同じ場所にキャデラックもあった。しかも、エンブレムは立体マスコットだった。世界の栄華を誇る往年のアメリカを象徴するものだ。キャデラックとは、デトロイトを開拓したフランスの伯爵・カディヤックさんを讃えてその紋章をアレンジしたものだ。アメリカ大統領をはじめ世界各国のVIPをうならせた高級ブランドだ。しかし、現在は経営不振でBM傘下に下っている。このへんは、方丈記や平家物語の無常観の先駆性を思わせる。
最近のエンブレムは周りの月桂樹を外している。ちなみに、マスコットは先端で人や物を傷つけるということで現代ではめったにはお目見えしなくなった。ただし、マスコットに触ると引っ込む仕掛けのあるマスコットがあるようだ。
街中を歩いていたら野ざらしのオールドカーを発見。めったに見ない貴重なエンブレムだ。街ですれ違うことはほとんどない。フォードといえばアメリカを代表する自動車メーカーだ。しかも「フォードシステム」の合理的な製造工程は、少品種大量生産をすることでフォード一強時代を迎える。それは日本にも導入され、それによって高度経済成長社会を支える画期的なシステムとなった。
フォードはそのシステムに安住したのだろうか、消費者の多彩な要望に応えきれなくなった。アフターサービスも不十分、ハイブリッドの開発の遅れなど石油に胡坐をかく姿勢が散見される。エンブレムの「走る馬」は「座る馬」になってしまった。フォード・GMの凋落は激しい。ちなみにフェラーリは「跳ぶ馬」のエンブレムを採用している。
そこからしばらく歩くとトラックなどの駐車をふせぐためのガードレールが設置されていたが、その隙間は格好のゴミ捨て場所となっていた。人間の心理によれば一度そこにゴミが投棄されると次々繰り返される。だから住民の断固としたクリーン作戦が試されるわけだ。日本は人間の社会的孤立の実態では世界1位だという。子どものいじめ・高齢者の孤独・青年の自殺など一皮むけば日本的「おもてなし」の実態が暴露される。その意味では、地域コミュミティの構築が問われる。グローバルな競争原理の残酷さに異議申し立てをする所作を積み上げなければならないね。
箱には芭蕉の「両の手に 桃と桜や 草の餅」が印刷されていた。草餅を食べながら庵から見た春の風景だが、両側に高弟子の嵐雪・其角がいたらしい。つまり、桃と桜はこの頼もしい二人を比喩・讃歌しているようだ。季語が三つもある掟破りの句だが、したがって「草餅」が季語。案の定、ポスト芭蕉はこの優れた二人の弟子が江戸俳句を二分する。
鶏糞肥料はホームセンターで一袋200円以下。肥料のなかではいちばん安い肥料でもあるが、その養分はなかなかのものがある。ありがたい。が、屋根がないので雨に濡れてしまうと流れたり塊ができてしまうのがつらいところ。
さっそく、ブルーシートでカバーしておき、重しに小さな枕木を乗せる。なにせ、風と雨が曲者なのだ。突風でいつもシートを飛ばされるほどなのだ。
シートからはみ出た鶏糞は、キウイフルーツの棚下にしっかり蒔いた。キウイはこのところ毎日のようにジュースに入れたり、生でいただいている。その次には、ブルーベリーにもお礼肥えをする。これで今年は肥料には悩まないですむ。ありがたい。うららかな日和のきょうだが風は冷たい。
和宮様は風邪でついにダウン。食欲がなく朝からは無理して食パンひと口とリンゴしか食べていないのが心配だ。
国道沿いに湧き水がどくどくと流れている場所がある。そこには水汲みに来る愛好者が群がるのだがこのところその姿は消えている。いつもならどくどくと湧き出る5ヶ所の取水口はほぼピタリと止まってしまった。
一週間前には一本のうどんくらいの細い湧き水が出ていたがきょうはすっかり止まっていた。昔ならひでりの影響で雨乞いの儀式が各地で行われていたに違いない。近所の長老の話によるとむかしは雨が降ってくるまでみんなで雨乞いを毎日やっていたという。
午後には粉雪が一時舞ったが夕方には止まった。やっぱり雨が欲しい。
横浜・二俣川銀座商店街と並んで厚木街道と「運転試験場通り」とのメイン道路沿いに「二俣川商栄会」の商店街がある。そこの街路灯は緑と橙色の二つの光源が開花していた。この形はスズラン型というか、比較的よく見られるタイプのように思える。交通量が多いのでやや地味な街路灯ではインパクトがいま一つの気がする。まわりには、駅ビルを中心にスーパー「ライフ」・ドンキホーテ・山田電機などの大型商業施設が競っている。その意味では、控えめな街路灯がいじらしいともいえるかも。商店街の周りはいかにも中流サラリーマンの新しい住宅が軒を並べている。かつての原野はいま、交通の要衝として爆発的に開発され都会の喧騒をますます拡大しつつある。
横浜・二俣川銀座商店街の場末の遊歩道におしゃれな石のベンチがあった。その形は音楽記号の「フォルテ」を意識しているのだろうか、それにしても石の硬さを和らげる曲線の造形が生きている。座る所は黒の御影石だろうか、石の種類を変えているのも効果的だ。
その隣には背もたれの石のベンチもあった。階段のような、荷物置きのような、多用途を想起するデザインが斬新だ。さすがに横浜らしいフットワーク豊かなポケット公園だ。ただし、それを受け止める地域の感性の奥行きがあるとより生かされるのだが。座る側としてはやっぱり木製の方が暖かいのは間違いはない。
横浜市二俣川に行った。以前、原野にポツンとあった自動車教習所に免許の更新などで通ったことがある。しかし今では大きな県立病院や学校もあるうえに市街への通勤住宅街となっている。相鉄線の急行も止まる。大規模な再開発がすすんだその街中の入り口に「二俣川銀座商店街」の立派な街路灯があった。そこには音楽記号の「フォルテッシモ」のモニュメントも迎えてくれた。このイタリア語は、「力強く前進する」という意味合いがあり、商店街の心意気が込められているようだ。ここまで商店街をまとめていくにはそれ相当の困難があったに違いない。
2006年、商店街を走ったトラック上のパワーショベルのアームが電線に引っかかり、そのため街路灯が倒され近くを通っていた1歳の少女が下敷きになり死亡する事故が起きた。そのこともあり、安心安全のまち・商店街をめざすとともに福祉のまちづくりを標榜する。そこで、街路灯をLEDに切り替え,目の不自由な人の目線に合わせた光源も設置している。さらには、段差解消のためにバリアフリーのカラー歩道も整備した。街路灯はその商店街・地域の特徴を表現することが多いが、そのへんの説得力は残念ながら伝わってこない。また「フォルテ」は音楽の街にしたいのかとも思えるが、そこもコンセプトが浮遊している。しかし、行政の強力なバックアップもあり、街路灯の緑・紫とカラー舗装歩車道の褐色の色合わせ、その石畳の軽やかさが快適な環境と好感度を誘ってくれる。
裏の道草山への入り口にシャガが浸入してきてシャガを踏んづけそうになっていた。最初は5~6本だったものが今では大小あわせて100本以上は増えてきている。そのため歩くのに邪魔になるシャガを引っこ抜いたら籠いっぱいになってしまった。
道草山の下には茶畑があり、山の中腹にはテレビケーブルなどもある。したがって、背が高くなる樹は伐採の対象となる。そのため、シャガが最適ではないかと一石二鳥じゃあないかと昨年から移植を始める。しかし、昨年植えたシャガは雑草軍団に威力に負けたようで今のところ元気がない。とりあえず、草刈り機でけもの道のような所を開いていく。危険は伴うが冬でないとできない作業だ。
シャガの生命力はかなりのものと信頼しているのでめげずに植えていく。急斜面なので転ばぬよう慎重に作業していたが、2回も転んでしまった。転んで切り株の鋭角な切り口に当たると怪我の可能性もある。ここに繁茂していた灌木は10日ほど前にチェンソーの事故で亡くなった真ちゃんが昨年伐採してくれたばかりだった。
シャガが全面的に中腹を埋めてくれることを期待して水やりをする。成功すれば冬でも深緑の絨毯が見えていくはずだ。むかしは「茶草場」(チャグサバ)としてススキを育ててみんなでそれを刈り取って茶畑に漉き込んだという。ススキは10年以上かけて土に還っていく。掛川ではいまだにその「茶草場」農法が続けられ、2015年世界農業遺産に登録されたばかりだ。しかもこの農法だと、昆虫や小動物のすみかが確保され生物多様性が担保される。シャガ群落では有機肥料にはならないが、アヤメの仲間なのでノーブルな花を咲かせてくれることで潤いを与えてくれることを期待している。