山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

落花生畑に忍び込んだ者は?

2016-10-31 18:35:33 | 農作業・野菜
 毎日のように落花生畑の様子を見てきて、今週後半に収穫と見込んでいた。
 それがついに昨夜だろうか、落花生を食べに来た者がいた。
 怪しい訪問者対策として落花生の畝にとりあえずの網をかけていたのに。

                          
 網をきちんと押さえていなかった継ぎ目の所で落花生が食われていた。
 きっと、どこが防御の弱点かを冷静にみてからの決行にちがいない。
 周辺の所々に小さな穴を掘ったあとがあった。

                          
 これはやはり、アナグマつまりムジナの仕業に違いない。
 以前、同じ目に合って急遽収穫した落花生の苗を倉庫に保管した。
 ところが、その倉庫の中で落花生が食われていたのだ。

    
 ということは、倉庫の引き戸を開けて侵入したわけだ。
 その深夜、倉庫から物音がしたのでそっと覗いてみたら、ムジナが引き戸を開けようとしていたのだ。
 もちろんそのときは、鍵をかけていたけどね。

                            
 しかもその翌日、こんどは壁の板を壊そうとしていたうえに、倉庫に侵入しようと穴のトンネルを掘ろうとしていた。
 執念深いムジナを軽視してはいけない。
 というわけで、やや早めにすべての落花生を収穫することにする。

   
 今までの経験では、いっぱい収穫したわりにはその収穫量はさほどたいしたことはない。
 とりあえず、生落花生を土間に保管して日中は乾かす作業を続けることとなる。
 また、来年の種を確保したいところだが、前回は腐ってしまったので種の保管方法の工夫が必要だ。

 あわただしい一日だった。
 いつもの体操をやる暇がなかったくらいだったが、からだには適度なリハビリになったことには間違いない。
             
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戦国の要衝「天竜二俣」を往く

2016-10-30 21:19:40 | 旅行・散策
 いつもの森林散策会は今回、天竜の要衝「二俣城・鳥羽山城」を中心の史跡散策となった。
 最初に足を運んだのは信長の諫言で自刃した家康の長男「信康」の清瀧寺の墓だった。
 扉には徳川の紋がむなしく刻まれている。

                        
 寺の境内の中には、「ナギ」の立派な大木があった。
 熊野系の神社ではご神木にしていることが多いという。
 その名から「凪」にちなんで船乗りに信仰されたり、葉をお守り袋に入れたりしていた。
 また、葉の葉脈が竹のように真っすぐなので夫婦円満・縁結びのお守りに使われているという。

            
 隣には鬱蒼とした孟宗竹が乱雑に生えている径がある。
 これでは竹を伐っても竹が倒れるスペースがないくらいだ。
 街中にあるからなんとかボランティアの力で管理できないものかと直線的に思う。

 その後、武田と徳川が争奪しあった「二俣城」と「鳥羽山城」を見たが、以前来たこともあったせいか、上っ面を見ただけに終わる。
 城巡りは一人で歩くか、山城にかなり詳しい人と歩くのがいい。

           
 次に、この界隈の名主で筏問屋の旧家「田代家」に行く。
 天竜川に下ってくる木材の受け継ぎ問屋、天竜川を上下する船・筏の貨物への課税請負、なども兼務していた名家である。
 ちなみに、『ビルマの竪琴』の作者・竹山道雄の母の実家でもあるという。

                            
 主屋(シュオク)は1859年(安政6)の再建。
 室内で目立つのはいくつかの欄間や大黒柱の見事さ。
 建築の知識があればもっと発見があったと思える。

 コースの景観が次々変わっていくのが楽しい散策となった。    

           
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草刈りの強力な助っ人

2016-10-29 19:18:21 | 特産品・モノ
このところ天候を見ながらちょろちょろと草刈りを行っている。
 場所が小石が多いのでナイロンコードの草刈り機を使っている。
 今までのコードは30分もすればすぐ切れてしまっていたが、この藤原産業のナイロンコードは強力で長持ちする。
 どのメーカーも強靭であることをうたっているが、チタン含有のコードにはかなわない。

                         
 
 おかげで、ふさがれていた道が開通し雑草で枯れてしまったアジサイやカエデを植え替えることもできた。
 今まではコードがいつ切れるか不安があったが、このコードは安心して使えるし、多少太い茎も切ることができ、作業効率が上がったのが素晴らしい。

 耐久性が5倍というのは大げさだが、2~3倍はあることは確かだ。
 値段はチタン含有なので高いが納得がいく。
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ミミズに学べよ日本!

2016-10-28 20:43:33 | 生き物
 玄関前で和宮様が叫ぶ。
 「こちらに出てきなされ」というので、庭に出てみると、長いミミズだった。
 近くにあった火ばさみとほぼ同じ長さだった。

                         
 ミミズは目も足も手も骨もないものの、固い土壌を掘っていく。
 しかも、その糞は団粒構造の土にしていき、野菜・農家の強力な味方となる。
 そのうえさらに、昆虫・モグラ・鳥・両生類・イノシシのえさにもなる。
 大関松三郎の「虫けら」という詩をときどき思い出す。

                            
 きょう、国連で審議されていた「核兵器禁止条約」の決議が123ヵ国の賛成で採択されたが、日本は反対したというニュースをやっと報道した。
 反対したのは米ロなどの大国38ヵ国。
 被爆者の体験がこの条約成立に大きな役割を果たしてきたのに。

    
 先日、来日していたフィリピンのドウテル大統領は、「アメリカに犬のような扱い」を受けてきたことを連発していた。
 日本も全く同じことがあるのに当局は核の傘に逃げ込んで嵐が去ることを待つ間に71年がたってしまった。
 敗戦国日本はいまだ自立できていない。

                           
 周りを見ながら忖度して意見を言う体質はおとな社会から子どもの社会に蔓延している。
 その軋轢は通り魔やいじめとして爆発する。

 生きてきた良かったという自分と生きてきて良かったという社会を形成しなければならない。
ミミズの存在が総体として自然や人間に貢献しているが、目立たないが結果的にそうした存在になるよう日本も生きなければならないと痛感する。
 
  

                              
 
     
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大量の植木鉢をいただく

2016-10-27 21:37:32 | 出会い・近隣
 近所の大工さんから「植木鉢を処分したい人がいるけど、いる?」というわけで、さっそく現場に行く。

 行ってみるとその多くが盆栽鉢だった。
 持ち主に聞くと亡くなった祖父が定年まじかから趣味を始めようと盆栽に凝ったのだという。
 あまりに多いので盆栽をやっている山の師匠にも声をかけて二人でいただいてきた。

                          
 盆栽鉢には、①縁 ②角・隅 ③胴 ④深さ・高さ ⑤足 ⑥色 など鑑賞のポイントがある。
 盆栽をやっていないオイラにはネコに小判だが、フツーの植木鉢もどきを中心にいただく。
 というのも、挿し木をやるには、あとで大量の鉢を必要とするからだ。

 盆栽にかける情念をひしひしと感じる。
 それを有効に生かしたいと思案中。
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地すべり現場はいま

2016-10-26 19:21:27 | できごと・事件
 2013年4月におきた地元の地すべり現場。
 真っ青な秋空の下、粛々と第3期工事が進められている。

                        
 工事対象は川からの下層部分となるが、範囲は今までより広い。 
 現場下では稲の収穫が終わりいつものとおりの日常を取り戻している。
 「いつもの通り」というのが幸せというべきなのだろう。
斜面右側に動くものがあった。

      
 肉眼でかすかに人影を発見。
 蟻より小さい。
 重機はかなりの鋭角の角度で登っているが、Uターンはできるのだろうか、とか心配になる。

                        
 肉眼では見えなかったが作業員は命綱を使って作業していた。
 もちろん遠くからはどんな作業をしているかはわからない。
 資材の高騰や作業員確保の難しさ・人件費高騰など、建設現場は難問だらけ。

 山紫水明のわが中山間地はそんな自然を日々満喫できるが、同時に、自然災害の危険も内包している。
 わが地域も日本列島のねじれの中にあるので、脆い石だらけだ。
 人生は思い通りにならないのと同時に自然も思い通りにならないことも肝に銘じなければね。
 
  
 
 
         
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シイタケ第1号素早く収穫そして…

2016-10-25 17:37:19 | 農作業・野菜
 ほだ木の状態がよくないのでシイタケの発生に不安があったが、急に大きくなった第1号を発見。
 周りを見たらなんとか4つほどゲット。
 友人は大量の収穫ですでに販売もしていたので、この瞬間を待っていたのだ。

                     
 そのうちに、近所の翁がやってきて大量のシイタケをいただいた。
 こんなタイミングが中山間地のみずみずしいドラマチックなところだ。
 きょうの雨で明日以降はきっとシイタケの姿を見ることができるに違いない。

         
 先月末に隣の師匠からいただいた白菜の苗が大きくなってきた。
 農薬不使用なので防虫網をしていないと賑やかな虫のレストランとなってしまう。

 霧雨の中ながら、ネギの苗の植え付けを完了する。
 さらに、アジサイ・ブルーベリーなどの樹木に鶏糞を追肥するが、雨が強まったので中断。

 ニュースではどこも女優の麻薬使用ばっかりだったが、原発の廃炉に政府は東電に9兆円を出しているが処理費用にもっとかかりそうだという。
 しかも、「新電力」にも負担の方向だという。
 こうした小さなニュースがもっと大きく取り上げられないところが日本の致命的なところだ。
 新進党の連合勢力が後向きなのも致命的(やはり労働組合は保守的で「自己チュウ」過ぎる)。
 なんということだ。
 
 
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田んぼ界隈の植物

2016-10-24 20:33:52 | 植物
 近所の田んぼをひょいと行く。
 田んぼの周りは帰化植物の「コセンダングサ」の勢力が目立つ。
そんな中で、紅葉した「アメリカセンダングサ」を発見。
                             
 花は他の花よりやや大きく、ヒマワリのように周りに総苞片がとくに目立つ。
 チョコレート色の姿のその1本がかっこいい。
 もしこれがいっせいに群生していたら、駆除しなければならないと思っただろう。

      
                              
 田んぼには夏に収穫が終わったはずの「ホウズキ」が残っていた。
 生育の管理に手がかかり農薬も何回も多用し、灼熱の夏に収穫するつわものだ。
 「アズキ」の実ができていたが、地元の祭りの影響だろうか収穫する余裕がないみたい。

     
 ボンボンのような球形の花をつけた、和紙の原料となる「カジノキ」を発見。
 クワ科の葉は切れ込みがあったりなかったりして同定が難しい。
 いろいろな場所に野生化している。

                             
 花としては目だないが、「コウヤボウキ」(キク科)も茂みに陣取っていた。
 高野山では箒として利用されているが、京都伏見では酒桶の濁りの泡をふき取るのに利用されているようだ。

 当たり前に見える田園風景にも意外なキャストが登場するものだ。 
 
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二色のダンゴムシ発見

2016-10-23 18:02:00 | 生き物
 地区の祭礼の号砲がたびたび空を轟かす。
 残念ながらきょうは、昨日の地元の祭りの疲れが出てしまってかったるいのでわが家でぐだぐだすることにする。
 畑の土をほじくったら薬のカプセルのようなものが見えた。

                            
 そのカプセルが動き出したのでよく見たら、「ダンゴムシ」だった。
 ツートンカラーのダンゴムシを見るのは珍しい。
 どうやらお尻側を先に脱皮してその殻を食べてしまうらしい。

         
 玄関の前にキリギリスの仲間の「クダマキモドキ」がいた。
 「管巻」とは、はた織の時使う紡車のことで、その形に似ているという。
 ときたま家の中に侵入することがある。

                          
 夏の後半から家の周りから畑にかけて「ジョロウグモ」の巣がいたるところに作られる。
 へたすると網が顔にかかってジョロウグモが頭にいるときさえある。
 オスは息子のように小さいが、メスは大きい。
 お腹が膨らんでいるのは卵があるかららしい。

         
 先日の熊地区で見つけたのは、「狩人蜂」が蜘蛛を捕まえて自分の巣に運ぶ瞬間だった。
 蜘蛛を捕まえる蜂として、「アメリカジカバチ」か「オオモンクロベッコウ」かと思われるが、動きが俊敏だったのでうまく同定できなかった。
 蜘蛛を殺さないで麻痺させて自分の巣にいる幼虫に食べさせるのだが、殺すと腐るので殺さないまま少しづつ食べていくという。

自然界も人間界も知らないことに満ちている。
 自殺するのはもったいないことだ。
 好奇心が生きる希望を豊かにする。
 
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地元のまつりが始まった

2016-10-22 12:02:53 | 出会い・近隣
 早朝から地元のお宮の注連縄づくりが田んぼ中ほどで始まる。
 膝が痛い人、腰が痛い人、指が硬直している人など、実際に縄を作れる人は限られる。
 集落全員参加とはいいながら、じわじわと頭数が少なくなってきている。
 とはいえ、汗をかきながらも立派な注連縄を作り上げる。
 近くの公民館では女性たちが「直会(ナオライ)」の準備に追われてる。

                         
 同時に、3号玉・4号玉の打上げ花火のセッティングも行う。
 その後、お宮の内外を清掃し、幟を立ち揚げる。
 お昼を挟んで、午後に禰宜さんを呼んで祭事となる。

                         
 祭事の目的は本来、地元の健康・安全・繁栄とを祈願するものだ。
 限界集落に進行していく現実を神道はいかにとらえるのだろうか。
 アニミズムとしての自然崇拝は納得がいくが、神道が民衆の希望となったのだろうか。
 むしろ、権力の安定装置としての役割があった気がしてならない。

       
 仏教・キリスト教と比べて神道は理論的にも実践的にも後れを取っている。
 だから些末な形式にしがみつく。

 夕方から「直会」が公民館で始まる。
 8時ごろから和やかなビンゴ大会・花火・山車見物などが続く。
 
                            
 お宮の隣には手入れされていない茶畑が広がっていた。
 じわじわと浸透する「生きづらさ」にじわじわと対峙していかなければならない。
 当たり前の営みの中に潜む「生きづらさ」を希望に変えるムーブメントが必要だ、と感じ入る一日だった。
 
                            
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