山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

一度きりの人生、眺めのいい人になろう!!

2023-12-30 20:58:06 | 読書

  無頼派作家の二日酔いをきりりと覚醒させた人物群がいた。指針が見えなく煩悶していた著者にその手を差し伸べてくれた綺羅星のごとき人たちを紹介したのが、伊集院静『眺めのいいひと』(文春文庫、2013.5)だった。その最初に登場したのが、著者の師である色川武大ことギャンブルの神様・阿佐田哲也だ。

          

 人間はそれぞれ何かを背負わされて生きていて、そこから逃れることができない。とりわけ戦争は人間を狂気や殺戮へと誘ってしまう。そんな背景を抱えながら阿佐田は、己のどうしょうもない生に狼狽え、傷付き、戸惑い、亀裂的な哀愁をかかえる。だからこそそこに『麻雀放浪記』を書きあげ誕生させる。伊集院は「哀愁と悲哀を見た人は限りなくやさしい生をまっとうしようとする」姿を、そこから発見し共感する。

     

 さらに、大阪読売新聞で活躍した一匹狼の黒田清を紹介する。「この人の眼は、私の社会の窓でもある」として、命がけの記者魂を発揮している黒田の生き方から「あの眼が光った時、そこには社会の悪がある。あの眼が笑っている間は大丈夫だ」と讃える。

            

 というように、多彩な人物が登場する。麻雀仲間の井上陽水・作詞家仲間の山口洋子や阿木燿子・競馬の野平祐二騎手・礼儀正しい松井秀喜選手・写真家の豪快な加納典明・漫画家のジョージ秋山やちばてつや・含羞の作家矢吹申彦・落語家の立川談志等々が次々紹介され、著者の幅広い交遊録となっている。

  

 しかし、銀座やゴルフやギャンブルや芸能界というオラにはとても届かない世界での交遊が中心なのがきわめて不満だ。とはいえ、そうした出会いから相手のきらめきを発見している著者の眼力は的を外していない。

 1999年から2000年かけて「週刊アサヒ芸能」に連載されたものを文庫本にしたものなので、読者の嗜好も考慮して書かれたものであるのがわかる。流行作家になってしまった粗さは否めないものの、その出会いから相手の持つマグマを受けとろうとする伊集院の感受性の奥行が伝わってくる。

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「歳寒三友」がルーツだった

2023-12-27 22:18:05 | アート・文化

 先日、わが家より街中にあるMくんの家に初めてうかがった。古民家とはいえ、リニューアルしてあってきれいに使っているのが素晴らしい。和室をつないでる部屋の天井と鴨居の間に「間越欄間」があった。左右一対の欄間には、竹と松と梅との彫刻が彫られていた。

 「松」は冬でも枯れずに青々としているので「長寿」を表す。「竹」は折れにくく「生命力・成長」を表す。「梅」は老木になってもまた、春のさきがけとしての花を咲かす「気品・華やかさ」がある。

 

向かって左の欄間には、竹と梅が彫られており、右の欄間には竹と松が彫られていた。日本のあらゆる生活のなかにこの「松竹梅」が浸透している。そのルーツは中国の「歳寒三友」(サイカンサンユウ) という厳しい環境にあっても節度を守り不屈の心を持つという宋時代の文人の理想を表す。「三友」とは、「松竹梅」や「梅・竹・水仙」の植物をさしている。したがって、水墨画ではこれらの植物がしばしば登場する。

 日本には平安時代に伝わり、江戸時代には吉祥・おめでたい祝い事の象徴として独自に解釈されて今日に至る。平安時代は桜より梅の方が人気があった。

        ( 画像は「和を着る。楽しむ。はんなりのブログ」webから )

 もし、彫刻が「松と梅」だけだと、商売繁盛の意図がある。つまり、「商売」=「松梅」ということだが、さすが江戸の洒脱なセンスだけど…。

 なお、経営学では「松竹梅の法則」があるという。つまり、顧客は極端を嫌い,見栄や世間体を気にして真ん中の「竹」を選択するという法則だ。オラが選ぶとしたら「梅」だね。「松」を選んだことはめったにない。理由は言うまでもない。そんなことを連想させてくれた豪快な彫り物の欄間だった。

 

 居間からは大ガラス越しに、茶畑・学校・山並みが一望できる。この景観が気に入って入居したのは間違いない。マンションより魅力的な家屋だ。「家はくらしの宝石箱でなくてはならない」とは国立西洋美術館を設計したフランス人、ル・コルビジェの言葉。 

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ラッピング列車のバラエティー

2023-12-25 22:58:26 | 旅行・散策

 久しぶりに「天浜線」(天竜浜名湖鉄道)に乗る。一両のみの車両だが田園風景とマッチして絵になる。車内のイスはレトロな懐かしさがある。四人掛けボックスの肘掛けが木製なのも天竜杉を連想させる。乗客が少ないので四人掛けを一人で独占できた。

  

 旧「国鉄二俣線」が1987年3月に第三セクターに移行してから、経営の格闘が始まっている。その一例が車体のデザインのラッピングだ。その先陣をきったのが触媒大手の企業・キャタライナーだった。企業の社会貢献として全線単線ワンマン運転のローカル線を応援している。

       

 車体デザインの深緑色は、空の青と森林の緑を混ぜたカラーということだった。「キャタライナー」は、自動車の燃料電池や排出ガスの浄化では先駆的な役割を果たしているとともに、子ども向けの「wakuwaku理科教室」も開催している。天浜線の多くは無人駅が圧倒しているが、それでも訪れる人の評判はいい。

       

 今回乗ってみた先頭車両のデザインにはキャタライナー社の企業理念の「環境浄化(clean)」「創造(create)」「挑戦(challenge)」の「C」がデザイン化されているが、見た目はわかりにくい。なお、天浜線はディゼルエンジンで動くので「電車」とは呼ばず「列車」と呼ぶ、ということを初めて知った。

    

 キャタライナーに引き続き、スズキ・ホンダ・ヤマハなどの企業もラッピングでの応援を始めた。ヤマハの斬新なデザインにびっくりさせられたが、画像は撮影できなかった。これ以外にも、大河ドラマの「井伊直虎」や「どうする家康」をはじめ、アニメのキャラクターやゆるキャラなどのデザインが車体をにぎやかにしている。そのため、天浜線がそばを通るたびにどんなデザインになっているかを観るのが楽しみになっている。(画像は「気ままな趣味の散歩道」ブログwebから)

  

 ついでに、何年ぶりだろうか掛川から新幹線に乗車する。降車した東京駅は人間の津波に飲まれて溺れそうになった。大都市の底力を見せつけられたが、経済の町は心の余裕というものを削除してしまう恐ろしさをも感じさせられた。

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「香酸柑橘」の代表

2023-12-22 00:45:14 | 野菜・果樹

 十数年前からときどき尾上さんち周辺でユズの収獲にお邪魔したりしていた。その近隣には大きくなったユズの木が多いが、みーんな高齢者となり収穫もできなくなったので、剪定を兼ねて収穫をしてきた。どうやら、農協が植樹を推進していたらしい。だもんで、その収穫量も段ボール数個にもなるのがフツーだった。最近はこちらも後期高齢者となりご無沙汰していた。そんなとき、先日どっさりユズを届けてくださった。(冒頭画像は2012.11のもの)

   

さっそく、調理に突入。ユズの皮をみじん切りにしたものは冷凍にしてうどんやそばの薬味に使う。そうすれば、一年中使うことができる。絞った汁は醤油と混ぜてポン酢にする。

 今年の冬至は12月22日だが、その日にユズ湯に入るのが江戸以降のならわし。冬至は湯治、柚子は融通と語呂合わせして風呂に入り、柚子で身を清めその強い匂いで邪気を払う。そうして、本格的な冬に備え無病息災を願うという気合いの日だ。

           

 とにかく種が多い。この種も焼酎に入れれば、化粧水に滑らかなお肌の手入れに有効だ。   

「桃栗3年、柿8年、梅はすいすい13年、柚子は大バカ18年、りんごニコニコ25年、 女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生、あーこりゃこりゃ」と言われるほど、実生からの栽培は時間がかかる。そのため、ほとんどの苗は接ぎ木などから増やしていく。

   

 千切りにした皮をいよいよユズジャムにしていく。絞り汁の残骸の内果皮の袋も栄養があるのでジャムに入れる。「香酸柑橘」(コウサンカンキツ)とは、甘味がないためすぐには食べれれない酸味や香りが豊かな柑橘類のこと。その在来種は約40種あるという。その代表格がまさに奈良時代から栽培されてきたユズだ。

       

 カインズホームで買ってきた瓶にジャムを詰める。十数個作ってお世話になっている近隣に配る。こうして、かつて農家収入に貢献したユズも高齢者になったものの周りの人をちょっとしたほっこりする存在となった。長い棘に何度も刺されたけれどね。

 

 

  

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追いかけるから苦しくなる

2023-12-20 18:25:14 | 読書

 「週刊現代」の2014年から翌年まで連載していたエッセイを単行本にした、伊集院静『追いかけるな』(講談社、2015.11)を一気に読む。週刊誌に掲載されたエッセイは深みのあるものから雑にしてしまったものまで、作品に当たり外れがあるのは流行作家らしいと言えばそれまでだ。

   

 銀座・ゴルフ・ギャンブルの話題が多いのが伊集院ドンの幅の広さであり、現世的でもあるが、小説家の複雑な引き出しの出し入れの苦闘が伝わってくる。小説家でなければ、実業家か博徒かになっていたかもしれない。テレビのインタビューから見える伊集院ドンの表情からは、ピリピリした感性の揺らぎが発散されているのがよくわかる。顔全体が受容体のようなアンテナと言ってよい。

        

 その感受性の鋭さは、絶望や差別などの極限を知ってしまったことからくるのではないかと思われた。「追いかけるから、苦しくなる。追いかけるから、負ける。追いかけるから、捨てられる」という著者の言葉には、人間の強欲の酷さと運命とを哲学者の如く吟遊詩人の如くに紡ぎ出される。

       

 著者の体験からそれは、「望み、願いと言った類いのものを、必要以上にこだわったり、必要以上に追いかけたりすると、それが逆に、当人の不満、不幸を招」いてしまい、「追いかける余り、他に目をむけられる余裕、やわらかなこころを持てないことが原因である」と看破している。

        

 そうして、「私たちの日々は上手くいかない方が多い」ことを自覚し、 「生きることに哀しみがともなわない人生はどこにもない」ものの、「今は切なくても、哀しみには必ず終わりがやって来る」と珠玉の言葉を連ねる。著書の前半はこうした伊集院ボスのキレが目立つが、後半はそれがやや疲れてきた感じは否めない。

       

 それでも、恋愛に悩む人に対し、「淋しかったり、孤独だったりする時間をしっかり持てた人は、来るべき相手にめぐり逢った時、その人の良さや、やさしさが以前より、よく理解できるようになる」と相談相手となる。これは同時に恋愛だけの問題ではなく、人との関係性にも言えることが暗示される。

   

 現在日本では、政治資金パーティーの裏金問題やビッグモーターやダイハツなど企業の不正が取りざたされているが、これもまさに目先の欲に走ってしまう傲慢地獄である。日本を土建屋にしてしまった田中金脈の伝統はいまだに健在だ。東京オリンピックや大阪万博に群がった利権の輩の実態は特殊なことではなく、いつもの日常の風景なのだ。

 それにいつも胡麻化されているのが大衆だ。それは孤独としっかりつきあうことができなくて、まわりに同調してつるんでしまう。だから政権はおいしく温存されたまま、したがって見えにくい強欲だけがまかり通る。

   

 日本の経営者・政治家の哲学や国家の大計の貧困が露わな昨今だ。目先の利益に「追いかける」からいずれ失敗する。その失敗に気づくのはいつになるのだろうか。太平洋戦争の「失敗」はいまだ検証されていないままだから、80年近くなってもそれを振り返ることすらできなくなった。だから、若者はバーチャルの世界にしか希望が持てない。スマホやアニメやゲームなどにうつつをぬかすしかない。バーチャルな世界を追いかけても結果は一時の酩酊にすぎない。「どうする」日本人!!!

   

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生死は4日間で決まる!?

2023-12-18 21:43:34 | 生き物

  ここ最近、ハトムギの種の選別に追われている。そんなとき、2cmほどの小さな虫が紛れていた。ひょっとすると、お腹のふくらみからアレかなと推理したが、どうも小さすぎる。しかも、アレは青のメタルカラーのはずだったが、これはむしろ黒っぽい。似ているのは、上翅が腹部の半分ほどの長さで、後翅が無く退化していた。つまり、飛ぶことができず、歩くことを選択した昆虫だった。

        

 アレとは、畑周辺で約2~3年ごとに見つかるツチハンミョウだった。カエルや野鳥から身を守るため脚の関節から黄色い体液の毒を出すが、それに触ると、水泡ができ腫れるという危険な虫とされている。今見たこの虫は、大きさや体色の青黒カラーからして「ヒメツチハンミョウ」(ツチハンミョウ科)のようだ。

       

 メスは4000個の卵を産む。というのも、幼虫はマルハナバチをひたすら待ち続け、チャンスが来ればそのハチにしがみついてその巣の中に侵入することだった。そこで、花粉団子を食べて成虫になっていく。まさにパラサイトだ。ただしその期間は4日間しかない。その間にマルハナバチのしがみつかないと死が待っている。だから、メスは懸命に大量の卵を土中に卵を産むしかない。

 オラがみたのはそのメスだったが、オスは触覚に団子状の瘤があるのが特徴だ。交尾前にオスがメスの触覚どおしをこする儀式があるという。(上の画像はオス、《ほくせつの生き物》webから)

 

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歴史の傍流だった庶民の発見!!

2023-12-15 21:34:53 | 読書

  民俗学の二人のパイオニアといえば、宮本常一・柳田国男があげられる。この二人を比較しながら宮本常一の先駆的で謙虚な人物像をシャープにあぶり出したのが、畑中章宏『今を生きる思想/宮本常一/歴史は庶民がつくる』(講談社現代新書、2023.5)の本だった。

                                             

  柳田国男は民俗伝承・信仰を探求して日本の「心」を解明していった。宮本常一はフィールドワークを重視してそこに伝わる生産用具などの「もの」を手がかりに歴史の主体としての庶民像を探っていった。宮本は、農村・漁村・山里に生きる民衆の生産現場に行くことによって、従来の傍観的・客観的なデータや「民俗誌」ではなく、より民衆の生活点にねざした「生活誌」の視点が必要ではないかと提起していく。

       

 彼の代表作の『忘れられた日本人』では、盲目の乞食から聞いた民話などを聞き取りしていくが、そうした人々の側に立って現在をあぶり出していく手法は従来にない視点だと畑中氏は評価する。したがって、現実のまち・むらづくりの方向性まで踏まえた聞き取りでもあった。佐渡の博物館設立、「鬼太鼓座」の設立、山古志村の錦鯉養殖、山口の猿回し復活などの支援にもかかわり、離島振興法の成立にも寄与してきた。

         

 また、宮本は、戦後すぐに席捲していた搾取させられた民衆と支配者という構図・見方は一方的だとして、それではほんとうの民衆の姿はとらえられないとする。そのなかにはむしろ、「相互扶助による共同体と個人の持続的な営み」によって、互いにいたわりあい自分たちの世界を形づくってきたのではないかと提起し、「そういう民衆の生活はそのなかに入ってみなければわからない」とする。

          

 そうした考え方の発想は、大杉栄が訳したクロポトキンの『相互扶助論』の影響があったという。その書のユートピア的な限界を踏まえながら、現状批判だけでなく生きる勇気を萌芽させるような発見が大切であることを学んだのではないかと著者は評価する。表紙の宮本常一の貌からもそんな息吹が感じられる。

  

  宮本を支援してきた人物として、渋沢栄一の子・篤二の長男である渋沢敬三がいる。戦前は日銀や大蔵大臣などを歴任していたが、戦後は疲弊した経済の立て直しで活躍した財界人であり、KDDIの初代社長でもある。渋沢敬三は栄一の社会貢献を受け継いだのか、戦時下に「日本常民文化研究所」を創立して民俗学の発展に寄与していき、そこで働く宮本の調査研究の力量を高く評価していた。

         

 そこで、渋沢が言った言葉を宮本は忘れなかったという。その内容は、「大事なことは主流にならぬこと、傍流でよく状況を見ていくこと」ということだった。主流に位置していると見落とすこともあり、その欠落を受け取ることで新たな世界が見えてくるというわけだ。これには説得力ある。

       

 そこからか、宮本は「民具学」を提唱していく。つまり、その民具の即物的な説明だけでなく、そこから見えてくる民衆の生活周辺をくみ取るということでもある。その例として、狭山茶が発展していくルーツとして江戸にたまった空の茶壷をあげている。一つの民具に対してそこに庶民の精神的・生活的・技術的背景や思い入れを探求している。

        

 そうした庶民への「まなざし」は、映画監督の木下恵介に通じるぬくもりを感じる。宮本常一の著作については断片的なものしか読んだことがない。したがって、この畑中章宏氏の入門書から読んだというわけだ。本書の後半に、宮本が上梓した著作の紹介をコメントしているのもきめ細かだ。宮本氏も畑中氏もわれわれ庶民にわかりやすく伝えようとしている心配りがありがたい。

 

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過疎の寺は楚々として

2023-12-13 23:11:16 | 歴史・文化財

 明治の場末の村は王子製紙の進出によってマチになった。映画館もできた。いまではその面影を探すのも苦労するほどの過疎が進行している。山並みと茶畑が似合う風景を満喫しながら短時間ながらそろりと歩いてみた。浜松市春野町にある曹洞宗の「龍田山・圓満寺」だった。

 曹洞宗は、宗派の開祖の「洞山良价(リョウカイ)」の「洞」と弟子の「曹山本寂」の「曹」の頭文字を合体してつけた名前だという。浄土真宗の信者は日本で一番多いが、曹洞宗は寺院の数は日本一だ。その多くは、発展途上の村落に影響力を持った在地領主「国衆」が活躍した15世紀以降に開創している寺院だ。都市は他の宗派がすでに固めていたので、その間隙を縫って地方を中心に進出していったというわけだ。

           

 小さな寺だが門らしきものがないので境内をそろりと歩けるのがうれしい。立派な石碑に「圓満寺」とあり、裏に寄進者の名前が彫られている。字面を読みたいが苔むしてなかなか解読しにくい。間違っているかもしれないがどうやら、昭和34年(1959年)に建立した板碑のようだ。ひと気がない。静寂がすべてを支配している。

            

 寺の開創は、1662年(寛文2年)らしいが、隣の森町三倉の蔵泉寺の古文書には室町時代の至徳年間(1384-1388)ごろに円満寺の記述があったという。というのも、道元を祖とする曹洞宗が庶民に広まり、その影響が遠州・東海地方に布教されていくのが15~17世紀。その基礎を築いた禅僧が弟子の多かった「如仲天誾(ジョチュウテンギン)」。森の石松で有名な森町の「大洞院」がその拠点となった。

     

 本堂近くにこれも立派な鐘楼があった。「勤労平和鐘」との石碑があったが、そのいわれの意味が分からない。戦時下の勤労奉仕中に被災したのを鎮護し世界平和を祈念したのだろうか。やはり、説明板や寺としてのメッセージがほしいところだ。

         

 梵鐘は厚さ7~8cm近くもあり、建物も鉄製で頑丈なつくりだ。本堂といい鐘楼といいかなりの財力が投入されている。田舎でこれだけのものがあるだけでも驚愕だ。歴史が古いだけでなく、マチになってからの繁栄ぶりも想起される。

 小春日和のぬくもりはいかにも平和の尊さを祝福している。がしかし、金権に汚された政治・オリンピックを許してしまう日本の能天気さにもいい加減あきれるが、ウクライナ・ガザ地区での民衆への殺戮に神や仏はどうして黙り込んでしまうのだろう。今こそ神や仏の出番ではないか。むしろ、日本の神社が国家神道のお墨付きをいただき侵略戦争を加担していったり、ロシア正教がプーチンの戦争を賞賛するなど、宗教の本旨から逸脱してしまっているのはいかがなものか、と心痛めることが少なくない。

 

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それでなかったら 枝に止まるはずがない

2023-12-11 21:25:27 | 農作業・野菜

 先月の11月中旬、近所から籠いっぱいにいただいた渋柿。あまりに多いので知り合いにもお裾分けしてから、さっそく皮を剥いて天日干しへと急展開に作業を早める。            

 柿を吊るす場所がないので外の物干し場所で天日干しするのが日課となった。つまり、毎朝柿を吊るしたままの物干し竿を屋根のある小屋からそのまま外へ運搬する。和宮様も焼酎で柿を塗るという手間は手抜きしない。というのも、以前、カビで全滅したことがあったからだ。11月下旬には吊るした柿は柿色から茶色に変わり始めた。

          

 12月上旬には、黒くなってきたのでつまみ食いしながら味を確認する。へたの部分に渋みが少し残っているので、間もなくで完成だ。ひどい渋みを太陽は甘味に変えてしまうパワーに感心する。        

 最近はほぼ間違いなく渋みも消え、毎日のなくてはならない食材となった。一日に5~6個は食べている計算にもなる。と同時に、お世話になっている近隣にも届ける。100個以上もあった干し柿はもう手元には20個くらいしか残っていない。

           

 というのも、ここ数日間干している周りにタヌキが徘徊していて、追い払いしなかったその隙に10個以上は食べられてしまった。あわてて、家にしまったと同時にタヌキはピタリと来なくなった。

           

 知り合いのピュアな作家・高尾五郎さんに干し柿を贈ったら、素敵な詩を載せたはがきが送られてきた。詩人・田村隆一が珍しくわかりやすく謳った「木」という詩だった。教科書にも載った詩だ。

  木は黙っているから好きだ / 木は歩いたり走ったりしないから好きだ
  木は愛とか正義とか わめかないから好きだ /   ほんとうにそうか   ほんとうにそうなのか
       見る人が見たら  /   木は囁いているのだ  ゆったりと静かな声で
  木は歩いているのだ 空にむかって  /   木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
       木はたしかにわめかないが    /   木は   愛そのものだ   

  それでなかったら小鳥が飛んできて
       枝にとまるはずがない     /     正義そのものだ  

  それでなかったら地下水を根から吸いあげて
       空に返すはずがない     /    若木    老樹    /     ひとつとして同じ木がない
       ひとつとして同じ星の光のなかで     目ざめている木はない
      木     /     ぼくはきみのことが大好きだ

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「ハガネのように花のように」流儀を貫く

2023-12-08 21:13:10 | 読書

 NHKが2006年1月から放映した「仕事の流儀」シリーズは、各界のプロフェッショナルが仕事に対する挑戦と生き方の姿を報じた見ごたえある番組だった。そんな影響だろうか、2011年以降伊集院静が刊行した『大人の流儀』シリーズも累計140万部の大ベストセラーとなった。そんななか、注目していた『伊集院静の流儀』(文春文庫、2013.3)を読む。

   

 内容は、「日本人・家族・悩み・人生・恋愛・作家・青年の流儀」から構成されている。そこに、短編の物語に略年譜にと、著者の『大人の流儀』シリーズのダイジェストのようなものとなっている。「青年の流儀」は、2010年以降サントリーの新聞広告に毎年のように掲載され、新入社員や青年向けに贈ってきたメッセージをまとめたもの。また、ダンディーな著者の写真もふんだんに散りばめているのも見どころだ。

        

 また、「日本人の流儀」のタイトルは、象徴的な「いつかその日はおとずれる」だった。東北大震災により仙台に居住していた著者の家は崩落の危険を体験した。その後累々たる震災死体や原発の被災も知ることとなる。「それでも、生き続けるということが私たちの使命であり、哀しみをかかえることは仕方ないにしても、哀しみにあまんじてはいけない」と断じる。そして、「哀しみにはいつか終わりがやってくる」という名言を宣告する。絶望的な経験を持つ彼が語ると説得力がある。

   

 「青年の流儀」では、働く意味や生きる意味を青年自身が考えることを呼びかける。「日本の大人たちがなすすべての醜さはそれ(人間は誰かの、何かのために懸命に、生き抜くこと)ができないから」と断罪し、その生は、いかにも哀しみにあふれているが、それを平然と受けとめられる心身を鍛えていくことを青年たちに提言する。 

   

 その提言等は読みようによってはやや安っぽくも思える面もあるが、それは流行作家の限界ともとれる。とはいえ、著者の言わんとする本旨は的を外していない。そこを受けとめる感性が求められるのかもしれない。それは青年向けというより大人たちにも向けられた告発でもある。

   

 生きることとは、喜びも哀しみも呉越同舟する中にあることをつきあうことだと思う。その中から、少しでも希望を手繰り寄せるかどうかが肝心だ。それも、大きな希望もあるし、ささいな希望もある。少なくとも、空を見て庭を見て畑を見て、そこから何かを発見する好奇心が必要だ。

 そうして、そこに人間が登場して、そこに小さな潤いを感じられればさいわいだ。そんなさりげない暮らしを良しとする人生に乾杯する、それが今のオラの心境にあっている。

   

 NHKはプロフェッショナルをとおして生きる流儀を世に投げかける。伊集院静は市井の大人へ向けてダイレクトに大人の流儀のありかたを投げかける。前者が直球勝負とすれば、後者は変化球を得意とする。

 総じて、戦争が頻発拡大しジェノサイドが横行してやまない現世の世界、幼児化した犯罪に金権に汚毒された政治経済が支配した日本、人類が気候変動をさせてしまった地球のきしみ等々、ひとりの力は無力な現状のなか、まさに大人の流儀のあり方が問われているのは間違いない。さて、……。さて。

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