山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

濡れるほど紫陽花里に定まりけり

2019-06-30 21:05:29 | 植物

 連日梅雨が山里を包囲する。しかし、農作業は次々難題をふっかけてくる。だから、軒下で作業をやるしかない。きょうはセルで育ったトウガラシの苗をポットに移植したり、挿し木した桜の「松月」を再び鉢上げする。そんな雨天の作業をしていると、緑の単一の風景の中にアジサイが飛び込んでくる。今年のアジサイの色は今までの濃いブルーより淡くなった気がする。肥料が少なかったり、老木になるとだんだん白っぽくなるという。

  

 たしかに、同じ樹からこんな白っぽい花が多くなったのが今年の特徴だ。従来はジャパンブルーのような鮮やかさが目立っていた。肥料をやっていないという手抜き・放任のサインかもしれない。日本特産の「アジサイ」も、最近はアナベルとかハイドランジアとかどんどん改良・進化もされてきている。

   

 挿し木で育てたアジサイは国道の法面に植えたり、庭に植えてきた。定植した時は花は咲いていなかったが今では見事な花を着けてくれるようになってきた。和名の「紫陽花」は、唐の白楽天の漢詩からの採用だという。蕚片が4枚であることから平安時代は「四葩(ヨヒラ)」の字(「葩」=平たい白い花びら)を使っていたようだが、縁起が悪いとか、花色の変化が無節操とかいうことで、人気がなかったようだ。その後、室町時代以降、能・華道・茶道などで少しづつ注目されるようになったという。

     

 小さかった「ヤマアジサイ」もけっこう大きくなって奔放に伸びている。花期はすでに終わっているが、「アマチャ」との違いがよくわからない。一般に、アジサイの葉は毒だが、アマチャの葉には甘味がある。また、アマチャの装飾花は丸型で重なり合うというが、「アマギアマチャ」は隙間がある。画像は「ヤマアジサイ」のようだが、同定にますます困惑してしまう。

 

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「食べる輸血」=ビーツの収穫と調理

2019-06-29 21:10:09 | 食彩・山菜・きのこ

 かなり遅くなったがビーツを収穫する。ビーツと言えば、ロシア料理の暖かい「ボルシチ」を思いだす。青春時代の尖った葛藤を癒す温もりだった。薄給の身にとっては高額な料理だったが、ロシア人(亡命?)老婦の濃厚なボルシチの味が希望へとつながっていた。そのなかに、ジャガイモ・肉・タマネギ・サワークリームとともにビーツが主客となっていた。

        

 和宮様が簡単ボルシチもどきを作ってくれた。人参と思ったものがビーツの色で染まったジャガイモだった。料理法も、サラダ・スープ・煮込み・スウィーツとけっこう幅広い。アカザ科なのでホウレンソウと同じ仲間だ。どうりで臭いが同じだった。茎や葉は朝の野菜ジュースや炒め物に活用している。

        

 わが家で収穫した、ジャガイモ・にんじん・シイタケ・エンドウ・ニンニクを入れた自前ボルシチだ。買った食材は鶏肉だけだ。ビーツも蕪のような食感で、血栓予防・疲労回復などの効能もあるようだ。

     

 副食にビーツの甘酢漬けも作ってくれた。ビーツを茹でて甘酢につければすぐ食べられる。ビーツは「食べる輸血」と言われるくらい、リン・ナトリウム・マグネシウム・カリウム・カルシウム・鉄をはじめ、ビタミンA/Cも豊富だ。今まで日本であまり作付けされてこなかったのが不思議なくらいだ。

 

     

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「ヒメシロモンドクガ」がブルーベリーに

2019-06-28 22:01:16 | 生き物

 もっと早くやればよかったブルーベリーの整枝を行っていた。昨年の剪定の失敗で実より葉っぱだらけの徒長枝を伐っていたのだ。そのとき、ド派手な毛虫が隠れていた。背中に白い毛の束が4つもあり、腹の両脇に黒い毛の束もあった。姿は典型的な毒蛾スタイルだ。

 「ヒメシロモンドクガ(姫白紋毒蛾)」(ドクガ科)というのだが、毒針毛はないらしい。つまり、刺されないらしいがあまり研究が(真剣に)されていないようで真偽のほどはまだ未知のようだ。ヒメシロモンドクガは毒蛾のなかでいちばん目立つ格好・色合いをしていて、まるで歌舞伎役者のようだった。

 

        

 久しぶりに「ラミーカミキリ」を発見。やっぱり、盛装して「カクトラノオ」の葉に止まっていた。畑の近くのイラクサをよく食べにくる。会うたびにニヤッとしてしまう(2017.7.13ブログ参照)。「ラミー」とは東南アジアから輸入されたイラクサの名前で、それについていた虫だからという。

 

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挿し木した桜を鉢上げする

2019-06-27 17:42:01 | 農作業・野菜

 「松月」の桜の周りにヒコバエがいっぱい出ていたので、剪定を兼ねて4月に刈り込みを行う(2019.4.21ブログ参照)。そのヒコバエを捨てるのがもったいなくて挿し木したところ、葉が育ち発根もしているのがわかった。梅雨突入ということもあり、それぞれの挿し木を鉢に移植する。

        

 全部の挿し木を鉢上げするのは時間がなかったが、20鉢くらいはできたろうか。はじめは10cmほどの枝からほんとに発根するだろうか全く自信がなかったが、30cmほどの高さに成長していた。旺盛な桜の生命力を感じる。発根率も7割近くはいっていると思う。うまくいけば50鉢くらいはいきそうだ。課題は冬越しできるかどうかだ。これでいつも失敗している。とはいえ、上品な八重桜の「松月」が満開となってわが里を桃源郷になっていく妄想がよぎる。この妄想が曲者で、いつもの失敗の大きな原因でもあるんだなー。

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夏野菜の初めての収穫と…

2019-06-26 20:53:34 | 農作業・野菜

 夏野菜の収穫がやっと始まった。今年は控えめに植えたミニトマトだ。少し早めに収穫しないと四つ足の輩に持っていかれるので、ちょっぴり赤くなったらすぐ収穫して熟成を待つ。

            

 今のところ順調な出来で、味も悪くはない。台風が近づいているのでトマトハウスやトマトの枝が心配だ。家庭菜園だから被害があっても生活には致命的な影響はないが、仕事であると深刻となる。いつでも逃げられる、これは人生の処世訓?だ。

            

 ピーマンも初収穫する。種まきしたピーマンは芽が出なくてあえなく撤退、すぐに苗を購入して定植したものからの収穫だ。うまくいけば、2本のピーマンさえあれば食べきれないほど実ができるはずだが。カメムシとの闘いもあるけどね。

             

 昨年収穫した落花生を冷蔵庫に保存してあったのを思いだし、あわてて種まきをする。畝の穴が38か所できたのでそれぞれ2個ずつの種を埋めていく。明日の雨を期待して水撒きを手抜きする。野鳥に食べられないよう防虫網も掛けておく。芽が出てくれるのをひたすら期待するが、「ムジナ」との闘いが同時に頭をよぎる。

 このところ、「アオバト」の「ウワーオー」と連続する鳴き声が頻繁に聞こえてくる。農作業中のバックミュージックとしてとても快感だ。初春に比べて歌が上手になった「ウグイス」はそろそろ撤退だろうか、ずいぶん少なくなってきた。

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アジサイとレンギョウとを植える

2019-06-25 21:28:38 | 出会い・近隣

 2年越しで育ててきた挿し木のアジサイとレンギョウがやっと大きくなってきた。今週に雨もあるようなのでこれ幸いと地元道路の路肩に植えることにする。数年前に植えてきた路肩のアジサイはしっかり大きくなり花を咲かせている。これに感動する地元の人はどれだけいるかは頼りないが、以前は雑草だけだったところからの変化は覚えているはずだ。

                                    

 先日、集落の共同作業で路肩の草刈りをしていたので、植え付け条件としては今がチャンスなのだ。従来だと行政~自治会経由で植木を確保していたが、うちの集落だけが無償配布してもらうのも微妙だ。そのため、このごろはオイラが自前で育ててきた挿し木も補給するようになってきた。

 

 路肩のかなたには、稲の田んぼやほおずきの苗が規則的に借景となっている。きょうは、アジサイ5本、レンギョウ6本を植えつける。土壌は瓦礫だらけだったので、掘ったはいいが被せる土がない。そのため、近くの路上に溜まった泥や落ち葉をかき集めてそれを腐葉土とともに混ぜ込む。これらの作業をひとりボランティアで行うのがつらいところだが、これも修業だと粛々と進めていく。結果がしっかり出るまでのんびり続けるのが鉄則だ。この持続力への自然体の思い入れが鍵であると思う。

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家族が支える「長いお別れ」

2019-06-24 20:09:20 | アート・文化

 きょうは一日中雨が予想されたので、久しぶりに映画を見に行く。認知症が進行していく父=山崎努に対して、娘=蒼井優・竹内結子と妻=松原智恵子・孫らが暖かくユーモラスに受け入れていく物語だった。その象徴が遊園地であり傘であり誕生会の三角帽であり食事であるように思った。

 評論家の川本三郎さんは「家族が、遠くへ行こうとする父親を現実に引き戻そうとするのではない。家族のほうが、父親のいる新しい現実へ近づこうとする。回転木馬の場面は、奇跡のような一瞬をとらえている」という指摘はこの映画の本質をとらえている。原作者は中島京子さん。(画像はパンフから)

           

 認知症役の山崎努の台詞はあまりなかったが本物のような表情・振舞いの好演だった。それを引き立てたのが蒼井優の演技力だった。傘は雨の日の過去、娘たちを迎えていく親の愛を象徴するアイテムだ。認知症とは英語で言うと、long goodbye というそうだ。つまり近親者からどんどん離れていく長い距離感でもある。

 

  本映画では暖かい家族像がでてきたが、現実はもっと生々しい愛憎劇にある。あえて監督・脚本の中野量太は深刻な映像はとらず、「苦しい現実の中でも人間って愛おしいよ」、「辛いのに笑えることって本当の笑い」だとしたのだった。そのために、「食卓を囲む」場面を重視し、「食べるという行為は人が<生きる>行為」であることを暗示している。認知症になるとその食べるところから崩れていくことから始まると監督は指摘する。

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10日かかってやっと判明

2019-06-23 20:47:36 | 植物

 10日ほど前、近くの橋のたもとで見慣れない樹の葉を発見。といっても特徴的な葉には思えない。葉っぱは指紋のようなものなのですぐ名前がわかると思っていた。それがなかなかわからなくて迷宮入り寸前だった。

     

 手持ちの図鑑を動員したが手掛かりが見つからないので、優れた図鑑を発行している「山と渓谷社」の『樹木の葉』を緊急購入した。従来だと古本で安く入手していたがなかなか古本がなく新本にするしかなかった。

              

 しかし、頼みとしたこの本でもヒントすらつかめず。そのため、似たような葉を片っ端から調べてみた。最終的に候補の残ったのが、キブシ・ネジキ・シラキだった。 

 入手した葉の基部がハート型だったので、それだけを手掛かりにしたのが混迷の原因だった。つまり、葉によっては変異がいろいろあるということだった。

 

     

 葉の縁に鋸歯がなく波打っていること、葉の基部に密腺があったことが決定的だった。その結果、トウダイグサ科の「シラキ」であることがやっと判明。シラキは材が白いところから命名された。種子から食用油・灯油が作られたという。渓谷沿いに多く見られる。そういえば二十年前だったか、沢沿いの山道できれいな紅葉をした葉を見つけ、調べたら「シラキ」だったことを思いだした。花も米粒のような形だったので注目されない目立たない樹木だった。でも、10日ぶりにやっと胸のつかえが取れたので、これからちょいちょい近場で挨拶できる友人ができた気がした。

  

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どこから侵入したのかな?

2019-06-22 22:01:11 | 生き物

 久しぶりにやや厚い肉を食べようとした夕飯時だった。突然、モンシロチョウよりやや小さい蛾が夕飯を食べに来た。そのため当局は住居不法侵入罪として鱗粉をまき散らさないよう細心の注意を払って当該の蛾を逮捕した。本人は黙秘をしていたので当局が調べたところ、「ゴマフキエダシャク」(胡麻斑黄枝尺/シャクガ科)であることをつきとめた。右の翅に一部欠損があるのは老齢のあらわれだろうか。

        

 黄色い地色の翅全体にゴマ粒状の黒点・斑紋が散在しているのが特徴だ。しかも体には同じような入れ墨もあった。黒いサングラスはなかなかはずさない。黄色い足の先端には黒いタイツをはいていた。

 しかし、いったいどこから侵入したのかわからないが、さすが隙間だらけのわが古民家だ。と、そこへ。

        

 「コクワガタ」のメスもやってきた。土中からか木クズからか出てきたばっかりのクワガタらしい。でもどういうわけか当局はこのコクワガタを見るとにっこりしている。なんという差別だろうか。検察は明日にはそれぞれ釈放することが決まった。

 

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道路の高枝を伐る

2019-06-21 20:35:06 | 出会い・近隣

 集落を貫通する道路の両側は杉や広葉樹に囲まれていて、観光バスが通るとき枝が接触してしまう。そのため、バス会社から通行を嫌がれることが何回かあったようだ。行政に頼んでもなかなか実施には時間がかかるし、予算もバカにならない。それで、集落が独自にやることになった。仕事の合間に5人が駆けつけた。

        

 リースの高所作業車を借りてきて道路にはみ出した枝をバケットからチェンソーで伐っていく。オイラはなにもできないので、道路を通行する自動車の安全誘導をしたり、道路の清掃をすることしかやることがない。同時に、漏水していた集落の水道管もパイプを取り換えて補修してしまうというのも自前だった。口径にあうジョイントの部品もどこからか調達してきた。

 自前でまちの補修をしていく「わざ」が「地域力」というものだろう。地方にはこうした「力」がある間は過疎も深刻ではないが、10年後にはどうなってしまうのだろうかと他人ごとではない。それにしても、都会ではなかなかみられないこの山里の自前の知恵と力、スペシャリストの役割に感心するばかり。

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