昨日は、プレイパークの遊具づくりの助っ人に行く。5日に県の公園で行う冒険遊び場に使う遊具を作るという。今まのプレイパークは、人がある程度集まると近隣から苦情もあり、個人の場所ではなかなかその確保が難しい。地方では開けた平地がないこともあるし、人もどんどん少なくなっている。地域で子育てする担い手が激減している現実。子どもも大人もマイホームという洞穴に封じ込められるから、そのストレスやもやもやが人格解体を引き起こし、事件にも「拡大」してきている。
そんななか、幼児を持つ30代の親を中心にプレイパークを準備・運営するというのだ。渋谷に行けばひまな若者がわんさといるというのに。ここでは8人ほどの大人が大工仕事や炊事に汗をかいている。
オイラは様子を見て、遊具そのものの制作は若者の発想に任せて、側面からのフォローに徹することにした。若い親や幼児たちの腹ごしらえのために、大量にいただいていた「里芋」をダッチオーブンで蒸すことにした。さいわい、近くに乾いた樹の根っこや枝の山があったので、「薪」には苦労しなかったのがうれしい。
アルミホイルで焦げるのを防止した効果があったようで、強力な火力にもかかわらず焦げつくのはあまりなかったのが幸いだった(画像は蒸す前)。ただし、アルミホイルを二重にした「焼き芋」は取り出すのが遅かったせいか、おこげが多くなってしまった。いっぽう、七輪で沸かしたお湯で「コーヒー」を楽しむのは定番となった。中心のフキちゃん夫婦らは、忙しい合間に薪で炊いた羽釜のご飯と野菜たっぷりのみそ汁をお昼に作ってくれた。
子どもたちは慣れたもので作られてきた部品でさっそく遊びを創造している。ゴルフボールを流して木琴や鉄琴の音やコースを外れた意外性を楽しんでいた。この緩やかな空間には、韓国の群衆雪崩の悲劇もロシアの一方的な地域抹消・人間の殺戮もない。日本の真綿に絞められたような軋轢やストレスは、仮装で表現するしかないのだろうか。それでしか注目されない若者の「孤独」を感じる。
「書を捨て、街に行こう」ではなく、「都会を捨て、田舎に行こう」が最も先駆的なクールとなった。穏やかな秋空の下、ここでは同じ若夫婦のつながりがある。そこには緩やかな信頼・やりがいの共有がある。さらにそこへ、高齢のエンジニア・山猿さんも豊富な経験値を側面から投げつけてくれる。
そこへ、徘徊している鶏が食べているご飯を狙ってくる。傍らにご飯を置くとあっという間に群がってくる。油断ならないが人懐っこい。攻撃的でないので子どもたちもひょいと抱きかかえる。この山に囲まれた風景に溶け込んでいる。
この褐色の鶏の品種は「もみじ」というらしい。茶色の卵を産む。肉や骨はラーメンや中華料理のスープの材料としている。この足部分を甘辛く煮込んだ大分県日田市の郷土料理にもなっている。この足が「もみじ」の葉に似ているから命名された。この鶏の「種」の94%を輸入に頼っているという。輸入がストップされると日本の養鶏は壊滅的な被害がある。したがって、国産は6%だから、ここでも食料自給率が問われる。
そんな背景は別にして、「もみじ」諸君の食欲は旺盛だ。それでも、野放しの「諸君」を見ていると心が穏やかになってくいく。のんびりやの鶏諸君・汗を流していた親子の諸君。これらの光景を共有していく日本にならなければならないとつくづく思う。壁は韓国や渋谷のハロウィンの圧殺のようにそれは残酷であるのが現実だ。それでも、ここの空気と空間には希望に満ち満ちている。