無頼派作家の二日酔いをきりりと覚醒させた人物群がいた。指針が見えなく煩悶していた著者にその手を差し伸べてくれた綺羅星のごとき人たちを紹介したのが、伊集院静『眺めのいいひと』(文春文庫、2013.5)だった。その最初に登場したのが、著者の師である色川武大ことギャンブルの神様・阿佐田哲也だ。
人間はそれぞれ何かを背負わされて生きていて、そこから逃れることができない。とりわけ戦争は人間を狂気や殺戮へと誘ってしまう。そんな背景を抱えながら阿佐田は、己のどうしょうもない生に狼狽え、傷付き、戸惑い、亀裂的な哀愁をかかえる。だからこそそこに『麻雀放浪記』を書きあげ誕生させる。伊集院は「哀愁と悲哀を見た人は限りなくやさしい生をまっとうしようとする」姿を、そこから発見し共感する。
さらに、大阪読売新聞で活躍した一匹狼の黒田清を紹介する。「この人の眼は、私の社会の窓でもある」として、命がけの記者魂を発揮している黒田の生き方から「あの眼が光った時、そこには社会の悪がある。あの眼が笑っている間は大丈夫だ」と讃える。
というように、多彩な人物が登場する。麻雀仲間の井上陽水・作詞家仲間の山口洋子や阿木燿子・競馬の野平祐二騎手・礼儀正しい松井秀喜選手・写真家の豪快な加納典明・漫画家のジョージ秋山やちばてつや・含羞の作家矢吹申彦・落語家の立川談志等々が次々紹介され、著者の幅広い交遊録となっている。
しかし、銀座やゴルフやギャンブルや芸能界というオラにはとても届かない世界での交遊が中心なのがきわめて不満だ。とはいえ、そうした出会いから相手のきらめきを発見している著者の眼力は的を外していない。
1999年から2000年かけて「週刊アサヒ芸能」に連載されたものを文庫本にしたものなので、読者の嗜好も考慮して書かれたものであるのがわかる。流行作家になってしまった粗さは否めないものの、その出会いから相手の持つマグマを受けとろうとする伊集院の感受性の奥行が伝わってくる。