山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

農的暮らしでフラットなつながりを

2018-08-31 19:53:02 | 市民活動・まち育て

 本日から第4回ラブファーマーズカンファレンスが春野山の村で開催される。台風接近のニュースもあるためか、今までより参加者が少ないように見られたが、パンフを入手するには当日しかないのが辛いところだ。やはり一カ月前に地元に回覧するくらいの取り組みが必要だが、今回もできていないのが気がかりだ。 初日の体育館前は見事な装飾や絵が素敵だ。

         

 野外活動広場では盆踊り復活のための舞台づくりが行われていた。また子どものための竹のプレイパーク広場も設定されていた。先日、新聞にも掲載されていたようで近隣の人からは「盆踊りをやるんだって!」と言われていた。

          

 初日の特別講演は、複合発酵を提唱する高嶋康豪氏。自然との共生を哲学的な言辞や科学的な用語が多用されてはいるが、講義の中身は結構世俗的に終始していたのが残念。主催者側はけっこうぞっこんだったが放射能汚染を微生物で除染できるという中身はあまり触れられなかった。複合発酵の効用はこれからの時代の要請でもあるがそれこそ地道な説明が必要だ。

          

 夕方には一時的に雷雨があったりして野外は大変だったが、秋らしい涼しさが山を包んでくれる。雲が下のほうに見える。夕食後は、ライブと交流会が行われ、人とのつながりワークが重視される。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツマグロヒョウモンを殺したのは?

2018-08-30 21:54:44 | できごと・事件

 ここ数日は青筋が見事な「ルリタテハ」が飛んでいるが、残念ながらなかなかモデルをやってくれない。そんな傷心の気持ちでトマトハウスに行ったら、なんとツマグロヒョウモンのオスが何者かに殺されていて、その残骸が葉の上に落ちていた。

 

     

         

 その後も同じようにオスのツマグロヒョウモンの死体を発見。まさか、今はやりの妻が夫を殺す喧嘩からなのだろうか。トマトに隠れているカマキリの殺し屋の仕業なのだろうか。さらには、丈夫な糸を張り巡らしてオイラの顔もたびたび捕捉していた蜘蛛もあなどれない。残念ながらその瞬間を見ていないので迷宮入りになりそうな事件だ。

 殺伐としてきた日本の人間関係が昆虫にも伝染したのだろうか。

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アケビの実発見

2018-08-29 21:39:25 | 春野山の村

 

 週末にラブファーマーズカンファレンスの全国集会が「春野山の村」である。その準備で久しぶりにその周辺を歩いてみる。道路わきで「ミツバアケビ」の実をいっぱい発見。アケビの実は高い所に成ることが多いのでなかなか見つかりにくいが、意外に近くで見つけられた。

              

 いつも歩くコースには「サジガンクビソウ」を確認するのだが、きょうはそこを通らなかった。が、違うコースで「ガンクビソウ」(ガンクビソウ科)を見る。仲間がいろいろあるのでいつも迷うが、ほぼ間違いないと思う。

              

 常連の「ツルアリドウシ」も確認。赤い実はこの季節では少ないので目立つ。ただし、ブルーベリー位の大きさで足元に実るので見落としてしまうことも少なくない。

   

 村内でよく見かける「ヒヨドリバナ」(キク科)だが、花はフジバカマに似ているが近隣ではフジバカマの自生地はまだ見たことがない。アゲハチョウの仲間がよく訪れる。

        

 白い花が春に一斉に咲くのは壮観だが、その花にエゴノネコアシアブラムシという幼虫が寄生するとバナナみたいな虫えいが有名だ。この実をすりつぶがまわりのして川に流すと魚が捕れるという有毒の実だ。

 台風が近づいてきているせいか積乱雲が目立つが、周りの山並みとのコラボが見事だ。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏野菜のメンバーチェンジ

2018-08-28 20:55:26 | 野菜・果樹

 夏野菜のトマトはあとわずかで終了間近かだ。毎日10本以上収穫できていたキュウリも少しずつ根元から引き抜いている状態だ。ただし、時間差で植えたトマトやキュウリも定植しているが、秋になるにつれて急に成長が遅くなっている。ゴーヤもそろそろ「終わりだよー」というサインを出している。

 

                

             

 花も実も同時につけている「なた豆」は「これからが出番だよー」と白い花でアピールしている。若い実はスライスして炒めて食べてみる。豆ができるころは30cmほどのさやになり、まさに刀の様に硬くなる。

 

     

 今盛んに葉を伸ばしているのは中国野菜の「クウシンサイ」だ。あまりに元気が良いので、隣に植えた「シシトウ」を次々倒してしまったくらいだ。先日、あわててシシトウに支柱を立てて固定したばかりだ。残暑の暑さは変らないが、わが家の室内交響楽団「秋の虫ハーモニー」は音量を「高」にしてここ数日からしきりに秋を呼びこんでいる。

 

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄スズメウリがみんな赤くなった

2018-08-27 19:07:36 | 植物

 玄関前に植えた「沖縄スズメウリ」の実が緑からみーんな赤くなった。見どころとしては今思えば、緑から黄色になり赤くなるその過程が全部見られる頃がいい。これからは実が茶色になって種ができるのでそれが楽しみだ。

 

       

 別名が「琉球オモチャウリ」とあるように、食べられず有毒だが、この実を転がして遊ぶのにロマンがある。沖縄では普通にある野草だったので遊びに使われたのだろうが、都会ではその苗はホームセンターで500円近くした。さすがに暑さに強いが水をしっかりやらないと枯れてしまう。それにしてもおしゃれな植物だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋野不矩美術館の価値を再発見

2018-08-26 20:12:44 | アート・文化

 秋野不矩(フク)美術館を設計した藤森照信先生の昨日の講演を聴き、何気なく見ていたものがあらためてその価値を再発見する。石垣の代わりに地元の天竜杉を並べた壁は周りの環境に溶け込むことをねらっている。

 

         

 その将来の姿が美術館入口まもなくにある。今までこの坂の壁面をなんとなく歩いていたが先生の意図を見抜くことはできなかった。こうした自然素材をさりげなく配置するところに先生の真骨頂がある。

 

                

 先生が設計した宇宙船のような茶室「望矩楼(ボウクロウ)」は、本体の骨格が天竜杉、脚が天竜檜、屋根と壁は小中高校生の協力で作った銅板からなっている。茶室からは周りの山並みと二俣の街並みを眺望できるというが、残念ながら中には入れない。和洋に精通している藤森さんの遊び心が横溢している。

 

              

 館内のメイン会場から第二会場に行く途中、廊下も壁も土・漆喰でできていることを改めて再認識する。真ん中あたりにトイレがあるが、それはスタンダードなつくりで期待外れだった。美術館に入るにはまず靴を脱いでスリッパに履き替える、さらにスリッパを置いて裸足にならなければならない、そのめんどくさい理由が随所にあるのがやっとわかった。

 

               

 2階へ行くにはタイルのカーテンをくぐる。これもワークショップで作ったもので、鉄線をタイルで挟んである。これを分け入るとタイルどおしが触れて風鈴のハーミニーのような音がする。

 

 

 2階への階段はなんとそこにも土を塗りこんである。館内すべてにこうしたさりげない自然素材の仕組みがある。展示している作品だけについ目を奪われてしまうが、秋野不矩美術館はこうした自然素材の使われ方自体がアートであり、思想であるのがわかる。合理的で効率的な建築が跋扈する昨今、自然素材の個性を生かしたこの発想は現代をいかに生きるかにかかわる哲学であるのを発見する。

 

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤森照信の自然体が深い

2018-08-25 20:59:57 | アート・文化

 都会にいたころ、路上観察に興味をもって自称「路地裏レンジャー」と名乗って路地裏を探検したことがあった。その路上観察の新進気鋭の学者のひとりが藤森照信教授だった。きょう、二俣で講演会があるというので午前中入場整理券を確保し、午後初めて教授の顔を拝見した。

 

      

 会場は200人以上が来ていただろうか。マイナーとも思える異端の建築(史)家でもあるのに、これだけの参加者を集められるのはどこに魅力があるのだろうか。参加者の顔ぶれを見ると老若男女がそれぞれ揃っている。ふつう、講演会とかミュージアムのイベントでは、白髪の「ジジババ」が圧倒的だった。

 

              

 その理由がわかった気がする。自然素材と環境にこだわる教授は紙の上の設計だけでは満足しなくて、つねに現場で職人と話し合いながら作り上げていく。「秋野不矩美術館」の施工は公共施設としては初めての着手という。地元の地主・公務員・製材所のバックアップで伐採した杉や檜を手に入れ、それを建築史家らしく古代にやっていた方法で削っていったという。

 

     

 だから、木材が真直ぐではない。美術館のぬくもりのひとつはそんな魂がこもっているのだ。「自然素材とはそれぞれ個性ある不規則性から成り立っている」と語る。そうした仕組みが美術館内外にあるのを言われて改めて発見する。

 

    

 美術館に行く途中、若い女性が「ここはまるでジブリみたいね」と彼氏に語っていたのが印象的だ。今回の「藤森照信展」で制作された茶室「望矩楼」はまるで宇宙船のようだ。その外壁の銅板3000枚は小学生のワークショップ授業でやってもらったのだという。

 

       

 秋野不矩美術館建設にまつわる初めてだらけの苦心のエピソードを楽しそうに語る藤森教授。そこに漂う軽やかなフットワークが相手をそそるのではないかと思えた。

 

           

 雰囲気が評論家の佐高信に似ているなーと思いつつ、むしろだれでも味方にしてしまう藤森教授の柔軟性が、異端の建築を世界に広めている核心のように思えた講演会だった。それは人間だけではなく、モノ・自然素材・環境に対しても同じなのだった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京丸伝説・王子製紙気田工場の覚書

2018-08-24 20:22:36 | 歴史・文化財

 久々に行った図書館で借りた本の一冊は、『「京丸」私考』(発行・春野町教育委員会、編纂・春野町文化財保護審議会、平成9年1月)だった。京丸はすぐ近くの山あいにある地域だが今は人が全く住んでいない。南朝の崩壊とともに御醍醐天皇の皇子たちが遁走してきた伝説が北遠一帯にあるが、それに関係する末裔が住んでいたのが京丸だという説も紹介されている。

 本家の藤原家の家宝には、参議・歌人の藤原長親・公清につながる歌集10冊や雲上人の衣装などがあったということから平家落人伝説もある。生業は木の器製作などの「木地屋」をやっていたらしく、それにまつわる伝説も近隣にある。前春野町長の天野安平氏が様々な説を集めていた史料をまとめたものだが、真偽はともかく、春野町いちばんの幻の辺境には違いない。

 

                

 もう1冊は、『王子製紙気田工場おぼえ書』(発行・紙の博物館、昭和57年7月)だ。従業員だった佐藤秀太郎氏がまとめたものだけに、正確な史実が残されている。渋沢栄一の肝いりで、洋紙の85%、新聞用紙の95%(昭和8年)を占めるほどに成長した王子製紙だが、その礎となったのが天竜川気田地区の工場だった。つまり、日本の洋紙製造の発祥の地が春野町気田だったわけだ。

 

               

 工場操業にはかなりの困難が描かれていた。当時の明治20年ころの東海道線は磐田が終点で、東京から気田に行くには、手前の袋井駅で降りて、そこから森町・三倉へは人力車しかなく、気田へは徒歩だった。大正半ばには二俣から犬居までは「ガタ馬車」が通るようになった。しかも当時、名古屋から給料などの現金を気田まで運搬するときはピストルをもって護送していたという。

 また、大型の機械は天竜川河口沿いの東海道線途中に臨時荷卸場(「池田」)を設置してもらい、そこから船で運搬した(その後は、反対側の「中ノ町」に移転)。船の運搬も既成の船では大型機械を運搬できず独自に船を造船したり、川中に機械を落したりの逸話も残っている。欧米に何度も学びに行ったリーダーの大川平八郎も独自に機械を改良するなど、悪戦苦闘の幕開けとなった。

 そんな中、中山間地であった小さな集落に「まち」が急速に形成されたが、現在の気田中心街はシャッター通りになっているのが実情だ。そんな山あいの盛衰の歴史が所々に刻印されているが、気田地区はそれでも春野町の現状を表現しているへそでもある。

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルーベリーをジャムにする

2018-08-23 21:01:45 | 食彩・山菜・きのこ

 今年のブルーベリーには野鳥がほとんど食べに来なかった。例年だと必ずと言っていいほど野鳥が来るので追い払うのに苦慮していて、今年は和宮様が防虫網で保護ネットを作ったばかりだった。おかげでネットは陽の目を見ずに部屋の隅に置かれているままだ。そのためか、今までではいちばん収穫は高くなったようだ。

 

            

 それで、ブルーベリージャムを作ることになる。ただし、わが家は換気扇もなく気温も高いので台所は蒸し風呂状態だ。体に難のある和宮様はいのちがけで暑さと対峙している。

 

      

 購入してきた瓶を煮沸してからジャムを入れて、脱気してできあがり。ありがたいことにその一部を友人がイベントに持って行って販売してくれた。ブルーベリーの収穫は意外に難しい。というのは、成熟していると思って収穫してもどうしても早く採ってしまう。すると酸味が強くなる。

 

       

 市販の生のブルーベリーはさすが美味しく食べられるよう選別がされている。その選別の見極めは職人技かもしれない。生の実とジャムにヨーグルトをかけて食べる。そうすると酸味が薄らぎ美味しく食べられる。

 アメリカ大陸に渡った移住民はネイティブインディアンからビタミン豊富なブルーベリーを教えてもらい、厳しい冬も乾燥した実を食べて乗り切ったことから、ブルーベリーは「命の恩人」と呼んでいるそうだ。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

けっこういけます!「ナラタケモドキ」

2018-08-22 20:41:26 | 食彩・山菜・きのこ

 正ちゃんの山に大量発生した「ナラタケモドキ」を少し収穫してきて夕飯にいただく。シイタケ・豚肉・クウシンサイ・コンニャクのなかにナラタケモドキを混ぜてきのこ汁にする。

 

       

 小さいナラタケモドキは軟らかく、硬い柄は短めに切っておいたのでシコシコの食感がいい。ナメコにはかなわないがヌメリがシイタケとは違う食感がある。「ナラタケ」は出汁が出るがそこをシイタケでカバーする。

 

 

 今までは「ナラタケ」と出会うことが多かったが、ナラタケモドキは少なかった。柄の白いツバがないのが特徴なので分かりやすい。最近「ナラタケ」には毒がある種類も発見されているそうなので注意が必要だ。(図は『おいしいキノコ毒キノコ』ネイチャーネットワーク発行、から)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする