わが畏友のブラボー氏からお借りしたフランス映画のDVD『女だけの都』を観る。1935年制作の白黒のコメディで、監督はジャック・フェデー、主役は監督の妻であるフランソワ・ロゼー。時代は17世紀初頭、謝肉祭目前のフランドル(日本ではフランダースが馴染み)の小都市にスペイン軍が凱旋するということで、殺戮・略奪の恐れがあり国中が右往左往してしまう。それに対し、世俗的に生きてきた男たちの臆病ぶりに敢然と立ちあがった女たちの物語である(NHK[プロフェッショナル]風)。
圧巻は主役の市長婦人のロゼーが敵軍の将校を手玉に取る豪胆さが見ものだ。また、フランス映画の重鎮で司祭役の「ルイ・ジューヴ」は、「あくが強くなりすぎる手前で、演劇くささを見事にとめてみせる絶妙さ」でワルを演じきった(上の画像の司祭)。
さらに、当時の中世ヨーロッパの貴族衣装を再現しているのも豪華だ。上の画像の晩餐会からもわかるとおり、かなり凝ったコスチュームで時代考証が練られている。カラー映画だとかなり派手な様相になったに違いない。また、ヨーロッパで手づかみの食事からフォークが普及し始めたことを象徴する食事シーンも歴史的に貴重だ。
(39ショップから)
なお、スペイン軍凱旋に男たちがおののいたのも無理はない。時代背景となっていたのは「80年戦争」(1568-1648)があったからだ。それはネーデルランドがスペインに対して起こした長期のレジスタンスで、この戦乱の血涙をきっかけに後のオランダが独立達成。
1939年、ナチスドイツは本映画の上映を禁止し、オランダから独立を勝ち取ったベルギーへ侵攻。すなわち、映画を製作しているころはかなり戦雲の緊張感ある時代でもあった。
そういうとき、こうしたコメデイを描いていくフランス文化の豊かさを感じ入る。残念ながら、日本は関東軍を中心に中国侵略を始めている。もちろん、「国民精神総動員」で言論統制 、芸術・文化への軍国化が官民あげて徹底され、日本人の委縮化・傲慢さが増幅される。
(シネマパラダイスwebから)
ブラボー氏の本映画評は次のように述べている。「ヨーロッパの歴史では何度も経験している戦争の実態をコメディ化してうまく映像として構成できている。ただフランスのコメディにはどこかに苦い、あるいは皮肉な味付けがほどこされる。
本作を平和憲法下の日本で<武力を持たない国家の理想あるいは宿命>として受容するなら、SDGs下の日本女性から反論が出るだろう、いやむしろ社会がこれを期待する前提での憲法なのか? 日本だって侵略するほうも、負けてされるほうも、どちらも経験しているのだが、するもされるもどちらの場合も、する側は<洗練された文化的なヒトばかり>ではなかった。日本はその過程を念頭に日本史と世界史のなかで短絡的な俯瞰を憲法にしたのか?」と。
(ブリューゲル・婚礼の踊りから)
世界はいま<短絡的な俯瞰>で相手国も自国をも見てしまう陥穽にはまってしまった。日本の伝統的に「洗練された文化」は、幼稚な小児病にとって替えられた。その意味での、コメディのスパイスは本映画には見事に効いている。しかし、現今の日本のコメディは、現状を攪拌するだけでお茶を濁すお笑い芸人のバラエティー市場と化した。そんななかで、「ヴナロード!」(石川啄木の詩から)と敢然と立ちあがるのは、やはり「女たち」しかいないのではないか。
第二次世界大戦がはじまる直前の緊張感の中でのフランスは、東西対立の中でもファシズムを選択しなかったというフランスの「洗練された文化」が地下水脈としてコメディとして流れていたのではないか。濁流にまみれてしまった日本の「洗練された文化」はどこに彷徨ってしまったのだろうか。かつて、西村雅彦・近藤芳正主演の「笑いの大学」劇場版(原作・三谷幸喜)のDVDを観たことがあるが、やっと日本のコメディの真価を見た気がしたものだが。
貴ブログへ拙感想のレジュメを掲載いただき有難うございます
古い映画を見る視点は初公開時の評価、映像記録としての評価もさることながら現在に投影した問題提起をどう捉えるかにあると思います
公開当時に日本を含む幾つかの外国の映画賞を受けているが、日本で言えば文化人となる批評家は何を評価したのかを考えてみると、少なくとも西欧の文化人には「現実ではあり得ない戦争」の隠喩として評価したと考える方が適切のようです
翻って日本はとなると、東京都に設置したRAA(特殊慰安施設協会)、引上げ船が帰港する港にもうけた堕胎施設、映画に即して言えばスキャンダルも暴かれた華族婦人によるサロンなど他にも思い至る現実の「女だけの都」がありました。
もちろん、パリでもベルリンでもその他の占領地域でもいずこも同様でした。 おっと、東洋の諸都市、諸地域でも、としておかないと片手落ちだと叱られるかな
この映画をただ単純に日本流のコメディとして理解して良いのかどうか、強いて言えばコメディカル・トラジディ(喜劇化した悲劇)と複雑に呼ぶほうが単純な日本では正しいように思えます
ただ、日本でも洗練された文化ばかりではないようで、たしか大阪城落城図には食料や着物を抱え、中には女を担いで逃亡しようとする雑兵たちも描かれていたと記憶している。まあ女性を助けようとしていると解釈できなくもないが
また、この映画からさほど遠くない68年ほど前の戊辰戦争でも官軍の士官によって女子に対する凄惨な凌虐が行われているが、いずれの史実も歴史記録としてはあまり語られない。 全ては「男の見栄」や「洗練された日本文化」のためなのか
武兵衛さんがこれらの歴史を踏まえての女性へのエールであればと願っています。
石川啄木の「ヴナロード!」は武兵衛さんの分野ですので展開を期待しています。
ジェンダー問題は日本は世界の国で百数十位だったそうで、本映画を見てさもありなんと納得させられました。地方ではとくに女性の社会での決定権・参加権がいまだにないのを痛感しております。
洗脳された「共同幻想」の世界に右往左往している日々の暮らしを考え直したいものです。