山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

田んぼの風物詩はこれからも…!?

2023-09-30 21:13:36 | 風景

   米作りは農家にとって基本的な柱でもあるが、最近はどんどん機械化が広がり、いまや無人のコンバインさえ登場している。コンバイン1台あれば、収穫・脱穀・選別もでき、はざ掛けもやらないで済む。わが家は形式的には農家だが、事実上家庭菜園もどきを演じている。したがって、米は近所の若い農家から玄米を購入している。

     

 そんな今、隣の地域で「はざ掛け」をしっかりやっている田んぼがあった。この光景はどんどん少なくはなっている。地域によっては、「はぜ掛け」「はさ掛け」「はで掛け」「稲掛け」とか呼称もいろいろだ。この地域では両端には三脚の木で安定させている。地域によっては一本直立の場合もある。イネはぎゅうぎゅうに詰めて隙間ができないようにしている。隙間があるとイネの束が落下してしまうことがあるという。

        

 稲束の掛け方は左右から始めて、最後に真ん中に掛けないとバランスが崩れてしまう。知り合いによれば、稲木が折れたり、強風で飛ばされたり、天候に左右されたりなど失敗も多いという。それでも、天日干しのはざ掛けにこだわるのは、二週間かけてゆっくり天日と自然風で乾燥させて米の粒も割れないようにしている。はぜ掛けの上の先端にはビニールを被せて根元からの水分がかからないようにしている。

     

 そんなとき、昨日近所から「田んぼに転がっているわらを持っていってもいいよ。処分に困ってもいるんだ」と聞いて、さっそくきょうの午後もらいに行く。稲の束はバインダーという機械で刈り取った稲をひもで束にするらしい。これを人力でやるのはかなり大変だ。いただいた稲わらは約200束くらいもあったようだ。昨年も車で往復していただいてきたので、ずいぶん助かった。野菜だけでなく庭木にも応用できるのでとてもありがたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日ソメイヨシノの満開宣言

2022-03-30 21:51:50 | 風景

 今月21日、静岡県はソメイヨシノの開花宣言をしたが、本日30日、今度はその満開宣言をした。平年より3日早く、昨年より2日遅い満開という。

 昨日、腰のリハビリの帰りに満開の桜をカメラに収めた。すでに満開だった。とくに、いくつかの川沿いの桜は見事に桜のアーチを形成していた。

    

 しかし、「桜を見る会」は総理が来ないせいか実施されていないようで、桜を愛でる人はひとりもいなかった。田舎の人は桜より一仕事ということのようだ。

   

 サクラの「サ」は、田の神様であり、「クラ」は神の座る場所という説があった。そのため、神が山から下りてきた証として開花した木の根元に酒や食べ物をお供えもしてきた。同時に、開花以降、田植えの準備に入る手がかりでもあった。つまり、桜は鑑賞の対象というより祭る対象というのが初期のかかわりだったようだ。

   

 奈良時代の貴族の庭園では、中国から来た梅を植えてそれを愛でるのが流行った。万葉集で謳われた梅は110首、桜は43首というくらいの差があった。それが逆転するのは、遣唐使の廃止がきっかけ だったようだ。それ以降、花見が定着していく。

 わが近くの国道の老いた桜も満開となった。皇太子のご成婚記念で植樹したらしいので、そろそろ定年??らしく枯れてしまったのもある。と言っても、春を迎える心意気は健在のようだ。   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まもなく茶畑は終幕となる

2022-03-18 21:41:16 | 風景

 先月から着手された第3期茶畑の抜根作業はまもなく終了を迎える。点在する茶農家で構成する小さな生産組合は品評会で入賞するほどの旨い茶を生産してきた。その一端をこの茶畑も担ってきた。残念ながら管理していた茶農家の人手不足と茶価格の下落は、この界隈の茶畑をじわじわと縮小へと追い込んでいる。茶畑の抜根作業はそうした奔流に巻き込まれているとも言える。

  

 茶畑の風景がまもなく喪失するのは慙愧に堪えないが、自分の能力ではこの事態をこうして始末するしかない。そのかわり、ここの場を果樹・野菜・樹木の自然ガーデンにしようというわけだ。できれば、小さなビオトープを配置して昆虫・野鳥・小動物が憩える場にしようとするものだ。それがどれだけ実現できるかは心もとないが、大げさに言えば、地球にやさしい環境を保全したいと居直るつもりなのだ。

  

  抜根した茶樹は、畝の間に配置して防寒・暴風・防獣対策として活用する。時がたてば、肥料にもなるという皮算用だ。これを運搬するのはけっこうな運動量でもあるが、老いた体のリハビリだと心に課している。さいわい、シカやイノシシはこれを突破するまでには至っていない。一般的には、抜根した茶樹は山に捨てに行くのが常道のようだ。

 もちろん、枯れた茶樹の一部は焼き芋・焼き魚・焼肉・コーヒーなどを生み出すエネルギーとして貢献しているのは言うまでもない。月末ごろから、ブルーベリー・アジサイなどの植樹作業が始まるはずだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トンネルの向こうは蒼穹の国か静謐の雪国か

2022-01-14 20:09:14 | 風景

 朝起きて雨戸をあけると裏山は雪国だった。寝ている束の間にしんしんと積もった粉雪だった。北国では2~3mも積もっていることを考えると、まだ雪の風流を愛でる余裕の世界にいるが。

    

 それでも、今から街なかに買い物と通院に出かけることを考えると、いくつかの峠を越えなければならない。アイスバーンになる前に出かけるには今すぐ家を出たほうがいい。ということで、そそくさと支度をする。

   

 家を出てすぐの道路はすでに銀世界となっていた。動物や早起きの人間の足跡も確認できた。もしこれが峠の急峻な坂道だったとしたらノーマルタイヤの車では危険であるかもしれない。しかしまだ、雪は柔らかいので決行することにする。道路の両側には雪が残っている。

    

 そのうちに、最初の国道のトンネルを過ぎたころになると雪の気配が消えていた。どうやら街は雪は降ってなかったようだ。雨の場合も同じことがある。結局、峠の急峻な坂も雪はなく通過できて、買い物も通院も無事終了したのだった。(上の二枚の画像はイメージ) 

 帰りに同じトンネルをくぐったら、雪は変わらずに残っていた。つまり、わが家の住んでいる場所はあたりまえだが山里だということだ。桃源郷は山深いトンネルを越えた所にあるという。どうやら、わが家の場所は桃の花こそ咲かないが桃源郷なのではないかとあらためて妄想する。

 そういえば、長寿の高齢者が多い。都会にはない緩やかで穏やかな人間関係がある。そこは、杉林や茶畑が醸し出すフィトンチッドが漂い、林縁には昆虫や植物が適度に生息する。人間と自然とが共存し、コロナもほとんど問題にならない。若い人の移住も始まっている。不便さが幸福度を高めている。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レアな雲を目撃したぞ!!

2021-11-29 22:02:28 | 風景

  ここ数日寒さが続く。重たい腰を持ち上げて作業を開始しようとする。おもむろにいつものように空を見上げる。すると、山のかなたから刷毛で描いたような雲がやってきた。これはいつもの雲とは違うぞとあわててカメラを準備する。

     

 十分くらい経過しただろうか、見事な繊維状の雲が流れていく。こうした雲は一年に一回見られるかどうかのレアな雲だ。よその地域でときどき目撃することもあったが地元で見られるのはまれだ。山のすぐ近くから湧いてくるように見えるが、実際は5000m~15000mもの上空を流れる上層雲のようだ。普通の雲は水滴だが、この雲は氷が多く、強い風が吹くことで離ればなれの繊維状の流線の雲になるという。

     

 日本上空を通過するジェット気流で空高く流れる「空の女王」・巻雲(ケンウン)のお出ました。この巻雲には5つ以上のパターンがあるというが、もちろん詳細はわからない。そのうちの、毛状雲(モウジョウウン)というのがこれのようだ。先端から終端までまっすぐ伸びているのが特徴だ。天気予報では明日・明後日は雨模様だから、いっきに雨にしようというのが天の意思なのだろう。

     

 日本大学の田中総長が逮捕された。三年前、アメリカンフットボール部の暴力問題で報道陣の前に釈明すらしない田中学長にいくたびも怒りをもったが、やっぱりうやむやになりそうだったと思っていた。日本の民主主義の脆弱さ、同調圧力の伝統などを痛感してやまなかった。フジテレビの「バイキング」だけは活躍していたが日本のマスコミのジャーナリスト精神の劣化・沈黙にうんざりしていた。そんなとき、きょう彼の自宅の1億円の現金発見などから脱税容疑で逮捕された。巨悪を暴く検察の健全な心意気がうれしい。

 天の意思はまっすぐな「毛状雲」を選んだ。検察の取り組みと同じ意思が重なった。しかし、国会で何回も巨悪への解明が論議されてはきたが権力の闇を崩すには至っていない。今回の選挙結果でもすでにそれらの巨悪への憤りは風化してしまっている。そして、お笑い芸人にジャックされたマスメディアが「怒り」という感性を麻痺され、覇気を失っていく。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤い月を希望の月に変えられるか!?

2021-11-19 22:13:04 | 風景

 きょうは、月が地球の影にはいってしまうという部分月蝕の日だ。買い物帰りの夕方18時15分ころの月をデジカメで撮る。わずかに赤い月が確認できた。そのうちすぐ雲に隠れてしまった。ネイティブアメリカンはこの月をビーバーの毛皮を捕獲するために罠を仕掛けるころなので、「ビーバームーン」と呼ぶそうだ。

    

 21時前に玄関前からフルムーンになった月をとらえる。きょうから、12月4日の皆既日食、12月19日の満月に至るひと月を「蝕の季節」と呼んで、占星術では今の運命が劇的に変わるきっかけとなる月間ととらえるらしい。そういえば、大谷翔平がMVPを獲得したのも、また、立憲民主党代表選挙に4人が立候補演説したのもきょうのことだった。

               

 月と言えば、足利義政を想う。隣で戦乱があり、権謀術策や裏切りが横行する命がけの時代。いつ殺されるかわからない不安を抱えながら月を見るための銀閣寺を建立しそこに逃げ込む。

 「くやしくぞ すぎし浮世を きょうぞ思ふ 心くまなき 月を眺めて」と吐露する。

 その「くやしさ」は、現在に通底する日本文化を育んでいく。月は尖った心を癒していく存在だった。それを現代では月も利潤拡大の市場とする場にしてしまった。宇宙飛行士がもてはやされるが、その背後の宇宙ビジネス・宇宙争奪戦争という背景を見抜かねばならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脱炭素革命にはこれもある

2021-10-26 23:28:54 | 風景

 久しぶりに郊外ではなく、都会の近くに出かける。すると、セイタカアワダチソウの群落の奥に2台の風車が見えた。以前から、とくに洋上風力発電には注目していたが、政府からの支援がなかなかなくて苦悩している研究者・開発者の姿が伝わってくる番組を観たことがあった。

               

 洋上・陸上の風車は技術的には日本は世界でも指折りだった。地熱発電も同じだった。こちらは世界一の技術だった。それも、それを実現させる支援はさびしいものだった。むしろ当時、政府の姿勢は原子力に向かっていた。ここからすでに世界から後れを取り始めた。それは、「IT」にせよ、電気自動車にせよ、有機農法にせよ、目先の利益と既得権益の保身にうつつを抜かし、結果的に世界の趨勢を読み取れなかった。    

             

 再生可能エネルギーを具体化するには数々の困難がある。実際、風車を中山間地に設置するとなると電磁波を心配して反対運動がわが地域にも伝わってきた。技術的困難もさることながら地元との信頼関係を形成するのも課題山積だ。それは、太陽光パネル設置にも同じことが言える。自然を破壊して自然エネルギーを獲得するのはいかがなものかというわけだ。

   

 とはいえ、世界はすでに自然エネルギーにギアチェンジしている。あわてて、菅前首相も脱炭素革命を言い出したが、気が付いてみるとエネルギー自給率はすでに34位(資源エネルギー庁・資料)だ。1950年代には水力を中心とするエネルギー自給率は60%だったものが現在では10%を割っている。有事のときや防衛上のことを考えると太平洋戦争勃発前の「ABCD包囲網」状態と似ている構図が想起できる。

 

     

 NHKがまとめたものによると、日本の「エネルギー基本計画」は再生可能エネルギーにシフトしていく考えだ。しかし、先の総裁選挙で河野太郎を応援した小泉進次郎は原発をはじめとする既得権益者からの圧力・切り崩しはすさまじいものがあったという。

 ヨーロッパの再生可能エネルギーの主力は風力発電。世界的には、中国が圧巻で次にアメリカ・ドイツ・インドという順番で、日本はなんと19位。さて、岸田君はこの現状をどう突破していくのだろうか。いや、それより、小水力発電やバイオマスなど、地方からエネルギーを自給する仕組みを形成するっきゃない。研究者・技術者の出番でもある。そんなことを考えさせられながら風車を後にしたのだった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

崖崩れを修復している現場

2021-10-06 21:18:19 | 風景

 国道のすぐそばに崖崩れの現場がある。幸にして、がけ下には民家がなかったので大きなニュースにはならなかった。2019年7月の大雨のときだった。その後修復が始まり、てっぺんにコンクリートが吹き付けられたのが、2020年1月のことだった。崖の面には米粒より小さい人影が動いていた。

            

 今回は6人が作業しているのがわかった。命がけだ。こうした作業をするのは資格のあるプロを請負会社から要請するらしい。現場のすぐ下には、会社の何人かが双眼鏡でその作業の安全を確認していた。

            

 何をしているのかは素人ではわからないが、吹き付けたコンクリートの状態を点検しているように見受けられた。がけ下は川になっているが、そこまでは50mくらいはあるように見える。灼熱の夏でも作業は行われていたようで、労働現場にはこうした高度作業が山並みのなかで粛々と進められているのに気づく。災害列島日本にはこうした保守点検・復旧に支えられているのをつくづく痛感する。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八重ざくらとフジが満開となった

2021-04-14 22:02:46 | 風景

 畑の隣にある八重桜「松月」が満開となった。有名な「関山」は華麗・壮絶な桃色だが、「松月」はほんのりしたピンクの控えめさがいい。ヒヨドリが蜜を吸いに来る。他の鳥が来ると鋭い声を荒げて追い払ってしまう。

    

 近所のしだれザクラも殺風景だった川沿いに潤いを与えてくれている。その色もだんだん白っぽくなってきて花も散り始めている。このさりげない風景を愛でる人はどれくらいいるだろうか。それだけの人間が住んでもいない。ただ、幕末にやってきた外国人がジャパンの都会・地方の隅ずみまで花があることで、田園国家・園芸国家と称賛したような名残がここにある。

 

    

 わが家の庭のフジ「カピタン」もいよいよ開花してきた。つい先週はヤブツバキが満開だった後に選手交代を約束しているようだ。この自然な間合いが素晴らしい。ツバキとフジとの優しい競合は人間には調和にしか見えない。

 福島原発の処理水を海洋に流すのが決まった。福島から東京にも電気を供給してきたわけだから、本当は東京湾に処理水を流すべきではないだろうか。福島は東京の後始末を未だ担っているわけだ。故郷にいまだ帰れない人が少なくないという現実はすっかり風化してしまっている。

 また、コロナ疲れを隠れ蓑にお笑いグルメやバラエティで憂さを晴らすマスメディアの無責任が甚だしい。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花見客ゼロの穴場

2021-04-07 21:27:19 | 風景

 ソメイヨシノの桜はすっかり葉桜となってきた。いっぽう、わが家の庭の八重桜「松月」は赤い蕾を開花しようと満開を目指している。そういえば、中山間地の川沿いのプロムナードには桜並木がけっこう多く存在する。3月中旬には見事な桜の花見ができる。それなのに、花見を楽しんでいる人を見たことは稀だ。シートを敷いて花見をする家族やグループをこの10年見たことがない。

     

 新緑の山々を見ながらつくづく思う。上野公園や目黒川で人込みの中で花見するよりはこうした中山間地で花見をするのがいいのにと思う。どうも日本人は、人が集まっているところに寄り添う傾向がある。自立していないということなのだろうか。要するに、酒さえ飲んで自分が心地よければいいのだ。自然を愛でたりするよりも自分が孤独でないこと、孤立しないことを恐れるのだ。

     

 わが畑では大根や白菜の花が満開だ!? とても食べきれないので花を愛でるしかないという顛末なのだ。こうなる前に私費の「桜を見る会」をやって食事で消費するのも良かったが、コロナの壁があったことは間違いない。

 忌野清志郎の「田舎に行こう」というとてもいい歌があるが、花見をしたいなら田舎へ行こうという発想ができていくといいなと思う。都会中心主義になってしまった日本の社会は、かつてのローマ帝国のように衰退の連鎖のみちをたどるのだろうか。そんなとき、清志郎は歌う。田舎は、「山から風が降りてくるところ」「風が吹いているだけ」かもしれないが、「何かが待っているかも知れない」よ、とね。  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする