一年ぶりに兄と墓参りする。墓地に入ってまもなく、福沢諭吉夫妻の墓がある。ここはいつ見ても花が絶えない。諭吉の妻・お錦(キン)さんの墓碑を読む。
右には「弘化二年五月十九日生於江戸 大正十三年六月二日歿於東京」とある。弘化二年(1845年)といえば、江戸に大火があり高野長英が獄から逃亡したころだ。幕末まで生きていれば彼が活躍したことがいっぱいあったはずだ。大正十三年(1924年)といえば、前年に関東大震災があった。 墓碑の中央には「香桂院静室古錦大姉」とお錦さんの戒名が大書きされている。左に小さく「齢八十歳」とある。4男5女・9人を生み、激動の時代に穏やかな人生を全うした。
墓地の山から下界を望むと東京タワーが住宅街からさりげなく湧いていたのに気が付く。さすがしばらく東京を君臨していただけある存在感だ。日本のかつての高度経済成長の象徴でもある。たしかオイラは詰襟学生服を着てわざわざ観に行ったことがあったっけ。経済成長の豊かさがもたらしたものを検証することから令和の行く末が決まる。
墓地は階段が多いうえに迷路となっている。勝ち組のエリートコースを走ってきた兄も、さすがに足と耳に衰えが目立ってきた。とはいうものの、落ちこぼれ組のエリートコースを歩んだオイラも同じく足と耳とそれに歯と脳幹とに難がある。お互いに「来年末の墓参に来れるかなあ」とつぶやく。墓参りも命がけになってきた。
令和元年を終え、明日から二年目を迎える。天皇がこだわるものは総理をはじめとする政治家の利権・思惑を超えているように思われる。景気浮揚ばかりが人生ではない。スロー・イズ・ビューティフルを着々と実現する令和時代でありたいと思う年末だ。
おかげさまで、356日一日も欠かさずブログを続けられた健康にまず感謝。それにブログを読んでいただいたかたにはさらに感謝。さらには自然と人間とに感謝を忘れないよう、新年にバトンタッチ宣言としよう。