なんと、半世紀ぶりに映画「戦艦ポチョムキン」のDVDを観た。1905年、ロシア革命の先陣を切ったと言われる歴史的な事件を題材とした白黒映画だ。細かい内容は忘れていたが、オデッサの広い階段に並列した兵隊が次々に民衆を射殺していく有名なシーンだけは忘れていなかった。
1925年に公開されたセルゲイ・エイゼンシュタインが監督・脚本を担当、その映画作りの教科書と言われる表現と技法は今見ても確かに斬新であるのは間違いない。ソビエトのプロパガンダ映画の限界はあるにしても、その後の映画界に大きな影響を与えた。
このDVDを貸してくれたブラボーさんは、「<腐った肉>が某スターシェフによってマルクス謹製のソースでマル共印のスープに調理されて百年後の新生ロシアを育てた?」「現時点で<戦艦ポチョムキン>は実効力を伴った正当でグローバルな共産主義のプロパガンダと評価してよいのか?」との疑問を踏まえての課題提出だった。それは当然、現在のロシア・ウクライナとの戦時体制の状態を考慮したものでもある。
晩年のエイゼンシュタインは「イワン雷帝」で事実上のスターリン批判を始めたことで三部作が廃棄されて未完となってしまった。それで今回、前編である「イワン雷帝」のDVDも入手したみた。
さて、エイゼンシュタインというと、「モンタージュ理論」による映画手法がよく取りざたされる。それはそれぞれ違うカットの映像をつなげることで効果を拡大することにある。「映画史上もっとも有名な6分間」と言われるオデッサの階段シーンでは、逃げ惑う人々・殺された子を抱き上げた母のアップ・破壊された建物のがれき・ロボットのような迫り来る兵隊たちなどが、ショスタコーヴィッチの音楽とともに、その場の臨場感と喧騒、人々の悲しみや怒り、狂気の全てが表現される。
ついでに、 この映画には エイゼンシュテイン自身が神父役で出演しているのも見ものだ。死んだふりをして、目を開けたり閉じたりしている狡猾さをうまく演じている。また、「ポチョムキン」は、女帝エカチェリナ2世の寵臣でクリミアを併合したり、黒海艦隊を創設したり、露土戦争の総司令官を務めた軍人の名前である。
その意味で、ロシアが実効支配している黒海・オデッサの地政学的な存在は、今後の希望を拓くことになるのかどうか、注目したいところでもある。どちらにせよ、ロシア帝国的な体質を温存したままではブラボーさんが危惧しているように、戦艦ポチョムキンの反乱の意味が表面的に終わってしまうことになる。
現実の世界では、オデッサの階段どころか建物が破壊されつくし、衣食住の生存の基本を奪われ、2万人近くの子どもが拉致されているのがウクライナの今日だ。半世紀前の日本の大学だったら各大学でベトナム反戦ならぬウクライナ支援の学生運動が起きたに違いない。学生の牙はすっかり抜歯され、団塊の世代もすっかり企業戦士としてエネルギーを使い果たし、「青雲の志」は濃霧となった。
戦後の財界人も政治家も社会貢献をする発想が欠落し、儲けと利権だけを得ることに汲々として、いわゆる今日の「政治と金」の構造を産み出してしまった。スマホやパソコンを使っていると結局はGAFA(Google/Amazon/Facebook/Apple)を始めとするアメリカ企業の戦略の餌食にされ、「楽天」の三木谷浩史社長が指摘したように「日本はアメリカの<IT植民地>になってしまう」壁をいつも実感してしまう。
「オデッサの階段」は権力の非情さの象徴でもあるが、世界は現代版オデッサの階段を克服できるだろうか。また、日本では民衆や政財界人の大脳に刻印されてしまったアメリカへの従属意識・植民地化奴隷意識を除去するのは戦後80年近くなるというのにかなり困難だ。せめて、アニメやゲームで課題をそらし媚びるしか道はないのだろうか。
〉どちらにせよ、ロシア帝国的な体質を温存したままではブラボーさんが危惧しているように、戦艦ポチョムキンの反乱の意味が表面的に終わってしまうことになる。《引用終わり》
このセンテンスは武兵衛さんの完全な誤読です。
ブラボーは「危惧なんかしていません」むしろ歴史的な帰結としてみています。
------------------------------------------
以上を必ず補足していただけるようお願いいたします。
確かに黒海艦隊内には九月に起こす反乱計画はあったが、映画でポチョムキンが六月に独断専行で始めた反乱に黒海艦隊が同調したように描かれているけれど実際は数隻のみであったことは他の文献に記録されている。途中で離反して艦隊行動を続けることはなかった。
本作のハイライトである「オデッサの階段」のシーンに相当する日時や詳細など歴史的記録の文献や著作をいろいろ調べていますがはまだ見つけていません。
武兵衛さんも既に通読されていると思いますがウィキペデア等ではこのシーンは創作であると示唆しています。
端的に言えば、この映画はモンタージュという技法を多くのシーンで駆使したプロパガンダ映画であるという事実です。
ポチョムキンの艦砲射撃とライオンのカットバックなどいかに権力は残酷かという見事な革命原理のプロパガンダですね。
もっとも語るに落ちるところもありました。 例えば「腐った肉か、ウジ虫が湧いた肉か」「乳児を乳母車に乗せてデモに参加するか」
その面では娯楽映画には「オデッサの階段」と呼ばれるシーンがパロディともとれるかたちで用いられます。
むしろ映画技法と離れて武兵衛さんが心配する「ポチョムキンの反乱が表面的に終わる」ことに対して、老生には二十一世紀の出戻りロシアをどう考えるのか、(資本主義もないところに起こった共産革命は何だったのか)がこの映画から得る課題となるはずです。
武兵衛さんは先回「ヴナロード」(人民の中へ?)に言及されていました。 「石川啄木の」と括られていましたが、老生は「ナロードニキ」へ思考を飛ばせました。
農民の中へ向かったロシアの《ヴナロード》インテリは挫折し、レーニンが小単位の海軍組織に目をつけて送り込まれた黒海艦隊の内の一隻がポチョムキンだったことは間違いない。また戦後日本の山村工作隊が農民に受け入れられなかったのも事実でした。
石川啄木はブルジョアジーの中で生きていたように思えるのですが