山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

墓地から見えたもの

2019-12-31 19:16:18 | 風景

 一年ぶりに兄と墓参りする。墓地に入ってまもなく、福沢諭吉夫妻の墓がある。ここはいつ見ても花が絶えない。諭吉の妻・お錦(キン)さんの墓碑を読む。

 右には「弘化二年五月十九日生於江戸  大正十三年六月二日歿於東京」とある。弘化二年(1845年)といえば、江戸に大火があり高野長英が獄から逃亡したころだ。幕末まで生きていれば彼が活躍したことがいっぱいあったはずだ。大正十三年(1924年)といえば、前年に関東大震災があった。 墓碑の中央には「香桂院静室古錦大姉」とお錦さんの戒名が大書きされている。左に小さく「齢八十歳」とある。4男5女・9人を生み、激動の時代に穏やかな人生を全うした。

  

  墓地の山から下界を望むと東京タワーが住宅街からさりげなく湧いていたのに気が付く。さすがしばらく東京を君臨していただけある存在感だ。日本のかつての高度経済成長の象徴でもある。たしかオイラは詰襟学生服を着てわざわざ観に行ったことがあったっけ。経済成長の豊かさがもたらしたものを検証することから令和の行く末が決まる。

            

 墓地は階段が多いうえに迷路となっている。勝ち組のエリートコースを走ってきた兄も、さすがに足と耳に衰えが目立ってきた。とはいうものの、落ちこぼれ組のエリートコースを歩んだオイラも同じく足と耳とそれに歯と脳幹とに難がある。お互いに「来年末の墓参に来れるかなあ」とつぶやく。墓参りも命がけになってきた。

 令和元年を終え、明日から二年目を迎える。天皇がこだわるものは総理をはじめとする政治家の利権・思惑を超えているように思われる。景気浮揚ばかりが人生ではない。スロー・イズ・ビューティフルを着々と実現する令和時代でありたいと思う年末だ。

 おかげさまで、356日一日も欠かさずブログを続けられた健康にまず感謝。それにブログを読んでいただいたかたにはさらに感謝。さらには自然と人間とに感謝を忘れないよう、新年にバトンタッチ宣言としよう。

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麻布十番をさらりと

2019-12-30 21:33:18 | 路上観察

 セレブの街、大使館の街、高級店舗・老舗の街、「麻布十番」をさらりと歩く。まずは街路灯も芸術的だ。こういう大胆なデザインの街路灯は少ない。予算も倍以上かかったのではないかと心配する。

      

しかし中心の「麻布十番商店街振興組合」の街路灯はシンプルだった。旗には「A HAPPY NEW YEAR!2020」という世俗的なデザインと、その隣には紅白の「餅花」が束ねてあった。シンプル・イズ・ビューティフルということか。

     

 気に入ったのは、出入り口が江戸物のような堅固な引き戸のある店だった。休業日だったから見られたのかもしれない。菊水の模様があったので、飲み屋なのか楠家だったのか、防御の高さから質屋だったのか、興味が空想をそそる。

          

 最近出店した店舗だろうか、象牙の本物かレプリカか入り口にでんと飾っていたのも麻布十番らしいメッセージのように思えた。いろいろ目を惹く展示物は多いが、懐が寒いのと時間がないのでそそくさと先を急ぐ。

  

 道路際にルーマニアのニコライ・パドユラル作の「ユガヌの夢」というオーナメントが大使館から出品されていた。二羽の鳥がキスしているようだが、バッグのようにも見える。「ユガヌ」とは誰なのかわからない。いろいろ想像して笑顔を見せてもらうのが作者の狙いみたいだ。こういうオーナメントこそ麻布十番らしい存在だ。

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渋谷の迷宮で異邦人となる

2019-12-29 23:04:17 | 風景

 墓参に行く途中、久しぶりに渋谷で途中下車する。今まであったはずのバスターミナルの場所が見つからなくてうろうろする。駅の出口がいろいろありすぎて、自分のいる現在地が分からなくなったのだった。なんとか目的地にたどりついたものの、人間と建物の過密が心を過疎にする。渋谷ヒカリエが開業して間もなくのころょっぴり覗いたことがあったが、きょうは渋谷の大規模開発の一部をうかがうこととなった。

  

  まずは目立ったのは、開業してひと月ほどの「渋谷スクランブルスクエア」の威容だ。隈研吾設計事務所などが加わった建築だけにいろいろな仕掛けが期待できそうだが、まずはガラス張りの壁面にランダムな白いパネルが流れるように配置されていた。しかし、高村智恵子ではないが「東京には空がない」というように、見上げた空が狭すぎる。

 高層のフロワーではGooglを代表とされるIT関係の事務所が期待されているという。

 1階には長蛇の行列がいくつも見られた。その一つが、フランス産発酵バター専門店の「ECHIRE(エシレ)」があった。万博でいくつも受賞し、王室や三ツ星レストランでも使用されているエシレバターを使った「焼き菓子」 が有名らしい。毎週フランスから冷蔵バターが空輸されている。

  大規模開発は渋谷をさらに欲望の楼閣へと肥大化させている。いま、先日殺害されたアフガンの「中村哲」の手記を読んでいるところだけど、飢餓と戦火の日常にさらされている地域から見たら、この大規模開発はどのように映るだろうか。スクランブル(交流)とは、欲望と利益の開発に特化するのではなく、自然と人間とが緩やかに出会う広場という意味ではなかったか。この都市の豊かさは地方の脆弱さをいざなうばかりだ。景気ばかりを説法する進軍ラッパに踊らされてはいけない。人間は何に向かってどう生きるべきかを問う開発であってほしいものだ。      

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倒れた松と実ったナンテンと

2019-12-29 01:18:00 | 野外活動

 裏山には先日伐採された樹木が倒れているままだ。すぐ近くに松があったのでそのいくつかの枝を再利用してみた。残念ながら倒れたショックからかことごとく元気がない。それでも捨てないでそこをよしとすることで年末年始のオーナメント作りを始める。

 さいわい、畑の隣に赤いナンテンが実っていたのでそれを利用することにする。この二つの対照的な素材を融合することにしてみる。即席のオーナメントは風で飛ばされる可能性があるので足元に杭を打つ。この季節はやはり赤いカラーが心を弾ませる。「難を転じて福となす」ナンテンの真っ赤なパワーにあやかって令和2年を生きてみるかと語りかける。

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ご飯の友は白菜の漬物でしょっ!

2019-12-28 05:43:26 | 野菜・果樹

 白菜を収穫する。日本一の生産量の茨城では台風の影響で大量に廃棄する事態もあったようだ。また、サイズが小振りなので農家は悲鳴をあげている。わが家では、台風の影響よりはヨトウムシだろうか、虫の糞が大量に葉の間に散らばっていた。虫そのものは土に隠れてしまったようで白菜は小振りになってしまったが、黒い糞を水で洗い流して食べることにする。今年は暖冬の影響でひもで縛って「霜枯れ」対策をしないまま収穫となる。

       

 和宮様は白菜を四等分に切ってせっせと天日干しする。だからいつも空とにらめっこしながらの日々だった。そしてあわただしくそれを桶に詰めてオーソドックスな白菜漬けにしていく。

 

 ご飯に白菜漬けはもちろん、お茶にもピッタリ。ついつい食べ過ぎて胃が重くなる。投入されたコンブの乳酸菌は発酵されることにより整腸作用の効用もある。これでしばらくはご飯とお茶の友とのつきあいが始まり新年を迎えることとなった。

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野生化したキクイモと苗からのブロッコリーと

2019-12-27 17:49:05 | 野菜・果樹

わが小さな農園にはほったらかしだが重宝している野菜がいくつかある。その一つが「菊芋」だ。増殖しないようちっちゃい根も燃やすようにしているものの領土拡大の意欲はすさまじい。「そうはいかないぜ」というのが相手の言い分だ。なにしろキャベツくらいのでかい塊茎を次々見せてくれる。鍋にはぴったりの健康野菜だけれどね。

      

 とりあえず、目先の菊芋を掘り出して「味噌漬け」にする。このところ近隣にも好評の味となっているが、とにかく手間がかかってしまうのが難点。掘り出して泥を取り、ざっと水洗いしてから包丁で整える。皮が多いと食感がおちるので適度にカットしていく。そしてさらにタワシで小さい泥を除去する。この過程で毎年ブルブル震えながら作業をしていたが、今年からは暖かい湯で作業をすることにした。

 

 いっぽう、苗を買ってきたブロッコリーがついに実をつけてくれた。しかし蒸してからマヨネーズをかけて食べるが、大き過ぎてこれだけで腹が満腹となってしまう。美味しいことは間違いない。このところ、ブロッコリー育成の失敗はだいぶなくなってきた。とはいっても、種からではないのが気にかかる。

 

 寒さが本格的になってくると、味蕾が紫色になっていくのがわかった。はじめは紫ブロッコリーという品種かとも思ったくらいだった。しかし、全部そうなるわけではないのがわからないところだ。市場では紫になってしまうと半値になってしまうわけあり野菜だ。でも、寒さから身を守るためポリフェノールの一種であるアントシアニンを出すことで甘みも栄養価も高くなってくる。だから、買うなら紫ブロッコリーがお薦めということだ。煮てしまえば緑に戻るから心配は全くない。しばらく、ブロッコリーの収穫は続きそうなので、年越ししても食べられるぞ。  

  

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犯人はタヌキと発表

2019-12-26 19:24:35 | 生き物

 最近、糞害が激しいところからついに当局はその犯人は「タヌキ」であることを発表した。どうやら、和宮様がなかなか動かないぐーたら当局に犯人を早く割り出すようご託宣を出したらしい。その結果か、畑で撮ったタヌキの映像写真と共に捜査結果を明らかにした。

     

 犯人候補のアナグマは耳が三角ではなく縁も黒くない。タヌキの顔はいかにもの顔で、画像では人間の様子をうかがっている。人間がいることを知りながら逃げないのはかなり腹が空いていることがわかる。体の半分はヒゼンダニによる疥癬症で毛が抜けている。以前にも同じような病気でやせこけたタヌキを発見したことがあった。

        

 疥癬症は人間にも一時的に感染して強烈なかゆみがあるらしい。犬や猫にはダニが寄生し疥癬症が発生してしまうので注意が必要だ。

 画像は何かを食べようとしているが食物らしきものは見当たらない。ミミズでも発見したのだろうか。野生動物には餌らしきものを外に置かないのが基本だ。

 

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消滅の危機にある名車「ランチア」

2019-12-25 21:05:35 | 自動車・エンブレム

春野ふれあい公園にオールドカー「ランチア」が来ていた。上品で格調高いうえにモータースポーツでも花形だった名車だ。本拠地はイタリア・トリノにおいて1906年に創業したが、1969年以降はフィアットの傘下に吸収される。ロゴは創業者のランチアさんの名前が採用されているが、意味はイタリア語で「槍」を意味する。

                           

エンブレムは、盾のなかに4本のスポークのハンドルを置き、槍と社名の入った旗とを組み合わせている。2007年からは、ハンドルのスポークは2本となり旗はなくなっており、デザイン的にはすっきりとなった。しかし、今は消滅の危機にあるいかにもオールドカーらしい名車でもある。ローマ帝国の末裔は盾と槍を捨てられなかったのか、ロゴに刻印されたそこがまさに「矛盾」だった。歌舞伎じゃないけど、伝統を重んじるとは腹をくくって革新していくことにほかならない。健全な保守派はけっこう革新的なのだ。元気がない革新派は思考停止してしまった頑迷な保守なのだ。

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生きる価値を見いだせる社会を

2019-12-24 19:52:20 | 読書

 以前から注目していた経済学者・金子勝著『金子勝の仕事道』(岩波書店、2006.9)を読む。最近はマスコミに出ていないのがさみしいが、江戸っ子のようなテンポがある苦言が小気味いい。「戦後の枠組み」が国内外に崩れたのは90年代末のバブル崩壊から2003年のイラク戦争の過程だという。つまり、「人々の生き方に大きな変更を迫った」現実に直面したが、日本では「問題を先送りするばかりで生きる価値を見失ってしまった」と指摘する。

  

 先日中曽根康弘氏が亡くなってマスコミはこぞってその役割を評価していたが、金子氏は、レーガン・サッチャーの民営化・規制緩和の市場原理主義と強い政府の構築を中曽根氏が断行したが、日本経済は低迷したまま起死回生には至らなかったと手厳しい。

     

 世界の混沌はイラク戦争のパンドラの箱を開けてしまってから未だに「着地点」が見られない。その壁は同時に、日本の組織の閉鎖的同調体質にあると指摘する。それは彼の青春時代の東大闘争をはじめ研究者としても異端にあったため、壮絶な孤独・挫折・背信を味わう。

 

 そういうときこそ、時代と向き合う知性の真価が問われる。金子氏は「私はどういう時代に生きているのだろうか」をつねに問わざるを得ないとして、「人間は失敗・挫折を繰り返すたびに、相手を許せる範囲が広がっていく」と自らの経験を語る。

 そのうえで、12人の対談者と向き合う。寿司職人・落語家・歌手・医者・内部告発者・ボクサー・建築家など多彩だ。対談者の特徴をひとまとめにすれば、仕事を極めることで社会の壁にぶつかり、それと格闘・煩悶する、そしてそれを革新・凌駕することで到達した世界がある。

 金子氏はそれを「格闘するものをもっているだけ幸せな生き方」だと感心する。そこから、「生きる価値をもてる生き方」を見出す。つまり、学校・職場・地域など、あらゆるところでそれを感じられ模索できる社会を築いていかなければならないと結ぶ。もちろんその先頭に政治家がいなければならないけど、本質的には「自分から」「一人から」ということだね。

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古民家ギャラリー・マルカワの蔵の灯

2019-12-23 22:37:15 | 市民活動・まち育て

 久々に浜松市二俣にある古民家ギャラリー「マルカワの蔵」を訪れる。いつもよりひっそりとしていたがガラス戸を開けると旧知の本島慎一郎さんが出てきた。年末で今は休館しているという。室内のストーブのそばまで案内してくれて久しぶりのお話を聞くことができた。

      

 同時にたまたま水窪の「サンタさん」の訪問もあったので、奥さんが特別に展示を一緒に見せてくれた。旧酒蔵だったせいか、大型の看板が目の前にあった。ビールは明治にはすでに競争が激化していたらしく、「特約店」制度があったようでその名残が看板に出ている。看板の字が右から始まっているのでこれはレトロとはいえ戦後間もなくのものかもしれない。真ん中の旭日旗と波のロゴも今では採用されていない。

             

 そのすぐ隣にも、「清酒大関」のシンプルな大型看板も鎮座していた。歌舞伎座の入口正面に掲げられた役者絵のように、むかしは酒屋の入口上段に設置されていたものに違いない。いずれも銅板でできているように思えた。大相撲の懸賞金アナウンスでは「灘の酒・清酒大関」と紹介されているお馴染みの酒だが、「大関」の創業は正徳元年(1711年)だ。新井白石が活躍していた江戸中期の頃だ。

    

             

 館内には、連鶴や竹製品の作品などがまだ展示されていた。こうしてかかわった作家が今まで通算すると500人くらいにもなるという。今では作家同士がつながり始めたという。これは大いなる財産であり資源だと語った。そうしたアーティストが活躍できるような場を発展するよう発信している本島夫妻のコンビネーションも見事だ。以前はNPO運営だった酒蔵が今は本島夫妻による運営に特化している。お二人の熱い情熱に発破をかけられたひとときだった。

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