ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

革命家の名がついた運河の街を歩く

2016-05-22 00:23:15 | ロシア

2016年4月29日(金)~5月1日(日)

 サンクトペテルブルグは、ソ連時代はレーニンの名にちなんでレニングラードとされたが、ソ連崩壊後にロシア帝国時代の名(現在の地名)に戻った。バルト海における重要な港湾都市であり運河が縦横に巡っている。

ネヴァ川。サンクトぺテルブルグはネヴァ川河口のデルタの街。ネヴァ川沿いに歴史的建築物が集中している。

ロストラの灯台柱。ネヴァ川にかかる橋の袂にあり、1810年に建造された。柱に舟首を飾りつけている。敵軍の舟首を切り取り勝利を記念した古代ローマの習慣に由来して造られた。

ロストラの灯台柱がある公園からネヴァ川対岸にペトロパヴロフスク要塞(写真正面の黄金の塔)を撮影。

ネヴァ川河口沿いの街並み。写真左は、絵になるなぁと思っていたが、観光客が訪れるような有名な教会ではない。

 ネヴァ川に停泊していた潜水艦。潜水艦の向こうに世界で最も大きな教会建築のひとつであるイサク聖堂が見える。

 血の上の救世主教会と運河。1881年に皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所にその息子が長い年月と費用をかけ純ロシア風の教会を作った。

運河沿いの販売されていたプーチン大統領Tシャツ。他にマグカップ、マトリューシカなどプーチングッズがたくさんあった。プーチンはサンクトペテルブルグ出身なのでモスクワよりプーチングッズは多く見かけた。

 掃除婦が微笑んでいた。さすが芸術性の高い街である。

 米ソの融合?赤地にカマとハンマーのソ連国旗をイメージしたフラグにアメリカのハンバガーチェーン店バーガーキング。

 フィンランド駅(フィンランドからの列車が発着する駅であり、駅名となっている。)前のレーニン像。中国でどの町にも毛沢東の像があるように、ロシアではレーニン像をいろんな街で見かけた。

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社会主義大国崩壊後25年の首都を歩く

2016-05-21 15:18:50 | ロシア

2016年4月28日(木)~4月29日(金)

モスクワは、ソ連時代からの首都であり、社会主義、共産党の象徴の街というイメージを持ち、重厚であり、かつ陰鬱な威圧的な建造物がたくさんあると思っていた。ソ連崩壊後25年後に街を歩いたがそのイメージはあまり感じられなった。

宿泊したホテルの近くにあった修道院の建物跡。モスクワ郊外で最大で最も裕福な修道院だったが、1930年代に建物の大半は取り壊され、現在この塔のような建物が4基残っていた。

 地下鉄駅。モスクワは地下鉄路線が11路線もあり、軍事上のためか?地下がすごく深い。駅に芸術性があり、地下鉄駅巡りも楽しめる。乗り方や乗り換えのシステムさえわかれば安いし便利だった。

 レニングラード駅(写真右の黄色の建物)前。レニングラード(サンクトペテルブルグ)に行く列車が発着する駅ということでレニングラード駅という駅がある。サンクトペテルブルグにはモスクワ駅がある。

 モスクワ大学。スターリン様式の代表的建造物。スターリンがニューヨークの摩天楼に対抗し造らせた建物。市内でこのような建物をたくさん見かけた。昨年、ポーランドのワルシャワでもこの様式の建物を見かけた。建物の前にいるカモも日本では見られないが、以前ヘルシンキで見たことを思い出し、フィンランドが近くにあるのだということを感じた。

 モスクワ大学周辺からモスクワを展望。この眺めはモスクワというよりアメリカという感じを受ける。

 モスクワ中心部の繁華街。ヨーロッパの美しい街並みそのものでお洒落な街並み。

 

 オープンカフェなどもたくさんありヨーロッパそのもの。店もサンドイッチマンを使ったり、チラシを配ったりして自由競争し、社会主義を感じられない。

 イースターエッグをたくさん見かけた。キリスト教で復活祭や春を祝うためのものだが、社会主義の軍事国家だったソ連に宗教が根付いていることは意外だった。

 ボリショイ劇場。オペラやバレエの劇場として興味がなくとも名前は聞いたことあった。その前に軍のトラックが何台もあり、ソ連を感じさせられた。

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大国の中枢が置かれた城塞の周りを歩く

2016-05-16 23:56:45 | ロシア

2016年4月28日(木)

モスクワのクレムリンは、旧ロシア帝国の宮殿であり、ソ連時代には共産党本部が置かれ、現在は、ロシア大統領府、大統領官邸が置かれていて、いつの時代も国の中枢となっている。

クレムリンの外側。内部には休館日で入れなった。再度、帰国日にクレムリン入館を試みたが、多数の団体客が並んでいて、1時間以上かかりそうだったので、諦め、次回にお預け。

 クレムリンの前の人工池前で日本の自動販売機に日本の飲料が売られていた。モスクワ市内の別の場所でも見かけた。

 クレムリン(写真右)と赤の広場(写真の広場)。クレムリンは、ロシア語で城塞のことで、赤の広場は城塞の外にある。自分の中では、ロシアというより秘密めいた謎の国“ソ連“に来たなぁと感慨深い。

 赤の広場に面してある写真正面の建物は国立歴史博物館。

 玉ねぎ型で有名なポクロフスキー聖堂から望む赤の広場とグム百貨店(写真右)。グム百貨店はレーニンの命によって開設された。

 ポクロフスキー聖堂内部。

 

 モスクワ川にかかる橋。革命でなくなった人か?背後の建物は左からクレムリン、カラフルな玉ねぎ型の建物はポクロフスキー聖堂、グム百貨店。

橋から右へ振り返って赤の広場を望む。

 

 橋から川の方向に目を移すとクレムリンの外壁の長さがわかるし、内部の建物が見える。

 

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