ドン・キホーテの名前を聞いたことが無い人は、あまりいないでしょう。
どことなく、ユーモラスな人物像を思い浮かべる人もいることでしょう。
私も、まるで、自分自身のせっかちさと、一途さと、思慮の浅いところと
純粋なところなど、自分自身を見ているような、親しみを覚えているのです。
ドーミエ(1808~1879)は、27枚もドン・キホーテの絵を描いてます。
ドン・キホーテは、スペインのセルバンテスが書いた小説の主人公で、
”ラマンチャの男”という 有名な劇作品の主人公でもあります。
劇のみならず、音楽などのモチーフとしても有名な作品です。
主人公、ドン・キホーテには、狂気とはいえ、騎士道に則った道理があります。
世の中の不正を正すための、正義感は人一倍です。
自分の周りで起こる事件を、彼独特の妄想を交えて、騎士道で裁き、
許せなければ、力に訴えてまでも義を通そうとする、実に憎めない
人物像が、親しまれている所以なのでしょう。
こうしたドン・キホーテは滑稽でありながら、他人事のようにも
感じられないのは何故でしょう。
この作品の主人公が私たちに共感を呼ぶものをもっているから、
ドーミエは 惹かれて絵をかいたのでしょう。
ドーミエは ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796~1875)
と親交がありました。
コローは印象派をつなぐ作風を確立した有名な画家です。
ドーミエは飲んだくれで、とても貧乏だったのです。とうとう、
お金を使い果たし、家賃が払えなくなり、家主から追い出される寸前に、
友人の、コローは、自ら友人の家を買い取り、友情の証として、ドーミエに
贈ったと言われます。
ドーミエが油絵を描き始めたのは、50歳になったころで、その数は300点余。
貧乏暮しであった上に、作品のほとんどは、評価されず、生前は
それらの作品の公開すらされなかったのです。
しかも、晩年、失明し、画家としては致命的打撃を受け、恵まれない
人生であったようです。
ここで一つの仮想をしましょう。
それは、当時無名であった、貧乏な絵描きが、なぜ、生前27枚もの
ドン・キホーテを書いたかという理由です。
東京芸術大学教授(1966年退職)だった、伊藤 廉(れん)氏は、
著書”絵の話”(美術出版社)に、その辺りを次のように記しています。
”ドーミエは性質はコローとは反対のようですが、
気のあうところがあったようです。
それは、たぶん、絵の仕事の上で、考えが似ていた
からだろうと思います。
良い絵を描きたいということだけ考えていて、
世間での体裁(ていさい)は、どうでもよかった。
勲章をほしがったり、お金もうけばかり考えるような、
卑しい人ではなかった”
”ドーミエは自分の心の中に、このドン・キホーテが
いると考えていたのかもしれない。”(引用終り)
ドン・キホーテは 狂気の沙汰といわれようと、
心に芽生えた騎士道の貫徹に命を捧げます。
決闘でも、何でも、騎士道を守るためなら、果敢に戦う。
考えなしの猪突猛進のような、男だったのです。
私事ですが、私自身、若いころ、演劇を少し趣味程度
にかじったことがありました。20代のころでした。
演劇の仲間たちと旅の計画を練りました。
その折、いろいろな条件を頭にいれて練り直しをして、
演出家の先生に意見したところ、少し慎重な計画と
なっていたようなので、その先生から次のような
コメントを戴いたことを思い出しました。
”君は、猪突猛進かと思ったが、意外だね” と。(笑)
ドン・キホーテのように、人は、いろいろな要素を目に
見えないところに隠し持っているものなのです。
先日、大学時代の友人が私が日本で、車の運転免許を
取ったことを聞いて電話をかけてきました。
”日本に帰ってきて、免許取ったの? 何人、人を、刎ねた?”
と冗談ぼく聞かれました。
もちろん冗談ですが、信じたら、がむしゃらに直進のみしか
知らない私の性格を 友人も、知っていたのでしょう。
ですから、ドン・キホーテの心意気が何となく 悲しく滑稽に、
日常的感覚でわかるのです。
彼の心意気の中には、だれも壊すことのできない信念がありました。
誰が何と言おうと、それだけは譲れないという頑固さ以上の、
信念でした。
コローが、そんなドーミエの信念に共感していたからこそ、
彼の生活を支えるほどの援助を惜しまなかったのでしょう。
良い絵描きになりたいということと、世間の喜ぶ絵を描く
ということは違うと、ドーミエは、考えていました。
自分の信念を曲げてまで、お金もうけや名誉のために、
絵を描くことを、潔しとしなかったのです。
このことは、誰にでもあてはまると思うのです。
自分がこうありたい と願うことが、必ずしも、世間が認める
ことではないかもしれません。
自分の信念を貫くということは、もしかしたら、
世間を敵に回すこともあるかもしれません。
ちょうど、ドン・キホーテが、周りのせせら笑いや嘲笑、
馬鹿にされた態度をとられ続けても、自分の正義と闘うために、
風車に体当たりしていくその姿が、まさに信念を貫く姿です。
私は、このことを考えながら、一つの詩をつくりました。
生きてきた証(あかし)そのものを考えさせられたからです。
生きてきた・・・
生きてきた証(あかし)はどうしてもてるの?
― ただただ、自分の志(こころざし)を信じて今を貫いていくこと。
志を貫いても、人に、わかってもらえるの? 評価されるの?
ー 認められるって? 誰に?人に?世間に?
他人に認められる事より、本当の自分自身(アートマ)が
認めているかどうかが大事。
人の評価は”良い悪い”、”出来不出来”、”有名・無名”・・
それが”自分自身の魂”と、どう関係ある? 内なる魂が
下す評価と、どんな関係がある?
志を貫けば、自分の生命が喜ぶ
自分の生命が喜べる仕事は必ず、生きている。
生きているから、次代に受け継がれる。
それは、生きているから”波動”となって、次の世代にキャッチされる。
本物の生きている波動のみ、実在の波動として、時間を超えて生きていkる。
名声や物質に裏付けれている波動は、蜃気楼。
真実の波動は生きている。
真心の波動は誰かの心に届く。
こうして、そうして、片鱗は永久に、受け継がれていく。
そうして、こうして、生きた片鱗がつながって、未来に、
より良い波動が創造されていく。
一人ひとりの指紋が違うように、生命の目的も異なる
一人ひとりの住む精神世界は、だから、微妙に違っている。
あなたの、志(こころざし)は、あなたしか抱けない。
どんなに小さく見えても、志は志だ。
自分の志を貫くこと。 それが、あなたが生きている価値だ。
あなたの存在した証拠だ。
あなたの生きてきた証(あかし)だ。
ドン・キホーテは、彼なりに、いちずに志を貫くことを
示してくれました。
だから、後世の私たちの心に、訴えるものがあるのでしょう。
美術や音楽、演劇という芸術の場に、
彼の魂はまだ、生き続けているのです。
自分の信じた志(こころざし)を、どんなに傍から滑稽に見えても、
貫き通すこと。騎士道という、
道を歩むこと。
たとえ、それが、他者から見て無意味でも、ドン・キホーテに
とっては、大切な騎士道への信念だったのだと理解できます。
私たち、一人ひとり、そうした 心の奥底にある信念は異なる
でしょうが、自分の価値観をひたすら大切にすることを、
彼は示してくれているような気がするのです。
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