自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヒマラヤの聖者エミール大師の奇跡(6)

2013年06月25日 | 健康と直結する”一元論”について

傲慢を捨て、始まる内なる旅   平成25年6月25日

**************************************

 

 

著者はしがきから

わたしは1894年に極東を訪れた11人の調査団の一員であった。

3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。

大師は私たちが 偉大なる法則の働きを実証されるのを実際に

見るために、大師がたの生活の中に親しく入り込むことを許して

くれた。

 

前回の内容の中で、エミール師が隊員たちを先に送り出して、

5日もかかるほどの目的地で、自分は あなたたちをお待ち

してよう”~と約束したことをお話しした。

 

そして、半信半疑な団員達の前に、時間と空間を超越かのよう

にして、目的地に着くことができるということを 実際 

エミール大師は自ら示した。

つまり、約束通り、隊員たちが到着するのを出迎えたという

場面があった。

 

エミール師とともに、一人の隊員が、後出発のメンバーとして、

その村に残り、エミール師の言葉の真偽を観察するために師と

ともに 前の宿所にとどまっていた。

彼はその(エミール師観察)任務を終えて、主軸の隊員たちに

寄宿所に数日かけて追いついた。

 

 

前記の村に残してあった隊員も一緒になった。彼の報告によると、

エミール師が 私たちとの約束を履行する予定の日午後4時ごろ

まで、彼は師と話していたが、4時になると、これから 約束を

実行しようと言ったかと思うと、師の身体が動かなくなり、やがて、

寝椅子の上に まるで寝たような恰好で休息した。

 

夜の7時ごろまでそういう状態が続き、7時ごろには次第に姿が

かすんできて、しまいに消えてしまった~というのである。

ちょうどその時刻に師は私たちの宿所に姿を現したのである“(58

 

と 観測隊の一員であった著者は書いている。

こうして、全員そろった段階で一行は大師を含めて 沈黙の廟 

と呼ばれる場所へ行く。

そこに到着するとエミール師は次のように語った。

 

これは、沈黙の廟‘ 力の場’ と呼ばれています。

沈黙は力である。私たちが心の中にある 沈黙の場に達した

とき、私たちは力の場~そこではすべての一つの力である~

すなわち、神に達するのです。

集中された力は、神である。黙せよ、しかして、自らの神なる

ことを知れ’ある通りです。

 

散乱した力は騒音となり、集中した力は沈黙’となります。

沈黙の中において、神につながるのです。神と一つになるのです。

私たちは、集中によって、すべての力と一つになるのです。

これは人間が神より受け継いだ遺産であります。

我と神とは一つである’神の力と一つになるとは、ただ、

一つの道があるだけです。

それは 神と意識的につながることです。

 

それは、我の外で為しうるものではない。

なぜなら、神は我が内から 現れるものであるからです。

種はその聖なる宮に居ます。全地よ、主の御前に沈黙せよ’です。

我が外より 我が内なる しじま に向かったとき、

我は神との意識的な融合を望み得るのです。

 

神は 人間に活用されるためにあるのであり、人間は 

常に神を活用するようになることを、いつかは悟るときが

来るでしょう。

その時、人間が 神の力と 一つであることを悟るであり

ましょう。

また、その時初めて、人間というものが本当に良く理解

されるでしょう。

 

そして、これまで、実相を欺き、くらましてきたものや 

虚栄を人は、放下するようになるでしょう。

自我 というものがどんなに 無智で小さいものであるかが

分るでしょう。

その時 初めて真理を深く学ぶ心構えが できたことになる

のです。 

増上慢の者には学ぶことができず、謙譲な者のみが 真理を

学びとることがわかるでしょう

そのような人の足は堅固な砦にたち、もはや躓くことも無く、

心定まりて平安となるありましょう。

 

始めのうちは、神が唯一の力であり、実質であり、智慧で

あることがわかると混乱をきたすかもわからない。

しかし、神の本質を悟り、神を活発に表現するようになれば、

人間は 常時 神の力を使用するようになるのです。

 食事をしても、駆け足をしても、息をしても、さらにはまた 

生涯をかけての大仕事をするにしても、その他、常時、意識して、

神の力に触れていることを知るでしょう。

 

人間は今日までのところ、これまでしていたよりも、もっと、

偉大なる神のを成し得ることを 学び取っていない。

それは 神の力の偉大さを知らず、神の力は、人間が使用する

ためにあるということを知らないからです。

 

神は、私たちが大声で空しき、繰り言(refrain)を言った

ところで、また、くどくどと多く語ったからとて、私たちに

聞き給うことはない。

私どもは、我が内なるキリスト(*1)、我が内なるつながり

を通して、神を求めなければならないのです。

内なる父が霊と真理とにおいて、求められる時、神は神

*2)に対して真摯に魂の扉を開くものの叫びを聞き給うのです。

 

 

父なる神と密かにつながるものこそ、すべての望みを成就する

力が、身内を貫流するのを感じるでしょう。

その魂の扉を神に向けて 自分の魂の奥殿に父なる神を求め 

他に迷うことなく そこに住み続けるものに、神は公に報いた

まうのです。”

 

*1)で大師はイエスキリストの言葉や言行を、例に挙げて、

隊員達に説明を続ける。

彼らは アメリカ人たちであり、宗教に壁はないものの、

その背景から、彼らの一番理解しやすい、母国語(英語)で、

彼らが、信仰する、キリストの言葉を例にとって、説明したの

だろう。

ここではキリストを ”わが内なる繋がり(神との)” 

という意味合いで大師は、使っている。

 

言い換えれば、師の ここで、言うところの、キリストは、

肉体としての キリスト個人意識ではなく、大我の意識” や 

真我とのつながりの絆の意識を、内在する”キリスト意識” 

と呼んでいる

 

*2)で” 神が神に” とあるが、前者の神は 我々が普通に神

として、あがめる対象を射しているのだろう。

後者の神は、わが内なる、神、この 肉体の中に 心の中に宿り

給う 内なる神 を指している。

われわれの本質が 神 と等しきものである ということを、

大師はここで強調している。

*******************************

 

参考)

 ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

S54年6月5日第五版 

ベアード・T・スポールディング著 仲里誠吉訳 霞が関書房

  

 

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ヒマラヤ聖者エミール大師の奇跡(5)

2013年06月24日 | 健康と直結する”一元論”について

エミール大師が説く、細胞が年取らない、私たちの本質       

平成25年6月24日

************************************

 

 

著者はしがきから

わたしは、1894年に極東を訪れた11人の調査団の一員であった。

3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。

大師は私たちが 偉大なる法則の働きを実証されるのを実際に見るために、

大師がたの生活の中に親しく入り込むことを許してくれた。

私のノートを今ここに、“極東における、大師たちの生活と教え”と題して、

発表するが、そこに盛られた内容をそのまま受け入れるか、否認するかは、

読者の自由である。

*************************************

 

”皆さんは、私たち(大師と呼ばれる覚者たち)が 死は避け

得るものだ、と信じているかとお聞きになる。

それに対してはシッダ*(1)の言葉で答えましょう。“(50)

と大師は言い、言葉を続けた。

 

“人体は 植物や動物たちの身体(わたしたちよりも、

年若く発達の低い同胞たち、という呼び方の

ほうが私たちは好きなのですが)と 同じように

個々の細胞から作られていて、それは、肉体の

顕微鏡的な微細な単位である。生長分裂の過程を

幾度も繰り返して、この一単位の細胞の、微細な核が

遂に無数の細胞となって、完全な人体となる。

これらの細胞たちは、それぞれ違った特殊な機能を

営むけれども、大体においては、初めの個細胞の

特質を保ち続けている。

 

この個細胞は 生命という 炬火(たいまつ)の

担い手とみなすこともできよう。

それは 世代から世代へと潜在している、

神火、即ち、この惑星(地球)に 初めて生命が

出現した時まで遡る万世一系の、一切の生物の活力 

を伝える

この個細胞には 限りなき青春が秘められている。

ところで、肉体と呼ばれている 細胞群のほうは

どうかといえば、それは、幾回もの増殖を繰り返した

個細胞から起こったもので、個細胞の個性、例えば、

その一つである、潜在的な生命の火、即ち、

永遠の青春を保っているのである。

 

細胞群、即ち 肉体は個細胞の守護役となっているが、

その生存期間は皆さんがご存じのように、短い。

私たちの古代の聖師がたは直観によって、植物と動物

との生命反応が基本的には一致しているという、

真理を知っていた。

わたしたちには、これらの古聖が 静蒼たる、菩提樹の

下で、弟子たちに次のようにお説きになっている

お姿が、よく想像できる“(51)

 

と大師は、ここで、菩提樹の下でお説教をしている、

ゴ~タマシッダ、つまり仏様の光景を語る。

聖師(ブッダ)は言う

‘この巨大な樹を見給え。

われわれの同胞である、この樹とわれわれ自身の

中の生命の営みは、基本的には同じである。

一番古い菩提樹の葉や、梢の芽を見給え。

何と言う、若々しさであることか。この巨木と

なる前の種子だったときと同じ若さではないか。

 

樹と人との生命反応は同じであるから、人は樹の

経験からも学び取ることができる。

この樹の若き種子から一、、年ふりたる巨木と

なっても、なおかつ、葉や梢の芽が生えでるように、

人体を形造っている、細胞群も次第にその活力を

失って遂に死に至る必要はないのであって、

卵子あるいは、卵細胞 自体のように、若々しく

また青々と伸びることもできるのである。

 

 事実、諸君の肉体にしても、生まれ出る前の

生命の種子のように、 いつまでも若く、活力

あふれるような生長ができないわけはないのである。’

 

 

菩提樹 は 常に 永生の象徴であり、外部からの

事故以外の原因で枯れ死にすることはない。

菩提樹には 細胞の生命エネルギーに有害な影響を

与えるような老衰という自然法則があるとは

考えられない。

 神聖なる、人体もまた、同様である。

人間の場合も、事故でない限り、死や老朽と

言うごとき自然律はあり得ない。

 

人間の肉体、または、細胞群には不可避の老化と

いうものや、人を次第に麻痺させるようなものは、

何ら存在しない。

だから、死 という事故は避けられるものである。

病 とは、とりわけ安らぎよりの分離(dis_ease)、

安らぎ~サンスクリット語でいうシャンティ~

の欠如である“(52)とエミール大師は説明する。

 

死ぬということはありえないというのは、誤解を

招きやすいので、筆者が僭越ながら一言添えれば、

肉体は死ぬ運命を持つが、生命あるいは、魂は

行き通しである~という解釈のほかに、

古今東西の多くの聖人のように、体をもちながら、

あの世へ移行(サマーディ)することも可能である

という事だと思う。

究極な人間能力の実現を指していると思われる。

例えば、キリストも、死後 復活しており、そのまま

昇天したように・・・

 

安らぎとは英語で”ease ”,分離は”dis”の接頭語がついて 

文字通りつなげると、安らぎからの分離で 

disease=病気 となる。

エミール師は シッダの言葉を借りて、肉体が老いて

死ぬという常識を超えた世界が存在すると力説する。

*********

*1)

神格に達し、不可視の世界より人類を指導する聖者。

一般的には出家前の釈迦の名前 

*2)

アルケミストは占星学(アストロノジー)とともに

古代の2大科学の一つで、アトランティック

大陸時代にその起源を有す。

同大陸の海没を予知した高僧たちによって、

エジプトに移され、その後ヨーロッパに伝わった。

 

アルケミ―には7つの目的があった。

①  エリクサー。哲学者の石と称され下級金属を

金や銀に変え、不老長寿を可能ならしめるその他、

不思議の働きをする薬剤の調製

②  生物の創造

③  一切を溶かす万能溶剤の調製

④  灰に帰した植物を再生させる術の発見。

それに成功すれば死者の蘇りも可能

⑤  金を溶かすなどの働きをする神秘的なものの調製

⑥  一切のものの 精髄の抽出

⑦  人体を完全ならしめる、液体金の調製、 

⑧  その他アルケミ―には、きわめて深遠な真理が

含まれているが、それを 俗人の手より守るために

多くの実話や象徴を使っているため、無知なる

世人の嘲笑を招くにいたった。

 

*3) 前述⑦参照

 

参考)

 ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 

全5巻

S;54年/6月5日第五版 

ベアード・T・スポールディング著 

仲里誠吉訳 霞が関書房

  

 

 

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インドの聖者エミール大師の奇跡(4)

2013年06月23日 | 健康と直結する”一元論”について

エミール師ができることは私たちもできること・・・・ 

平成25年6月23日

*****************************

 

著者はしがきから

わたしは、1894年に 極東を訪れた11人の調査団の

一員であった。

3年半にわたる極東滞在中ヒマラヤの大師ちに接触した。

大師は私たちが 偉大なる法則の働きを実証されるのを実際に

見るために、大師がたの生活の中に親しく入り込むことを

許してくれた。

私のノートを今ここに、“極東における、大師たちの生活と教え”

と題して、発表するが、そこに盛られた内容をそのまま受け入れる

か、否認するかは読者の自由である。

********************************

 

 

さらにエミール大師の言葉は続く。

キリストの出生についてであった。隊員達は皆、ほとんどクリス

チャンだったので、最も、彼らに馴染みのあるキリスト教を紐解く

ことで、宗教を超越している真理の話を エミール大師は始めた

かっただろう

 

さて、キリストの生まれた経緯はこうでした。

まず偉大なる母、マリアが 理念を覚知し、それが心に抱き

続けらという土壌の中に育まれ一時、そこにとどまり、

やがて、完全なる長子、神のひとり子なるキリストとして

生まれました。 

それから、女性の最良のものを与えられつつ、養育と保護を受け、

見守られつつ慈愛の下に少年期を経て、成人に達したわけです。

 

内在するキリスト(実相)が私たちすべてに、実現する過程も、

同じです。

まず、最初に、神の土壌、すなわち、神のまします、 中枢部に 

理念が植えつけられ、

完全なる理念として、心の中に維持され、

やがてついに、完全なる神の子、即ち、キリスト意識として、

現実に、生まれ出てくるのです。“(41

 

 

そう語りながら、エミール大師のこれまで顕わした不可思議な

現象の行いに疑いの残る隊員達の、気持ちを察して、大師は

次のようにいう。

 

“あなた方は今しがたの出来事を見はしたものの、自分自身の

目を疑っています。

しかし、私は、あなた方を責めようとは思いません。

皆さんの中の誰からか知らないが、催眠術だ’という念波を受け

ましたが、兄弟たちよ、今晩あなた方が目撃したような 神の

与え給うた、すべての能力を行使する力が、自分には無いと

思っている人がいるのですか?

 

私が何らかの方法であなた方の考えや視力を私の、支配下に置く

と一寸の間でも想う人がいるのですか?

あなた方の中の誰かに、いや、あなた方全員に、私が催眠術的魔力

投げようとすればできるとでも、思うんですか?

あなた方は知らないのですか?あなた方の偉大なる著、聖書に、

‘イエスは 戸が閉まっているのに、入ってきた’と記録されて

いるではありませんか。

イエスはちょうど私がしたように、入ってこられたのです。

 

偉大なる導師にして、また、教師でもあり給うイエスが、いかなる

方法にせよ、他人を催眠術にかける必要でもあるとお考えなの

ですか?

イエスは今晩の私のように、神の与え給うた、彼自身に内在する

用いたまうたのです。

くれぐれもことわっておきますが、私は、あなた方の誰にでも 

できること以外のことは、決して、してはいないのですよ。

あなた方だけではない、この世、いや、この宇宙に、今生まれて

あり、また、生まれたことのある子らには、すべて今晩のような

ことを成し遂げる力があるのです。

 

あなた方は自由意思であって自動人形ではない

イエスには催眠術を他人にかける必要はなかったし、私たちも

また然りです。

私たちの正直さが 完全に納得できるまでは、完全に疑うがよい。

しかし、催眠術という考え方だけは、ここしばらくの間でも、

捨ててしまうか 少なくても、あなた方の仕事がもっと、深く

進むまでは、心を受け身に保つがよい。

私たちが皆さんにお願いすることは ‘心を解放しておく’ と

いうことです。“(42

 

エミール大師は、ドアーが閉まっていても、部屋の中に入って

きたりすること、それは誰にでも 備わっている能力だという。

確かに、人がこの世を去るとき 肉体を離れるその寸前に遠距離

にもかかわらず、愛する人の、枕元に顕れたという話しは聞く

姿を見ないまでも、虫が知らせたというように、何かのメッセージ

が伝わり、後から 死亡事実を知って、”ああ、あの時・・”と 

納得したという話も聞く。

 

 

筆者の精神的グル(インド)は、実際、バンコクのシーロム通りで、

筆者の親友の前に幽体で出現した。

なぜ、そのことがわかったというと、後日、その友人宅泊まった

とき、当時 私が持っていた、師の顔写真を見て驚いて、友人の

発した言葉からだった。

彼女は、”この人に会ったことがある”と言った。

それはあり得ないと、私が返答した。

なぜなら、その先生はインドから外国へ行ったことは生涯に

一度もなかったからだ。

それにもかかわらず、彼女はその先生に会ったことがあると執拗に

言い、状況を聞いて納得した。

彼女は、その師の身体的特徴や着ていた服の色、恰好などをを詳細

に語った。

先生は実際、その姿以外の服装を着たことはない。

常に、スワミ(僧侶)姿だった。

しかも、僧の衣装ではあるが一種独特の風情でもあった。 

彼女の前に、師が出現したというこの話を、私も、さもあらんと、
納得したのだった。

エミール師が語る 今回のこのような体験をインドの聖者は

当たり前のように、日常の中で行っているようだ。

 

参考)

 ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

S54年6月5日第五版 ベアード・T・スポールディング著 

仲里誠吉訳 霞が関書房

 

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インド聖者エミール大師の奇跡(3)

2013年06月22日 | 健康と直結する”一元論”について

目前で、水を氷にしたが・・ 平成25年6月22日

***************************************

 

著者はしがきから

わたしは1894年に極東を訪れた11人の調査団の一員であった。

3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。

 

大師は私たちが 偉大なる法則の働きを実証されるのを実際に

見るために、大師がたの生活の中に親しく入り込むことを

許してくれた。

私のノートを今ここに、“極東における、大師たちの生活と

教え”と題して、発表するが、そこに盛られた内容をそのまま

受け入れるか、否認するかは、読者の自由である。

********************************

 

 

その晩、一同が宿舎で集まっていると、いつものように、突然ドアー

も開けずに、エミール師が 彼らの真ん中に出現する。

そして、こう言った。

 

“いわゆる、魔法のように、私がこの部屋に顕れ出たのを皆さんは、

今、目撃しました。さて、今度はみなさんに、肉眼でも見える 

一つの簡単な実験をしてみましょう。

 

皆さんは 肉眼で見てから、初めて信ずるのですからね。

どうぞ、よく見えるように、丸く輪をつくって、寄ってください。

さて、ここに皆さんの中の 誰かが今しがた、から汲んで

きたばかりの、水が一杯あります。

 

見てごらんなさい。

のちょうど真ん中に、氷の一片 ができかけてきたでしょう。

 

一片一片、だんだん 固まってきたの部分が増え、とうとう 

コップ一杯凍ってしまいましたね。

一体どうしたのでしょうか?

私は水の真ん中の分子(複数)を 私の想念によって 

‘普遍なるもの’the universalの中に置き、それが形をとるよう

にしたのです。

 

言い換えれば、そのヴァイヴレーション(波動)を下げて行って

遂にそれが氷となり、その外の分子群も その周囲に集まって

形をとり、遂に全部がに化してしまうというわけです。

 

この真理(法則)を、みなさんは 小さいコップだけではなく、

桶や池、湖や海、はては地球上の水全体にまで適用できるのです。

 

そうすると、一体どうなるでしょうか?皆 凍る ことになりは

しないでしょうか?

一体、何のために?目的はないんです。

それでは、一体 いかなる権威によってそうするのか、と皆さん

はお尋ねになるでしょう。

 

完全なる法則の使用によって’と私はお答えしましょう。

では この場合は一体、何の為か何のためでもありません。

それは、別に何かの為になることもなかったし、また、為に

なるようにできません

 

もし私が、この実験を 徹底的にやり続けて行くとすれば、

結局どうなるのでしょうか?

それは 反動 が来ます。 誰に来るか? 私にです。

 

 

私は法則を知っている。

だから、私の 表現するものは 忠実に私に返ってくるのです。

故に 私は善のみを表現します。したがって、善のみが 私に 

善として返ってきます。

 

もし、私がどんどん凍らせ続けていたら、最後の目的を遂げる

ずっと前に、冷寒が私に 跳ね返ってきて私まで凍って

しまい私自身の冷凍という形で 私は自分の希望の収穫物

刈り入れることになるでしょう。

 

だから、私が善を表現すれば、私は永遠に私の言葉を収穫する

わけです。

 

今、この部屋に私が現れ出たのも、こういう風に説明ができます。

あなた方が私を残して出て行った小部屋で私は自分肉体を 

‘普遍なるもの’に戻した。

 

私たちの言い方をすれば、一切の質量(substance)が 存在する

‘普遍’なるものの中に、一旦 奉還したのです。

 

それから、私の 神我(I AM~実相)、即ち、内在するキリスト意識

通して、肉体を心の中に置くと、そのヴァイヴレーションが

下がり、ついに この部屋の ここへ、具体化し再現して 

皆さんにも、見えるようになるというわけです。“(39

 

 

と大師は、氷に変えた水の秘密、自分がつい今しがたまで、

調査隊が日前にいたという小部屋から、今此処に肉体として

現れたその方法を伝えたのだった。

それは 普遍の法則 であり、完全な法即 でもあると大師は言う。

************************

参考)

ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

S54年6月5日第五版 ベアード・T・スポールディング著 

仲里誠吉訳 霞が関書房

 

 

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インドの聖者エミール大師の奇跡(2)

2013年06月21日 | 健康と直結する”一元論”について

90マイルを5分で移動 平成25年6月21日

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著者はしがきから

わたしは、1894年に極東を訪れた 11人の調査団の

一員であった。

3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。

大師は私たちが 偉大なる法則の働きを実証されるのを実際

見るために、大師がたの生活の中に親しく入り込むことを

許してくれた。

私のノートを今ここに、“極東における、大師たちの生活と

教え”と題して、発表するが、そこに盛られた内容をそのまま

受け入れるか、否認するかは、読者の自由である。

 **************************

ヒマラヤの小さな村 アスマーと呼ばれるところへ調査隊が

向かったのは 192212月クリスマス以後 のことだった。

エミール師は 彼の配下の助手を2名、調査隊に付き添わせた。

調査隊全体の世話役のためだ。

この二人の名前は ジャスト、ネプロウ といった。ジャストは 

調査隊執行委員各、ネプロウはその助手で、命令の遂行を見届け

監督役でもあった。

 

出発当日の朝、エミール師は調査団へ 見送りの挨拶を述べた。

 

“みなさんはこれから、ジャストとネプロウの二人を同行して

調査旅行に出かけるわけですが、約94マイル先の次のおもだった

宿泊地まで、たぶん 5日ほどはかかるでしょう。

私は暫く、ここに踏みとどまることにします。

90マイルの道のりを行くのに、私はそれほどの時間がかから

ないからです。

そして みなさんの目的地で、到着をおまちすることにしましょう。

 

そこで、私からのお願いしたいことは、誰か一人、隊員の方に

ここに残ってもらい、これからの出来事をよく観察し、証明する

役を引き受けていただきたいことです。

そうすれば、お互いに時間の節約にもなるし、ここに残ってもらう

も、これから10日間までには、調査隊に加われるわけです。

私たちとしては、その方によく見ていただき、見たことを、よく

報告してくださるように、お願いするだけです。“(34

 

調査隊は 大師の、その旨を受けて、証明人と大師たちを残して、

先に出発した。

ジャスト達は、非常に良く手際よく働いた。エミール大師にこう

言わせたほどだ。

 

“この二人のやり方以上に テキパキとした 胸もすくような仕事

のさばき方は想像もできないことを、特に、ここで申し上げて

おきたい。

どんなに細かいことにも 到れりつくせりの行き届きようで、

いわば、音楽のリズムと精確さとに ぴたっと合った感じである。“34

 

この二人は、大師の弟子であり、後々特別な能力を示すのだが、

その時はまだ調査団はそれに気が付いていない。

こうして予定どおり、5日目の4時ごろ、調査隊は予定の村に到着した。

ここで、エミール師が、出発時に約束したように、彼らを迎え出て

いるはずであった。

それに関して調査隊の報告が以下に続く。

 

“読者に私たちの驚きが想像できるだろうか?私たちは間違いも

なく、ただ一本しかない道を、途中で交替して日に夜をついで、

急行する飛脚は別として、この国では一番早い交通機関で

やってきた。

ところが、年齢も 相当いっているはずの、また、どう考えても、

90マイルの道のりを私たち以上の短い時日では 来られないはず

の人が、ちゃんと先着しているではないか!“(36)

つまり、大師は約束通り 調査団を迎えて調査団の者たちを

驚かせたのだ。

調査隊の皆はその理由を知りたく、いっせいに大師に質問を

浴びせかける。

師の答えは こうだった。

 

“あなた方が 御発ちになるとき、私は、ここで、みなさんを

お迎えしましょう言いましたね。 

その通り、私は、今 ここにいるわけです。

人間は本来 実相においては無限であり、時間・空間・制限を

知らぬものです。

ひとたび、人間がその実相を知れば、90マイルの道のりを行く

のに、5日も トボトボと歩かなければならないということは

ないのです。

 

実相においては、どんな距離でも一瞬にして、到達できるものです。

距離の長さなんか、問題ではありません。

私は ほんの一瞬の間の前に、あなた方が5日前に出発した村

にいました。

みなさんがご覧になっている私の肉体は、まだそこで、休息

しています。

あの村に残っている皆さんの 同僚は、4時数分ま前までに、私が 

~もう、今頃は着いているはずだから、出迎えの挨拶に行きましょうと 

ったことを 後日、証言するでしょう。

 

このことは、ただ、私たちがどんな約束の場所、どんな定められた

時刻にでも、肉体を残したままであなた方に挨拶に来られること

を、お目にかけるためにしたわけです。

皆さんにお供してきた あの二人にも、同じことがやればやれたのです。

そういうわけで、私たちが、みなさんと根源を同じくする 普通の

人間でしかないこと、また、神秘めかしいことは何もなく、父なる神、

全能にして 偉大なる 壱なる存在が、総ての人間に与え給うた力を、

ただ皆さんより、多く発現させただけであることが、一層よく

お分かりになったでしょう。

 

私の肉体は、今晩まではあそこに置きますが、そのあとで、こちら

引き寄せます。

それで、みなさんの同僚の方も、こちらに向けて出発し、いずれ

そのうちに到着することになるでしょう。

 

さて、一日ここで、休養を取ってから、ここから 一日分の

旅程先の小さいに行き、そこで一晩泊まってから、また、こちら

に戻って、別の同僚に 会って、報告を聞くことにしましょう。

今晩 宿舎で集会をします。ではしばらくの間 ごきげんよう“(37

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参考)

ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

S54年6月5日第五版

ベアード・T・スポールディング著

仲里誠吉訳

霞が関書房

 

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