山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

年越しそばを食らう

2018-12-31 20:42:46 | 食彩・山菜・きのこ

 ばたばたしながらもついに平成最後の晦日を迎えてしまった。中島みゆきではないが、時間とは時代とはなんと早いものだろう。熟成しないまま未熟な高齢者となって毎日を足踏みしている現状だ。まさに「時間よ止まれ」と言いたいところだ。そんなことをぶつぶつ言いながら年越しそばを口にする。

                  

 和宮様のお手製の天ぷらを畑から収穫した人参やシイタケを下賜してくださった。うやうやしくほお張っていく。シイタケは冬を耐えてきたので旨味と食感とが絶妙だ。渋谷にはあてもない若者がどんどん集まり機動隊が配備についた。平和ボケ日本の象徴でもある。矢部宏治の『日本はなぜ、基地と原発を止められないのか』という本源的な問いにいまだ応えていない。そういうことはなるべく避けて「紅白歌合戦」でも見て思考停止し、そのことで平静(平成のように)を確保しようというのだろうか。

   

 まもなくカウントダウンが始まる。そのうちに「平成」を封じ込める。いっこうに変わらない政治。同質であることを確認しあう乾杯で同化しあう体質。そこにどれだけ肉薄できる「来年」を開拓できるだろうか。それには「個」の確立がますます大きくなる。これからの時代はそこがキーポイントになると思えてならない。いま、山本周五郎の小説と伝記を並行して読んでいるが、どうにもならない境遇の中で苦悶と葛藤に追い込まれながらもその闇の中の光を見出そうとする作品に惹かれる。それは光を探そうとしないと入手できないのだ。光は向こうからはやってこない。要するに、光を求めようとする「個」の持続的な生き方が全てなのだ。来年はその一歩をさりげなく歩んでいきたいと思う。

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寺院の「獅子口」はほぼ教科書どおり

2018-12-30 18:32:08 | 石仏・石造物

 昨日訪問したお寺の屋根の鬼瓦(獅子口)を習性としてやはり見てしまう。てっぺんに3本の「経の巻(マキ)」を乗せて、その下に2本の「綾筋」、中央に家紋、下には「荒目流し」の足、というきわめてオーソドックスな鬼瓦が配置されていた。ちなみに鬼瓦は総称で個別にはこれは「獅子口」という。

    

 天皇が通る「勅使門」の鬼瓦も同じパターンだったが、綾筋が逆V字型なのが珍しい。この逆V字型の綾筋は古代の経の巻を示すという。家紋はもちろん菊。雲や波を表す足には草のような斜線がはいっているのも珍しい。やはり差別化だろうな。その下には最近若い女性が注目しているハート形の猪の目がしっかり用意されている。なぜ猪の目なのかわからないが、魔物を猪のパワーで退散させるということか。

        

 三ツつ目にみた鬼瓦は、波を表現した細い板状の額縁を一番下に配置していた。屋根の都合で勾配が緩い場合にバランスで配置されるようだ。中央の家紋は藤の花のようだ。

              

 反対に勾配が急な場合は「蕨手」の下に雲紋と「荒目流し」でカバーしている。中央の家紋の周りには「台線」と言われる模様で囲んでいる。経の巻には「三つ巴」の祭り模様がされているのも珍しい。なかなかおしゃれな瓦に仕上がっている。

                     

 銅版で覆われた鬼瓦はてっぺんに1本の経の巻を置き、中央に家紋、左右に渦のような文様を描いている。広大なお寺の敷地にある建物の屋根の鬼瓦だけでも標準的とはいえ微妙に違うのが見どころでもある。

                        

 

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森失せて 建設ラッシュの 墓参り

2018-12-29 21:33:14 | 風景

 わが家の先々代が大正9年に建立した麻布の墓に行く。先々代は麹町(千代田区)に住んでいて彫金師の職人だったらしい。その妻は髪結いで三浦環の髪結いをしたという。髪結いの夫はまさに亭主関白の職人気質だったらしく、わが親父もそっくりだった。それから関東大震災で逃れて品川に流れついたが今度は東京大空襲で家を焼失する。戦後の赤貧の暮らしはここから始まる。

 親鸞聖人のお慈悲はなかなか届かなかった。当時少年だったオイラの心の傷はいまときおり血栓となり破裂に向かう。しかしそこから、なんども持ち直して生きる原点に戻される。そのことが笠で顔が見えない親鸞の教えだったのかもしれない。

    

  本堂の太い横木には藤の花が彫られていて往年の財力とパワフルなエネルギーを示していた。そしていま、墓地も新しく改装されてきているのが目立ち、江戸から昭和初期の無縁墓が淘汰されつつある。それとともに、墓地の周りには巨大なマンションが建ち始めるという建設ラッシュとなっている。墓地はいよいよそうしたマンション群に包囲されたといってもよいくらいだ。

                    

 寺についたのが正午だった。すると、鐘楼の鐘が自動でなり始めた。人手不足や高齢化ということもあるだろうがなんとも複雑な気分だ。A I 時代に対応した経営ということに違いないが、修行に励む僧の姿が視界から消えていくのがさみしい。かつてお寺は人間の哀しみや苦しみを吸収する駆け込み寺であり、まちづくり・むらづくりの拠点でもあった。しかし今はもう寺から「いかに生きるべきか」の魂が消去された。そして形だけの残骸が残された。ブッダよ、この状況をどう考えたらいいでしょうかね?        

 

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正月飾りは庭に

2018-12-28 18:48:44 | 屋外作業

 毎年のように、年末には冬のオーナメントを作ってきた。基本はいつものように身の回りにある素材で作ることにしている。たまたま、近くの茂みの中にツルウメモドキの実を発見したので採集してきた。ツルウメモドキがある場所といえば、崖とか茂みとか不安定なところにあるのが多い。が、けっこう長く実がもつのでオーナメントには好都合で重宝している。

 さらに、裏にわが家の杉の防風林があるのでこれも枝を伐ってきた。これらをフジツルのリングにツルウメモドキのツルで巻きつけてなんとか完成。庭の真ん中に設置して正月を迎えることにする。オーナメントに露呈しているように来年もまたズボラな一年になりそうだ。

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竹藪の中の廃屋

2018-12-27 00:40:02 | 風景

 畑に霜や寒風が幾度となくやってきたが、竹マルチのおかげでいまのところ野菜への被害はない。その竹材の供給基地がある山の竹やぶにはシイタケ小屋の廃屋がある。むかしはシイタケをここで乾燥する作業小屋だった。広さは人が十分住めるくらいの共同管理施設だったらしい。しかし今では竹が天井を突き抜けているほどだ。煙突が往年の勇姿を残している。

           

 突き抜けた竹は大気の自由を獲得していて勢いがいい。しかしその高さはわが家に陰影な湿度をもたらしている。あまりに大きくなり過ぎたので途中で伐採して竹マルチに利用させてもらっている。この廃屋も中山間地にとってはシイタケ産業の華やかな時代を担った希望の星だったのだ。

 

 お茶・シイタケ・林業という第1次産業の不振はますます過疎化と高齢化を加速させているが、この廃屋が真っ二つに崩壊したのは最近のことだ。竹が繁茂しているので真下にあるわが家の倉庫への倒壊を食い止めているのだ。だからそこの竹は伐らないようにしている。それにしても竹の生命力はすごい。じわじわと畑にも侵出しつつあり将来的にはその畑も竹林になってしまう。そこに出てくるタケノコは新鮮でうまいのだがやっぱりぬか喜びはできないのだ。自然と人間とのいい関係を考えさせられながらもきょうも生きていく。

     

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ボヘミアンな生きざまのラプソディ

2018-12-26 13:29:37 | アート・文化

 先日、伝説のロックグループ「クイーン」のリーダー・フレディの破天荒な生涯を貫いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観る。グループ名とか部分的なメロディはちょびっと知ってはいたけど、クイーンのファンは号泣したそうだ。最初はクイーンのドキュメンタリー映画かと思ったが主人公フレディの凄絶な孤独・苦悩・確執・葛藤をはらみながら生きようとしてきた人間ドラマだった。「ボヘミアン」とは放浪の自由民、「ラプソディ」とは狂詩曲。ボヘミアンラプソディの歌詞はイタリア語も出てきて難解だが、フレディの生い立ちにかかわる苦悩・挫折のストーリーのようだ。

 

 複雑な生い立ちや容姿のコンプレックスを抱えたフレディ役を俳優ラミ・マレックはその個性的な演技と歌唱力とでぐいぐい観客を惹きつけていく。とりわけ、舞台上のパフォーマンスや衣装・半裸はその後のロッカーの目標となっていくほどの影響力がわかる。失恋・同性愛・作品作りの焦燥・グループ内の確執などをはじめHIVの感染で若くして亡くなる(45歳)が、クイーンと共に成長していく姿が後半の「ライブエイド(LIVE AID)」(20世紀最大のアフリカ難民救済チャリティコンサート)に結実していく。

           

 それだけに、絶望の中の希望でもあった「ライブエイド」は音楽と共にクライマックス臨場感へと観客を誘う。ここで多くのファンの感涙を獲得していくところは計算通りの結末だ。フレディの顔がオイラが好きな酒飲みフォークシンガー高田渡(ワタル)の顔と似てきたなーと思えたのが愉快だった。高田渡はもちろん楽天的な反骨主義者だったけどね。

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降誕祭に煙突掃除したからね

2018-12-25 20:44:30 | リフォーム・屋内作業

 そういえばクリスマスだったんだ。だからダルマストーブの煙突掃除をしたんではなかったんだ。だけどきょうしかやる日がなかったんだ。やるには腹を据えてやらないと面倒な作業が続くのだ。

     

           

 煙突の三分の一も煤で詰まっていた。こんなに煤がたまるとはいつも驚きだ。このまま火を点ければ部屋中が煙だらけになり、火災も心配となる。マスクをして微粒子を吸わないように注意する。高所作業ともなるので加齢とともにだんだん動作が鈍くなっている。

            

 夕方にやっとダルマさんに点火する。ささやかな温もりがダルマさんらしい。これからは薪をしっかり確保していかなければならないね。あっという間になくなってしまうからね。さぁて、いよいよ大寒とつきあっていくとしようか。

  

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同志なり 白菜・人も 冬越えや

2018-12-24 21:41:04 | 農作業・野菜

 農的生活にとって野菜も人も冬をいかに耐え・楽しみ・生き抜くかが大きな課題だ。人間にとっては暖房をどういう方法で確保するかで楽しみ方も違ってくる。わが家は堀り炬燵をメインに石油ストーブ、ときたまダルマストーブとを併用している。野菜ではやっと白菜の「頭縛り」を終える。この作業はひもがうまく縛れなくてけっこう難しい。白菜農家は数千個~1万個も手作業でやるから頭が下がる。わが家は15個くらいだからじつに甘いもんだ。

                           

 先月末からセロリが1株育ってきて、このところバリバリいただいている。その食感と新鮮さが快い。今では冬越えのために短くして帽子をつけている。和宮様は日中は帽子を外して夕方は帽子をもどして蒸れるのを「ぼうし(防止)」している。

           

 キャベツや水菜も越冬のために竹マルチを行う。裏山から竹を伐り出す作業は汗だくとなる。引っ張る力も必要だし、斜面を踏ん張って足腰も使う。切るのは何とかなるがそれを絡まないように引きずり出すにはけっこう頭も体も使う。オイラには手ごろなリハビリとなっている。

           

 ソラマメもなんとか伸びてきたので、肥料袋と竹で周囲を囲んだ「行燈仕立て」で防寒とする。野菜の量や成長によっていろいろな防寒・防風対策を行っている。今年はビニールトンネルを使わないで越冬することとなった。午後2時半には日陰になってしまう畑だが、どれだけ冬越しできるかいまだに試行錯誤が続いている。

 

 

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外車じゃぁなかった「bB(ビービー)」

2018-12-23 19:55:23 | 自動車・エンブレム

 買い物に行ったとき見つけた「bB」エンブレム。箱型のいかついボックスの車体だったのでアメリカ車と見た。しかし、外車には該当のエンブレムはなかったが、トヨタが2000年に生産・販売したのがわかった。それが2016年まで長期にわたって販売されるほど愛された車であることもわかった。

       

 「bB」エンブレムの意味は、「black Box」の略で、「無限に広がる未知の可能性」をイメージしたものという。Boxの「B」が大文字である意味はわからないが、「bB」の文字が並ぶとシンプルながらクラシカルなモードが漂う。ボックスなので室内空間は広く若者にも人気があったようだ。

   

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屋根に置かれた死体の犯人は!?

2018-12-22 21:25:48 | できごと・事件

 わが家の裏に土壁でできたシイタケ乾燥小屋がある。といっても今では全く使われないのでじわじわと崩壊の危機を迎えている。ときどきアナグマらしき侵入者が入るので入り口は板でバリケード封鎖している。もちろん屋根のトタンは赤さび一色だ。

 その屋根に一匹のカマキリがぽつんと死んでいた。さっそく当局は犯人の割り出しに捜査を開始した。殺風景な屋根という場所がら、よるべなき自殺や高齢による自然死は考えにくい。当局は他殺と判断した。とすると、モズが犯人像として浮上する。しかし、モズのはやにえは何かに挟むという習性があるはずだ。今回の殺意にはそうした巧妙な意図が見えずきわめてずさんな犯行である。当局は捜査本部を設置したものの早くも迷宮入りになびいている。

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