自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

自然治癒力とセルフ

2013年04月12日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

自然に還れ  平成25年4月12日

*******************************

 ”自然に還れ”とは ルソー*1)の言葉だったと記憶している。

自然とは、大自然の森という意味ではないだろう。

帰れというのは、行け ということではない。

自然という意味のもつ、自らの本然 に目覚め、ゆがめられた自分からの

回帰をいうのだろう。

自らの本然、自分の中の、本然、

体と精神の関係性の本然、

社会と自己の関係の本然、

他者との関わり合いにある本然、

人生の本然、

さらに 大きな意味では、生きるということの本然、

その 本然に気がつくこと、それが、この自然に還れという言葉に

含蓄されていると思う。

 

池見博士は、その本然を自覚した、人の真我を、”自然の子” 

呼んでいる。

それと対照的に、社会の中で生き延びる知恵(Aの心)を身に着けた人を

”世間の子”と呼ぶ。

自然の子に帰れば、もっと、幸せになれるというのだ。

そのためには、昨日述べたような、謙虚な姿勢を崩さずに、

神の子として造られた人間の本然を、磨いて、現実にあらわして

いくことが、S(セルフ)の具現に結びつくともいう。

引用する。


”なぜなら、人間は最後の最後まで、肉につける欲、

我執の分別を離れないものである。

’世間の子’としての人間から出てゆくことが、人間完成に

つながるというところに、セルフに到る道の厳しさがある。 

 

古来 真の信仰に到る道の険しさが、説かれ続けているのも、

このためであろう。…略…

生老病死の悩みを超える道としては、世間知への執着を離れるより

ほかはないわけである。

 …略…

セルフ(S)にいたる道は われわれ凡夫には、狭くて険しく

見えるものだが、実は天地の公道であり、本来はた易い行

であるべきものだ。

 

なぜなら、人間は、基本的には ’自然の子’として

この世に生まれており、自覚すると否とにかかわらず、

現在ただ今も ’世間の子’としての想念が、雲のように、

自然の子としての本来の姿を、被っているのにすぎない

からである。”

 

ここでいう、最後の数行のパラグラフの中の言葉、

自然の子 を 真我、 世間の子 を 小我 という言葉

で置き換えても意味は

よくわかる。

あるいは、協会式に、自然の子 を アートマ意識、

世間の子 を、小さなエゴ意識 と置き換えても、意味は同じだ。


大事な点は、すでに、我々は、自然な本然を持った我なのであり、

それに気づいていても、いなくても、思い出して、その道に乗れば、

公道であるゆえに、自然と本来の自分に帰することができると

いうことだ。

 マチスの描く女性たちも、原始的な力強さにあふれている・・・

そして、その本当の自己をかくしているのが、世の中の塵芥

(ちりあくた)で汚れた利己的なエゴであるということだ。

この言葉は、お医者様である、池見博士から出された言葉

として興味深い。


ある意味、とても、宗教哲学的な意味合いを含んでいる言葉として、

精神修行を積んだ人の言葉のような響きを感じる。

さらに、博士の言葉を引用する。


”そこで、Sの目覚めは、何も難行苦行を通して悟らねばならぬ

というのはなく、今ここに、こうして生かされているという、

厳然とした事実の不思議さへの自覚なのである。…略… 

 

八木重吉氏の詩に、‘我 キリストに有りと思いし日より、

キリスト、我にあると思う日までの道のりの遠かりしことよ’

とある。

  

この道を狭くしているのは、自我の計らいである。

Sの自覚は求めて、得られるというよりは、すでに与えられて

いるものに気付くことなのである。

 

古来、宗教がめざしたものは、上述のような人間の本性の

自覚であり、自分と理法との結び、自己と全体的秩序との

出会いである。”

 

Sの目覚めとは、結局、すでに与えられている、生かされている

という生命力の自覚であり、人間の本性(実相)の気づきでも

あり、 高名な詩人の言葉の中の、キリスト意識はこちらから

到達するところにあるのではなく、すでに、我の中にあると

実感することでもある。


自然治癒という言葉も、自ら すでに治癒力があり、その

治癒力はこうした、自分自身の能力とその気づきの如何に

よるという点では 全く考え方は セルフの発見と同じ過程

だといえるだろう。

                 

*1)ジャン=ジャック・ルソー

Jean-Jacques Rousseau, 1712年6月28日 - 1778年7月2日

スイスジュネーヴに生まれ、主にフランスで活躍した

[1]哲学者政治哲学者[2][3][4]

教育哲学者言語哲学者作家作曲家である。

啓蒙思想の時代にあった18世紀フランスで活躍した。

ドゥニ・ディドロジャン・ル・ロン・ダランベール

ヴォルテール等、同時代の多くのフランスの知識人

ともに百科全書派の一人に数えられる。 

[ウイキピディアより)

 

池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう)博士について:、

大正4年(1915年)612 - 平成11年(1999年)625日)

日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。

旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。

戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。

昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のに留学し、

帰国後、日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)

日本心身医学会を設立し、初代理事長になる。


翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された

精神身体医学研究施設(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、

内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法

を体系化、実用化に尽力した。

九州大学医学部名誉教授、自律訓練法国際委員会名誉委員長、

日本心身医学会名誉理事長、国際心身医学会理事長、 

日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。

書に「心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。

平成11年(1999年)625日肺炎のため、福岡市内の病院で死去。84歳。

 

参考)

”セルフ・コントロールの医学” s・57年9月1日 

日本放送出版協会

 

 

Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: All Rights Reserved.

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« キリスト意識と池見博士の定... | トップ | 心身統合体の真我 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自然治癒力・生命力・発揮する考え方」カテゴリの最新記事