山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

アートな蕎麦屋は味もインテリアもよし

2011-01-31 17:46:14 | 食彩・山菜・きのこ

 昨日、山城見学の帰り、ネコちゃんの前同僚が開いたという蕎麦屋に直行した。 靴を脱いで板の間に座ってまもなく、手打ち蕎麦がやってきた。 

 箸おきがピーナッツというのがスゴイ! これで、もう顔面をくらったようなものだ。 さらに、不定形な楕円の碗に手打ちらしいそばが品よく待ってた。 外が粉雪模様だったくらい寒かったので、温かいとろろそばにしたが、ほんとうはざるそばといきたかった。 それでも、味はこだわりの味だ。

                

 店内はアートな作品が飾られている。 この花瓶は、わが家の外に放り出されているものだ。 こうすればモノが生きかえるんだなー。 

                    

 2階のアトリエには娘さんの作品らしき絵画や工芸品が並べられていた。  木肌といい、自然素材を生かした空間が素晴らしい。

                       浜松市西区白州町266  「手打ちそば処 ふじ花」

          

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南北朝内乱からの山城

2011-01-30 20:09:17 | 歴史・文化財

 粉雪が舞う寒さのきょう、南朝と北朝とが争ったという遠江の山城、「大平城(オイダイラ)」を見学した。

             

 山城の広さはかなりあり、「掘割」もかなり深く、攻め込むのがむずかしそうな場所だった。 教育委員会がかなり城沿いに樹木を伐採したのでわかりやすくなったが、以前、見に来たときは樹木が多くて山城の概要がよくわからなかった。

            

 試験掘りの「トレンチ」や枯葉の下には400点以上の土器のカケラが発見された。 その多くは鎌倉時代の大きな「水甕」であったという。 なかには、中国から輸入された磁器や「天目茶碗」も発見された。 

 午前午後にわたって案内があり、約300人くらいの参加者があった。 地味な山城を見に来るという日本人の好奇心の強さに驚いてしまう。

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薪割りが忙しくなった!

2011-01-29 17:51:06 | 野外活動

 火の利用は人間の発達を驚異的に促した。 体を暖め、調理を飛躍させ、人間が動物界を君臨する一つの大きな梃子になったのは言うまでもない。

 冬の寒さをしのぐ大変さを日々感じているが、薪を燃やして暖をとることは、心の安定を保つ効用がある。 ダルマストーブの利用で部屋全体が暖まるまでにはいかないが、なんとか10度近くいけばラッキーだ。

 石油ストーブでさえも、10度を越えるにはかなり時間をかけなければならない。 それほどに、昔の民家は寒かったんだ。

 知り合いの製材所から杉の端材を大量にもらってきているので、薪にはこまらない。 ただし、広葉樹じゃないのですぐ燃え尽きてしまう。30分もすれば補給しなければならない。 一晩でダンボール2箱くらいは消費してしまう。 

 それでも、薪割りは魅力的だ。 マサカリの力の入れ方も薪の状態にあわせなければならない。 節がしっかりあるとなかなか手ごわくなる。 精神修業のような境地で丸太に向かう。 

 妊婦にも薪割りはいいそうだ。 足をしっかり開いて腰を入れてマサカリを打ち落とすという動作がいいらしい。 これは妊婦に限らず、だれでも心身の健康に良い。 薪割りできる幸せを共有してみませんか。

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やっと 床張りへ

2011-01-28 20:15:38 | リフォーム・屋内作業

 懸案のヒノキの床張り作業を開始した。 薄暗い土間だったこの空間は昼間でもライトが必要だ。

 最初の床板でさっそく難儀した。 壁が真直ぐではないのである。 壁の凸凹に合わせて板を切ったり削ったり、その1枚だけで一日近くが消費した。 建築とはじつに頭を使うものだ。 訓練されていない脳みそはすでに作動停止。 現状に合わせながらやるしかない。

               

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部屋ではペンキ、外は「白」絵の具ときた!

2011-01-27 20:36:20 | 風景

 きのうは朝から寒く、一日中、ダルマストーブを点けたまま。 薪がどひゃどひゃなくなります。 

 とても外作業はできないと、戦意喪失。 これさいわいと、部屋のペンキ塗りの続行。 おかげでペンキ塗りも終了。 外を見たら、白銀の世界。 雪国には申し訳ないが、このくらいが風情あると言おうか。

 作業倉庫とわが道草山とのコラボレーションが絵になるね。 

そして、きょう。 いよいよ、床張りに着手。 あいかわらず、想定外の事態でつまずきどおし。作業すすまず。

 

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ペンキ塗りで明るく

2011-01-26 20:30:36 | リフォーム・屋内作業

みそ蔵部屋の土間の壁をペンキで明るい色に塗りました。

リフォーム最後の懸案の部屋です。 床張りは後回しにして倉庫の暗い感じを払拭したいということです。 ペンキがあちこちたれたりしてなかなかうまくいきませんでした。

                       

 ペンキを塗ることより、その準備のほうが倍以上かかることもわかりました。 途中でペンキが足らなくなり一日がかりで買いにいったりしたので、よけい時間がかかりました。

 野菜作りもそうですが、「本番」に至るまでが結構いくつかのハードルがあるんですね。 想定外のハードルが増えていくんです。 「きょうできることは明日に延ばせ」という主義の私としては、ふんづまってやっとあわてて動くタイプですから、ちょくちょく時期を逃してしまいます。 

 夕方、粉雪が降ってきました。 道理で寒いわけです。 朝からダルマストーブを点けていますがなかなか暖まりません。 薪割が日課になりつつあります。

 

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最優秀賞の郷土食「とじくり」

2011-01-25 20:21:15 | 食彩・山菜・きのこ

 昨年の7月、佐久間・水窪の郷土食「とじくり」が、「新郷土食コンテスト」で最優秀賞を獲得した。 炒ったダイズと米に小麦粉・砂糖を混ぜて煮詰め、おだんごにした和菓子だ。 

 「新そばまつり」の会場にひかえめにおいてあったのを買ってきた。 作る家庭ごとで中身が変わるらしいが、いなかの貴重なお菓子だったのに違いない。 4月8日の「花まつり=灌仏会」のときのみ、仏さんに供えるのが昔の恒例だそうだ。 米や砂糖が貴重な時代、とびきりの贅沢だったのだろう。

歯応えもいいし、なかなかうまい。 甘党を自認する者としては糖分をもう少し控え目でもいいかなと思った。

「とじくり」とは、「閉じ込める」という意味があるらしい。 いったい何を閉じ込めるのだろうか。

 それにしても、北条(ホウジ)峠という辺境の地で、この埋もれていた郷土食を物産として打ち出しているムラおこしグループ「野田やまびこの会」のお母さんたちの取り組みに感謝したい。 すぐ、外食産業にとびつく習性を考え直さなければね。

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佐久間のゆべし(柚餅子)

2011-01-24 20:22:33 | 食彩・山菜・きのこ

 遠州佐久間のそばまつりの会場で「ゆべし(柚餅子)」を買った。 柚子・クルミ・ゴマ・みりんに豆味噌を詰めて蒸し、2ヶ月ほど寒風で干した保存食品ということだ。

 山間地で古くから伝承されているので田舎風味の味わいの深さがある。 「干す」というのは大変な作業であることが昨年の経験から痛感しているので、この食品の価値の一端がわかる。 

                     

  「ゆべし」といえば、クルミ入りのお菓子を連想していたが、これは暖かいご飯に会うような気がする。 味噌と柚子を中心とした深い味が噛むほど出てくる。

 酒やお茶飲みにもぴったり。 高給料亭に出されてもいいくらいの品と自己主張がある。 急峻な山間地で育まれた誇りが凝縮されている。 お薦めでーす。

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山奥佐久間の新そばまつり

2011-01-23 19:52:18 | 旅行・散策

 静岡で最初に気に入ったのが佐久間だった。 山並みを独り占めできる眺望に感激して田舎くらし計画に弾みをつけた場所だった。 しかし、どこの物件も崩落危険地帯の急峻な所にある家屋だった。 きょうはその懐かしい場所を通過しながら、廃屋の連鎖風景に心を痛めたところだ。

 そんな環境のなかで、「新そばまつり」が13回目を迎えるという。 1000人を越えると思われる参加者が会場を埋め尽くした。 うれしいことだ。 限界集落をかかえるこの山村にこれだけの人が集まることは、当事者の人にとってどんなに励ましになったことだろう。

  

  そば道場を体験してみた。 以前はそば粉に温水を入れて混ぜる方法だったが、ここでは普通の水だった。  ただし、こね方を丁寧にやっているところが違うような気がした。 300gだったので手早くできたのでホッとした。  さっそく、麺類の好きな和宮様にそのままクール便で贈ったのでした。

  まちおこしを懸命にすすめている地元のお母さんたちの奮闘が目立った。 あしたからまた、過疎の現実が日常になるのだろうが、心から声援を送りたいと思う。

 

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隣町は「森の石松」の墓あり

2011-01-22 20:30:26 | 旅行・散策

 隣の森町にある曹洞宗「大洞院」のたたずまいがいい。 室町時代の1411年(応永8年)に開創された歴史ある寺だ。

 禅宗らしくきれいに掃き清められた境内がある名刹は、末寺3400寺を率いるという。 「森の石松」の墓で有名だが、へんに観光化・世俗化されていないというところでは、小国神社より魅力的だ。

            

 駐車場の隣には「侠客石松之墓」と「清水次郎長翁碑」が並ぶ。 歩いてすぐに到着できてしまうのは従来の寺社仏閣の経験値からは想定外だった。 さすが、庶民派石松ちゃん。

 石松の墓は昭和10年に建立されたが、昭和30年前後から「商売繁盛」「勝負運強し」との風評から墓石が削られてしまい、変形し、現在のは3代目ということだ。

                 

 墓の隣はアーチ型の橋があり、それには江戸後期の「天明5年」(1785年)の銘の欄干があった。 橋そのものはコンクリートだったが、欄干がせめてもの歴史の証人になっている。 庶民の寄進でできたらしく、そこに寄付金額も彫られている。

                                

 目立たない石塔がいくつかあったが、「従是(コレヨリ)」、「光明」道4里、「秋葉」道6里の道標があった。 昔はここから春野まで徒歩で通った信仰の道でもあったんだ。

 秋は紅葉が美しいという。 こんどはこじんまりした風情をもっとゆっくり楽しみたいものだ。

  

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