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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

崖崩れを修復している現場

2021-10-06 21:18:19 | 風景

 国道のすぐそばに崖崩れの現場がある。幸にして、がけ下には民家がなかったので大きなニュースにはならなかった。2019年7月の大雨のときだった。その後修復が始まり、てっぺんにコンクリートが吹き付けられたのが、2020年1月のことだった。崖の面には米粒より小さい人影が動いていた。

            

 今回は6人が作業しているのがわかった。命がけだ。こうした作業をするのは資格のあるプロを請負会社から要請するらしい。現場のすぐ下には、会社の何人かが双眼鏡でその作業の安全を確認していた。

            

 何をしているのかは素人ではわからないが、吹き付けたコンクリートの状態を点検しているように見受けられた。がけ下は川になっているが、そこまでは50mくらいはあるように見える。灼熱の夏でも作業は行われていたようで、労働現場にはこうした高度作業が山並みのなかで粛々と進められているのに気づく。災害列島日本にはこうした保守点検・復旧に支えられているのをつくづく痛感する。

 

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八重ざくらとフジが満開となった

2021-04-14 22:02:46 | 風景

 畑の隣にある八重桜「松月」が満開となった。有名な「関山」は華麗・壮絶な桃色だが、「松月」はほんのりしたピンクの控えめさがいい。ヒヨドリが蜜を吸いに来る。他の鳥が来ると鋭い声を荒げて追い払ってしまう。

    

 近所のしだれザクラも殺風景だった川沿いに潤いを与えてくれている。その色もだんだん白っぽくなってきて花も散り始めている。このさりげない風景を愛でる人はどれくらいいるだろうか。それだけの人間が住んでもいない。ただ、幕末にやってきた外国人がジャパンの都会・地方の隅ずみまで花があることで、田園国家・園芸国家と称賛したような名残がここにある。

 

    

 わが家の庭のフジ「カピタン」もいよいよ開花してきた。つい先週はヤブツバキが満開だった後に選手交代を約束しているようだ。この自然な間合いが素晴らしい。ツバキとフジとの優しい競合は人間には調和にしか見えない。

 福島原発の処理水を海洋に流すのが決まった。福島から東京にも電気を供給してきたわけだから、本当は東京湾に処理水を流すべきではないだろうか。福島は東京の後始末を未だ担っているわけだ。故郷にいまだ帰れない人が少なくないという現実はすっかり風化してしまっている。

 また、コロナ疲れを隠れ蓑にお笑いグルメやバラエティで憂さを晴らすマスメディアの無責任が甚だしい。 

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花見客ゼロの穴場

2021-04-07 21:27:19 | 風景

 ソメイヨシノの桜はすっかり葉桜となってきた。いっぽう、わが家の庭の八重桜「松月」は赤い蕾を開花しようと満開を目指している。そういえば、中山間地の川沿いのプロムナードには桜並木がけっこう多く存在する。3月中旬には見事な桜の花見ができる。それなのに、花見を楽しんでいる人を見たことは稀だ。シートを敷いて花見をする家族やグループをこの10年見たことがない。

     

 新緑の山々を見ながらつくづく思う。上野公園や目黒川で人込みの中で花見するよりはこうした中山間地で花見をするのがいいのにと思う。どうも日本人は、人が集まっているところに寄り添う傾向がある。自立していないということなのだろうか。要するに、酒さえ飲んで自分が心地よければいいのだ。自然を愛でたりするよりも自分が孤独でないこと、孤立しないことを恐れるのだ。

     

 わが畑では大根や白菜の花が満開だ!? とても食べきれないので花を愛でるしかないという顛末なのだ。こうなる前に私費の「桜を見る会」をやって食事で消費するのも良かったが、コロナの壁があったことは間違いない。

 忌野清志郎の「田舎に行こう」というとてもいい歌があるが、花見をしたいなら田舎へ行こうという発想ができていくといいなと思う。都会中心主義になってしまった日本の社会は、かつてのローマ帝国のように衰退の連鎖のみちをたどるのだろうか。そんなとき、清志郎は歌う。田舎は、「山から風が降りてくるところ」「風が吹いているだけ」かもしれないが、「何かが待っているかも知れない」よ、とね。  

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上野公園・目黒川からの直行便はいかが!?

2021-03-23 21:36:54 | 風景

 わが家から車で20分ほどの所に川沿いの桜並木が開花している。終日の雨にもかかわらず、きょうで7分咲くらいだろうか。距離にして目黒川沿いの桜に迫っている。しかし今まで10年近くここに来ているが、花見をしている人は見たことがない。見てくれる人間がいないのは桜並木が可哀想にもなる。過疎地にはこうした穴場がいくらでもある。

 その意味でも、観光業界もこれから発想を変えなくちゃ。うわべだけの利益ではなく心を豊かに満たしていく中身、そこに人々のさりげない暮らしと思いを発掘するような観光のあり方を提起するくらいのことを考えなくちゃと常々思う。底の浅い観光業は飽きられる。

 そこで提案だが、上野公園や目黒川からここ過疎地までの直行バス便が出ないだろうか。そうすれば、三密の心配もいらないし、地元も久しぶりの来訪者を歓迎することだろう。多少騒いでも、酔っぱらっても振り向く人もいないしと、都内の花見騒動から妄想が膨らむ。

 

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いよいよ春爛漫へ

2021-03-14 20:46:49 | 風景

 畑の周りには大きな花木に花がにぎやかになってきた。その先陣を切ったのは「八重カンヒザクラ」だった。今が一番の満開のようだ。まるでハナモモのような爛漫さだった。

   

 その近くに、ほんのりピンクの色合いがある「シデコブシ」も満開だった。オイラが「入植」したころは周りの樹木の影にあって、しばらくシデコブシであることもわからないほどの小さな樹だった。それが今では立派な樹木となってきた。咲いて間もなく散ってしまうのでいつも満開のタイミングをのがしてしまっていた。

   

 わが家の入口になんとなく存在感がなかったボケの木も満開となっていた。こちらも隣の木に押されて陽が当たらなかったせいで、今まで花も数えるほどだった。今年は肥料をあげたせいだろうか、元気が良い。地味な入口にやっと華やかさがやってきた。

                  

 フキノトウも周辺でちらほら出てきているが、群生はなくなってしまった。かつて、100個近く収穫したのも夢物語となった。つまり、採りつくし食べつくしてしまったわけだ。反省!! 

 これから、八重桜やハクモクレンの満開もまもなくだ。荒野にもいよいよ華やぐ春がやってきた。茶畑の抜根跡に、挿し木で育てたハクモクレンや購入したリスボンレモンをあわてて植え付ける。

 

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春に会いに行く

2021-03-10 22:36:14 | 風景

 近くの町ではとっくに葉桜になっている「河津桜」だが、わが家の「河津桜」はやっと満開となった。一部、葉が出ているので急いで春を駆け巡っている寒村の桜ということになる。植え付けしたのが2013年、120cmほどだった苗はすっかり大人になった。シカに枝を食べられながらもなんとか生きてきた。

            

 庭の「ヒメリュウキンカ」も次々花を咲かせてくれて金鵄勲章のような輝きを見せてくれていた。また、畑の隣の通路には「カントウタンポポ」が一つだけだったが発見。毎年、西洋タンポポとの競合・拮抗が見ものだが、環境的には関東タンポポの位置をキープしたいものだ。

      

 都会ではとっくに咲いているスイセンも、「大杯水仙」の「アイスフォーリス」もミニスイセンに負けじと咲き出した。昨年とほぼ同じころに咲きだしている正確さだ。まさに暦を持っているかのような実直さだ。

  

 ここに移住してまもなくの2010年に移植した「八重寒緋桜」も満開となった。ほとんど放任状態だったが着々と太い幹となってくれた。まるで花桃のように華麗だ。畑を囲んでこうした春を身近に見られるのが農的生活の発露に違いない。旅行や遠出をしなくても、また人込みにうんざりしなくて鑑賞できるのが最高だ。いよいよ春本番となる。

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早春の一番乗りはだ-ぁれ?

2021-03-04 22:50:27 | 風景

 わが家も遅い春が近づいてきた。この花が咲くと寒さはあるものの春がやってきたことを教えてくれる。それはいったい誰なのだろうか。歩いてみるとそれは、畑から消えてしまった「フキノトウ」だった。しかも、畑の隅っこに一本だけ咲いていた。周りを見回してもこの1本だけだった。もう少しすれば、移動したフキノトウが月末には裏山や花壇に整列することは分かっているが、実直な広報官は饗応をしていないのに任務を遂行してくれたのだった。

              

 早咲きミニスイセン「テイタテイト」も一番乗りをいつも誇っている。春は黄色の花から始まるというのが実感だけどまさにその使者の役割を控えめに果たしてくれるのがこのミニスイセンなのだ。

      

 その隣には、大きな蕾を含まらせている最中のスイセンがあった。いつも今月中旬には開花登場する。近所ではとっくに花が開花しているのにわが家はいつも出遅れている。これはオイラの性格にあわせているのかもしれない。

     

 そうして、鮮やかな赤桃色で春を描く「八重カンヒザクラ」も参入してきた。こちらは5分咲きというところだろうか。いま一つ肌寒いので、夕方はダルマストーブを点火する。薪の殆んどは抜根した茶の木でやってみた。もちろん焼き芋を焼きながらだが、十分役割を果たしている。枯れても役に立つなんてしゃれている。しかも、夕飯の主食に焼き芋が出るなんてこれもまた「役割」を邁進してくれたわけだ。

 このように、それぞれが役割というものを活かしてくれると暮しは桃源郷に近づく。人間もさわやかに人や社会のために役割を自覚していけば幸せをつかんでいくこととなる。しかし現実の報道では暗いニュースばかりが胸を突く。総体としての人類は相変わらず成長していない。そんなとき、小さな春を見つけ出すことこそ大きな感動を手中できるんだけどなー、とぼやく早春だ。      

 

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春を手繰り寄せてみるのだが

2021-02-20 23:23:15 | 風景

 都会ではとっくにスイセンの花が咲き出しているというのに、わが畑のスイセンはやっと芽が出てきたばかり。よくみると花の蕾も用意はしているようだ。そのすぐそばには毎年出てくるスイセンは申し合わせたようにまだ惰眠最中の様子だ。

        

 庭にはアウトドア用のシンクがあり、その水道でカッターの刃の研ぎをやろうと蛇口をひねったが水は出てこない。予報では春並みの気温だと報道するが相変わらず寒さは変らない。

                   

 久しぶりの「つらら」には感動はするが、寒風はジイジにはこたえるのだ。こういうときは体を動かすに限ると畑で黒マルチのカバーを掛けてみるが風で飛ばされそうになる。「春よ来い」と呼んではみるがどうも生返事のようだ。

   

 風が強いのが気になるが、夕方茶畑の抜根をやってもらっているA君に暖かいコーヒーを出そうと、七輪でお湯を沸かす。そこいらに散乱している木っ端を燃やしながらコーヒーブレイク。直火は心と体を暖かくする。取り留めない話をしながらも茶畑跡の構想を話題にしてみる。枝垂れハナモモを植えてから跡地利用については近所からいろいろ関心が出てきているようだ。    

 

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「天王の森」はいま

2021-01-16 22:30:54 | 風景

 近所にお宮がある「天王の森」に行ってみる。むかしは神社林があり子ども心には怖かった森だったという。今では茶畑が占めているが、ここ数年茶畑や竹林も伸び放題となってきた。つまり、神社林も経済効率の対象となり森は消えたが、今では森自身が再生しようとしているというわけだ。

  

 遠くを見ると、眺望は360度の山並みに囲まれている。どこを見ても杉林に制覇された森は相変わらず変わらない。山や森を市場にしてしまった。投資の対象にされた山や森は本来の多様性を放擲された。だから、森の持つ豊かな価値は一部では強調されても林業政策そのものには抜本的に変わらない。しかも、大臣の不祥事がどういうわけか農林関係者に多いのはどういうわけだ。

  

 この慎ましやかな山里のたたずまいの静謐は、コロナに翻弄されている都会からは削除されている。あらためて、資本集積のための都市集中の破綻は明らかになった。コロナ対策にしても地球温暖化・IT支援・電気自動車にしてもいつも後手後手になってしまう日本の現状はどういうわけだろう。その点では、矛盾を抱えながらもEUの哲学はスケールが大きい。目先の利益ばかり追う日本のポリシーの貧しさばかりが最近浮き彫りにされてくる。 

       

 そんななか、「天王の森」のお宮の前をきれいに整備したり、茶畑を香花・シキミに変えたり、地元の動き方も徐々に変わりつつある。その努力が次の地域を育てていくステップになっていくことを願ってやまない。

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新年は初雪からスタート

2021-01-03 20:46:28 | 風景

 年末は風花が見られていたが、大みそかの夜は気がつかないうちに雪が積もりだしていた。さすがに寒いので、ダルマストーブに火を入れる。元旦には雪は止んだので、朝早く集落のお宮で新年の挨拶を短時間で交わす。玄関前にある常設焚き火場もすっかり雪景色となっていた。

                   

 大雨が降ると川となってしまう隣の道路には、動物も人間も踏み込んだ跡がない。つまりこの奥には人が住んでいないのだ。放置するとジャングルが出現して道が見えなくなるので、数か月に1回は清掃に草刈りに自前でしなければならない。つまり、その管理をやる人間が他にはいないというわけだ。境界に接するところの殆んどは相手・地主がいないので結局こちらがやらざるを得ない運命なのだ。

            

 積雪は数センチなので畑の被害はなかった。大根・キャベツ・パクチー・ニンジン・レタス・ブロッコリーなどが植わっているが、イノシシ被害があり植え付けが大幅に遅れていた。したがって、食べられるには来月以降が本番になりそうだ。

              

 ブルーベリーは葉の紅葉が秋には素敵だったが今はさすがに冬支度中。雪景色のブルーベリー園はわが家では珍しい。成長はとてもゆっくりなブルーベリーだが、ヒコバエが意外に多い。

   

 裏山の道草山から見た茶園。残念ながらこれはまもなく抜根される。耕作放棄地の荒野が増えていく中この風景がなくなるのは残念だが、中山間地ではあちこちに抜根されていく現場をを観ないわけにはいかない。それがわが家にもやってきたわけだが、太陽光発電のシュールな並列にするよりは小さな森にもどしていくことをしこしこ進めたい。それが新年の抱負となる。 

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