山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

トマトハウス骨組み完成

2018-04-30 19:54:33 | 農作業・野菜

 昨日はトマトハウスのポールを倉庫から出して点検するが、だいぶくたびれてきている。突風で折れ曲がったポールはできるだけ処分し、組合せをしてみた。処分した関係で組合せが合わないポールも出てきた。

 

     

 トマトハウスの設置場所は単管パイプが埋めてあるところを利用する。というのも、毎年のように突風や強風で支柱ごとハウスが飛ばされてしまうからだ。ここなら少しは安心かもというわけで例年より規模を縮小してハウスの骨組みを行う。

 

                

 トマトが好物なので苗を見るとつい買ってしまう。今回も先週に苗を買ったもののトマトハウスの準備ができていないので植え付けができないでいる。屋根がないと雨で病気に伝染してしまう。ミニトマトの栽培はやり易いが大玉トマトはなかなか繊細なのだ。突然死の苗が毎年1本はあるほどだ。しかも連作障害もあるから、植付場所を毎年変えていく。それでも、真夏にトマトをかぶりつく感動が脳髄を支配しているのでやめられない。               

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シンプルな頭文字ロゴ

2018-04-29 20:32:56 | 自動車・エンブレム

 トヨタ車のフロントエンブレムには凝ったものが多いが、車名の頭文字をほぼそのままロゴにしているものもある。ときどき見かける「ノア」は、「ノアの方舟」とは関係がないという。英語で優しい語感の人名を表すというが、日本人にはピンとこない。「ノアなら叶う、夢がある」という初期のキャッチフレーズはいいね。

 

                   

 トヨタの「シエンタ」は、7人乗りの「7」のスペイン語Sieteと英語の「楽しませる」のentertainとの造語だという。左右に配置されている点が「7」個であるのもこだわりが伝わってくる。車が駐車したときの背景がそのまま写ってしまった。

 

      

 トヨタの「ラウム」は、英語のRoom(部屋)に相当するドイツ語Raum(空間)から由来している。1987年に生産・販売、2011年生産終了というから、これからは絶滅危惧種のロゴとなる。道理でなかなか見ないわけだ。大型連休は車のエンブレムに出会うチャンスだって?

  

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ジャガイモの土寄せ・ベニハルカの植付

2018-04-28 21:28:50 | 農作業・野菜

 ジャガイモの面倒はもっぱら和宮様の専権事項だ。芽かきを終えてから黒マルチをはずし、いよいよ土寄せだ。

 

       

 一部、芽が出ていないものもあったが、おおむね順調と言える。ジャガイモは多肥だと育たないと言われているので、今回は追肥をしないことにする。三分の二は昨年収穫したジャガイモを種にしている。一条植えなのでスムーズに土寄せを終了する。

 

               

 次に、サツマイモのベニハルカ30本の苗を植え付ける。水やりを丁寧にしないと枯れてしまう。ベニハルカは焼き芋に絶好だが、最近よく出回るようになった品種だ。大型連休は農作業のピークでもある。

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早すぎるぜよ「ムギワラトンボ」

2018-04-27 21:27:48 | 生き物

 畑を歩いていたらなんと、「ムギワラトンボ」らしきトンボ、つまり「シオカラトンボ」のメスが日向ぼっこをしていた。あまりに早いトンボの登場だったので、トンボ以外の昆虫ではないかと疑ったくらいだ。トンボは意外に種類の同定が難しいが、とりあえずシオカラトンボということにする。

 

  

      コウゾらしき葉の上に、髭が半分ちょん切れたせいだろうか「クスベニカミキリ」がじっとしていた。頭の下の「前胸背」という部分が翅と同じ紅色である画像がネットでは多いようだが、こちらは頭と同じ黒色の種類だった。クスノキ科の樹木にやってくることが多いようだ。ハナカミキリと同じように小さく軽やかで、背中の紅色が鮮やかだったのが印象的。

 昆虫たちも忙しい。茶を刈る機械音が山に響く。ゴールデンウィークは農家にとっては忙しい期間なのだ。

 

      

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ご苦労さん里山コンサートスタッフ

2018-04-26 21:06:22 | 市民活動・まち育て

 十年を越える尾上さんの庭園コンサートの幕が閉じた。初期には戦場のような食事づくりで参加者の協力も得ながらの取り組みだった。その後は、お弁当屋さんミツワさんの協力で地元の食材を盛り込んだお花見弁当や山菜弁当が好評となっていった。また、売店が出たり、茶農家のお土産も新しい取り組みとなった。

 

 昨日、尾上邸でスタッフのご苦労さん会が行われた。その庭ではエチオピア産モカの生豆でコーヒーの焙煎が続く。昼食は鹿肉カレーだったが、スタッフ持ちよりの食材もあり、食べきれないほどとなった。

 

                  

 さらには、お湯を沸かそうと急遽手製のロケットストーブも参画した。スタッフが持ち寄った、鮎・コシアブラの天ぷら、胡桃の黒砂糖菓子、シイタケの甘辛煮、ノラボウの胡麻和え、チーズの燻製などもテーブルをにぎやかにした。

 

       

 尾上さんのひたむきな取り組みを讃え、二胡の演奏や歌唱もあり、尾上さんの好きな植物図譜もプレゼントされた。今後、「長蔵寺応援団」は解散せず、情報を共有してこの指とまれ方式でそれぞれの活動を応援していくことを確認した。

 

        

 持ち込まれた七輪では、鹿肉・ソーセージ・エビ・シイタケが焼かれていた。コーヒーの焙煎やミルを初めて体験したのも新鮮だった。スタッフのそれぞれの持ち味が阿吽の呼吸で生かされたコンサートだったことをあらためて思い入る。このコンサート活動がこの過疎地で毎回百人を越える参加者を得たのはもちろん、いろいろな意味を内包した活動だったことを痛感したが、それをいつか明らかにしたいものだ。                  

 

                  

                     

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濁流と山と陰陽説

2018-04-25 19:11:19 | 風景

 昨日からの大雨は近くの国道や県道が午前中通行止めとなった。その影響で学校も休校となった。この雨がもう一日激しく続いたら土砂崩れが起き、わが地域は陸の孤島になったかもしれない。

 

               

 ところが、お昼前には小降りとなり、午後には蒸し暑い陽射しが射すほどの天候となった。川の濁流は激しいエネルギーを抑えきれずに下流に・岸壁に向かっていた。この天候のあまりにも違う現象に、つい紀元前中国の春秋時代に生まれた「陰陽説」を思う。

 

      

 国家や戦争が発生する紀元前、世界の現象を「陰と陽と」で説明する学説がすでに存在していたのだ。一日のうちで大雨と晴とが同居する不思議さに「陰陽説」が単純に説得力を持つ。この考え方が日本の近世に至るまで多大な影響力があった。自然の持つ癒しの美しさと自然災害の恐怖との「二面性」。日本の神々も悪さをすることもあるが、西洋の一神教は神は絶対だ。

 

  

 濁流の喧騒と山の静寂さ。濁流の泥色と山の緑の鮮やかさ。濁流の能動的パワーと山の受動的柔軟さ。濁流の「水」と山の「木」の構成元素。濁流の「地」と山の「天」との位置。濁流の直線的動向と山の多様なたたずまい。まさに陰陽二元論は納得させる自然現象であったことを想う。

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白髭仙人の空中浮遊?

2018-04-24 20:42:23 | 生き物

 朝食の途中で突然和宮様が「畑の近くで不思議な虫を見たぞよ」というので、あわてて箸をおいて現場に急行する。すると、確かに白いひげの虫がふらふら飛んでいた。

 

 

  体は1cmもないくらいの小さな虫だった。とにかく白い髭が浮遊している感じなのだ。しかし、デジカメはなかなかピントを合わせてくれない。しかも、じっとしていないので止まるのをじっと待つ。

 

 

 すぐに、パソコンでいろいろ調べてみたら、「クロハネシロヒゲナガ」という蛾だった。翅は黒く、髭は白く長い、そのままの名前だ。よく見ると、かなりの数が発生している。まるで、蚊が集団でいるような感じだが、ゆらゆら浮遊するのが魅力的で、とても蛾とは思えない。

 

 

 しかたがないので、web「ゆめこが虫を撮る」から引用してみると、こんな見事な画像があった。体は黒いように見えるが光の角度で褐色か紫に見える。メスは髭が短い。そういえば、数年前庭で目撃したのを思い出したが、そのときもピントを合わせられず断念した経過があった。生態はまだ未解明の状態だそうで、資料も少ない。

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ほだ木崩れを補修

2018-04-23 19:27:53 | 屋外作業

 春のシイタケはとっくに終了し、いまでもちらほらおいしいシイタケが収穫できる。このほだ木の列が再び崩れてしまった。古い竹の支柱が重さに耐えられなかったようだ。すぐ、補修する決意ができなくてしばらく放置していたが、やっとやる気が戻ってきた。竹藪から太い竹を伐ってきてやっと並べ代える。

 

               

 新芽を養生してきたカエデや小梅がずいぶん伸びてきたので、それをわが家の境界近くに移植していく。全部で15本くらいになる。これらが成長したころは楓に囲まれた庭ができるはずだ。ススキや雑草に負けなければ、だけれどね。それまではなんとか命をつなぎたいものだ。そんな大まかな構想で終活の準備を詰めていく。  

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「アースデイ浜松」に行く

2018-04-22 21:58:52 | 市民活動・まち育て

 髪の毛が邪魔だったころのことだ。東京のアースデイにときどき顔を出しては、1970年アメリカで始まった国籍・宗派を超えた国際連帯運動のうねりを実感していた。しかしだんだんと活動のマンネリにうんざりして行かなくなっていた。それではいけないとネジを巻きながら県立森林公園に赴いた。

 

               

 全体として幼児連れの若者が多いのに感心する。間口が広い運動であるのも魅力の一つだ。しかし、間口が広すぎてコア部分の担い手が手薄なのが気になる。昨年の11月に浜松市が「フェアトレードタウン」に全国で4番目(熊本・名古屋・逗子に続く)に認定されたことをバネにしているようだ。

 

              

 「フェアトレードタウン」は、途上国の生産品を適正価格で取引することで格差を是正する運動でもあるが、アースデイの理念との突合せをコーディネートするのが腕の見せ所だ。その意味で、地域にある大学の役割が限りなく大きい。

 

              

 今あるつながりはどうしても内輪になりがちだ。既成の組織を動かしていくしたたかさがないといつまでも同じ顔触れだけのものになってしまう。そこをやりきっていかないと本当の変革は起こらずいつになっても平行線のままだ。

 夏のような陽射しの中で森林公園という借景も居心地はいい。財務省の官僚もこうした活動に寄与すれば地域に名を残す役割を果たせるのになー、といつも思う。 

 

 

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マンガ版『風の谷のナウシカ』の苦悶

2018-04-21 19:07:05 | 読書

 宮崎駿のナウシカ論、稲葉振一郎『ナウシカ解読/ユートピアの臨海』(窓社、1996.3)をやっと読み終える。とにかく難解な評論だ。番外の宮崎駿インタビューがあったので、その「解読」なるものが少しはすすんだように思えてホッとする。

 

          

 アニメ「ナウシカ」の終わりは、希望に向かったハッピーエンドだったが、漫画「ナウシカ」は、「青き清浄の地」を用意したものの「満身創痍」の混沌は変わりなく、「未完」のように見える。「ナウシカ」は、「世界の破滅と再生、救済の物語」だが、「人間の生存さえ困難」となった環境にもかかわらず、人間は未だに戦争を続けている。その人間の愚行に対して怒りを抑えられない宮崎駿の哀しさと絶望が、マンガ「ナウシカ」はより強く伝わってくる。

 

                

 自死や絶望まで落ち込んだナウシカを立て直したものは、「事実に向き合う力、理想と現実のギャップに耐える力」だと、稲葉氏は喝破する。それはまた、日々絵コンテと格闘する宮崎駿の姿であり、時代と対峙する心の揺らぎが垣間見える。「あとがき」で稲葉氏は「思想家の宮崎駿氏」と賛辞しているが、そう言われることを拒否しているのは宮崎駿であるのがインタビューから読み取れる。

 

        

 そして稲葉氏は難解なユートピア論を展開してしまうが、それはますます読者を迷宮に誘うもので、明快な評論とは遠くなっていく気がしてならない。そうした論評を迷惑そうに不機嫌になっているのが宮崎氏であり、その意味で宮崎駿は、日常生活でも「何かを感じ取る能力」「実にささやかなきざしのなかに、生きることの意味を直観する力」が大切なのだということを提起し、それがナウシカを支えているんだという指摘はさすがに的を得ている。

 

        

 市井の隠居から与えられた課題図書は冬だったがやっと読み終えた。もちろん消化不良のまんまなのはもちろんだが、アニメよりマンガ「ナウシカ」のほうが宮崎駿の絶望と憤怒がどろどろと噴き出している深さが伝わってきた。きっとそれはいまだ癒されない宮崎駿の悲しみであり、それは青衣の王女「ナウシカ」に救いを求めている求道者・宮崎駿の姿が想像される。

 

 

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