山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

驚嘆の韓国製ジューサー

2023-11-29 22:17:30 | 特産品・モノ

 ほぼ毎朝のように飲んでいた「野菜ジュース」で活躍していたジューサーがいろいろガタがきたので新しく変えることになった。今までのはシャープ製の中古品だったが、今回は韓国製「クビングス(kuvings)」のジューサーにしてみた。その理由の一つは、高速回転するジューサーはその摩擦熱で酵素がジュースに混入してしまい酸化するので、低速回転でしかも早くジュースができるジューサーにしてみたいということだ。

        

 さらに、従来のジュースづくりは、野菜や果物を小さく切らなければならなかったり、部品の掃除も面倒だったり、忙しい朝としては時間や労力がかかるなどの課題があった。そこで、価格が3~4倍はしたが思い切って低速で強力なジューサーを導入することとなった。ほんとうは日本製にしたいところだが、今回選んだ韓国製のほうが技術的にすすんでいる気がしたのだった。

       

 野菜や果物は大まかに切ればあっという間にジュースになったのにはしばし感嘆するばかり。今まではジューサーが動いている間にいろいろ朝食や洗濯の準備ができていたが、今回はそんな余裕?もなくジュースができてしまう。この点では日本製でもよかったが、後片付けの洗浄に手間がかかる「ストレーナー」の網の部分を掃除する「回転洗浄ブラシ」という新兵器?にびっくり。ジューサーへの愛情と技術的工夫への心意気が感じられる。

      

 最近のジュースの色が見事だった。黄色は黄色いパブリカやミカン、緑色は甘長トウガラシ・キャベツ・キウイ、赤っぽいピンクは冷凍していたブルーベリーやニンジン、白色はトウガン・リンゴなどが反映されていた。季節によっては旬の野菜や果物が投入されるので色合いも違ってくる。もちろん、自家製の野菜や果物が主流で、近隣からいただいた野菜・果物も添えられる。そこに、酢・梅肉エキス・カボスなどで味を調整する。甘味と酸味とのバランスを図るが毎回味が微妙に違うのが楽しみとなっている。市販するとしたら一杯1000円はどうかと胸を張る??

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高級緑茶かそれとも…

2023-11-27 21:54:52 | 農作業・野菜

 ここ数週間、雑草天国のわが土地でやっと道らしきものを開通することができた。雑草に負けて成長できなかった植物も少なくなかった。今年で移住15年になるが、今年ほど雑草が叛乱した年はなかった。とりわけ、コセンダングサの猛威は半端ではなかった。そんな雑草の海で、野生化したハトムギ・エゴマとハブ茶の原料のエビスグサを収穫していく。

 すると、手袋や服に「ひっつき虫」がついてきた。手袋についたその虫を集めてみると高級な茶葉のようだった。

         

 やはりその90%がコセンダングサの実だった。家に戻る前にそれを除去しないと家の中までひっつき虫が侵出してくる。下着や靴下にもそれが付いてしまうと作業するにも小さな痛みが気になる。サルのノミ取りではないが、ひっつき虫を除去するのが日課となってしまった。日なたでブツブツいいながら除去作業を続ける。

      

 ハトムギの野生化は範囲も量も昨年の倍に広がった。その根元の幹は2cmクラスもあった。両手で鎌を引かないと幹が切れないほどだ。これだけハトムギが繁茂してもその商品はとても高価だ。やはりその実の硬い殻を割るのが難しいからに違いない。昨年はそれがうまくいかなかった。

   

 また、エゴマもなんだかんだとあちこちに勢力を伸ばしていた。収穫が遅くてその半分くらいしか収穫できなかった。茎が少し青いくらいがいい。枝が縦横に伸びるのでそれを保管する容器が少ない。今回はシートの上にため込んだが、目の細かい大きめの袋があるとよいのがわかった。エゴマは油を取りたいところだが技術的な面や手間からそれは難しいのも分かった。これからはゴマやお茶にするつもりだ。いよいよ。足踏み機の出番となった。  

     

 

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「幸福を呼ぶ虫」も越冬態勢へ!

2023-11-24 21:31:40 | 生き物

 ポカポカした昼時、お茶の送風機を配備していた電柱のような立木に多数のテントウムシを発見。近づくとあたふたと動き回って立木の裂け目や影を探していた。10匹以上はいたと思われる。週末の寒冷を予測していたかのようだった。テントウムシの動きが速くて画像がうまく撮れなかったのが残念。

     

 その中に、久しぶりに見る「カメノコテントウ」がいた。そこにいたカメノコテントウはオレンジの地に黒の模様があったが線の太さが違う。大きさは10mmくらいだが日本産テントウムシの中では最大級だという。よく見るナナホシテントウの二倍くらいはある。クルミやヤナギやドロノキのハムシの幼虫を食べるというが、近くにそういう樹木は少ない。やや離れた所には川があるからその周辺のヤナギやクルミに棲息していたのかもしれない。越冬場所を求めてそこからやってきたのだろう。確かに、その立木を触ってみると太陽の暖かさを感じる。

        

 黒地に赤い斑点がある「ナミテントウ」も一緒にいた。「ナミ」というから、標準的・一般的に見られる多数派テントウでもあるが、翅の模様は、主に「黒地に赤・黄」の斑紋と「赤・黄地に黒」の斑紋に分けられる。ここで見たのは、黒地に赤い二つの斑紋がある「二紋型」だった。ほかにも、「四紋型」「無数型」「赤・黄地に黒紋型」などの変異斑紋が多数いる。

       (画像は「子どもの国」webから)

 テントウムシは漢字で書くと「天道虫」と書く。枝先から太陽に向かって飛んでいくことから「お天道様」というわけだ。つまり、太陽神の使いの虫として大切にされてきた。それもそのはず、テントウムシは基本的にアブラムシなどの害虫を食べてくれる益虫でもあり、「生物農薬」として活用もされている。

 しかしそのため、世界的に波及してしまい環境に負荷をかけてしまうやっかいものにさえなってしまった。また一部のテントウの中の「ニジュウヤホシテントウ」はナス科・ウリ科野菜を荒す害虫でもある。換言すれば、それだけ活力ある昆虫でもある。

 オラが若いころ、チェリッシュの「テントウムシのサンバ」が流行っていてよく口ずさんだものだった。尖っていた青春の挫折やら破滅やらを癒してくれたメロディーだった。それからまもなく伴侶を得ることになる。まさにテントウムシは幸福を呼ぶ虫だったというわけだ。

 

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一気に渋柿の皮を剥いて

2023-11-22 20:55:46 | 農作業・野菜

 道路側にほっそり伸びた一本の柿の木に「豆柿」が実っていた。横幅の大きさは4~5cmほどだった。むかしは柿渋の原材料に使っていたらしい。とりあえず、枝の一部を切り取って玄関に飾った。干し柿にするより観賞用にぴったりというわけだ。茶室があればいいのだけど。

         

 わが家の裏山でも渋柿がなっているが、日陰にあるので色はまだ熟していない。百目柿系の仲間かもしれないが、それより小さめだ。しかも、毎年実が20個もできないのが残念。そのうえ、そこに行くには急斜面のジャングルを切り拓きながら登らなければならない。ノコギリと鎌を持って突入するが足腰の踏ん張りが衰えているのに愕然とする。まずは半分ほどを収穫する。甘柿は気候変動のせいかどこも不作だった。

           

 そんなとき、近所から「渋柿を獲ってきたからあげようか」と電話が入り、そそくさともらいに行く。見ると、大きな籠いっぱいに渋柿が収穫されている。さらに、吊るせるように小さな枝(撞木というらしい)を残しておいてくれていた。おそらく、300個近くはあったと思える。

 これを干し柿にするにはかなりの労力がいる。そのため、半分近くを欲しいと言っていた友人宅に持っていき山分けする。わが家ではさっそく皮むき作業所となった。まずは布団干しに吊るす。

   

 和宮様も干し柿づくりに興味を示され、皮むきに吊るし作業に、さらにはカビ除けのための焼酎塗りなど積極的に参入していただいた。干す場所は本来なら軒下と言いたいところだが、わが家は山を後ろに控えているので日当たりが悪いのが致命的。そこで、陽当たりがいい畑の脇の物干しにいつものように吊るしていく。今回は柿の量が多いので夕方以降は竿に吊るしたその竿ごとを屋根のある下に移動する。

 これから、朝夕にその干し柿竿を運搬するのが日課となりそうだ。なにしろ、砂糖より糖度が1.5倍もするという干し柿の旨さにはかなわない。近隣に感謝感激。

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初めてミニクリーマーを使う

2023-11-20 21:09:14 | 特産品・モノ

 先日の焚き火研究会にやってきたショウちゃんが干物とともに持ってきてくれたのが「電動ミニクリーマー」だった。同時に、赤と青の夫婦マグカップも添えるという気配りだ。いつもの焚き火ではブラックコーヒーをみんなで飲むのが通例だが、オラたちがカフェオレが好きだったのも覚えていてくれたのだった。

   

 説明の「キャッチ」には、カプチーノやダルゴナコーヒーの泡立てにぴったりらしい。「ダルゴナコーヒー」とは、あまり耳慣れなかったが韓国発のツートンカラーの二層コーヒーだ。インスタントコーヒーに多めの砂糖と水を泡立て器で攪拌してコーヒークリームを作り、それをミルクの上に乗せると、白と珈琲色の二層コーヒーができる。「ダルゴナ」とはいわゆるカルメ焼き菓子のような意味らしい。残念ながら飲んだことはない。

          

 さっそく、電動ミニクリーマーを使って軽く温めたミルクを攪拌する。すると、マグカップを越えるくらいの勢いで泡ができていく。その泡を熱いコーヒーの上に乗せて、「カプチーノ」を作る。カプチーノは泡を楽しむのが特徴だ。名前の由来は、イタリア・カトリック教会の「カプナン会」の修道士の服、その「カプッチョ」という頭巾・フードからだという。

            

 いただいたマグカップで飲んでみた。ミルクのほんのりした甘味がコーヒーのコクとともに伝わってくる。「カフェラテ」はこの泡がないだけの味だが、本格的なコーヒー店でしっかり味わってないのでその違いはよく分からない。「ラテ」はラッテというイタリア語のミルクの意味だ。コーヒーカップの中にラテアートが描かれているのも見どころだ。

   

 カプチーノやカフェラテは、基本的には高圧力をかけた専用マシンでコーヒーを抽出する。それに対し、「カフェオレ」はドリップコーヒーから、つまり、ドリッパーにフィルターを敷きそこにコーヒー粉を入れてそこに熱湯を注いで抽出する、それをカップに移しそこにミルクをブレンドするというやり方だ。これがふだんのオラのコーヒーの飲み方である。ミルクは少なめにしている。ブラックで飲むこともあるが飲みすぎると胃に負担が来てしまうので、なるべく食事後に飲むようにしている。あまり味の違いにこだわってはいないが、気分転換に大きな役割を果たしているのは間違いない。ショウちゃんからいつもいただく配慮に今回も頭が下がるばかり。ありがとう。(図は「色彩のパソコン」のwebから)

 

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栽培発展途上のキウイ!!

2023-11-17 21:44:09 | 野菜・果樹

  わが家の放任農業の優等生であるキウイを収穫する。長い夏だった今年の異常気象はわが農作業にもあちこち影響した。したがって、キウイも短い秋のため収穫が例年より10日ほど遅くなった。和宮様のご命令も日々の天候を踏まえての緻密なご託宣だった。今年の収穫量は往時の四分の一ほどしかなかったが、一つひとつの個体は大きい。わが家の柿も栗もキウイも人間もみーんな後期高齢者となってしまった。

           

 キウイも老木になって、所々にキノコが生えるようになってしまった。このキノコはおそらくナラタケモドキと思われる。いっぱい群生すればこれも食べられる。根元周辺ではときどきブンタンくらいの大きさの「オニフスベ」も発生したこともある。これも食べられるがその時期を見分けるのがむずかしい。新しい幹を育てればいいのだがなかなか太い幹を伐採する勇気が出ない。

    

 たわわな実もいくつかあったが実が例年より少なくなったことは事実だ。とはいえ、味の旨さの美味は変わらない。品種はヘイワードだが、これはニュージランドのヘイワード・ライトさんによって発見・開発栽培に成功、原種の小さなサルナシを改良して緑の果肉の大きいものだった。1920年代のことで、そこからアメリカやカナダに栽培が広がる。それから、昭和40年(1965年)ごろアメリカから日本に輸入される。だから、果樹としてはまだ発展途上の存在かと思われる。

            

 最近は果肉が赤っぽいものや黄色のものや皮ごと食べられるものも出てきたが、どうも甘すぎてなかなか決定打にはもう一歩というところ。とはいえ、食物繊維・カリウム・鉄分などは果物の中ではトップクラス。夜食べると睡眠中の腸内環境にいいらしい。中山間地にはよく見かけるキウイ棚だけどその多くはジャングル状態が多い。もったいないね。剪定だけでもやってあげるとわが家のように小さな生き甲斐が見えてくるのだが…。

 

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最後の不発弾を発掘??

2023-11-15 23:10:57 | 農作業・野菜

 今週、バタフライガーデンの一画で今季最後と思われる「トウガン」(冬瓜)を収穫。繁みに埋もれていたので、草刈り機で傷つけたであろう箇所が黒ずんでいた。長さは約40cmほどだった。重さからはなんとか食べられそうだ。今年は、この不発弾のような冬瓜にはずいぶんお世話になった。40~60cmはあるずっしりした冬瓜を70~80個近くは収穫したと思う。わが家だけではとても食べきれないので近隣や知り合いにずいぶんお裾分けして食べてもらった。あまりに大きく長いのでスーパーではお目にかかれない。

        

 ひと月前、やはり繁みから発掘した冬瓜は10.1kgもあった。きっと、今季最大の長さ・重さだと思われる。これは主に毎朝の野菜ジュースに使われたが、カレーライスや野菜サラダにも活用された。しかも、歯の悪いオラにはぴったりの食感だった。ほかの食材を盛り立てる冬瓜の謙虚な姿勢を見直したことにもなった。

    

 この横綱クラスの冬瓜は約65cm近くの大きさだった。表面は他の滑らかなものとは言えないゴツゴツだったが、味はしっかりとしていたし美味でもあった。今までは仕方なく食べていたのが本音だったが、和宮様からの強力なご協力も拝命したことで、レシピをいろいろ変えてみると冬瓜の深さが見えてきた。

 出荷してもおかしくない量のこれらは、すべて生ごみ肥料から自然に出てきたものだった。その一部を畑の畝に移植し、それ以外は放任してきたのでそれらは雑草ジャングルで自分勝手に成長したものだった。この横綱冬瓜はその繁みから発掘されたものだ。なかには所在がわからなかったので繁みの中で自爆した冬瓜もあった。なにしろ体にヘルシーな冬瓜は生ごみ肥料を続けていれば毎年発育することとなる循環型野菜となった。     

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朝から夕方まで焚き火三昧

2023-11-13 22:10:24 | 出会い・近隣

 胸の高さくらいまで積んだ「コセンダングサ」などの雑草を燃やしていく。焚き火をやる日は雨が降った後にやることにしている。もちろん、火事・延焼の防止を配慮しているつもりだ。

 事前に、抜根した乾いた茶樹を投入したものの雨で濡れた雑草はなかなか燃えてくれない。しかも、途中から雨もしとしとやってくる。やめようかと思っていたが、お昼ごろ青空がちょっぴり見えてきたので決行と決める。急に決めた平日の焚き火だったが、友人二人がやってきてくれた。今回は雑草で草木灰を作ることに忙しくて写真を撮る余裕がなかった。

           

 上の画像は約ひと月前の画像だが、ほぼ同じようなやり方で焼き芋と珈琲を用意する。また、友人が持ってきてくれた自然薯汁をいただきながら、干物のホッケを七輪で焼いて遅い昼食とする。そして、ボンジリを七輪で焼いていく。そこへ、和宮様が畑で間引いたルッコラなどのサラダを差し入れしてくださった。メインをフライパンのピザづくりを予定したが、自然薯の迫力には勝てなかった。

 今季いちばんの寒さが気になり暗くもなってきたので解散となったが、久しぶりの会食と歓談に花咲く焚き火会となった。おかげで、どーんと積んであった雑草も一掃され草木灰として畑に戻されることになる。すべてが循環している時空と人とのつながりが快い。

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乱雑な都市の一角の「楽土」は…

2023-11-10 19:13:17 | 読書

 本棚の隅に埋もれていた、野田正彰『庭園との対話』(NHK人間大学、1996.1~3月期)を読む。西洋の庭園は自然界にはない直線で仕切った形式に特徴がある。日本庭園は自然に溶けこむ緩やかで不規則なラインが特徴だ。その違いはどこから生じるのかを知りたいと思った。

       

 庭園の本質を精神病理学の医師であり、比較文明学の作家でもある野田氏がズバリと述べる。「富める者は自分たちの経済的基盤であり、支配し収奪する<此の世>に背を向け、枠づけられた空間の中に人工的な楽土を構成しようとした」と。

 続けて作家らしい視点でたたみかける。自然と共生することを止めた人間は文明を作った。文明は人工によって自然を支配し、破壊を繰り返しながら虚栄の絶頂にある大都市と快楽を夢想とする楽土・庭園とを形成した、のだと。

   

 華麗で壮大な中国の古庭園は日本にも影響を与えたが、それらはことごとく破壊され残存している公園はきわめて少ないという。むしろ、日本の発掘遺跡にその痕跡が残っており、また、中国の公園様式も左右対称だったり人工的でもある。確かに、日本には神仙思想や仏教思想の影響から公園の中心に理想郷である浄土・蓬莱島を配置しているのをよく見かける。

   

 著者は同時に、イスラム・フランス・イギリスなどの西洋式庭園をも紹介しているが、大まかに言えばその多くは幾何学的で人工的なものであり、宮殿や豪邸から直線的に奥を見通せる庭園ともなっている。まさに、日本と西洋の自然観の違いが庭園に照射されている。

 つまり、日本庭園の独自性は、自然の素材をそのまま使いながら左右非対象・不規則の曲線を主流にして、それを象徴的に抽象化して空間芸術にしていることだ。

   

 そこには、大陸の影響前から禊・みそぎの水景をはじめ、その後の枯山水庭園などの深化など、自然との調和や自然に対する敬意が込められている。それらの視点が自然を支配するという西洋の自然観との違いとしてあらわされる。とっても同感する。

 庭園の専門家の多くは、それぞれの歴史的な庭園の微細な特徴を挙げているけれども、野田氏が提起しているような本源的な庭園の見かたに欠けている。そこが、研究者自身の哲学・文化の造詣の深さによるものなのかもしれない、と思えた。

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ジャングルからオアシスへ??

2023-11-08 22:43:16 | 農作業・野菜

  思うとおりにならない野菜作り。それは天候やオラの技術の未熟さによっても大きく左右される。例年ほど収穫がうまくいかなかったキュウリの畝の跡に、インゲンの種を9月中旬に蒔く。しかしなかなか芽が出ない。成長しても病気になることが多く、収量は思うほど期待できない。試しにと、こんどはモロッコインゲンの種をあわてて蒔く。しかしそれも、ツルばかりが目立ってジャングル状態と化する。

        

 ところどころに実もなるが収量はいま一つ。そこで、混線したツルをのんびりほどき乍ら余分の葉や枝を切っていく。えらく時間がかかるので少しづつ何回もそれを繰り返す。すると、先月下旬から次々と実が取れるようになった。時期的には遅いはずだったが、今までを挽回するかのように多収量となっている。食べきれないので近隣や知り合いにどんどん食べてもらっている。

          

 インゲンは、丸さやと平さやとの二種類がある。モロッコは扁平の平さやだ。筋取りが少なく柔らかく甘みもある。胡麻和えや天ぷらで食べること多いが、レシピの幅は広い。

 「モロッコ」の名は、昭和初期「タキイ」が商標登録したものだ。そのころ、映画の「モロッコ」(ゲイリークーパー、マレーネ・デイトリヒ主演)や「カサブランカ」(ハンフリー・ボガード、イングリッド・バーグマン主演)など、モロッコを舞台とした映画が流行したときでもあった。「タキイ」の時代感覚の先見性?の名残が名前となっている。

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