草木さえ生えないほどの壊滅と人間のジェノサイドがある。

 こうしたなかで、どうすることが生きる希望とつながるのだろうか、というそこに呻吟する著者の姿がにじみ出てくる作品でもあった。それはきっと、ブラボーさんの叫び・無常観、いや「秘術」・悟りなのかもしれない。

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