山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

イヌの「干し芋」が新米10kgに変身!?

2024-10-30 22:12:37 | 出会い・近隣

   先日スーパーに買物に行き、安かった値引きの干し芋をゲット!! さっそく、家で齧りついたら柔らかいはずの干し芋がかなり硬い干し芋だった。値引きだったから硬いのもしょうがないかと思いながら、改めてその袋を見たら犬用の餌だった。これにはさすがにキャイーーン

 だもんで、近所にいるお犬様に献上することにした。そしたらその後、お犬様からなんと地元の田んぼで採れたばかりの新米をいただいたのだった。

 

 わが家は玄米食という近隣では考えられない食事をしているので、お犬様はわざわざ玄米を、それも10kgもお返しとして進呈してくれたのだった。これにもキャイーーンだ。最近は米作りの後継者がいなくて田んぼが危ないと危機感を持っているようだが、打つ手はいつもながら内輪での解決のみ、というのが実態だ。

 

 5~6年前までは、田んぼの真ん中で神社の注連縄を作るのが恒例だったが、コロナ禍を引き金に作らなくなり、今では高価なビニール製の注連縄となった。それは同時に、地域を中心に担っていた団塊世代前後の高齢化とその体調の減退が目に余る。といっても、かく言うオラはまもなく80歳代にお呼びがかかり戦力にならない。つまり、日本全体がそんな社会になり活力の行方がもどかしい現状だ。こうした失態を長らく放置してきた政治家や経営者の責任は大きい、そしてそれをボォーとしてきたオラや国民の無関心のツケが今に来ている、と痛感する。

 

 稲刈りが終わった田んぼを見に行ったら、イノシシ除けの電柵が張りめぐされ人間も通ることができない。心の癒しを育む散歩コースは人間も動物もログアウトしてしまう真空地帯となった。とはいえ、そのおかげで、今回は害獣からの被害はなく、無事稲刈りを完了し、そのおこぼれがわが家にもやってきたというわけだ。今は手を合わせてこの玄米をおいしくいただき、日々いのちを持続させてくれる食物に感謝の念を捧げるばかりだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「乞食」か「甑(コシキ)」かそれが問題だ

2024-10-28 22:49:03 | 植物

  しばらくバタフライガーデンの一角に行かなかったこともあり、草刈りのためにその一角に直行する。すると、思い当たりのあるバラ科の植物が一大勢力となって周りに君臨していた。「コジキイチゴ」だった。長さが4mくらいになり自分で支えられないのでまわりの木にもたれながらもつぎつぎ枝を伸ばす厄介者だ。これを放置していたら大変なことになると、根っこから掘り出していく。

 

 しかし、枝は鋭い棘だらけで、触ると痛そうな腺毛も密集している。普通の軍手ではとても痛くて触れないので、急遽厚手の皮手袋をはめて枝を鋸で伐っていく。それを運搬すると棘が足に絡まったりしてまさに、ジャケツイバラのようにこちらの体が棘で捕縛されてしまう。さいわい鎌を持っていたので、細い枝を何とか切りながらの作業だ。

 

 名前の由来は、諸説あるが有力なのが、果肉が薄い袋状だった様子から、弥生時代に蒸し器として使われた土器・「甑」に似ているので「コシキイチゴ」⇒「コジキイチゴ」となったという。または古来からの在来種に「小字」という品種がありそれに似ていることから「コジキイチゴ」になったという説もある。卑近な例では、乞食でも食べないくらいうまくないイチゴなので命名されたという俗説もある。

 

 橙色の果実はいかにもキイチゴらしい外観だけど、ほんのり甘みはあるものの果肉が少ないのでもの足りないのは事実。だもんで、だんだん食べなくなってしまう。そのうえに、繁殖力が強くまわりの木に覆いかぶさってしまい、相手の成長を阻害してしまう輩なのだ。根元の太さは3~4cmはあったように思う。地域によっては絶滅危惧種に指定されているが、とても大事にしようという気は起きない。その点、ジャケツイバラは冠のような見事な黄色い花を見せてくれるので棘の威力は半端ではないがつい寛容になってしまう。

 

 乞食イチゴという差別的な名前を付けられてはいるが、花ことばは「純粋な愛」。清楚な白い花は絢爛さには欠けるけれども修道女のような控えめで、芯の強さがある。とはいえ、長い棘だらけの枝の肢体の処理には困った一日だった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古代日本に海人族あり

2024-10-26 21:05:39 | 読書

 オラが縄文人に興味があるのをブラボーさんは見抜いていて、その縄文人を凌いだ海人族の勇往なエネルギーを描いた漫画・諸星大二郎の『海神記(カイジンキ)』3巻(潮出版社、1992~1994年)を送ってくれた。時代的には空白の4世紀と言われる古代日本を揺るがした九州から北上する海人(アマ)らの物語だ。この時代の歴史研究は今後の考古学の成果を期待したいところだが、著者が90年代に海人族に早くも着目したところは群を抜く視点でもある。まさに、漫画ならではの想像力の手法が生かされた世界が展開されていく。

  

 邪馬台国の卑弥呼が亡くなり、その後ヤマトから派遣された倭軍が朝鮮半島に介入していくなか、この頃より7世紀頃まで戦火にいた渡来人が日本に移住していく、という背景がある。。第1巻表紙にある「七支刀(シチシトウ)」は百済王から倭王に贈られたものだが、本書ではミケツという少年がその宝剣を持つ。柳田国男が海の神は子どもの姿をしているという民間信仰があったことを伝えていたが、著者はそれをヒントに海神(ワタツミ)を海童(ワタツミ)として登場させ、混乱する諸国平定のヤマ場で宝剣を掲げていく。なお、当時の九州は統一されたクニはなく、「末羅(マツラ)」「伊都(イト)」「奴(ナ)」などの小国家が分立していた。

 

 著者は百済亡命者の軍人が海人族を担っているというパワーの強さも配置している。また、博多周辺で交易を担っていた安曇族もそこに参画している。が、安曇族がなぜそこに関与していったか、そしてなぜ山奥の長野「安曇野」に移住したのかが興味あるところだ。祭事にはデカイ大船の山車を繰り出す理由のからくりもそのへんにあるようだ。これだけでもドラマになる。残念ながら本書はそれには触れていないが、続編があればきっと掲載されていくことだろう。

 

 海を舞台とした物語だけに海の持つ人間の存在を超えるパワーを勇壮に描いているのも本書の見どころだ。また、丸太をくり抜いただけの小船や百済人が乗っているモダンな大船などその描写も時代考察を研究されているのがわかる。そのほか、服装・装飾・刺墨・仮面などもよく調べてある。

 個人的には、著者の人物の表情がどの作品も生硬なのが気になる。登場人物が多いせいか、だれだったかしばしばわからなかったので、登場人物をコピーして読んだのが正解だった。髪型・髭・帽子・刺青・眉毛などの違いが分かってきた。

  

 著者は、「古事記」や「日本書紀」をずいぶん読み込みながら同時に解明が充分されていなかった海人たちの進取の生き方にスポットを当てているので、読んでいて歯ごたえがある作品になっている。神武東征をモデルにした気配があるがスーパーヒーローが出てこないのがいい。また、シャーマンの女性の存在が大きいのも時代を感じさせるとともに男性中心になりがちな歴史物に堕していないのも好感が持てる。また、海童の子どもらしい振る舞いが戦乱の多い物語ではホッとする。

  

 日本人のルーツ・古代日本の成り立ち・神道のルーツなど根源的な問題と対峙しながら描かれた本書のスケールの魅力に強烈なファンがいる。そのため著者の作品は入手が困難なものが多い。ぜひ、続刊が望まれるがその壁の大きさに著者は呻吟としているに違いない。しかしながら、現代の宗教が世俗的に堕し、「どうにも病んだ世界に見えるのに比して、古代の神々は混沌とした力強い生命力に溢れているように思える」という著者の結びが珠玉な輝きを持つ。

       

「古代における神と人々との拘わり」を「海の匂いでまとめた物語」にしたいという著者の狙いは遅筆で苦しんだぶん、読者に伝わっていると思えてならない。私小説風の狭いミーイズムがアニメや漫画を席捲しているなか、本書の壮大なダイナリズムは記念碑的な作品となっている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チンチロリンからリーリーへ

2024-10-23 23:08:03 | 生き物

 先月末からときどき「アオマツムシ」(マツムシ科)がやってくる。からだが平べったくて左右のレモンイエローのラインがお洒落だ。オスは背中の模様が幾何学的だそうだが見たことはない。やって来るのはどういうわけかいつも緑一色のシンプルな装いのメスばかり。

 文部省唱歌「虫の声」の「あれマツムシがないている チンチロチンチロ チンチロリン」という歌詞が懐かしい。マツムシは実際に「チッチリ、チッチリ」と鳴くらしいが、「アオマツムシ」は「リーリー」とうるさいくらいに鳴くという。「青マツムシ 黙らすほどの 雨ならず」(片山由美子)と俳句で詠まれるくらい大合唱だという。わが家に来るアオさんはおとなしい。

 

 それより、好奇心旺盛で和宮様の料理レシピをじっと研究して動かない。ひょっとして餌がなくて腹がすいていたのかもしれない。アオマツムシの餌といえば広葉樹の葉や虫の死骸だからね。バッタと言えば草むらにいるイメージだが、アオマツムシは樹上にいることが多いという。樹上の方が安全だからだろうか。

 

 次にそのアオマツムシが向かったのはパソコンだった。知的好奇心が旺盛なのかもしれない。近くにいると作業の邪魔になるがそのしぐさを観るのもなかなか面白い。触角の髭を丸めて口できれいに磨いていることさえある。マツムシは激減しているが、暑さに強いアオマツムシはどんどん北上していてまもなく北海道へ生育圏を進出する勢いだ。明治になって中国から江戸にやってきたという帰化昆虫はやはりたくましい。ウマオイやコオロギが跋扈しているわが家だが秋の夜長の演奏会をいつやってくれるだろうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そして祭りは終わった!?

2024-10-21 20:57:26 | 出会い・近隣

 昨日は地元地区の祭りだった。コロナなどの影響で祭りは神事だけだったりだが、若者パワーで祭りを再現し、山車も繰り出した。その前日は、わが部落の神社で神主をお呼びした神事が行われた。コロナ前は部落で神事の後に「直会(ナオライ)」を盛大に開催し、過疎でもささやかな晩餐を共にしたものだった。

 しかし、コロナを引き金にして急速に後期高齢者の疲れが噴出するとともに、部落の老朽のお宮の鳥居を鉄パイプにしたり、幟も新調せざるを得なくなった。それ以上に、田んぼの稲藁で毎年作っていた注連縄もやめてビニール製の注連縄を購入した。体が重くなり足を引きずっているような年金生活者にとっては年金の一部でそれらをパスしてもらおうというわけか。

 

  また、神社の神饌物に部落から柿が寄進されたが、今年は夏の酷暑の影響やカラス・野鳥の食害で集まらなかった。わが家には2本の甘柿があるがそれぞれ1個だけという惨憺たる結果だった。かように、自然も神社も人間も社会も後期高齢者と化した。これからの日本の活力の源泉は教育による人間力しかないと思われる。

 

 来たる選挙の要望は、いつもながら景気や経済を第1位にあげるけれど、それは表面的なムードでしかない。日本の将来を考えると少子化に歯止めをかけ、教育費に予算をかけていくことが国家の計だ。すぐ効果は現れないけどね。それは自然エネルギーの開発やIT事業の戦略などにかかわる。なにしろ、食料自給率の酷さはもちろん、国産のパソコンが事実上全くないという体たらくだ。それらを放置して利権にいそしむ今までの政治屋の責任は大きい。オリンピックや万博の祭りに群がる利権屋の思惑を喝破する太刀を磨かなければならない。場末の神社の「きんぞく」疲労はそんな災厄の結果なのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぎこちない言い訳する熊五郎を温かく

2024-10-19 21:57:26 | アート・文化

 柳家小三治の古典落語の人情噺「子別れ①②」をCDで聴く。と言っても、いつものように車の運転をしながらだけど。一般的には、子別れは「上中下」の三部構成の長編大作だ。「上」編は主人公の大工・熊五郎が弔いに行くと言って酒びたしのまま吉原へ、「中」編は4日間吉原にいてから帰宅して妻と大喧嘩して離婚、「下」編は改心した熊五郎が息子と会う、という流れ。本CDはそれらを2枚のCDに編集している。

 

 1枚目のほとんどが、酔っぱらいの熊五郎オンリーパレードだった。ほかの落語家ではできないような迫真の酔っぱらいが充満する。ストーリーというより得意の「まくら」のようなノーマルなさりげない語りに笑いを誘う、これだけで見事な名人芸だった。このダメ人間再生物語は、名作「芝浜」と似ているストーリーだ。本作は、幕末に活躍した初代春風亭柳枝(リュウシ)の創作落語で、それが現在にまで受け継がれていったというから、古典落語にふさわしい重厚な題材でもある。

 

 最近では、春風亭小朝の愛弟子の「五明楼(ゴメイロウ)玉の輔」や金原亭伯楽が「下」編を演じた「子は鎹(カスガイ)」や、おなじみの「立川志らく」の「子別れ」も見聞きしたが、小三治が笑いを取った同じものを彼らが演じても笑いが取れない余裕のなさが残念。ただし、酔っぱらい役がいまいちだった「志らく」が、言い訳がましい熊五郎が息子の亀吉や妻からの問いにどぎまぎしてしまう姿が好演だった。志らくの優しいまなざしがにじみ出ていたのが出色。

 いっぽう、古今亭志ん朝の「子別れ」は聴衆の心に届く歯切れの良さはさすが天才肌が良く出ていた。泣いてしまった聴衆もいたという。小三治・志ん朝・五代目圓楽・談志らの落語を聞いてしまうと筋を追うだけの若手の落語家の凡庸さが残念ながら際立ってしまう。

  

 小三治の熊五郎は本当の酔っぱらいに聞こえたほどの名演技であるとともに、人情噺の中にもしっかり笑いを加味しているところはさすがの人間国宝だ。人間のちょっとした所作や機微を見逃さないディテールが強みだ。前編の熊五郎の泥酔と吉原遊びから後編の妻子との再会での熊さんのどぎまぎの変化が人情噺の深みを醸し出している。小三治の代表作と言ってもよい長編噺だ。五代目圓楽だったらいかように演じたか聞きたかったが、酒をやらない圓楽には難しかったに違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱりハナモモが狙われた

2024-10-16 23:11:24 | できごと・事件

 近所からいただいてきた30cmほどのハナモモの苗5~6本を大切に育ててきた。それが120cmくらいに育ったので、それを9月中旬にバタフライガーデンに植え付けたものの、さっそくシカに食害されてしまった。防獣柵はある程度補修されたので安心していたが、どこから侵入されたのか当局が調べ中だがなかなか結論が出ていない。現場には食べるものが少ないので、ハナモモの若い芽と枝の先端を食べてすぐ退去した模様だ。

  

 植えた3本はすべて若い先端を食べられていた。もちろん若葉はすべて食べられていた。さいわい根元から折られたり、ぐちゃぐちゃにされていなかったのは、かなり周りを気にしながら慎重に食べたようだ。この3本にとってはもちろん初めての食害だった。

 あわてて、古い肥料袋で行燈仕立てで保守防御をしてみたが、見栄えも悪いし、支柱も脆弱で、二次被害を踏まえた対策が必要だ。といっても、ガーデンの広さを考えると頑丈な防獣柵をやれるほどの予算がない。  

  

 前に植えといた2mほどのハナモモは無事だった。行燈仕立ての肥料袋がしっかり防御してくれていた。ついでに、破れたところを補修してみたが見るに堪えない。シカもある程度樹木が太くなると食害が止む。あと数年はかかりそうだ。

 また、2年前に植えたハナモモも3m近くに成長しようとしている。何度か柵が壊されたが食害は免れている。雑草が防御してくれているのかなー。というわけで、まだハナモモは開花には至らないが、のんびりシカとお付き合いしている。最近は手作りの防獣柵が整備されつつあり、シカもわが菜園には来なくなってきたものの、これから冬を迎えるとともに、手段を選ばない強行策も想定しておかなくてはならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜそこに!?

2024-10-14 21:57:51 | 生き物

 和宮さまが突然叫んだ。「 なんでそこにー!?」と、シンクにいた「サワガニ」を指さす。雨の日にサワガニが玄関に進入したことはあったが、台所のシンクにまで進出したのは初めてだった。どうやってそこまで侵入したのかがまったくわからない。今まで発見したのは地べたや床がほとんどで、1m以上の高さにまでどうやって登って行ったのかが謎だ。

 

 わが家の貧しい家計を見かねて「食べてもいいよ」とでも言いにきたとしか思えない。だけど、以前「サワガニは悪い虫がいるから食べてはいけないよ」とジイヤから聞いているから、食べるのは勇気がいる。茹でて食べれば問題ないかー。ふつうは、雨模様のさなかにやって来るというのにきょうは晴れだよ。

  

 そして、畑で耕運機で畝立てしようとしていたら、突然アブがやってきた。というのも、直前に肥料として安い鶏糞を撒いたためらしい。大きさからクマバチのように見えたが、「オオハナアブ」だった。鶏糞を撒いてから数分しかたっていないのに、このやってくる速さには舌をまいてしまう。

  

 それも、数匹がやってきたから連絡を取り合っているのは間違いない。名前はアブとなっているが人間には刺さないハエの仲間だ。人間の嗅覚からでは到底できない昆虫の超能力だ。兵器を開発するより、これらの生物研究を支援する国のプロジェクトがもっと強力にあってほしいものだ。源氏物語が世界文学としていまだ評価が高い意味を考えると、文学をもっと応援すべきだ。また、アニメや漫画も中身のある作品を支援するべきだ。

 

 ついでに、いつも焚き火をする庭にサツマイモが侵入してきたらしい。当局は全く覚えがないという。この場所は焚き火で草木灰を作るために雑草や枝をふだんから積んであるところなのだ。ひょっとすると、サツマイモの断片が捨てられたのかもしれない。ここで焚き火をすればそのまま焼き芋ができるという算段だ。神のなせる慈愛はやはりわが赤貧を慈しんでくれているのを感じ入る。

 わが気ままな放任農法、「なぜそこに!?」もいよいよ本格的になってきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くずし字はパズル!?

2024-10-12 09:22:28 | 読書

   役者絵の粋な浮世絵に魅せられて間もないが、その画面の中に俳諧・狂歌・川柳などが出ている場合がある。でもそのほとんどはオラの力では解読できない。そこで、使われている「くずし字」を知っておけばわかるようになるのではと、油井宏子『古文書くずし字・見わけかたの極意』(2013.4 柏書房)を読んでみた。動機は安易だったが、ひらがなは漢字にルーツがあることは分かったものの、同じひらがなでもいろんな漢字が使われていて、さらに崩し方も多様であるのがわかった。

 少なくとも、本書は5~6回は読み直す教科書的な価値はある。だから、くずし字のルーツを知る楽しさはパズルのようだった。しかし、予想以上にそれが難解でもあったのも誤算だ。

 

 たまたま目にした歌舞伎役者・中村芝翫(シカン)の「団扇絵」の俳諧を調べることとなってしまった。風鈴の下の句の「涼しさや」までは読めたが、そこから先が進めない。もちろん、その下の扇子の句も解読不能。最初からつまずいてしまった。本役者絵は、明治維新前年の慶応3年(1867)に混乱の江戸で上演し発行されたもの。どんな役柄だったかがわかると解読のヒントとなるのだけど。

  

 一つの字がわかっても、センテンスとして意味が通じないと判読したことにならない。まるで、始めて外国語に遭遇したような気分だ。だから、江戸庶民は読み書きが大変だったと思われる。だから、世界でも指折りの民間学校の寺子屋や藩の学校が隆盛したこともうなずける。 

 

 なりゆきで 、字典を購入して一字一字解読をしてみたがなかなかの迷宮入り作業となった。何度もやめようかと思ったが、部分的に解読できた喜びも無視できない。書道の心得のある方には書き順がわかるようだが、それが苦手のオラには道は遠い。解読できたと思う方はぜひコメントくださいね。

 

 参考までに、百人一首に出てくる紫式部の和歌で一句。「めぐりあひてみしや それともわかぬまに  雲かくれにし 夜半の月かな」と読めた方は才能あり。(菅野俊輔「江戸のくずし字入門」から)

 これからもしばらく、くずし字とのにらめっこが続くようだ。後期高齢者になり、あとがないのにもかかわらず時間が足りない。長い昼寝・朝寝はしっかりとっているけど。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スーパーフード「アマランサス」一本!!

2024-10-09 21:46:52 | 野菜・果樹

  春に「アマランサス」や雑穀の種を蒔いたところまったく芽が出なかった。芽の出る気配がなかったのでそこにインゲンの種を蒔いてしばらくしてその収穫をしていた時だった。ケイトウの花のようなものが出ていたので駆除せずそのままにしていたら、なんと2mほどの高さになってしまった。そこであらためて、これはアマランサスではないかと思い当たる。インゲンはすっかり収穫が終わり片付け作業をして、次の畝立てを開始しようとした時となっていた。ひょろっとしたアマランサスは倒伏の恐れがあったので支柱を打ってとりあえず補強することにする。

 

 アマランサスは、和名で「ヒモケイトウ」と言われるほどイネ科の雑穀ではなくヒユ科に属する。したがって、日本には鑑賞植物として江戸時代にやってきた。しかし、アマランサスは南米ペルー原産で、BC6年ごろのアステカ文明では主食で栄養価が高い植物だった。精白せずそのまま茹でたり炒めたりできるリン・マンガン・鉄などのミネラル豊富なスーパーフードとして最近は注目されているが、まだまだ知られていない。

   (画像は岩手・富沢商店から)

 WHOはアマランサスを「未来の植物」として評価をしている。近所でも一時栽培していたようだがいつの間にか消えてしまっていた。日本の白米至上主義の現状では雑穀で生業を営むのは難しそうだ。わが家のように玄米に5穀米をブレンドしている家はまだ異端でもある。低カロリーで老化防止や便秘にも良いというのに、築きあげた旨味をちょっと下げることは抵抗がある社会意識だ。だから、電力を減らすことより便利さのために原発もやめられない。日本の政治に利権が絡まる構造をなかなかやめられず許してしまうのと似ているというと飛躍だろうか。

 アマランサスの収穫は来月上旬ぐらいかもしれない。その間に台風が来ないことを祈る。初めての収穫を待って健康を維持したいものだ。きょうから衆議院は解散し選挙が始まる。変わらない政治に期待はしていないが、今回は政権交代が予測できそうだ。しかし、野党は批判ばかりで成熟していない。大きな過ちをしたら政権が変わる風土を育てないと政治は変わらない。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする