山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

急いでコンニャクを植え付ける

2020-04-30 20:26:43 | 農作業・野菜

 龍山のセニョール農園からただいたコンニャクを昨年収穫する。それをやっと植え付ける。3年生はとっくに芽を伸ばしていた。大きいのは今年手作りコンニャクにして、残りは来年に備える。なにしろコンニャクは食べるまでには3年はかかるのだ。

          

 コンニャクは毒なのでイノシシは食べないと聞いたことがあるが、畑が荒らされることがある。どうやらそれは、えぐ味がない赤ちゃんの生子(キゴ)を食べるからのようだ。繊細なイノシシらしい判断だ。畝ごとに2~3年生、1~2年生、1年生~生子と分けて植える。

          

 2年生のコンニャクは来年収穫となるはずだ。末期がんに侵されたセニョールさんからいただいた種や苗は、わが農園ではいまだすくすく育っている。その一つがコンニャクだった。これ以外にも、ブルーベリー・スモモ・ポポー・キクイモ・ヤマウドなどがある。

 

 作付けのヒントや現物を先輩セニョールさんからいっぱいいただいてきた。失敗したものも多くて期待通りにはできなかったが、それでもセニョール遺産はしっかりわが農園に息づいている。コロナ地獄が治まったら援農に行こうと思っていたが、今の状況ではなかなかむずかしそうだ。セニョールさん、5月末には会いにいくからね。

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ため糞はお断り

2020-04-29 20:57:08 | 生き物

 畑で和宮様の静かに呼ぶ声がした。あわてて馳せ参じると、茶畑の間にタヌキがいた。どういうわけか逃げ出さない。少し近づいてみても平気な顔をしている。目線を合わせない。そのうちに、そろそろといなくなったが、顔は痩せているのが気になる。

          

 そう言えば今朝、わが家の入り口で糞を片づけたばかりだった。このところ、同じ場所にため糞がたびたびあるので、縄張り争いが熾烈なのだろうか。以前見たタヌキは疥癬病がひどかったが、今回は胸にちょっぴり症状が見えたが全体としては大きな問題がないように思えた。表情が叱られた子どものようになさけない顔がしおらしい。

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卵にタケノコに献上品が続く

2020-04-28 21:20:53 | 出会い・近隣

 昨日またもや近隣からタケノコが届く。車の後部座席には採りたてのタケノコが満載だった。一昨日もタケノコをいただいたので少なめにいただくことにする。それでも食べきれないので、さらに近所にお裾分けする。娘にも宅急便で直送する。そんなわけで、大鍋に半分近くあったタケノコの煮物もずいぶん減ってきた。なにしろ、三食タケノコ三昧だったからだ。

    

 鶏の有精卵もいただく。和宮様への献上品はこのところ頻繁になってきた。夕飯にはとんかつ丼でさっそく卵を使う。無精卵も有精卵も味や栄養価は変らないが、有精卵にするには平飼いしてストレスを失くして飼育している。過密飼育はストレスを受けやすく免疫が弱まり病気になりやすい。そのため、生産性・コストだけしか考えないケージ飼いについては、EUは2012年から禁止している。食品の安全性・動物福祉・環境保護の観点から規制の流れが世界で起きているが、日本はそういう点ではポリシーがない。

 人間らしさより経済優先の戦略は戦後の基本戦略で、それはいまだ変わらない。新コロナ感染でもその栄光を外すのはできないでいる。だから、大学入試でも経営学部や経済学部系は人気があるが、文学部は貧弱なままでいる。哲学・文学より金儲けだ。この経済優先のつけはすっかり日本の政治や精神の貧困化としてあらゆる分野に浸潤している。

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ホオノキの生命力

2020-04-27 22:17:59 | 植物

 裏の畑脇にホオノキがあった。10年前は1mほどの高さだったのに今では畑を日陰にするほどの大木となった。それを見て、去年の12月に近所の人がチェンソーで伐ってくれた。枝は焚き火の薪として利用したが、冬芽が出ていたいくつかの枝を水を張った甕に挿しておいた。

         

 すると、半年近くになってその固い冬芽から葉が開いてきた。ここまで持続する生命力にあらためて「いのち」の強靭さを発見した思いだ。

           

 直径が30cmほどもある枝は何に活用できるか、思案中。彫刻・版木・まな板と、節が少ないので均質な材質・加工性に優れている。少ない力でナタで削ると枝が簡単にカットできるのが他の樹木とは違う。

         

 ひとかかえもある根元を見ると、成長の速さに唖然とする。「狭い庭には全く向かない」とものの本には書かれていたが、自然に生えてきたんだからしょうがない。オイラの人生は、チコちゃんが指摘するようにぼぉーと生きてきたし、傍観者のような立場に自分を閉じ込めていたスタイルはなかなか直らない。そのため、ホオノキの生命力の強さをなんとか吸収したいと樹皮を撫でるのだった。  

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蔵立てた?真っ黒くろすけ?

2020-04-26 21:35:11 | 生き物

 畝づくりに追われる毎日だ。土を掘り起こすと黄金虫が次々出てくる。最初はカブトムシかとも思ったが、カブトは朽ちた古木や堆肥にはいるけど畑の中からは金蔵立てた?黄金虫が多いというわけだ。

         

 ただし、「コガネムシ」の幼虫は野菜の根っこを食害する害虫なのだ。似た仲間の「カナブン」は、朽ち木を分解する森のお掃除屋だった。カナブンが益虫であるのを初めて知る。今までコガネムシもカナブンも一緒くたにしていた。実際、形はそっくりで仲間も多く、違いがわかりずらい。

 幼虫からしてわかりにくい。逃げるのが早いのが「コガネムシ」、歩行が苦手なのが「カナブン」という見分け方がいちばん手っ取り早いらしい。コガネムシとクワガタ・カブトムシの幼虫も似ていて、大きさや発見場所(畑か山か)でほぼ同定できるが、やっぱり迷うことも少なくない。

        

 同じ土の中から、なんと「まっ黒くろすけ」が出てきた。こちらの毛虫も通算すると7~8匹は出会っていたように思う。画像は「ヒトリガ」らしい。毒針はないようだが触りたくはない。似ているドクガの幼虫に「シロオビドクガ」があるからだ。

 よく室内に飛んでくる成虫が「シロヒトリ」だ。こちらの毛虫は黒というより褐色に近い。シロヒトリの翅の純白と背中の紅色とが鮮やかなのを想い出す。

 いずれも、春爛漫を糧に成虫になっていく場所が畑の土壌にある。ただし、コガネムシは除去しなければ野菜作りの一角は崩れてしまうので、心を鬼にしなければならない。

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桜の塩漬けを自前の桜でやってみる

2020-04-25 22:21:46 | 食彩・山菜・きのこ

 わが畑の隣に八重桜の「松月」という淡いピンクの桜が満開だ。派手やかな「関山」が八重桜としては主流だが、その控えめな「松月」が気に入っている。そこに、お忍びで和宮様がその桜の花びらを収穫していた。

  

 ちょっともったいない気もするが、今までは尾上邸の濃厚な色の花(関山)をいただいてきた。しかしいつまでも甘えているのはいけないと、和宮様は、今回は自前の桜で収穫し桜の塩漬けを作ろうという目論見らしい。

  

 しかしどうしても、色合いの桜色が濃く出てくれるかどうかが最大の心配だ。案ずるよりもーというわけで、まずは行動することだということで、ほどほどの量を収穫していたのだった。

      

 ごみや葉柄を取り除き、きれいに洗ってから水気をとってから漬物器に入れてでぐいぐいと圧縮していく。最初には塩漬けしてから水をしぼり、次に白と赤の梅酢半々を投入。酢を入れると桜色がシャープになる。

 これでひとまずは一安心だが、これからの作業は1本1本天日干しで並べていく作業が待っている。実に手間のかかる作業だ。買えば高いのもうなずける。結婚式などのお茶にも出されるわけだ。さてさて、今は色合いと香ばしさがうまく出ますようにと祈るしかない。

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砲弾タケノコをいただく

2020-04-24 18:34:38 | 食彩・山菜・きのこ

 近所の方から和宮様に砲弾そっくりのタケノコが献上された。いつもだと焚き火で大きな鍋とか釜とかでお湯を沸かして一気にタケノコを茹でるのだったが、今回は急だったのでガスで茹でることにする。それにしても、見事なタケノコだった。献上品なのでいちばん立派なタケノコをくれたようだ。

            

 まずはタケノコのいちばん旬な柔らかい先端部分を刺身を食べる。ワサビと醤油がよく合う。食べるのが遅いとアクが出てしまう。収穫後、30分以内なら生で、数時間なら茹でても刺身が味わえる。タケノコがこんなにも柔らかいのかを味わう瞬間でもある。

 さらに、肉と油揚げを入れた煮物が夕飯に出されてきた。食べてみるとやはり柔らかい。タケノコらしい食感と味が染みついた旨みを楽しむ。食べ過ぎると胃がもたれるのでほどほどにする。ここ数日、山菜尽くしの日々が続く。これは都会ではなかなか身近に経験できないが、不便さがあるからこそ獲得できる過疎地の豊饒なのだ。

 

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勝手に生えてくる山菜に感謝して

2020-04-23 18:04:01 | 食彩・山菜・きのこ

 庭の歩道を無断で侵出する「ミツバ」を踏んでしまうのももったいないので、収穫してサラダもどきでいただくことにする。早いうちに食べないと硬くなるので今がチャンスだ。匂いといい食味といい、優秀な山菜であるのは変わりない。市販のミツバは背が高いけど味が物足りない。よっぽどわが家のミツバのほうが味が良い。

     

 また、庭の片隅の一部にも「セリ」が勝手に生えている。もう時期が終わっているので、味や匂いは今一つだが、急いで春を食べる。セリは根っこのすぐ上の部分がうまい。丁寧に採るとなると時間がかかるのでつい見過ごしてしまう。

  

 畑の隣の荒れ地や裏山には毎年予期せぬ場所に「タラノメ」が進出する。もう旬が終わっているので、若い芽の短い部分だけを贅沢に収穫する。いつもは天ぷらにするが今回は近所でいただいた手作り味噌で作った酢味噌で和えてみる。これで今年の春のタラノメは卒業となる。

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土を耕すことは心を耕し人を育てる

2020-04-22 21:58:19 | 読書

 図書館の除籍本のなかに、今西祐行(文)・西村燎子(写真)『土ってあったかいね/農業小学校の記』(岩崎書店、1994.10)があったのでいただいてくる。というのも30年前だろうか、キャンプ場を探しに神奈川・藤野町周辺に行ったことがある。そこに偶然、今西さんが創立した私立「菅井農業小学校」のちっちゃい看板を見たような記憶がある。今西さんと言えば、戦争のひどさをコスモスの花に託した児童文学・「一つの花」(教科書掲載)だとか、実在の石工をモデルにした歴史小説『肥後の石工』を読んだことがある。いずれも、人間の良心的な葛藤をみずみずしく描いた作品だった。

        

 全校生徒7名で始めた小学校は1987年創立。学校は「耕人舎」と名づけられた掘っ建て小屋と簡易トイレだけのスタートだった。生徒は都会から月1~2回通い、指導は地元農家のプロである。今西さんは校長兼用務員である。

         

 このことで、都会と田舎との交流が始まり、参加者も増えていく。当然、親も同伴するから親の後方支援も具体的になっていく。写真家の西村さんの白黒写真は子どもたちのいきいきした鼻息が随所に表現されている。

             

 

 今西さんは、「百姓の仕事ほど思いやりやいたわりの心が必要」で、これほど教育的な仕事はないと断言する。これはぐーたら農業を自負するオイラとしてはチクリとする言葉だ。氏はつづけて、最近は見栄えの良い商品が売れればそれでいいという風潮が拡大し、それは農薬や機械化やビニールハウスの多用などに至っていく。それは教育の荒廃とつながっていると指摘する。

 また、作者の父が遺してくれたのは「家も土地もお金も何も残してはくれなかったが、何かいちばん大切なものの種だけは、あの小さな畑にまいてくれたような気がしている。しかし、今のほうが日本の多くの親は、その種をまく場がなくなってしまった。農村には場があっても、<百姓などしても金にならねえだよ>といって、種をまくことをわが子に教えようともしない。農業小学校が、さまざまな意味で<種をまく>場になってくれればいいなと願っている」と、学校設立の動機を語る。

          さらに、山里の過疎化の進行の中でも、誇り高い老人の姿に畏敬しているという。「この老人の畑は美しい紋様をを作り出している。風紋のように自然で、けっして人が作ったものとは思えない。この老人の鍬は、力まず休まずいつも自然に動いている。この老人のからだの動き自体が畑にとけこんでいて、そこにその人がいることに気がつかないときさえある。…百姓にかぎらず、人間のするほんとうの仕事というものは、何かを作り上げることでも、掘り出すことでもなく、自然のみのりを待って耕すことではないかと。」 

 新コロナ緊急事態宣言が施行されている現在、あらためて「ほんとうの仕事とは」本来的にどういうものなのかを今西さんの言葉から示唆されたように思う。

 作家・地元・行政・父母との連携が実を結んだ事例だが、現在、今西さんの遺志を受けて、2011年9月に「仁(ジン)の丘農園」としてその跡地に体験農園がオープンしている。ついでに、この藤野町に「パーマカルチャー」という生態系と農業との共生をめざす施設( 1996年同町で設立、日本のパーマカルチャー運動の拠点)があるのも前々から注目していて門の前まで行ったこともある。オーストラリア人が提唱した生き方で、今西さんの考えに近い。しかし、オイラはそれは二宮尊徳をはじめ江戸時代から日本にすでにあった考えではないかと思っている。つまりは「里山」という思想だ。

 「種蒔く人」の精神を風化させてはならないが、自分なりにできることは何かを模索していきたいものだ。         

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耕運機がカムバックしたのに

2020-04-21 20:08:19 | できごと・事件

 修理に出していた耕運機が戻ってきた。これでなんとか春・夏野菜にはまにあいそうだ。前回と同じハンドル調節ギア部分を壊してしまったので、今回は慎重に操作したいと思うのだった。

          

 どうも力任せにハンドルを振り回していたらしい。いよいよ、作動開始と畑の近くまで行ったものの動かなくなってしまった。これはプラグのせいかと点検したらやはり点火プラグが煤だらけだった。さいわい、スペアのプラグがあったので交換する。なんとか作動が始まったものの、今度はエンジンから煙が出て熱くなってきた。機械に弱いオイラもさすがに「こりゃあ、続けるのは危ない」と運転を中断する。

   

 しょうがないので、畑の片隅に耕運機を置いたまま、ハアハア荒い息を切らしながら鍬で畝づくりを始める。土壌はどうしても粗くなる。こちらの畑は石も多いし、日陰で土壌もフカフカではない。だからよけいに、耕運機に活躍してほしい畑だったのだ。耕運機の不調は、取り扱い説明書によれば、どうやらほこりなどが詰まっていてメンテナンスを怠ったのが原因らしい。やっぱり。しかし、某組合業者も総合的に点検して欲しかったよなー。   

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