近所のお婆ちゃんとバス停近くでよもやま話をしていたら「春野ふれあいタクシー」が迎えに来た。鉄道も駅もない交通手段がない過疎地では、バスは生命線だ。それなのに、公共のバスも民間のバスもなくなってしまった。そこで、浜松市が遠鉄タクシーに委託したのがこの「春野ふれあいタクシー」だ。
町内には9路線あり、午前中に「定時定路」に運行し、午後は事前予約制となっている。運賃は距離によるが、300円~500円。近所のお婆さんは福祉センターに行くのを楽しみにしているようだ。仲間がけっこう乗車していた。
近所のお婆ちゃんとバス停近くでよもやま話をしていたら「春野ふれあいタクシー」が迎えに来た。鉄道も駅もない交通手段がない過疎地では、バスは生命線だ。それなのに、公共のバスも民間のバスもなくなってしまった。そこで、浜松市が遠鉄タクシーに委託したのがこの「春野ふれあいタクシー」だ。
町内には9路線あり、午前中に「定時定路」に運行し、午後は事前予約制となっている。運賃は距離によるが、300円~500円。近所のお婆さんは福祉センターに行くのを楽しみにしているようだ。仲間がけっこう乗車していた。
先日耕運機で荒耕したところを鍬で畝を作る。久しぶりに汗で下着がびっしょりとなる。周りの杉も花粉を散らしたいようで、茶色い花粉を膨らませている。
ここまでやっておけば、レーキで畝を整え、黒マルチをすればジャガイモの種や野菜の苗を植えられる。17時といえば暗かったのにずいぶん明るくなってきた。春の嵐は半端じゃないが、みんな春の到来を待っている。
畑の端にあった大石を移動する。オイラの髪の毛が邪魔だった「数年前」はこのくらいの石はなんとか持ち上げられたが、今ではとても持ち上げられない。無理しないで転がしながら移動する。最近はこのくらいの石は発掘していない。それほどに荒野から畑への移行が進んだんだなと、自分を褒めてやって、やる気をなんとか燃やす。
先日ずっしり重いジビエのレバーとキムチをいただく。捕りたての肉だということだったのですぐ調理をしていただく。血液検査のときいつも鉄分が不足しているという結果が出ていたので、毎日少しづつおかずに入れていく。
野菜と一緒に炒めたり、ラーメンに入れたり、うどんに入れたり、大量のレバー三昧を満喫する。田舎にいると、野菜中心の食事になりつい魚や肉が少なくなる。でも、いのししやシカ肉は事欠かないほどあるはずだね。
さらに、畑の白菜をあげたらお返しに「キムチ」が戻ってきたのだった。こちらも暖かいご飯時には常連となった。過疎のさなかにいると人とのつながりが薄くなりがちだ。そんなとき、時空を越えたつながりがあるとこうしたかたちで口にも入っていく。ありがたい。合掌。
グミを強剪定したので大量の枝が溜まっている。それを焚き木にしていつものようにうどんを茹でる。このところカラカラの天気が続いているので生木ながらよく燃える。
このところの陽気は春を感じさせる暖かさなので、水道の水も凍っていない。うどんをしっかり冷やしてから昼食にする。畑から白菜を採ってきて軽く茹でて出し汁に入れる。
定番の焼き芋や焼き魚は、長い枝を燃すのが忙しくて今回は珍しくできなかった。焚き火をする前にやって来た近所の人が焚き火処を「魅力的だね」と感心してくれる。昨日は風が強かったが、きょうは風がなく焚き火日和だ。3月は強風が多いのできょうはルンルンで焚き火を楽しむ。剪定した枝の山がなくなりきれいになったのが小気味いい。
端正な隠居から前々から出された課題図書、ジョセフィン・テイの『時の娘』(早川書房、1977.6.)を読み終える。英国推理作家協会が史上最高の推理小説100冊を発表(1990年)し、その1位となったのがこの『時の娘』だ。
『時の娘』とは、「真実は今日は隠されているかもしれないが、時間の経過によって明らかにされる」とする意味合いがある。舞台は15世紀のイギリス、貴族の内乱が30年も続いた「薔薇戦争」後半に活躍した「リチャード3世」の評価をめぐる小説だ。
シェークスピアの「リチャード3世」やトーマス・モア(『ユートピア』で有名)によれば、王は王子をロンドン塔に幽閉・殺戮したり周りの人間を粛清したりする残虐非道の人物だったとし、それが国民にスタンダードに定着している。
それに対して主人公の探偵とアメリカ人青年とが資料を駆使して推理した結果、「リチャード3世」を擁護していく物語だ。
日本も同じころ「応仁の乱」があり、歴史の悲哀・面白さ・共通を発見する。それ以上に、「古事記」「日本書紀」の記述や「蝦夷・アテルイの蜂起」など、いまだ歴史の勝ち組優先の「真実」が流布されている。
歴史を平板的にしか見ない歴史家に痛烈に批判するケイ女史の爽快な推理が小気味いい。随所にイギリス人らしいウィットに富んだユーモアがふんだんなのも大英帝国が育んだ余裕ということなのかもしれない。
ポピュリズムの蔓延は現代の課題というか、歴史の繰り返しというか、書店で『戦前日本のポピュリズム』という本を買ってしまった。トランプを産んだアメリカ、行政・企業の忖度・癒着に甘い日本、それらはどこからくるのだろうか。
年度末になると道路工事の風景をよく見ることがある。最近は電柱の工事が多くあり、そのため路上で車の一時停止を求められることが少なくない。昔は作業員が電柱を直接登って工事することが多かったが、今は「高所作業車」を使っていることがほとんどで、なかなかかっこいい。
それが最近、わが家のすぐそばで行われた。近隣の人が電圧をあげたせいかもしれない。電柱のトランスを新しいものに変えたようだ。赤と青のコードが見える。
欧米では電柱の地中化が普通に行われている。それは地域計画の哲学が明確だからだ。目先に追われる日本の「まちづくり」の雑多さは景観を貧しいものにしている。自然環境でさえも利益優先の杉・檜だけの山にしてしまっている。予算をどこに使うか、そこにロマンと希望が込められているのか、つい冷めた目でみてしまう。
地味なフロントエンブレムの「オペル」を発見。ドイツのオペルさんが創業したものだが、現在はフランス系のプジョーシトロエンに買収されてしまった。ロゴは、「稲妻」を表し、結束とか強さ・テクノロジー・ダイナミックとかを表現しているそうだが、日本では新車の販売はなくなった。つまり、在庫だけの絶滅危惧「車」というわけだ。どおりでなかなか会えなかったわけだ。
最近、軽自動車でもかわいい「葉っぱ」のデザインに出会う。これはトヨタの子会社「ダイハツ」の、社運を賭けて低燃費と安い価格で実現した「ミラ・イース」だ。「イース」とは、エコロジーとエコノミーの「E」と、スマートの「S」をかけた造語だ。これらの表現と葉っぱとがどうかみ合うかはよくわからないが、これを運転している女性が多いので、女性には人気がありそうだ。エンブレムの中央のマリンブルーのような緑色が際立つ。
畝づくりの準備として、のんびりながら黒マルチを除去したり、雑草や石を取り除いたりしてきた。肥料や石灰を撒いていよいよ耕運機の初めての出番となった。しばらく耕運機を使わなかったが、すぐエンジンが始動できたのでホッとする。
以前は石が多くて耕運機が左右に揺れるダッチロールがひどかったが、今は石自体が小さなものだけになってきた。ススキなどを畑に漉き込んできたこともあり、耕運機の軸にそれが絡まってしまうのがやや心配。とりあえず、畑全体の三分の一を耕したことになる。まだまだやることが多いが、耕運機を使えたことが「初めの一歩」となる。
家のすぐ近くからネコの激しい喧騒が聞こえた。あまりに大きな声なので行ってみると、ネコがイタチでも捕まえたように見えた。しかしよく見ると寝ころんでいたのがネコだった。勝負があったのか、寝ころんでいたネコは恭順の姿勢で敗北を示したのかもしれない。
国道の方を歩いていたら、崖の網の中に事切れている「アオバト」がいた。おそらく、ネットの隙間に落ちてそのまま抜け出せなかったように思えた。きのこ 狩りに出かけたときもこうした崖のネットの隙間に落ちる恐怖を感じたことがある。ネットのある断崖に立ち入ると転落もあるので、そこはコースを間違えているということを痛感したことがある。アオバトの「ワーオ、ワーオ」と遠吠えのように鳴く声をまた聞かせてもらいたいものだ。合掌。
昨日の午前中に集落の女性部による「蕎麦会」に参加する。100%蕎麦粉の手打ち蕎麦を作ってみたがかつての感覚をすっかり忘れていた。水分が多すぎたので蕎麦粉を加えたり、指がひっかかって穴を開けたり、太さもうどんのようになったり、記憶力も行動もますます減退している。なんとか、煮込みうどんをみんなで食べることができたが。
そこに、手づくりの生姜佃煮、ミニメロン漬物、クサギのミズの佃煮が近隣から出される。それがじつにうまかった。とりわけクサギの佃煮が大葉の佃煮のような味がする。これは地元独特の山菜だ。ネットで調べても出ていない。これは特産物にすべきものだが、ゼンマイと同じように揉むのが面倒らしい。
そのうちにまた、イノシシのスライス肉がどんどん出てくる。それをニンニク入り胡椒を振りかけて焼いていく。あらためてイノシシの旨さが口内に充満する。男性は酒を媒介に「いつもの話題」に腹を抱える。女性はチームワークよくてきぱき食事の手配・片付けをこなしていく。男性中心社会であるのが気に入らないが、都会のように地域的に孤立している人間関係よりは田舎らしい。