創造力が破壊力と変わるとき 平成25年6月29日
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著者はしがきから
わたしは、1894年に極東を訪れた11人の調査団の
一員であった。
3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。
大師は私たちが 偉大なる法則の働きを実証されるのを
実際に見るために、大師がたの生活の中に親しく入り込む
ことを許してくれた。
私のノートを今ここに、“極東における、大師たちの生活と
教え”と題して、発表するが、そこに盛られた内容をそのまま
受け入れるか、否認するかは、読者の自由である。
飢えそうな隊員たちに,イエスがガラリアで見せた奇跡と同様
手の中から パンを次々と出してテーブルの上に乗せて並べた
大師。
必要な数だけ出してしまうと、種パンとなった最後のバンが
大師の手のひらの中から、消えかかりそうになっていた。
その現象を見ながら、大師は、このように説明した。
“今、(消えたパンは)未発の形の中に潜在して、終日の再発現
を待っているのではないでしょうか。
それらはすべて、出発点の普遍原質(すなわち神)に返るのでは
ないでしょうか。
これが‘天より降りたる者は天にのぼらざるべからず’ということ
の意味ではないでしょうか。
見たところ、これという原因もないのに、氷ができたのを、
皆さんは少し前に目撃しました。
バンを創る場合にしてもそうです。
人類の福利になる限り、あるいはまた、法則に従って働く限り、
神がすべての人々にそうあって欲しいとお望みになるように、
表現するのである限り、私は法則を使用して、パンでも氷でも
造ることはできます。
こういう風にして、皆がパンや氷、いや、なんでもすべての
物が造れることは 結構なことであって、皆がそうできるところ
まで、皆さんも早く向上していかなければなりません。
イエスのように、われ、神の子なりと悟り、最高の法則、即ち、
神の絶対的法則を使用して、皆さんの必要とする事物、あるいは
理想的状況を 心中に包蔵することで、それらを実現することが
可能です。
このことの中に、金儲け主義への隷従、その他、一切の奴隷状態
からの解放が暗示されているでしょう。
私のみるところでは、ここ数年もすれば、一切の奴隷化のうちでも、
金儲け主義への奴隷化が最大のものとなるでしょう。
もし今の状態で行くのなら、営利主義が人間を霊肉ともに支配し
ついには、営利行為自体 及び 営利行為に関心のある人々
自体が、消滅するほかない。
営利主義が 始めのうちは 或る高い霊的段階にあった(*1)
ことは疑いはないが、そのうち、物質主義が忍び込む勝因と
なって、遂には、本来の付随している創造力までも、破壊力に
変えてしまうものです。
このような営利主義や制限作用が 私どもにのしかかっている
ということは、私どもがそれらの上に出ること、即ち克服しな
ければならないことを悟らしめつつあるのではないでしょうか。
わたしどもも、神の完全な御業をなすべきであること、私どもの
意識を実相(真我)意識にまで高めるべきことを悟るだけで、
それができるのではないでしょうか。“ (76)(77)
エミール師のこの予言めいた言葉に注目したい。
今世紀が、人類史上でもっとも経済社会、金儲け社会、あるいは、
営利主義の発達した世界となるであろうということ。
そして、人間の霊肉ともに営利主義の従属状態を余儀なくされる
ことになるだろうということ。
本来 精神的にも 肉体的にも助け合い、救助されるべき人たち
が、営利主義の犠牲になったり、不当な扱いをされたりしている
事実は、確かに、ニュースでも聞くし、実際、あるかもしれない。
たとえば、年金暮らしのお年寄りをターゲットに展開される、
悪質なビジネスや、公の仕事に着いている人たちが不当な賄賂
を受け取り、寄付金の多寡で その企業を優遇したりすること
など、その範囲は かなり広く見受けられる状況かもしれない。
”生きがいの創造”シリーズで高名な、飯田史彦氏は、
スピリチュアルなベストセラーのシリーズを書かれている。
しかし、肩書は 元福島大学教授、専攻分野は経済学である。
氏は、著作の中で 氏の指導霊の意見について、触れている。
飯田氏の指導霊は、エミール師の預言同様の事柄を告げて、
これからの社会が進んでいく傾向が きわめて利潤追求の
世界である以上、経済学者として、世の中に出る方が人々に、
ご自身の主張を、人々が受け入れやすいと指導された
と書いておられる。
経済至上主義の中で、その分野の専門家ということなら、
氏の使命が遂行しやすいということだろうと 理解した。
つまり、経済社会の中で、精神世界と重複した部分で、
飯田元教授の世の中への使命(スピリチュアルな面での)
が達成されるということであるのだろう。
エミール師は、営利主義も、それに突き進んでいる人たちも、
このままでは、消滅する運命にあるだろう~という。
これは、人間が、価値観の転換を行わない限り、人間に
与えられた創造力は 破壊力と方向を変えて自滅していく
だろうという予言でもある。
本著が書かれた当時、これほど、原子力兵器の脅威は感じら
れていなかっただろう。
現在では、原子力核兵器のみならず、平和的活用と見えた、
原子力発電まで 核の脅威をもたらしている。
こうした、現代社会の背景にある、営利主義や人類存続を
脅かす驚異が・・・
”私どもにのしかかっているということは、私どもがそれら
の上に出ること、即ち克服しなければならないことを悟らしめ
つつあるのではないでしょうか。
わたしどもも、神の完全な御業をなすべきであること、私ども
の意識を実相(真我)意識にまで高めるべきことを悟るだけで、
それができるのではないでしょうか。“
という、エミール師のこの言葉を噛みしめたい。
今、自分自身の自己認識を改め、自分自身に無意識にかけている
自己催眠を解くこと。
それが、”新しい時代の波” を迎え、このまま突き進んで後結果果、
”経済営利中心主義やそれにかかわった人たちの魂の消滅”という、
危機的状況を避けえる、方法の一つであることをエミール師は
調査団に語り、それから半世紀過ぎた今、この忠告が生かされる
べきだと、つくづく感じる次第だ。
*1)無限の発展力である、人間精神も、その歴史のはじめ
において、潜在し、休眠しているにすぎなかった。
原始人間は、動物との闘争、人間相互の闘争を通じて、誤った
方向も含めてではあるが、知能が開発されていった。
商業の発達により、営利という行為によって、物質的豊かさ
を知り、同時に、地域別に、いろいろな知恵や文化が開発
されたのであり、ある意味では、人間の無限の可能性の進展、
やがて、霊性への自覚へともつながる創造性の道のりが
あったともいえるだろう。
参考)
ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道
全5巻
S54年6月5日第五版
ベアード・T・スポールディング著
仲里誠吉訳 霞が関書房
Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: All Rights Reserved.
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