朝日新聞オピニオン&フォーラム、いいねぇ、今朝もいい記事載せてくれたぜ。『日本語は「半端ない」?』、国語辞典編纂者・日本語学者飯間浩明さんのインタビュー記事だ。
三浦しおんの『舟を編む』で一気に脚光を浴びた辞書編纂者、時代と過度に密着しつつ、大きく時代離れした日々の暮らしの一端を紹介してくれている。街を歩けば上を向いて看板を漁り、電車に乗ったら吊るしをカメラでパチリ、隣りの席の若者会話を盗み聞き。日々新しい言葉、新規の使用法に目を光らせている。世の中、こんな人がいるんだぁと心暖かくなり、こんな言葉オタクがいるから、耳新しい言葉も辞書でチェックができる、うん、感謝、感謝と思いつつ読み進めた。
後半は言葉の正しさについて。今の時代、稀に見る新造語洪水の時代だ。技術の進歩や社会の複雑化、世界のグローバル化、世代の断絶などあって、新しい言葉は日々集中豪雨時の排水溝のように噴出している。とてもじゃないがオジサンたちは付いていけない。わけわからん!省略するな!カタカナ使うな!正しい日本語使え!上から目線の文句たらたら。
だがね、飯間さんによると、言葉の正しさが叫ばれ出したのは、なんと、戦後からなんだってさ。危機に瀕しつつあった日本のアイデンティティを守らにゃってことで、日本語ブームが起き、『あなたの日本語間違っている』的な本が乱発されて、新聞、雑誌、テレビでの言葉狩りが進んだことが発端だってんだ。テレビで今も大流行りのクイズ番組もこの流行に拍車を掛けてるってことなんだなぁ。
昔の日本人は漢字の正誤にはうるさかったが、俗語の話し言葉にゃ大らかだったって。好き嫌いはあっても、それはあくまで個人の好み、大上段から切って捨てるなんてことはなかったってことなんだ。
いやぁ、これ読んで安心したなぁ。僕の文の言葉使いはかなり、はしたなかった?から。恥ずかしげもなく若者言葉は使う、カタカナ語も遠慮なし、助詞はすっ飛ばすし、時には自分流の言葉を作ったりして、やりたい放題、勝手放題だもの。言葉に厳しかった井上ひさしさんだったら、話しにならん悪文書き、言葉の乱れに手を貸す者、時代へのお追従者、って、相手にしてもらえないだろうな、きっと。お許しくだされ、井上さん、って、どこかに井上さんの眼差しを感じて後ろめたさを抱えていたんだ。
とは言っても、書きたい言葉、しっくりくる文章は、こんなもの、仕方ねえよな、駄文だろうと悪文だろうと、と開き直って書いて来た。台本書くにゃ、今時の言葉やリズムも必要なことだし。高尚な言葉や格調高い文章は、他の人にお任せして、こっちはこれで行く、そんな引かれ者の小唄みたいに拗ねてる必要なんてない。言葉は世に連れ、世は言葉に連れ!だ。気に入った言葉ならどんどん使っていくぜ。いや、セリフだったら、嫌な言葉だって使わにゃならない。そう吹っ切らせてもらった、とてもお有難いインタビュー記事だったなぁ。