宮崎駿のナウシカ論、稲葉振一郎『ナウシカ解読/ユートピアの臨海』(窓社、1996.3)をやっと読み終える。とにかく難解な評論だ。番外の宮崎駿インタビューがあったので、その「解読」なるものが少しはすすんだように思えてホッとする。
アニメ「ナウシカ」の終わりは、希望に向かったハッピーエンドだったが、漫画「ナウシカ」は、「青き清浄の地」を用意したものの「満身創痍」の混沌は変わりなく、「未完」のように見える。「ナウシカ」は、「世界の破滅と再生、救済の物語」だが、「人間の生存さえ困難」となった環境にもかかわらず、人間は未だに戦争を続けている。その人間の愚行に対して怒りを抑えられない宮崎駿の哀しさと絶望が、マンガ「ナウシカ」はより強く伝わってくる。
自死や絶望まで落ち込んだナウシカを立て直したものは、「事実に向き合う力、理想と現実のギャップに耐える力」だと、稲葉氏は喝破する。それはまた、日々絵コンテと格闘する宮崎駿の姿であり、時代と対峙する心の揺らぎが垣間見える。「あとがき」で稲葉氏は「思想家の宮崎駿氏」と賛辞しているが、そう言われることを拒否しているのは宮崎駿であるのがインタビューから読み取れる。
そして稲葉氏は難解なユートピア論を展開してしまうが、それはますます読者を迷宮に誘うもので、明快な評論とは遠くなっていく気がしてならない。そうした論評を迷惑そうに不機嫌になっているのが宮崎氏であり、その意味で宮崎駿は、日常生活でも「何かを感じ取る能力」「実にささやかなきざしのなかに、生きることの意味を直観する力」が大切なのだということを提起し、それがナウシカを支えているんだという指摘はさすがに的を得ている。
市井の隠居から与えられた課題図書は冬だったがやっと読み終えた。もちろん消化不良のまんまなのはもちろんだが、アニメよりマンガ「ナウシカ」のほうが宮崎駿の絶望と憤怒がどろどろと噴き出している深さが伝わってきた。きっとそれはいまだ癒されない宮崎駿の悲しみであり、それは青衣の王女「ナウシカ」に救いを求めている求道者・宮崎駿の姿が想像される。