スワミの遺言 平成25年4月2日
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以下はインドのサイババ師の言葉です。(以下引用)
愛を持ちなさい。愛とは”愛しています”というような、単なる
言葉だけのものではない。
愛 とは、人を傷つけないことだ。そして、彼は私の友達だ。
彼女も私の友達だ。と 呼べる”友達”という言葉、
それを、心からかみしめなさい。
私 は、I という 縦の傍線で表されるが、それに横棒して、足すと
クロスになる。十字架の象徴でもある。
自分を超えた愛、それを意味する。自分を十字架にかけると、Iから
We~私たち という 主語 になる。
つまり、私、をクロスすると、”私たち”になる。”自分”だけでなく、
主語を”私たち”にすることで、もっと多くの人の
気持ちを汲み、”皆のため”という発想が生まれる。
それができたら、次に”We”から”He=彼”へ主語を変えてみなさい、
この場合”He”とは、第三人称の”彼”ではない。
頭が大文字で始まる、Heは、神と言ってもよいし、自分の中の本性、
あるいは、super consciousnessと呼んでもよい。
その”He”を主語にしなさい。すると”We”は消える。
人は日常生活を 意識(consciousness)で生活している。
寝ている時は潜在意識(sub-consciousness)が働いている。
そして、その潜在意識の奥にはsuper consciousness) がある。
超越意識だ。
超越意識 こそ”真”の意識であり、”真のあなたの姿”
でもある。
真のあなた、それが”Atma”(あーとま)だ。
“引用以上)
やさしく、しかし、厳然とこう話しているスワミの英語は完全だった。
高校も大学も行かず、小さなインドの田舎の村から出たこともない
スワミの青年時代。ところが、今や状況が一変して外国からは数万
という人がスワミの魅力にひかれてその村へやって来る。
が、インドの外へ行かれたことがないこの聖者は、サンスクリット語も
英語も、時には、日本語も(私は聞いたことがないが)上手に操ると
言われていた。
実際、このインタヴューの時の スワミの英語は 実に完璧だった。
普段、講演をするときは、ご自身の村の言葉、カルナタカ語を使われる。
外国人のために、英語の通訳をつけて ご自分は出身地の言葉で
話されていたが、 何度か、通訳の英語の過ちを、そっと横から
小声で正して 正しい単語に言い換えさせているのを筆者はみている。
サンスクリット語の”グル”とは、こうして、自分の求める道の
道案内をしてくださる人であるのだろう。
インドでは、神との道渡しにはグルの存在の介在が必要だと
言われている。
私のグルは、一度も ”私を崇拝しなさい”と言ったことはなかった。
むしろ常にこう言い続けた。(以下引用)
”あなたも、私と同じ、資質、神という内在する力を持っている
ことを知りなさい。 あなたと私の違い、それは、
私はその資質を知っているが、あなたは まだ、その資質を知ら
ないだけだ(以上引用)
今は、肉体の衣を脱ぎ捨てられたが、スワミの目に見えない、
波動はそこかしこに 思い出とともに、存在している。
そういえば、こうも言われていた。アメリカからの客人が、
質問した。
“スワミ、いつもある、ご両親の写真が部屋にないようですが、
今日はどうしたのですか?” すると、
“私には、肉体の親はいない。
肉体の親は、人生数十年の間、私の父です、母ですと紹介できる
関係をもった存在にすぎない。
ほんとうの父親は、真理である。
ほんとうの母親は、愛である。
真理 と 愛 が 私の両親であり、あなたの両親だ。”(以上引用)
ところで、嫉妬と怒りは 一番世の中で たちの悪いものだ。
そんな負の感情に対してのスワミの言葉。
”この二つの感情に対しては、親である”愛と真理”を ベールで
包むようにしなさい。”(以上)
こうした、数々の何気ない、グルの言葉は 私の心に 今なお、
生き続けている。
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