あなたの肉体は、物質?波動体?どちらもありです。2022年11月10日
ー------------------------
(この表はウロボロスの蛇といわれています。
Glashow博士作成)。
昨日(11月9日)の続きです。
物質をミクロ単位に小間切れにしていったとき、
エネルギー態という波動になるのなら、そして、
波動が物質的な質量が無いとしたら・・・
なぜ、この体が硬く感じ、特に、骨などは堅固に
感じるのか?という疑問で昨日は終わりました。
それを考えるとき、”不確定性原理”なるものを
ご紹介します。
”素粒子は、位置と運動量を同時に知ることは
不可能で、確率波として表される”ということ
なのですが、細胞の中の最小単位である”素粒子”
は、波動状のエネルギー態であると同時に、
質量を持たなければわからない、位置を示す
ことは可能である・・ということ。
つまり、私たちの肉体を含めて、物質という
のは、エネルギー体として存在する一方で、
質量のある物質としても存在しているということ
ということ。
すると、この肉体が、固形物だとあなたが、
信じている場合は、質量ある物質に現れ、反対に、
物質ではなく、波動体だと信じている時には、
波動体としての肉体が、現れるというわけです。
’確率’という言葉がこの法則に在ります。
それは、観察者(物質を観るヒト)の意識で、
その物質の存在形態が、決まるからです。
しかし、同時には、質量ある肉体=波動体の肉体
を表すことは、不可能なのです。
では、なぜ、波動体の肉体として認識するより、
物質的質量を持った実態として、ヒトは身体を
見ているのが普通(当たり前)なのでしょう?
いろいろ理由はあるでしょうが、簡単にいえば、
人間の五感機能能力が、大雑把であるという
ことでしょう。
五感で、見て、聞いて、触って、味わって、
嗅いで、ヒトは、その存在を感じるようにできて
います。
ただし、その五感は人間特有のものですから、
他の動物には、適応できない測定器ですが、
宇宙的広大な真実の事実を、全体像から観察する
なんていうことができる代物ではありません。
五感機能の曖昧さの他には、物質の変形ともいえる
エネルギー体 自体の性質があるでしょう。
これは、時には鋼鉄のような硬さと力を持つことが
できるのです。
それは、次のように、表現できると思います。
素粒子は、上にも書いてあるように波動として
存在するエネルギー態で、常に運動を止めない、
元気で休むことを知らない存在です。
運動と回転を、絶え間なく続けている素粒子
のエネルギーの在りようが、実は、物質に
変化したとき、実質的な剛体として表現
されるのです。
たとえば、竜巻を例にとりましょう。
空気自体は、掴んだり、取り込んだりできる
ような、ものではありません。
でも、ひとたび、竜巻となると、その迫力は、
生きている竜が暴れるがごとくに、巨大な
エネルギーを発生させつつ、車や家を巻き込み、
空に舞いあげ、時には台風以上の破壊力を
持っています。
その破壊力は、どこから来るか?といえば、
竜巻となった空気の、回転運動から発生して
います。
つまり、エネルギーは本来、”回転・運動して
いる姿” が文字通り、現象化したといえるで
しょう。
回転すると、エネルギーが生まれる、その
エネルギーが強い鋼(はがね)をも破壊
するほどの、”剛体物質”と変化するのです。
そして、回転が終われば、穏やかな周囲の
空気と同化して、竜巻は消えます。
私たちの生命の誕生もかくのごときです。
赤子が胎内で受精したとき、エネルギーは
らせん状に絡み合い、ちょうど、遺伝子の形状
のように、エネルギーが更に大きく渦をまき
ながら、発生して人間の形の本幹を作っていきます。
さて、話を、上のウロボロスの蛇に戻します。
時計盤の6時にある ”私”が、病気になった
とき、医師は、私を物質とみなして診療を
して治療します。
病気と治癒、の関係を、今日の話題だった、
物質は物であり、同時に波動態でもあると
いうことを考えると、だた、お薬に頼るだけ
でない方法が見えてくるに違いありません。
そして心底から、病を癒すという意味は、
どういうことか?
そして、そのためにはどうしたら良いのか?と
いうことを含めて、私は、要介護4の夫を通して、
学んだことがあります。
明日は、第三回めのこの話題の締めくくりを
書かせていただきます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます