市井に住む隠居・ダビンチさんから600頁を越える分厚い漫画が送られてきた。ギャグ漫画で一世を風靡した山上たつひこが1970年代『週刊少年マガジン』に連載していた社会派漫画『光る風』(小学館、2008.7)だった。時代は水俣病・光化学スモッグ発生・沖縄復帰問題などの社会問題をはじめ、70年日米安保・ベトナム反戦・全共闘などの社会運動も活発だった世相だった。また、「管理社会」という言葉もだんだん使われるようになり、見えない締め付けが日本社会をじわじわと浸透していくときだった。そんな背景を強烈に反映した近未来の日本を予想したSF漫画が『光る風』だった。
当時、オイラもふさふさした黒髪をなびかせながら、「戦争を知らない子どもたち」を口ずさんで苦い青春を謳歌していたっけ。『光る風』は「少年マガジン」で部分的に読んだ気がするが関心がなかった気がする。むしろ、『あしたのジョー』や赤塚漫画をラーメン屋の店で読むのが楽しみだった。
『光る風』冒頭には「過去・現在・未来ーー/この言葉はおもしろい/どのように並べかえても/その意味合いは/少しもかわることがないのだ」という言葉から物語が始まる。
1970年代の時代状況と2020年の状況とを比べると、今のほうが「管理社会」の見えない壁がますます発達していった気がする。若者や社会運動は委縮し、軽佻浮薄に逃げ込む空気が蔓延。目の前に銃剣や憲兵は見えないが、同調圧力が学校・職場・地域を支配し、いじめがなくなる気配がない。戦前、自由民権運動は圧殺されたが真の自由は見えない力で沈黙させられている。その意味で、冒頭の言葉は納得せざるを得ないし、山上氏が描いた漫画はいまだ新しい。歴史の本質は繰り返される、人間の本性は変らないということだろうか。
半世紀前に描かれた漫画にもかかわらず、大地震の発生、国防軍の設置、肥大化する権力、人間の孤立化・解体、アメリカへの従属等を予言。近未来の日本を描きながら現代の閉塞を暴露していくリアルが鋭い。そして、「過去・現在・未来の意味合いは少しも変わらない」という作者の告発・人生観へと導いていく。
だから、希望が見えない社会にあってはギャグ漫画で生きるしかなかったのかもしれない。それが大ヒットしてしまうのは作者の思いとはズレていたのではないかと思われる。