自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

愛国心・トインビー博士の提言

2013年05月07日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

宗教はオカルトに非ず、狂信者は信者にあらず、そして・・・

トインビー博士の提言

  

”宗教は持っていません~”

と日本人がある国の税関で答えていた。                        

外国の友人から、

”日本人の結婚式は神式で、葬式は仏式なのは何故?

Why?(どうして)"  

と聞かれた。

 

この二つの質問 

あなたの宗教は?” と、

”寺と神社と、どちらが日本人の心のよりどころ?” 

もし、外国の友人に、聞かれたら、 

皆さんは どう答えるだろうか?

 

外国に暮らしていると、公(おおやけ)な書類などに 

宗教は?” 

の質問欄がある場合が多い。

宗教を持っていない” という答えは、私たちの間では

何も違和感はない。

しかし、外国人にとって、”宗教を持っていない” 

というのは、時にして、奇異に映るらしい。 

その理由は

*心の柱がない人だ。 

~だから、モラル感が 薄い人かもしれない 

(モスリムの友人の反応)、

*きちんとした社会生活(教会などの地域的社会活動を指す)

 が不得意だから? (キリスト教信者の反応) 

 

’去年は寺’ に、’今年は神社へ’と、毎年、初詣の場所を

変えることは、私たちには、特に珍しい話ではないが、

”プロテスタントの教会”で祈りをささげて、

”カソリックの教会で 懺悔(ざんげ)をする” のに似た、

ちぐはぐな印象を受ける 他国の人もいるらしい。

 

これらの宗教的話題を、日本の仲間としたことはない。

それは、楽しい会話の発展につながるとは思えないから・・・。

”私は宗教を持っている” という 返事に対して

どんな会話につながるにせよ、その間の、一瞬の沈黙が

予測できる。

 

日本では、宗教を聞くことは、相手のプライヴァシー

の領域に踏み入れるようで、お互いに 遠慮があるし、

タブー感すら漂う。


印度やタイ だと ”あなたの神様は? 日本人は

仏教徒ですか?” 

と無造作に聞かれても、素直に 答えが出てくる

”雰囲気”はある。

 

日本では、宗教や神様の話が、普通の日常会話の延長線で 

しづらいと、感じるのは 私だけなのだろうか?

 

先日、ある方の講演会で面白い話を聞いた。

イギリスの有名なトインビー博士の言葉で (*1)

”統計的にみて、その国の神話を12歳までに教育的に

 教えない国は、歴史的に滅亡しているケースが多い”

 

わが国には、古事記・日本書紀などの、れっきとした

古書はあるが、国語や歴史の授業で それらの内容について、

詳細に、教えてもらった記憶はない。

 

トインビー博士が、そのように主張する要点は、

・ 神話は超古代史として、その国のアイデンティティーを

あらわしているから

・ 神話を知ることは、その国の国民であるという 自覚 

を持つことができる

ということだった。

筆者は、今、我が国 と書いて、このブログを進めているが、

祖国日本を現わす時、この国” と 公(おおやけ)には
使うらしい。
 
新聞でもニュースでも、我が国 という言い方は禁止されて
いるそうだ。

この国はいい国です~どこの国にいても誰でも使える

フレーズだが、我が国はいい国です~とは、その国民が

使う言葉だ。

どこの国民でも、多少とも、祖国への愛を感じていない人は 

 いないだろう。 

国際競技会場 で表彰台に立つ その国代表の選手達。

自国の旗を掲げられ、敬意とともに国家斉唱するときに

見せる選手たちの神妙で 誇りに満ちた表情は 国の

境界線を超えて 共に感動を覚える。


ましてや、日の丸の国旗が掲げられていく中、

君が代を歌っている若い選手を見ると、理由がわからず、

胸がジーンとしてくる。

 

宗教のみならず こうした、愛国心などの話題に関して

(他国と比べて) どこか、なぜか、話しずらい要素がある

とすれば、何なのだろう?

そのような話題に、とても、過敏になっていること。

国の内外にかかわらず、周囲の人々の反応を伺い、

話題にせざる得ない風潮。 

何故か 不自然だなあ・・・というのが、筆者が、

6年前 住民票を 印度デリーから、日本に移した頃、

持った 印象だった。

 

最近は 少し、風向きも変わってきているかもしれない。

領土権をめぐって、切実な問題が浮上して、国民の意識が

現実的に それらの問題に、向けられ始めた。

その上に、憲法改正などが論議されている昨今、

少しずつ、否が応でも周囲の状況に合わせて、

いろいろな価値観の見直しがはかられてきそうだ。

 

元S社の、重鎮、I 氏 とは、インド時代から 家族

ぐるみのお付き合いで、日本に帰国された今でも、

時々お会いしている。

印度時代、Iさん とは よく、”宗教” や”霊的な話”の話に

興じた。

”なかなか、こんな話 インドの日本人社会で、普通に

できる場 って ないんですよね・・・” 

と Iさん。

” 日本人会では ゴルフと、使用人の愚痴、バンコクでの

買い出しのどれかと、話題が もう決まっているんでねえ。”

と言いながら、

” いっぷう変わった不思議な オカルト的話題” 

に花が さいたものだった。

 

20年近く前だろうか?

I氏 と奥様と一緒に、当時はまだ それほど、世に

知られていなかった ”アガスティアの葉”(*2) という 

聖者アガスティアが予言したという、個人的預言書を 

探しに マドラス(南インド)まで、行ったことがある。


何千年前に書かれという、ヤシの葉のような、乾いた

葉っぱ、に自分の情報や両親の名前が書かれていて、

最初は度胆をぬいた。

さらに、そこに書かれた各々の、”死ぬ日” と 

”その際の状況”などを、かなり、具体的に聞かされて、

”今、生きている” という実感を、I夫妻と共感した感動

は今も忘れられない。

筆者は、インドとタイに 合わせて20年住んでいた。

現地の友人たちと、神様の話しや、 

心の支えになる 信念 信仰 の話、

そして、生と死について、楽しくチャイを飲みながら

或いは、屋台でバーミーを食べながら、

親しく、語り合った。 

特に、インド時代、王様[上層]から、最下層といわれる

カーストに属せない人達 とも、個人的に、親交を 得た。

”神様のお話し” は 自然に 話題にのぼった。

自分達の信仰にいたるまでのことや、神様と人生の関係、

前世の記憶、 などを 語りあった。

そうした語らいの中で、印度でもタイでも、一つ、

共通していることがあった。

それは、みな、神様の話をするときは、

深い、静かなまなざしになり、

しみじみ、語り合えたことだった。

そこには、”恥ずかしさ”とか、”場違い” という感覚はなく、

むしろ、お互い知っている、

懐かしい故郷の話”をするかのような、

静かな安堵感を共有できた。

 

こちらに帰ってきて感じるのは、宗教という言葉自体が、

右翼とか、オカルト的とか、何かそういう

”好ましくない 印象枠”

にくくられがちだということ・・・、

話題にするときは一種の構え(態勢)が 必要だという

ことだった。

 

宗教を信じている といえば、昨今のサリン事件で逮捕

されたオーム真理教の 狂信的な信者たちの 反社会的

イメージ などに、 どこかで無意識に重なってしまう

のだろうか?

狂信的な信仰に対しての、一種の恐れがあるのだろうか?

 

或いは、我が国の 戦争中に使われた

”八紘一宇”とか、”神風” 

などの、当時の スローガンが 敗戦 と 戦争責任

という 戦後教育で教えられた 負の価値観を連想させる

からだろうか? 

或いは、愛国心といえば、右翼思想 だと、誤解される

ことへの 抵抗感があるのだろうか?、

侵略戦争と位置づけられて、国際的社会的批判も加わり、

日本古来の宗教や歴史観 に対しても、一種の、

罪悪感に似た 後ろめたさ のようなものが、

残像として、残っているのだろうか?

信念を持つ。

信仰を持つ~ということ、

国民として誇りと愛国心を持つということ。

それらが、右翼的とか、軍国主義的とかいう 

レッテルを貼られる要素になりうるのだろうか?

世界中、どこの国の国民が 

自国への、愛国心や誇りを持っていない

いえるのだろう?

”宗教を持つ” という言葉は二つの意味合いで使われる。

一つは ”神を信じている”、

もう一つは 

”ある特定の神を信仰して集まっている組織に属している” 

という意味で・・・。

 

組織に入って熱烈に活動を始めると、

周りからは”狂信的”とうつるようだ。

組織に入っていてもいなくても、

怪奇現象とか、霊的現象だとかいう方面に

精通してくると、”オカルト的”といわれるようだ。

 

それぞれの信仰を尊重して、

無理強いや強制的な圧力を無くし、互いに

尊重しあって生きていければ、

それで調和のある、和合した世界が

実現するだろう。

 

和して同ぜず・・・

同じて和せず では いがみ合いに満ちた

現代世界の縮図の、上塗りをするだけかもしれない。

                                                    

 

注*(1) トンビ―博士

 アーノルド・トインビー(Arnold Toynbee、

1852年8月23日 - 1883年3月9日)はイギリス経済学者である。「

産業革命」を学術用語として広めた歴史家であり、

世界最初のセツルメント「トインビー・ホール」を

興したセツルメント運動の発起人の1人。

時に「セツルメントの父」とも呼ばれる。(ウイキペディアより)

注*(2) アガスティアの葉

ブログ、平成25年3月22日ブログ”アガスティアの葉の体験”参照

 

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