山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ついに粉ショウガを年内完成

2015-12-31 17:44:48 | 農作業・野菜
 収穫したショウガをスライスして天日干ししたり、乾燥機に入れたりして、ショウガチップができていく。
 ここまでするのが結構な手間がかかる。

                       
 それを「ミルサー」に入れて、粉にしていく。
 大量にはできないので、少しづつ作っていく。
 和宮様の忍耐力が発揮される。

               
    
 ミルサーでできた粉はまだ粗いので、目の細かい茶漉しでさらに小さい粉を作る。
 粉が舞うのでくしゃみに注意しなければならない。
 消毒した空き瓶に完成した粉ショウガを入れていく。

                        
 大量にあったショウガを粉にすると「こんなものか」と思うほど少なく見える。
 店で粉ショウガを買うとなると結構な値段がするが、手間を考えると納得する。
 なんとか、年内にショウガを粉にすることができた。
 ひとりでやりきった和宮様にまたまた平身低頭がしばらく続く。


   < 伊勢谷友介『社会彫刻』より >
   「70億人が日本人と同じ生活をすると、地球は2.4個必要だという。
    すでに破綻している我々の生活。
    ただ、現在のテクノロジーと古(イニシエ)からの知恵を総動員すれば、人類が地球に生き    残れる循環はつくれる。
    利他的な人間の数が増えることは、種として一つの大きな進化になる。」
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植木の鉢を避難

2015-12-30 21:44:49 | 農作業・野菜
 先日、援農に来ていただいたとき畝を竹で防寒作業をしてもらった所に、アジサイ・レンギョウ・イチゴ・ローバイ・カエデなどの小さな苗を移動する。
 ネギやラッキョウでも霜でやられてしまうこともある。
 そんなとき、小さな苗はひとたまりもない。

                     
 移動先をいろいろ考えたあげく、「日当たりが良く、防寒にふさわしい場所はここだ」と、太鼓判を押したのだ。
 さいわい、厚手の長い板があったのでそれを丸太の上に置く。
 冬を乗り切るのは人間も植物も昆虫もおんなじ。


     < 伊勢谷友介『社会彫刻』から>
  「太古から生き残るために必要なのは、衣食住を獲得する智恵。
   しかし、現代の生活はお金の循環が中心で、自然の循環をまるで無視している。
   モッタイナイ。
   最高のエンターテイメントは、私たちを取り巻く地球の循環の理を知り、知恵を得て、強調し、バランスを取ることだ。」    
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虫みたいな野菜

2015-12-29 01:35:45 | 農作業・野菜
地上の葉はすっかりなくなってしまった近くを掘ってみた。
 すると、ぞくぞく虫の幼虫のようなものが出てきた。
 この生命力はキクイモに似ている。

     
 正月のおせち料理では赤い漬物として見たことがある。
カタチが何かに似ているが、長寿にいいそうで、おせちの仲間にいれられたらしい。
掘り出したもののゴミやヒゲを取って洗うと真っ白の輝きがある。

                         
       
 ラーメンに入れて食べたらなかなか歯ごたえがよく合格。
 ジャガイモのようなホクホクとした食感がいい。
 「チョロギ」という野菜だったが、中国の「朝露葱」を日本読みしたところから名前がつけられたらしい。


        < 伊勢谷友介『社会彫刻』より >
  「縁は人生をつくる。
   広義に捉えれば、生まれ落ちた環境から始まり、出会った<志事>も縁。
   しかし縁より大切なことは、さまざまな出会いから何を受け取り、どのように努力し、   次の縁につないでいくかだ。
    自分を動かすのは本能的な興味でもいい。
    目的意識からの動機でもいいはず!」


    
 
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収穫ニンジンに新婚ニンジン

2015-12-28 21:22:39 | 農作業・野菜
 毎朝の野菜ジュースに欠かせないニンジン。
 自前でなんとかまかなうのが目標だ。
 袋いっぱいの種を全部撒いたが芽を出したのが数えるほど。
 少なかったニンジンのせいか、比較的太めのニンジンを収穫できた。

       
 しかし、変形ニンジンも少なくない。
 あるとき、和宮様が新婚ニンジンを収穫してきた。
 新郎は見事なガニ股だ。
 規格外の野菜が豊富だぞ。

                               
       先日、スーパーでこけしニンジンに、イエローニンジンを買ってきた。
 規格外や変わり種野菜があるのがほんとうなのではないか、と居直る。
 
 今年最後の焚き火を執行する。
 
     < 伊勢谷友介『社会彫刻』から > 
 「<挫折>とは、現実を受け入れられない様子。
  一つの方法に固執し、自らの可能性を殺してしまっている状態。
  <挫折禁止!>とは、どんなに苦しい状況でも、
  置かれた現実を受け止め、大切な目的を見失わず、
  新たな解決方法や展開を見つける理想の強さのこと。」     
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干し柿をついに堪能

2015-12-27 16:34:58 | 農作業・野菜
 天候が今いちだったためカビが心配だった干し柿づくりだった。
 日陰を避けて日当りのいい場所に移動しながらだった。
 干しっぱなしなら楽だがそうはいかないのが干し柿づくりだ。
 干し柿が高価な理由もわかった。

                            
 それに、カビてないかを点検する。
 天気が悪かったせいで逆にカビに注意する。
 今年はカビのせいで失敗した事例を近隣からいっぱい聞く。

     
 早めに平べったくしながら乾物用ミニ乾燥機にかける。
 一日中電気を入れっぱなしで乾燥していく。
 つまみ食いすると、そこそこうまい。

                        
 様子を見てからいよいよ仕上げへ。
 おかげでカビの危機を回避して完成となる。
 干し柿をミニポリ袋に入れて、しばらく冷凍庫に入れておく。
 
 わが家にやってくるかたに食べてもらっているので、だんだん在庫が減っていく。
 欲しい方は今のうちがチャンス。   
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『シートン伝・燃えさかる火のそばで』を読む

2015-12-26 00:37:06 | 読書
初老の紳士が「火のそばで読む絶好の本があるよ」と言って渡された課題図書がこれだ。
 焚き火やストーブのそばで読むことはできなかったが、堀ごたつでなんとか読み終えた。
 後妻のジュリア・M・シートンが編集した『燃えさかる火のそばで』(早川書房、佐藤亮一訳、1983.7.)は、シートンの人となりをリスペクトあふれる文で綴った伝記だ。

                        
 シートンと言えば「動物記」だが、それはファーブルとともに訳者・出版社の活躍で喧伝された日本特有の現象だという。
 野生動物やインディアンへの愛情・共感にあふれていたのは言うまでもない。
 高齢になってから私財を投げ打って広大な「シートン村」を作り、そこに「インディアンの智恵の大学」を開校したり、子どもたちの自然学校・野外教育・キャンピングを開催したりしている。

    
 それが世界のボーイスカウト誕生につながり、彼はアメリカの初代団長として長く貢献してきた。
 しかし、ボーイスカウトに内在する軍国的・管理的・国家主義の指導・体質に彼は疑問を持ち始め、それを批判したため除籍されてしまう。

                    
野生動物の保護について彼は、「アメリカ人は、猟獣や猟鳥がすっかりいなくなってしまうまで、その価値に気がつかないということです。
 何もいなくなってから、やっと保護のことを考えるのです。
 彼らは自分たちの国から計りしれない価値あるものを奪ってきました。
 彼らの子供たちからも、その資産を奪ってきたのです」と、ナチュラリストらしい憤りを吐露する。

        ( 画像はネットから )
シートンは、野生動物の研究者であるとともにその保護育成の実践家であり、その画家・文学者であるという多面的な指導者であるのがわかる。
 とりわけ、インディアンとともに生きる姿勢は彼の誠実さと謙虚さにあふれている。
 インディアンの結婚式は二人のためにみんなで焚き木を持ち寄り、これからを祝福したのを紹介している。
 そして、美のため、真実のため、不屈の精神のため、愛のため、自らの成長のため火を灯していくという実践をしているところがシートンらしい。

 シートンが人類に世界に我々に提起した問いは前進してきたのだろうか。
 目先の激流に流されて「本当の」価値を見失ってはいないだろうか。
 そんなことを突き付けられた課題図書だった。
 初老の紳士に改めて敬意を禁じ得ない。
 合掌。
 ネイティブにもどろうよ。
  


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トンネルカフェに込める心意気

2015-12-25 20:37:23 | 市民活動・まち育て
 先日、やっとトンネルカフェの大脇さんに出会えた。
 開店している土日はいろいろイベントがあったりして、森町と春野町堺にある周智トンネル横の店にはなかなか行かれなかった。
 たまたま訪問した時は休みだったりして、大脇さんとはずっと会えずじまいだった。
 やっとあえて、まずは昼食にボルシチをいただくことにした。

                    
 たっぷりの具材とスープには大脇さんの誠実な味が込められていた。
 ボルシチに付けていただいたパンも重厚な歯ごたえがあり、いかにも健康によさそうだった。
 似顔絵の看板もお客さんにいただいたものだという。
 

      
 顧客の8割がライダーというから、その営業努力と人柄がしのばれる。
 「靜修」地域のムラおこしをめざす「靜修クラブ」の代表として、Iターン2年目にして確実に地域の中心となっている。
 また、NGOで活躍してきた一端の「救急法」をすでに各地域で実施している。

                      
 派手なパフォーマンスはないものの、一人ひとりを大切にする一期一会の精神は随所から伝わってくる。
 それは山田洋次の「母と暮らせば」のような、今をひたむきに生きる意味とは何かを問うメッセージを発信しているように思えてならない。
          
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映画「母と暮らせば」の静けさ

2015-12-24 21:09:35 | アート・文化
 山田洋次監督の映画「母と暮らせば」を観る。
 反戦を声高に叫ぶのではなく、一瞬にして原爆で亡くなった人の悔しさ、戦争で命を亡くなった人の悔しさ、息子を戦争で失った悔しさ、恋人を原爆で失った悔しさが波濤のように寄せてくる。
 
 原爆で死んで亡霊役を熱演した「嵐」の二宮和也はアイドルを超えた。
 息子がなくなり一人残された母・吉永小百合は、命を生み出すという対照的な助産婦役。


山田洋次の怒りと優しさが画面を縦横にそしてジワジワと染み出してくる。
 太平洋戦争が終わった戦後でありながら、いまだに戦火が絶えない世界。
 加害責任が問われないまま戦後を走ってきた日本の風化された現実。

 両親を亡くした少女・本田望結とそれを伝えた役人の小林稔侍とのやりとりの画面が霞む。
 恋人役の黒木華の悼み表現、引揚者役の加藤健一のユーモアとペーソス。
 希望が持ちにくい現代は、この映画の中から希望というものの強さと脆弱さとを掴み直していかなければならない。
( 画像は松竹パンフレットから )
 

                   
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虫こぶ?病気?ドウダンツツジ

2015-12-23 00:13:15 | 植物
 「杉峰集落」を歩いていたところ、散策会の参加者が「これなんだろう??」と持ってきた枝があった。
 一見して、「虫こぶみたいのようですね」と言ったものの確証がない。

 そのドウダンツツジの枝を見たら、この虫こぶのようなものがいっぱい着いていた。
 それぞれ15mmほどの豆粒大のものが実のように競っている。

        
 触ってみると弾力がある。
 虫こぶなら虫がいる可能性がある。
 カッターで慎重に割ってみる。
 中央に空洞があったものの、生き物がいる気配がなかった。

                          
 ネットで調べてみると、どうやらカビ菌による「モチ病」らしい。
 枝・葉・花にもこの餅のような突起物を形成する。
 ツツジ類・ツバキ類しか伝播しない病気のようだ。
 つまりは、参加者には間違った情報を伝えたことになる。
 「またやっちまった」

 自己嫌悪に陥りながらも、あらためて冬の散策にも魅力があることを痛感して前を歩く。


 < 伊勢谷友介『社会彫刻』より >
 「物事に興味を持てなければ、すべてはつまらないものに。また逆も然り。
  興味を持てば、自ら望み、
 過酷な環境すら進んで受け入れる。
 頼まれなくても山に登る、未知にも挑む。
 挑戦は人を磨き、一つの発見が百の発見に結びつく。
 自分のための興味は他の力にもなり得る。」
       
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ノササゲとミヤマシキミの実

2015-12-22 18:59:00 | 植物
 またまた森林散策会の路傍のことだ。
 野仏の隣で発見した見慣れぬ豆を発見。
 莢が紫色が珍しい。
 豆の黒紫色の輝きが美しい。

                          
 「ノササゲ」の実だった。
 莢の紫も美しすぎる。
 以前、道の駅「花桃の里」の散策会で発見した黄色の端正な花と結びつかなかった。
 しかし、葉を見ると同じだった。
 同じ仲間に、「タンキリマメ」とか「トキリマメ」とか似たものが多い。

    
 「春野山の村」に向かう道路際で、「ミヤマシキミ」の赤い実がいくつも見られた。
 冬の観察会は魅力あるものが見つけにくいものだが、今回はいくつも登場してくれる。
 「ミヤマシキミ」と「シキミ」とがつながらない。

            
                       
 ミヤマシキミの花は、沈丁花の花に似ている。
 その実が大きな赤い実になっていくのもつながらない。
 「シキミ」の花は黄色で、実は「八角」の形だが、これはいっそうつながらない。

 説明してもあまり納得していないのがわかる。
 「ミヤマシキミ」という植物は身近な生活にないせいもあるかとも思う。

 散策会の余韻がまだ漂う日々が続く。
 
 
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