ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

明治維新胎動の地の中心部と城下を歩く

2024-04-01 22:59:58 | 山口県

2024年2月28(水)

萩は、山口県北部の日本海に面した街。吉田松陰が門下生を教育し、明治維新の原動力となった「明治維新胎動の地」。城下は商家、志士たちの旧宅が残る観光スポットとなっている。

 

銀行、アーケード商店街、バスセンター等がある現在の萩市中心部。萩に何度か訪れたことがあるが、城下町や松陰神社など観光エリアには車で直接、行ったりしたので、初めて中心部を歩いた。

アーケード商店街。萩にこんなアーケード街があることを今回訪れて初めて知った。ここを歩いてる人は地元の人で観光客らしき人はあまり見かけなかった。

アーケード商店街を突き抜けたところにあった白壁商家の奇妙な店は、画材屋・アート教室。

アーケドを抜け、城下町まで行く途中にあった高須久子像。この像が女性に見えず誰かと思って説明板を読んだら、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」を思い出した。松陰が萩の牢獄に入れられた時に出会った井川遥が演じた女囚のことだった。女囚はフィクションとばっかり思っていたが、ここに来て初めて知った。

萩城下町エリアにある菊屋横丁。萩を象徴する夏みかんと白壁の通り。この通りには高杉晋作旧宅がある。違う通りだが近くに木戸孝允(桂小五郎)旧宅もある。

城下町エリアから中心部まで国道191号沿いを通ると藩校明倫館跡(写真左の塀の中)の前を通る。

藩校明倫館の跡地に建てられた旧明倫小学校(この建物の裏に新しい校舎へ移転)。

萩は阿武川が下流で松本川(写真)と橋本川に分かれ三角州となっている。早春には四ツ手網を使った伝統的な漁法で獲るしらうお漁が有名であるが見れなかった。この時期、松本川に来たら見れると思っていたが・・・。もっと下流か?時間的なものなのか?

松本川をわたって1km程度歩いて松下村塾がある松陰神社へ行こうと思ったが、夕方になったし、行ったこともあるし、妻の希望により折り返し、夕食をすることに。

 

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波乱万丈の童謡詩人の街を歩く

2024-03-31 23:42:55 | 山口県

2024年2月28日(水)

長門市仙崎地区は、日本海に面した蒲鉾が有名な漁業の街。若くして生涯を閉じた童謡詩人「金子みすず」の故郷であり、この地を題材にした作品が多数ある。

 

JR仙崎駅。山陰本線の支線である仙崎線の駅であり無人駅。仙崎は捕鯨でも有名だったので駅の壁にクジラが描かれている。

ホームにある金子みすずの詩。「みんなちがって みんないい」が入ってる代表的な詩。素直にわかり易く個性を尊重していることが伝わってくる。

JR仙崎駅からまっすぐの道「みすず通り」を歩いた。

金子文英堂(写真右:金子みすず実家の本屋)と彼女のモザイク。「金子文英堂」は復元されたもので彼女の記念館。彼女は20歳までここで暮らした。投稿した詩が西城八十に認められた。その後下関で働き、結婚、出産、放蕩夫から創作活動や仲間との交流を禁じられ、性病までうつされた。そして離婚、26歳の若さで自ら命を絶った。

金子みすずの詩の碑。これ以外にもみすず通りには、彼女の詩や彼女に関連した写真、絵などをたくさん見かける。

金子みすず像。台座の「みんなちがって みんないい」は長門にゆかりがある安倍晋三の書。

「仙崎かまぼこ」ということで有名な街なのでかまぼこ屋を何件か見かけた。

仙崎港。戦後、引揚港となり、最初の引揚船が釜山から7000人の引揚者を乗せ入港した。ここには道の駅、漁協、青海島の観光船乗り場などある。

仙崎港にある金子みすず胸像と詩碑。

仙崎港(道の駅)の入口付近にも「みんなちがって みんないい」。

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白猿伝説の温泉&白狐のお告げでできた絶景神社

2024-03-30 23:51:50 | 山口県

2024年2月28日(水)

長門市の山間部にある俵山温泉は、千年以上の歴史を持ち、白猿が発見したと伝わる。長門市の西部の海に向かって赤い鳥居が連なる元乃隅神社は、白狐のお告げで建立されたと言われる。

 

俵山温泉。小さな木造旅館が立ち並ぶ昭和レトロな温泉街。ほとんどの旅館に内湯がなく無色透明の源泉かけ流し共同浴場での入浴が主流。肌がツルツルになる美肌の湯として知られる。

三猿は日光が有名だが、ここも猿が発見した温泉ということから三猿を使っている。三猿まんじゅうも土産物として売っている。

元乃隅神社の大鳥居。俵山温泉から車で約30分。上部に二匹の白狐の間に賽銭箱があり、下から賽銭を投げ、入れば願いが叶うと言われる。何度もチャレンジしたがダメだった。

日本海の断崖絶壁に123基の赤い鳥居が連なる。2015年アメリカで日本の美しい場所として紹介されてから人気の観光地となった。なので山口県で暮らした頃は全く無名であり知らなかった。

龍宮の潮吹。元乃隅神社の鳥居の先端がある断崖の横にある。岩穴に波が入り、海水が吹き上がる。海が荒れた時は、30m近く吹き上がるそうな。

鳥居先端付近からの龍宮の潮吹と反対方向の風景。

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大合併前までは県第二の人口を擁した企業城下町を歩く

2024-03-28 22:40:21 | 山口県

2024年2月27日(火)

宇部市は、山口県南西部の瀬戸内海の最も西側にあたる周防灘に面した街。石炭産業から化学工業に転換した宇部興産の企業城下町で、平成の大合併までは県内第2の人口を擁した。

 

妻と二人で懐かしい街の中心部を歩いたが、暮らしていた頃より人が歩いていない。正面の全日空ホテル(現ANAクラウンプラザホテル)は暮らした当時のままで懐かしく感じる。この写真の手前にユニクロ発祥の店の跡地があるが、当時はまだ、ユニクロという名ではなく全く知らなった。

少し歩くと、小野田・下関方面に行く国道190号線沿いに出ると見覚えのある煙突の風景。工業都市であり自然は少ないイメージを持っていたが、地元出身の先輩がよく誘ってくれ休日には、市内の川でシジミ、ウナギ、モクズガニを撮り、干潮時の夜中には、マダコ、ナマコをよく獲りに行った。

30年以上前であるが、幼稚園に飛んでくるということで全国的に有名になった、ときわ公園のモモイロペリカンの「カッタ君」が煙突に描かれている。

市内中心部を流れる真締川にあった像。この川でイカダレースが開催され、出場しよう誘われたことがあったがパス。今も開催されているだろうか・・・

新天町商店街。暮らしてる頃も人が歩いてなかった。県内で下関に次ぎ人口第2位(山口市が平成の合併により現在は抜かれて第3位)だったが昔から商店街がガランとして、活気は変わってない。

定食屋に「地魚宇部れんちょう」がメニューとしてあるが舌ビラメのこと。この商店街から4~500m行けば宇部港で毎朝、船から揚がったばかりの生きた魚を漁師の奥さんが売っていたので、よく朝早く起きて買いに行っていた。

宇部の中心部付近のメインロード。道路がやたら広い。この道路は片側3車線で真ん中に路側帯、そして歩道は両サイドともこの写真のとおり。この道路と交差する道路も同じくらい広い。

上の写真の道路から入った住宅街の川(水路?)。昔、たくさん鯉(錦鯉もいる)がいて息子たちもよく餌をやっていたが、今もまだいるかと確かめに訪れた。写真には写ってないが、今もたくさん鯉がいる。

JR琴芝駅。宇部線の駅で無人駅。中心部にはもうひとつ宇部新川駅がある。

 

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明治維新の舞台となった工業地帯がある城下町を歩く

2021-05-30 01:51:09 | 山口県

2021年4月29日(木)

下関市長府地区は、毛利秀元(元就の孫)が初代長府藩主となった城下町。幕末には高杉晋作が倒幕のため挙兵した寺など歴史的な史跡が残るが、海沿いは工業地帯となっている。

 

正面のT字路から左右に長府製作所、ブリジストン、神戸製鋼など大きな工場が連なる。

国道2号線から入ったところにある長府商店街。下関で暮らした頃、よく買物に訪れた市場や店がどうなっているか隅々を歩いた。

長府商店街にある乃木さん通り。乃木希典は長府藩士の息子。生れは東京だが、幼少期を長府で過ごした。近くに彼を祀った乃木神社がある。

長府商店街にある忌宮神社。時の天皇皇后が九州の豪族を平定する際に7年間滞在した古社を建てた由緒ある神社。

商店街にある市場。

商店街から山側に入ると城下町らしい落ち着いた街並みとなる。

武家屋敷の周辺は整備されて土塀が城下町という感じを醸し出している。

 

功山寺。高杉晋作の呼びかけに応じた80人がこの寺に集まり挙兵。下関の奉行所を襲撃後、三田尻で軍艦を奪い、勢力を拡大し、藩の政権を奪い返し、倒幕への足掛かりとなった。

功山寺境内にある高杉晋作像。昔もここに、たまに散歩で訪れた。

 

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