山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

田んぼの風物詩はこれからも…!?

2023-09-30 21:13:36 | 風景

   米作りは農家にとって基本的な柱でもあるが、最近はどんどん機械化が広がり、いまや無人のコンバインさえ登場している。コンバイン1台あれば、収穫・脱穀・選別もでき、はざ掛けもやらないで済む。わが家は形式的には農家だが、事実上家庭菜園もどきを演じている。したがって、米は近所の若い農家から玄米を購入している。

     

 そんな今、隣の地域で「はざ掛け」をしっかりやっている田んぼがあった。この光景はどんどん少なくはなっている。地域によっては、「はぜ掛け」「はさ掛け」「はで掛け」「稲掛け」とか呼称もいろいろだ。この地域では両端には三脚の木で安定させている。地域によっては一本直立の場合もある。イネはぎゅうぎゅうに詰めて隙間ができないようにしている。隙間があるとイネの束が落下してしまうことがあるという。

        

 稲束の掛け方は左右から始めて、最後に真ん中に掛けないとバランスが崩れてしまう。知り合いによれば、稲木が折れたり、強風で飛ばされたり、天候に左右されたりなど失敗も多いという。それでも、天日干しのはざ掛けにこだわるのは、二週間かけてゆっくり天日と自然風で乾燥させて米の粒も割れないようにしている。はぜ掛けの上の先端にはビニールを被せて根元からの水分がかからないようにしている。

     

 そんなとき、昨日近所から「田んぼに転がっているわらを持っていってもいいよ。処分に困ってもいるんだ」と聞いて、さっそくきょうの午後もらいに行く。稲の束はバインダーという機械で刈り取った稲をひもで束にするらしい。これを人力でやるのはかなり大変だ。いただいた稲わらは約200束くらいもあったようだ。昨年も車で往復していただいてきたので、ずいぶん助かった。野菜だけでなく庭木にも応用できるのでとてもありがたい。

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端麗な息子か、はたまた放蕩息子か??

2023-09-27 18:32:42 | アート・文化

 街に出かけるには車で1時間以上かけないと到達できない。そのため、その時間を最近は車中で古典落語を聞くのが楽しみとなった。それぞれの落語家の語り口に個性があり、高齢の名人の言葉は聞き取れないことも少なくない。そのうえ、わかりにくい江戸言葉が出てきたり、人形浄瑠璃や歌舞伎を題材とした落語も少なくない。そんなとき、四代目三遊亭圓馬(1899~1984)の「菅原息子」という落語を聞いたが、勉強不足もあってまったく意味不明だった。

          (画像は落語ばなしHPより)

 題材は、浄瑠璃や歌舞伎の「菅原伝授手習鑑(テナライカガミ)」であることが分かった。「菅原」とは菅原道真(歌舞伎では菅丞相)のことで、その書道を弟子である「武部源蔵」がその極意を受け継ぎ、寺子屋で教授しているという有名なシーン(段)だ。平安時代の事件を江戸に置き換えているのがミソだ。

 源蔵が丞相(ジョウソウ)の息子を匿っていることが敵に露見し、その首を討って差し出せと責められる。苦渋の挙句、源蔵(上の画像)は敵の家来・首実検役の「松王丸」に首を差し出す。

           (画像は落語ばなしHPより)

 じつはその首は松王丸の子どもだった。丞相に恩義のあった松王丸はそれを知っていながら、「たしかに間違いない」と苦衷の判定をせざるをえないところが有名な見どころだ。そんな芝居を観てきた落語の放蕩息子は、それからずっと歌舞伎調の言い回しの「源蔵」になってしまって、家に帰る。細かい台詞の意味するところのパロディにはとてもついていけななかったが、最後のオチだけはやっとわかった。悲劇を喜劇のパロディにしてしまう大胆不敵の落語だ。

       (画像は衛星劇場webより)

 端麗な息子の首を看取ってから、松王丸が妻の千代にかけた哀切の台詞、「女房喜べ、せがれはお役に立ったわやい」と。これに対し、落語では芝居狂いが止まない息子を父が箒で折檻しようとすると、体をひらりとかわして親父を投げつけ、「女房喜べ、せがれが親父に、ま、勝ったわやい」とのパロディで、噺の締めくくり=「サゲ(落ち)」としている。

            (画像は国立劇場webから)  

 「菅原伝授手習鑑」は、源蔵の慟哭をはじめ松王丸夫妻の悲劇的な苦渋の場面が有名だが、それが浮世絵をはじめオラは凧絵で見ていたことを想い出した。しかし、これはオラをはじめ歌舞伎などに疎い面々にはからきし理解を得られない噺だ。古典落語はまさに「古典」というわけだ。かように、浄瑠璃や歌舞伎というものが庶民の暮らしの中心的なエンターテイメントであったことがわかる。今まで古典落語の世界には音痴だったがこれで少しは見直すこととなった。「女房喜べ、古典落語が役に立ったわやい」!!!

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りんご飴を食べたくなったぁー

2023-09-25 21:32:58 | 食彩・山菜・きのこ

 秋になると和宮様は「カラカサタケ」(ハラタケ科)を探しておいでになる。5・6年前には道路際でよく目撃していたようであるものの、ここ数年は気候変動やら道路工事やらなどで全くと言っていいほど見られなくなったという。裏山の道草山でも同じく見られなくなって久しい。それが今月中旬、通院の帰りにカラカサタケを道路際で群落を発見したと言って、その一つを見せてくださった。

           

 その一週間後、ふだん通らない木陰の多い道路を通ったとき、カラカサタケの見事な幼菌を発見。卵型の傘の下にはリングのふくらみも見える。このリングは成菌になると上下に動かせるのがこのキノコの最大の特徴でもある。以前、和宮様がカラカサタケの大きな傘をフライにしてくださりいただいたことがあるが、食感はまるでハンペンのようだった。

                  (画像はりんご飴専門店candy bombから)

 幼菌をみると縁日で人気のある「りんご飴」が連想された。味はもちろん全然違うが、幼菌のたたずまいはじつに美しい。生育場所はやはり人間があまり行かないような日陰が多い。はにかみ屋なのだ。しかし、傘を広げると30cm近くに達するほどの大きさにもなる。自己主張が強い個性を持つようだ。茎も小さく刻んで卵焼きとともに食べるとなかなかいける。

             

 ただし、この仲間には有毒のキノコも多い。食べるときはその特徴を図鑑などでそれぞれ確認しながらでないと食べることはしないようにしている。生食はもちろん危ないから火を通すのは必須だ。今年はカラカサタケが多いということは他のキノコも豊富ではないかと思われる。実際、裏山の栗の樹の下にはクリタケが久しぶりに出ていた。こちらは美味なキノコなのでもう少し大きくなるのを待っている。

 しかしながら、クリタケもニガクリタケという猛毒のキノコがある。それも同時に同じような場所に出ているから始末が悪い。見たくれはほとんど見分けがつかないが、ちょっとだけ齧ってみると、ニガクリのほうは文字通り苦い。それが大きな違いなので、食べるときはまず齧って確かめてから調理する。今のところ、このやり方で失敗したことはない。食べることはかように命がけなのだ。

       

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「斬られの仙太」は三好十郎だった!?

2023-09-22 19:46:55 | 読書

   気になっていた三好十郎の脚本「天狗外伝<斬られの仙太>」(而立書房、1988.2)を読んだ。ト書きが小さくて長いうえに、オラには難解な言葉が出てきて閉口もしたが、なんとか読み終わる。これが上演されたのが1934年5月初演だというのに驚愕する。当時は満州国建国、国際連盟脱退、血盟団事件、5・15事件で犬養総理射殺、獄中の小林多喜二虐殺等、軍国化と思想統制が本格化した時代でもある。

             

 当然、当局に批判的な演劇や映画は公開できない呪縛にあり、その劇団員も獄中に拘置されていく。そんな背景を背負いながら、32歳だった三好十郎は本作品を上梓する。

 年貢減免を申し立てした兄への過酷な仕打ちに対して、減刑を懇願するが受け入れられず、結果的に百姓から博徒になる。そのうちにその窮状を察した水戸天狗党の指導者のはからいで一員となるが、農民の立場を理解できない武士・指導者の観念的な限界と内ゲバで自分の命さえ危うくなる。結果的には頼みの朝廷側に立ってしまった幕府により天狗党は掃討される。

                

 エピローグで、ズタズタに斬られたはずの仙太が明治に生き延びていた。そこへ、自由民権運動の壮士がやってきて、それを追う刑事・巡査もやってくる。

 「何のことでも、上に立ってワアワア言ってやる人間は当てにゃならねえものよ。…ドタン場になれば、食うや食わずでやっている下々の人間のことぁ忘れてしまうがオチだ。…今でもそうだ。…百姓町人、下々の貧乏人が自分で考えてしだすことでなけりゃ、貧乏人の役には立つもんでねえて。」とつぶやいたのは、農作業に精を出す百姓の仙太だった。

    

 まるで現代を描いているような作品だ。そんな彼を、獄中から出てきた演出家・村山知義は十郎を「政治指導者を悪く描きすぎている」というような批判を展開する。それに対して、それは「階級を見て人間を忘れた従来の公式的な見解だ」という反批判も出てくる。

 たとえば劇作家・小説家の秋田雨雀や評論家の平野謙らは、十郎が描いた赤裸々な人間の造形は画期的だ。観念的・機械的な人間像ではなく人間の生活に根差した具象的な描写を実現させた功績は大きい、と評価する。

              

 戦後には、民芸の宇野重吉が1968年8月に演出、1969年11月に山本薩夫監督の映画「天狗党」が公開、2021年4月には新国立劇場において上村聡史演出の4時間半近くの力作が上演される。それぞれの作品は、時代を予言したり反映したりの大作でもあった。

      

 戦時下にありながら、大衆演劇的な手法で、殺陣あり、濡れ場あり、歌あり、踊りありの構成の間口の広さは勿論のこと、人間の在り方、時代に対峙する姿勢、土に生きる意味、市井に生きる視点などを考えさせる本書だった。だから、これを舞台で上演するのには覚悟がいる。

 仙太は、「どっちにせよ、ふところ手をして食って行ける人間のすることはそんなもんよ。…人間、人に依れば、ホントのことをウヌが目で見ようとすれば、殺されることだってあるものよ」と腹をくくって生きてきた。

     

 ズタズタに斬られた仙太は三好十郎そのものの姿である。貧困・飢餓・自殺未遂・孤独・妻の病気等を経験したうえに、それを克服しようとして「運動」に参加したものの、その内紛の凄まじさにもいつも葛藤している十郎の姿がある。まさに火だるまとなった十郎の怨念が本書から放射してくる。 

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「夜盗」を捕殺したが…

2023-09-20 22:08:31 | 農作業・野菜

 今月の上旬に植え付けたキャベツとブロッコリーの今は、惨憺たる現状となった。8本あったキャベツはネキリムシにことごとくやられ、残りは1本となってしまった。同じ畝にあったブロッコリーはなんとか生き絶え絶えだが、ヨトウムシの餌食になってしまった。トンネル防虫網をやっていたので安心していたのがうかつだった。

           

 というのも、最近はシカの侵入による防獣柵補修のほうに追われていた経過もある。とにかく、シカは柵の弱点を狙って侵入するという学習効果を生かしているわけだ。もっと近くに効率的な場所があるのにどうもわが畑がお気に入りのようだ。

           

 ハスモンヨトウ(斜紋夜盗、ヤガ科)は、1年間に9世代くらい生育を繰り返すほどのツワモノ害虫でもある。農薬を使わないオラの畑では常連さんでもある。ネキリムシもハスモンヨトウも夜行性ではあるが、ヨトウムシは堂々と昼間から食害しているので、珍しくも当局はその駆除に乗り出した。

          

 やり方は、ピンセットで幼虫を一匹ずつつまんで水中牢に閉じ込めるという刑罰だ。ブロッコリー1本につき平均4匹はいたのではないかと思われる。合計20匹以上は捕殺したことになる。ただし、土中で寝ている夜盗もいるだろうから、監視体制を強化するしかない。

 スローライフは忙しい。ちょうど、草刈りも毎日のように日常作業となっているが、さらに栗拾いやミョウガの収穫が始まった。夏野菜の残務整理も山積している。残暑も厳しく熱中症にならないように、水分補給や昼寝はしっかりとるようにしているが、身体能力の衰えはどうにも否定できない。ハアハア言いながらも、手抜きはかなり上手になってきたと胸を張るが。 

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実を数珠にして極楽浄土に行けるとか

2023-09-18 23:02:25 | 植物

 畑の隣の荒れ地に7年ほど前に移植した「フクロミモクゲンジ」(ムクロジ科)が、高木になり実をつけ始めていた。もともとは数十年前、石川植物園に行ったとき、袋状になった中に黒い種子があるのを木の下で見つけた。これは珍しいと注目していた樹木だった。

   

 さっそく幼樹を購入し都会で育てていたが、大きくなりすぎたので育樹を断念した。そしてそのヒコバエを確保して現在のオラの荒れ地に移植したというわけだ。植物園や寺院でしか見ることはない貴重な樹でもある。7・8m以上にならないと、花も実も鑑賞できない。

              (画像は「季節の花300」webから)

 黄色の花は今月上旬に撮影したがピントを大きく外してしまったので、ネットの画像を借用。というのも、花は7・8m以上の所にあるのでその花の見事さは確認しづらいのが残念。亡くなった畏友天野貢氏にもそのヒコバエをあげたら、「やっと花が咲いたよ」と返事があったのも5・6年ほど前だった。

     

 花言葉は、「あなたとともに」ということだが、その花を確保すること自体が難しい。せめて、実が地面に落ち、黒い種子を拾うのがやっとだ。この種子を数珠にして念仏を唱えれば極楽浄土に行けると、謡曲「道明寺」は描いている。これが一番やれることのようだ。晩秋は種拾いが楽しみだが、ムクロジより種が小さいのが難点だ。とはいえ、失敗を重ねつつここ数年前から花や実が成ったことが喜びでもある。わが家のシンボルツリーの誕生だ。

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親子のすれ違いに潜む悲劇を告発

2023-09-15 19:58:50 | アート・文化

 バイプレーヤーの名優である望月優子が主演に抜擢された、木下恵介監督の映画「日本の悲劇」を観る(画像は木下恵介記念館webから)。戦争未亡人であることが背景にある。そのため、シングルマザーとして二人の子どもを接客業をしながら懸命に育てる。母親は「どんな冷たい世でも子どもがいるだけで生きていける」としているが、その子どもたちは母の過剰なまでの愛情に反発して家を出ていく。

      

 このへんの事情は現在でも心当たりがある事象だ。映画では望月優子が鉄道自殺するにいたるが、追い詰められていく過程をじわじわと描いていく。 映画は1953年(昭和28年)に公開されたが、その当時のニュース画像を織り込んでいる。それは、大東亜・太平洋戦争の総括をしないままの経済復興に浮かれる「逆コース」を暴露しているその監督の手法は当時としては斬新なフラッシュバックとなっている。。朝鮮戦争による他国の被害は日本の経済発展のばねとなる。

          

 冒頭間もなく、監督の言葉を映し出している。「我々の身近におこるこの悲劇の芽生えは 今後いよいよ日本全土におひ繁ってゆくかも知れない」と、今日の日本の事件・事象を予告している。プロローグとエピローグで奏でる佐田啓二のギター「湯の町エレジー」はどうしょうもない矛盾を心に刻んでいく。

           

 1946年に同じ題名「日本の悲劇」でドキュメンタリー映画を公開した亀井文夫氏の作品がときのGHQから上映禁止処分となった。恵介はきっとその仇を取ろうとして物語化したのかもしれない。戦前の作品で軍部後援「戦ふ兵隊」(上映禁止)をオラが若いころ観たが、内容は疲れた兵隊像が多く非戦ドキュメンタリー映画だったのに感動。戦後の「生物みなトモダチ」の久しぶりのドキュメンタリー映画は、亀井の到達点だった気がする。

            

 恵介映画のキャストには、上原謙・多々良純・桂木洋子・柳永二郎・北林谷栄・淡路恵子らの懐かしい顔ぶれがあったのもうれしい。毎日映画コンクールで望月優子は女優主演賞、恵介は脚本賞を得ている。できるだけ感傷を排して事実のリアリティを描く恵介の手法は、この「日本の悲劇」から「女の園」へ、そして「二十四の瞳」へと昇華していく。

         

 こうした木下恵介監督を受け継ぎ発展させたのは、現代では是枝裕和監督ではないかと思える。彼の作品もスーパーヒーローは出てこない。誰も悪くないのに結果は悲劇的。それはオラの親父や母親の苦労と悲劇と重なる。明治生まれの父母の歩みはそのまま日本の近代史に翻弄された生涯でもあったのがわかった。

 とくに親父の晩年は病気もあったが期待していた息子たちに対する希望を失ってしまい、自殺するのではないかと毎日ハラハラしていた。刃物はできるだけ隠した記憶がある。朝起きてから親父が生きていることを確認する悲しみがオラの思春期だった。その点で、この映画とダブルところがあり、その結果、物事を眺めるしかないヘラヘラした今のオラがある。   

 

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お殿様ご高覧の草取り

2023-09-13 22:57:23 | できごと・事件

  以前、有志の協力で完成させた小さなビオトープが健在だが、その周りは草ぼうぼうで進入できなくなっていた。そこで、草刈り機と鎌を持って周りを整備することにした。雑草に埋もれたポポーや五色ヒイラギの苗の周りの雑草を駆除し、何とか救い出した。草刈り機だと小さな苗ごと伐ってしまうことが度々あるので、細かいところは鎌の出番なのだ。

          

 ビオトープの池には、ヒメガマが健在で穂がついていた。池には雑草も侵入して勢力を伸ばしていた。土だけでなく池にも侵出するとはすごい生命力だ。重い雑草の根っこを池から引き出しビオトープを多少きれいにしていく。気候は何とか秋らしくなって汗の量も多少少なめとなった。それでも水分補給をやらないとのどが渇く。

       

 雑草の「洪水」を見ちゃうとやる気を失うので、平常心で焦らず草刈りをしていくことにする。そのうちに、池から誰かに見られている気がした。振り返ると池の主の「トノサマ」だった。目があったのでご挨拶をしたが、「くるしゅうない、続けよ」と言われた気がした。1m以内にいるのに動かないでずっと作業を見てくれたので、くたびれたので途中でやめようかと思ったけどやはり最後まで黙々とやらざるを得なかった。

            

 好奇心のあるトノサマのようだった。池の石を越えてオラに近づいてきたのには驚くばかりだった。しばらくして姿が見えなくなったのがわかった。

 さて、2020年(平成32年)、気象庁はトノサマガエルを観測対象から外すことになった。つまり、身近だったトノサマガエルは環境省の準絶滅危惧種に指定されるなど、遠い存在になってしまったからだ。全国的に水田が減少し、農薬や河川や水田の周りがコンクリート化されるなど、殿様の環境が劣悪になったことが考えられる。

 その意味では、見たくれは酷いオラのちっちゃなビオトープだが、なんとか殿様のお住まいを提供していることになる。お召し物を考えるとお殿様と思っていたが、どうも御姫様だったようだ。

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スマホを捨てて街を歩こう

2023-09-11 22:53:25 | 路上観察

 先日、久しぶりに友人と街中で会ったがその前にちょいと時間があったので、街中を歩いてみる。やはり手ごろなのは、マンホール探しだ。最初に出会ったのが、ひらがなで「おすい」と明記したマンホールだった。浜松市の市章を真ん中に鉄アレイのようなデザインが縦横に配置され放射状に並んでいるものだった。もちろんそのデザインは、車輪がスリップしないためのものである。

        

 それには、上部に「アクアインテック」kk製の「A」マークがさりげなく刻印されているのがわかった。そのデザインは、「ASD」仕様というもので、「Anti Slipping Design」という滑り止めのデザインがされているというわけだ。また、調べていないが、「26/1-1/ー1」とか、「16T-25」などの記号が施されている。きっと、電柱もそうだがその数字から、配置されている場所などの情報がわかるに違いない。当たり前のマンホールにもいろいろなメッセージがあるから馬鹿にできない。

           

また、ガスのバルブがある角型の小さなマンホールも発見。シンプルなデザインでつい見過ごしてしまうが、よく見ると、上下左右のデザインには、単純な「+」マークではないインベーダーのようなデザインがあるのが面白い。

         

 陽ざしが強くてうまく撮影できなかったが、「CCB」という正体不明のマンホールがあった。旧浜松市の市章を中心に十字の模様があるが、よく見ると星が縦に並んでいるのが分かった。ということは、ラグビー状の楕円は星雲か銀河系か、はたまたUFOか。するとそのまわりは星屑か、と妄想が拡散する。

 なお、「CCB」とは、「電線共同溝」で電気・電話・水道・ガスなどのライフラインを共同でまとめたものだということだった。都が時間をかけて電線の地中化をやっているのもそうだ。最初の「C」は次の三つの意味があるという。「Community」「Communication」「Compact」。また、次の「CB」は、「Cable Box」ということだった。

          

 歩道では、角型の小さな「消火栓」があった。中央には旧浜松市の波模様の黄色い市章があり、縦に丸ゴシック体らしき漢字の「消火栓」の文字が刻まれていた。歩道の煉瓦をそのまま取り込んでいるが、マンホール自体が小さいので大きさを合わせる苦労がにじみ出ている。

 都会にはかように過密な人間の生活を集中的にとらえなければならない運命にあるから、すべてに知的・文化的・科学的な知識・技術が凝集されている。その意味での多様な魅力・欲望にも溢れている。したがって、ちょっとした路上観察から都会の断面・断片が垣間見えるのが面白い。が、住むところではない。

 

 

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重厚で先見性ある開鑿の作品

2023-09-08 22:23:02 | アート・文化

 木下恵介監督の「女の園」という作品が手ごたえある映画だと友人が言う。ネーミングからして様々な妄想が出てくるが、どうやらしっかりした学園闘争もののようだ。だんだん眼が悪くなってきたので老眼のメガネを新調してから、まずはそのDVDをみることにした。

             

 本作品は日本の敗戦後の1954年3月(昭和29年)に公開。校則をはじめ人権侵害はなはだしい全寮制の女子大が舞台だ。いまだに沁みついたそうした管理教育は現在も生き続けていることも忘れてはならない。学生の主なキャストは、高峰秀子・久我美子・岸恵子の三大女優の競演で、それぞれの立場から学校に異議申し立ての行動をとる。また、阪東妻三郎の長男・田村高広がデビューするとともに、望月優子・浪花千栄子・金子信雄・高峰三枝子らの豪華配役が懐かしい。

         

 舎監役の高峰三枝子の意地悪さが見事だが、学校側の保身的な体質をもあぶりだしている。それは現在もいくたびも問題にもなっているが、日大の体質が想起できる。映画では良妻賢母を旨とする学校への学生運動が起きるが、日大の学生はまるで羊の群れ状態になって久しい。だからおとなしい学生・若者はミーイズムに走るしかない。

 管理教育の「成果」が今日の社会を形成・制覇してしまったのを痛感する。芽をつぶされてしまった今日の労働運動の衰退もしかり。恥ずかしい限りだが、そういう視点から解けるような社会的事件は日々のニュースからも散見できる。

       

 その意味では、自由を求める当時の格調高い学生の精神が歌声とともに映し出される(弟の木下忠司は音楽賞を受賞)。当時の社会的背景としての朝鮮戦争・レッドパージ・再軍備・労働運動なども台詞や映像から間接的に伝わってくる。さすがに、GHQがすべてを支配していた時代だったので批判はできにくい。と同時に、学生運動の内部対立・分裂工作、さらには教条主義なども描かれ、その後の「運動」とその課題を予見する先見性がほの見える。

  

 この重厚な作品で、毎日映画コンクールやブルーリボン賞など、恵介は監督賞・脚本賞、高峰秀子は主演女優賞を獲得する。映画の結末は悲劇的内容だったが、高峰秀子の役者魂は、「カルメン故郷に帰る」の明るい演技とは違って、表現しにくい難しい役柄を確かな深さをもって魅了した。

 キネマ旬報の1954年度の日本ベストテンでは、第1位「二十四の瞳」、第2位「女の園」、第3位「七人の侍」と、黒澤明の「七人の侍」を抜いて恵介は1位・2位を独占している。現在から見てこれをどう評価するか、議論の余地がいっぱいある気がする。

              

 その意味では、1954年は恵介がもっとも油の乗り切っていた時期だったことは間違いない。まさに、木下恵介は黒澤明と人気を二分した巨匠であった。しかしそれ以降は主に映画の娯楽性・エンターテイメント性が重んじられ、英雄中心のドラマツルギーなどが圧倒していく。恵介がこだわってきた当たり前の庶民の慎ましさは後衛に甘んじる時代にもなっていく。

    

 その延長が現在のお笑い芸人の闊歩するイマとなった。その芸人のフットワークの豊かな精神性は否定するものではないが、失うものもあまりに大きい。その意味で、この「女の園」を観た結果、人間の自立・自由、真摯に生きること、心の余裕、自然への感謝、さりげない日常性などといった言の葉が、優柔不断なオラに迫ってきた。

    

 

      

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