自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヒマラヤ聖者エミール大師の奇跡(1) 

2013年06月20日 | 健康と直結する”一元論”について

花や木もうなづく        平成25年6月20日

************************************

著者はしがきから

わたしは 1894年に極東を訪れた 11人の調査団

の一員であった。

3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。

大師は 私たちが 偉大なる法則の働きを 実証されるのを

実際に見るために、大師がたの生活の中に親しく入り込む

ことを許してくれた。

***********************

 

大師が、鳥や獣との会話しているところを目のあたりにみた 

調査団の報告は次のようだ

ある日曜日の朝、エミール師と 一緒に野原を散歩していると、

私は先ほどから、私たちの頭の上を円を描きながら、飛びまわ

っている一羽の鳩が気になってならなかった

 ‘あの鳩は私を探しているんですよ’と師は、さりげなく言うと、

歩みを止めて 深い沈黙に入ってしまった。

数分すると、鳩は師の差し伸べた腕の上に舞い降りてきた。


その鳩は北の方にいる大師の弟から音信を持ってきたという

のである。

その弟という人は、やはり、同じ真理の道を歩んでいるが、

直接、兄に意思を伝達するところまでは修行が積んでいない

のでこの方法を用いているのだそうである。

あとでわかったことではあるが、大師たちは ‘思念伝達’

(大師がたの言い方によれば、電気や無電よりもはるかに

微妙な或る力)よって、瞬間的に相互の通信ができると

いうのである。

それから 私のいろいろな質問に答えて、師は鳥たちを呼び

寄せると、空中を飛んでいる時でも、その飛び方を指図でき

こと、花や木でも 本当にうなずくこと、野獣でも少しも恐れ

ないで寄ってくること、小さい動物を襲って食い殺し、あとの

死体を奪い合っていた二匹のジャッカル(山犬)を 引き分けた

ことなどを話してくれた。

その山犬など、大師が近づいていくと、闘いをやめて、大師の

さしのべた両手の中に すっかり 信じ切った様子で首を入れて、

静かに食べ合ったそうである。

師は或るとき、一匹の野獣の子を私に与えて、両手で抱いて

ごらんと言ったのである。

さて、話を元に戻すと、エミール師はこうした以心伝心の奥義を

次のように語った。 

 

‘こういう風に、動物でも 支配できるのは、いつも五官で見て

いるような卑俗な自我ではなく、もっと、真実な、もっと深い

真我 なのです。

こういうことをしてみせるのも 私の自我ではなく、あなた方

の言う神、即ち内在する神、私を通して、働き給う 全能にして、

壱なる神なのです。

 

死をまぬがれ得ぬ’小我’としての 私自(みずか)らでは、何事をも、

為し得ないのです。

あなたが 今までに みてきたようなことが 私にできるのは、

私が 外的な現象を完全に放棄し、真実なるもの、即ち、神我

われ神也)=自己の実相・内在の語らしめ、なさしめ、

しかして、神の大愛を出させるときなのです。

 

あなたを通して 神の愛がすべてのものに出ていくとき、何物も 

あなたを怖がらず、どんな災害もふりかかることはありません。“

21

 

 

師は、調査団の部屋のドアーが閉まっていてもドアーを通さず、

どこからか、部屋に入ってくることがあった。

そのことについて次のように記録されている。

 

ぱっと出し抜けに(大師は)姿を現した。

寝る前に ドアーに 念入りに鍵をかけてみてもそうで

あった。”(22

そこで、彼らは、もう、鍵をかけずに、開け放しにしておく

ことにした。

“これは、私が 師を信頼することになるので、喜んでおられる

ようであった。

其の頃はまだ、師の教えが 全部わかるというほどではなかったし、

百パーセントそのまま 受け入れることもできなかった。“(22

 

実際、大師たちの霊的意義を悟るにはいろいろな体験を観て、

吟味すること、“数年の思索が必要”(22) だったとている。

大師たちは 大自然の中に 防備もなく生きておられる。


私自身がインド在中の時、(写真を見せていただいて)

知っている (ヨギ大師)は、極寒のヒマラヤの雪の中を 

真っ裸で縦横無尽移動しておられる。

その写真が一枚だけ、訪れた修行場に、残されていた。

ヒマラヤの雪の中で素っ裸の御姿だが、一般に公開する写真は、

雲の中から姿を半身出している様子で、修正されていた。

さて、調査団の人たちも、その大師の無防備な生活態度には

次のように感嘆する。

 

大師たちには何の見栄もてらいもなく、お仕事の仕方も全く

子供のように純真であった。…略…

毎年 何千人という人が 毒蛇や猛獣のために生命を落とすが、

大師たちは 内なる愛の力 を発揮するから害を受けることがない。

 

時には、未開のジャングルに住み、時には猛獣の惨害より、村を

守るために自ら進んで、村の入り口に身を横たえることがある。

時によっては、水の上を歩き、水の中をくぐり、肉体の姿を消した

まま往来し、その他、何か超自然力の 所有者にしかできないと

思われる 所謂、奇跡の数々を行う。“ (23

 

 

 

このような大師たちは インドでも比較的少数しかおられない。

大師たち自身その数が限られていることや、学者たちも(大師の

ところまで)訪ねてこれるような人はごく少数しかいないことは 

よくご存じである。“(23

 

だからといって、これらの大師たちが われわれ下界の人間の

生活に無頓着かというとまったく逆のようである。

なぜなら、以下のように調査員は記している。

 

大師がたは 不可視の世界[須田注:時間・空間を超えた世界)

においては、無数の人々に接触することができるのであって、

事実 不可視の世界に入ってその教えに感応する人々を援助する

のが、大師たちのお仕事の大部分のようでる。“(23

 

 

訳者註から)

真我を”神の我” と呼んでいるのは、アートマ の

資質をもった、人間の実相のことでもある。

訳者は ここに以下のような、註を置いている。

 

真我とは) 人間の実相:肉体に非ず、様々な心に非ず、

神に等しいものである。

故に、人間の実相は神と等しく 無限の智慧、愛、生命、

美、歓喜、調和、豊富である。

それらをどこまで出すかは、本人自身が自分の能力、才幹を 

どの程度まで認識するか、即ち、私はどの程度まで……である’

かを認知しているかによって、決定される。

故に、人間は常に、私は無限(たとえば、愛、智慧など)である’

観ずべきである”(24

***********

参考)

ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

S54年6月5日第五版

ベアード・T・スポールディング著 仲里誠吉訳 霞が関書房

 

  

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ヒマラヤの聖者エミール師との出会い

2013年06月19日 | 健康と直結する”一元論”について

ヒマラヤでのある調査団の記録 平成25年6月19日

************************************

 

これまで ブログで取り上げていたB大師に続いて、今日から、

ほんとうの大師(と私は信じてます)方たちのお話しをせて

頂きます。

これからお話しする数々のエピソード、きっと、読んで すぐには、

信じられなくても当然もしれません。 

これらの奇跡を見た、アメリカの調査団員たちも、催眠術を掛け

られていると誤解したり、本当に奇跡が存在するということを

信じられるようになるまで、ヒマラヤの聖者のもとで生活して、

1年はかかっているのですから。

著者はしがきから(*1)

わたしは、1894年に極東を訪れた11人の調査団の一員で

あった。

3年半にわたる極東滞在中、ヒマラヤの大師たちに接触した。

大師は私たちが 偉大なる法則の働きを実証されるのを実際に

見るために、大師がたの生活の中に、親しく入り込むことを

許してくれた。

 

さて、手記はこう始まる;

 

私のノートを今ここに、“極東における、大師たちの生活と教え”

と題して、発表するが、 そこに盛られた内容をそのまま受け入れる

か、否認するかは、読者の自由である。

本書は すべて大師がたに関連して わたしたちが調査した際の

第一年目の経験を記録したものであって、同時にまた、その中には 

大師がたの許しを得た上で速記し、同容の証人を得た教えも含まれ

ている。

***********

 

カッコ内は本文引用箇所、括弧内の数字は その頁数とご了承いただきたい。

 

エピローグ

著者は、この本の中で 

“大師がたと接触したわたしたちの経験の大要を述べ、その中から、

師がたの教えの中でも に大きな基本的真理をくみ取って

いただこうと言うだけである“(16と書いている。

そして、ヒマラヤの山の中で起こった 神秘経験を綴っている。

 

この調査団は 科学的訓練を受けた現実主義の人が11人、生涯を

このような調査にかけた人たちであり、十分な証明がい限り、

鵜呑みにしないという習性を持っていたと 筆者は前もって

綴っている。

どのように どこで、この大師たち遭遇できたか、具体的な、

その出会いと、場所は明かされておらず、どの場所でそれらの 

神秘体験が起きたか、などやや不明瞭である。

わかっていることは、彼ら調査団の大師に対する表記から察する

のみである。

(以下、手記から引用)

 

“この大師がたに随行した生活を共にして、その上で 最後の結論を

私たち自身で下すことになった。

結局、私たちは むがままに、彼らとともに暮らし、欲するまま

に質問をしたうえで、自分たち自身で帰納的に結論をだし、最後

自分たちが目撃したことを、事実と受け取ろうが、インチキと決め

つけようが、われわれの自由である”

ということで 調査に臨んだとしている。(17

 

 

一方、大師たちの様子は、次のように記されている。

“何とかして、わたしたちの判定に影響を与えてやろうという

気配は全くなく、わたしたちが何を見聞しようと、そのまま

信じ込む前に、よくよく吟味してから納得するようにして欲しい

希望されるのであった”(17

 

さて、大師との初めての出会いの後、最初の印象的事件は、以下

だった。

出会いから 4か月後、時々、大師は 彼らの前に ふいと、姿を

見せていたようだ。

彼ら調査団は ある問題に 厄介な突き当たっていた。

その時も、またまのように 大師が顔を出した。

そして、驚いたことに大師は すでに 問題を承知だった様子で、

調査団と会うや否や、その問題について、自ら、話し出された。

その時の様子はこう記されている。

 

“これには私もびっくりした。

なぜなら、この問題を 仲間以外に漏らした団員は一人も

いなかったからである。

彼はこんな難しい問題にはよほど、慣れているらしく、すべて

が彼にはお見通しのようだった。 

自分でもまた、その事件に対して、有る種の見通しが効くのだ

と言いながら、援助を申し出てくださったのである。“(17

 

そして、その援助が功を奏して、事件は一両日のうちに片付く。

手記は続く;

 “その後は何か問題が起こるたびに、エミール師(と大師に名前

を調査団はつけた)に相談するのが私の習慣となった”(20


こうして、様々な体験が、このあと、大師との間に展開していく

のである。

以下、それについてのお話を、何回か、続けて投稿させていただく。

 

 ***********************************

(*1)

ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

S54年6月5日第五版

ベアード・T・スポールディング著

仲里誠吉訳

霞が関書房

 

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日本人の心に響く風情

2013年06月09日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

郷愁を誘う絵 平成25年6月9日

****************************************

5月から掲載してきた”反響のあった記事シリーズ”は今日でおしまいです。

最後に 比較的 リピートの多かった、このミレーの絵について、

半年前のブログに再度登場してもらいます。

*******************************

10月29日(月曜日) 

ミレの”晩鐘” は、あまりにも有名だ。

1875年にミレが死去したき、この絵はまだ、世の中であまり、

評価されてはいなかった。

ミレが、40歳ぐらいの時に描いたこの絵に、彼は、自ら、希望価格をつけた。

2千フランだった。 

この絵は現在どのくらいの価値があるのか知らない。 

おそらく億単位だろう。

ミレの謙虚な希望価格にも フランスでの買い手はつかず、

ベルギーの男爵が、引き取った。

 

この絵の価値が評価されてきたのは、ミレーの死後14年目といわれる。 

この時、オークションにかけられ、フランス政府とアメリカ人との

競り(せり)合いになった。

結局、アメリカ人のつけた価格で落とされ、この絵はアメリカへと渡る。 

そして、皮肉なことにアメリカでの入国時の関税が高くて、支払が難しくなり、

再び、フランスに送り返されて来たという、いきさつがある。

 

 ミレーの代表作は、このほかにも、

”落穂ひろい(1857年)”、

”種まく人(1850年)”、

”晩鐘(1857~1859年)”、

”古い塀(1862年ごろ)”がある。

このうち、”種まく人” と ”古い塀” は 日本の山梨美術館に陳列されている。 

さらに、興味深いことには、”古い塀” は 山梨県が 1億8732万円で

購入したという事実だ。

日本人が、ミレーの作品を、こよなく愛してきたことは、この事実でもよくわかる。

岩波書店 の シンボルマークに、”種をまく人” が使われていることを

ご存知の方も多いと思う。

私たちが先祖より引き継いでいる農耕民族の血の中で、ミレーの描く、

土の香りと 農民たちの勤勉な生活、安寧に満ちた心の描写が、

私たちの、共感を呼んだに違いない。

 

この絵のテーマは実にシンプルで、ストレートに伝わってくる。

農夫、農婦、が静かに頭(こうべ)を垂れて、祈りを捧げている。

後ろに描かれている塔は、教会の塔だ。

アンジェラスの鐘が聞こえているに違いない。

アンジェラスの鐘とは、

カトリックの寺院が、明け方、昼、黄昏時に鳴らす鐘の音。 

今、黄昏時だ。 

仕事を一段落させ家路に向かう前のひととき、仕事を無事に終え、

今日も一日生かされていることへの 感謝の心が 静かに伝わってくる。 

 

ミレー自身、農夫の子として生まれた。 

当時のフランスの画壇の特徴は、花の絵や神話を題材にしたものが好まれた。 

女性の裸体も好まれ、ミレーは生活のためにこれらの絵を、

描いたことがあるようだが、決して芸術的に彼の名前を

高めるまでには至らなかった。  

”自分独自の絵” を志したミレーは、”農夫たちの当たり前の生活” を、

モチーフとして選んだ。

こうして描かれた ”晩鐘” の絵、地味でやや薄暗い色調のキャンバスに描かれた

二人の農夫たちは、しかし、なかなか評価されなかった。

農夫の絵を、農耕の様子を、当たり前の田園風景を、しかも、

地味な トーンで描いた絵は、誰の目にもすぐ止まるものではなかったのだろう。 

当時の、変哲のない、当たり前すぎる光景だったに違いない。

 

今、私たちの生活の中にも同様のことが言える・・・

のではないかと、ミレーの絵を観ながらそう思った。

 

当たり前の、ありきたりの情景と無感動に過ぎ去る時間。 

朝起きて、”雨だ・晴れだ”と まず、今日の天気を気にかけるだろう。 

主婦は洗濯、夫や子供は帰りの雨用具の心配、

朝日の神々しさにも気が付かず、

道端の季節の花に目をやる余裕もなく、急ぎ早に 職場や学校へ向かう。

通勤・通学電車の中では、ぐったりしながら、座っていても、

何となく下を向いて目をつぶり、前に老人が立っていても無関心。

帰宅。 もくもくと、夕食食べて、風呂に入り、ビールの一杯で癒され、

子供の寝息で ホット自分の時間に憩う。

”腰が痛い”、”ここが不調だ”、”給料が安い”、”不当な扱いをされた”、

”子供が言うことを聞かない”、”進学に頭が痛い”

などなど・・・寝付く前にもいろいろな想いが押し寄せる。

楽しみ、悲しみ、泣いたり、笑ったり、腹をたてたり、たたされたり、

イライラしたり、ホットしたり、ロマンティックになったり、

ドライに割り切ったり・・・ 

休日は、当たり前でありきたりの日常生活に、どこか刺激を得ることと、

退屈さを紛らわすことを考える。 

時には、久しぶりに懐かしい友人たちと語り合い、飲みあい、

時には、家族同士で水入らずの旅行を楽しみ、

時には、リクリエーションやスポーツで、体を動かし

時には、ぶらり、気の向くまま自然の中で過ごしたり、

こうした気晴らしと刺激で 自分をリフレッシュさせて

再び、同じテンポの 当たり前の生活に戻っていく。

ああ、人生、良きかな、楽しきかな! 

 

ミレーは、きっと、この絵を描きながら、農夫たちの、当たり前すぎる

日常の一場面に、新鮮な感動を覚えていたに違いない。

感動がなければ、絵 は生まれない。 美 がなければ、絵にはならない。 

 

去年の東北の大震災の傷跡が癒えることなく、日々を送っている方々が、

いまだに、大勢おられる。

震災の後、ただ一人、家族の中で生き残った女性が、泥の中から見つけた

家族写真をかかえて、佇んでいた姿を想いだす。

”今は、当たり前の生活、それが欲しいだけです” 

と口数少なく語った言葉に胸を打たれた。

 

人は贅沢な生き物である。 与えられてしまうとそれを失うまで、

その価値になかなか、気が付こうとしない。 

”喉元(のどもと)過ぎれば熱さ忘れる” である。

今、当たり前の生活が送れることほど、有り難いことはない

当たり前の生活とはなんなのだろうか? 

私は、今 自分が生きて与えられているものを感謝して受け止めることが

できる気持ちがあれば、それが当たり前の生活だと想う。 

何かがなければいけない、とか、幸せでないから当たり前でないというのは、

そういう条件づけをした時点で”当たり前の生活”を忘れている。

 

喉に火傷を負って、飲み物すら、喉を通らないときだけ、人は、喉の有り難さを想いだし、

癒えれば、また、食べ物の文句の一つ出てしまうのは、悲しい人間の性(さが)だ。 

 

ミレーの晩鐘の主人公は イモ畑を耕すだけの、名もない、貧しい、農夫たち。 

しかし、ミレーは、彼らの”当たり前の生活”の中の、”祈り” に、

”普遍な人間の尊い心情” を見出し感動を絵にした。

ミレーは、生存中、この絵が評価されて、大金を手に入れることができれば、

幸せだったのだろうか?

否、大金を手にできない彼だったからこそ、

謙虚な面持ちで 今与えられているわずかな、貴重な何かに、感謝できる ことを

知っていたのかもしれない。

本物の価値は、時を経て、初めて その代価を支払われるものだろう。

本物であるがゆえに、その時の世間的価値から、ずれていても、

その価値判断は、後世に譲らる。

そして、ミレーの絵は、普遍の価値を評価された。

 

天国でミレーはきっと、微笑んでいるに違いない。

この農夫の敬虔な祈りの心こそ、ミレーの心そのものであったのだろうから。

毎日の中の変哲のない光景に、価値を見出したミレーの絵心の底に、

据えられた確かな目線と感謝の心。

日常の当たり前の生活の中に

ひっそりと輝く、心の光 を しっかりと見据えたミレーは、

真の誇り高い人生を送った、先人の一人だと思う。

 

 

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J.ディーン:不器用で壊れそうな魅力

2013年06月08日 | 健全生活のために”死”の常識を反転

世代を超えた純粋さ 平成25年6月8日

*************************************

 

先日、うとうとしながら、ソファに横になりながら、薄めを開けて観た

テレビ画面に、ジェームス・ディーン(*1)がいた。

細面の顔から 上目使いで 訴えるような憂いに満ちた眼差しが、

印象深く 飛び込んできた。

話しの途中からなので、なんというタイトルかわからなかったが、

大方の筋書きは 数分の内におぼろげにわかってきて、吸い込まれるように 

最後まで見てしまった。

”エデンの東” が代表作と聞いていて、アンニュイ な面持ちと、ナイーブな

若者の役柄にぴったりはまった、大スターであるということぐらいしか、

それまでの私には、J・ディーンへの知識はなかった。

 

映画の荒筋

**********

たまたま、途中から見た場面は、胸から血を出して傷ついた、ディーンが 

父親と言い争っているところだった。

そして、家を飛び出す、ディーン。バイクにのって、駆け付けた場所は、

海を見下ろす、高い崖っぷちの廣い空き地。

そこに、どこからか、盗んできた車が置かれ、ディーンがその車に乗る。

その隣にも、一台の車。

たぶん、約束した 対抗する相手なのだろう。

 

男が車に乗って、待ち構えている。その若者のガールフレンドB(仮にこう呼ぶ) 

や野次馬の仲間が群がる中、その相手と命をかけたゲームがこれから展開するのだ。

 

 

 

崖っプチまで車を もうスピードで走らせ、車が崖から落ちる直前に、車の

ドアを開け 脱出を試みるゲームだ。

どちらが、ぎりぎりで脱出できたか?ということらしい。

2台の車はスタートする。 

アクセルを踏む。 

スピードが上がる。ディーンは、一瞬のところで、車から脱出をはかる。

ところが、相手の若者は、車のドアの とってに、自分のジャケットの一部

が食い込んで 身動き取れなくなってしまう。

 

車内で、もがく、数秒のシーン、脱出かなうことなく、そのまま、何十メートル

下に、まっさかさまに 車は、崖にぶつがりながら、炎上して落下していく。

唖然とする仲間たち、散り散りに、車で帰っていくが最後まで現場に

残るディーン。

ディーンは失意の中で家に戻る。

友人が死んだ。

そのことには、大きく、自分が関与していた~苦しんだ。

 

心配して、起きて待っていた両親が、今しがた流れたテレビの臨時ニュース

崖の事故を知っている。

訳を話す、彼。’ひよっこ’ と、相手にバカにされて、そのスリリングな

試合を買って出たという。

 

相手は死んだ。 オレが関与している。警察に出頭する”と、親に言う。

母親は ”なんて、馬鹿な事。あなたがどうして罪をかぶらなければいけないの?” 

と 息子に猛然と反対する。

父親も同様だ。

”お前のことは良くわかる”

ディーンは反抗する。

わかってなんかいない、いつでも 父さんはオレのいうことを聞いてはいない”

 

彼は、家を飛び出し、警察署へ向かう。

出頭するが、以前 面倒をかけた彼の知り合いの警官は、おらず、他の警官達

は、深夜、酔っ払いの事情徴収で忙しく、”あのウ。。”と、呼びかけている

ディーンを、相手にすらしない。

 

ディーンが話を聞いてもらうことなく、警察署の前ですれ違ったのは、

死んだ相手の友人たち(仮にCとする)だった。

ディーンを見て警察に密告をしに来たと勘違いし、ディーンの後を追いまわし、

探し回る。

 

ディーンは、相手のガールフレンドだったBが忘れられない。

Bも 自分の恋人が死んだにもかかわらず、果敢で一徹なディーンに 興味を

もっていた。

いつの間にか、二人の心は通じ合う。

彼女のほか、ディーンには、もう一人の小さな友人がいた。

ティーンエージェーになったばかりの、少年だった。

 

少年は、ディーンをこよなく愛し、憧れ、彼のやさしさを感じていた。

言ったことは必ず行う、潔くて、かっこいいと少年は、あこがれをディーンに

抱く。

少年にとっては、頼りになる、兄貴分としてディーンを慕うようになっていた。

少年は父親の愛情を知らないで育った。彼を、仮に、少年A とする。

 

少年A は 仕返しをたくらんでいるCの追手からディーンを助けるために、

荒廃した屋敷にディーンと、今はディーンと相思相愛になった、Bを連れて行く。

安全で、廣い敷地の中の3人は、ホット安堵したかのように、水のない、プール

サイドで、ふざけあい、楽しそうにはしゃぐ。

 

もう安心。ゆっくり休もう” とくつろぎ、Bが歌う、子守唄を聞きながら体を

寄せ合い プールサイド でうたたねをしてしまう。

ディーンは 少年Aが 寝てしまったので、彼女 B に、屋敷探検を誘い、

二人は少年Aを残して、屋敷の中へ入っていく。

その間、ディーンを探していた3人の若者達Cが屋敷の外に 置いてあった、

ディーンの車に気が付き、敷地内に入り込んでいく。

すると、プールサイドで寝ている 少年Aに気が付く。

 

少年Aは Cに起こされ、危害を加えられそうになったのでディーンを探すが、

そばにいたはずの、ディーンはいない。

C たちは、ディーンを探しに、家の中に入っていく。 

このままでは、ディーンは C に見つかってしまう。

少年Aは思わず、隠し持っていた拳銃を、階段を駆け上がるCの一人にむけて、

発砲した。

 

この銃声で、夜回りをしていた、パトカーの警官が、不法侵入に気が付き 

その屋敷にかけつけた。

その車には、ディーンの両親、Bの母親、も同乗している。

A少年はC達から、どうにか、逃れて、屋敷の中の部屋にいたディーンとBを

見つけた。二人の元へ駆けつけ、警官やCに追われ、危険な状況であることを

知らせる。

そして、”どうして、自分を取り残したの?一人にしたの?”と少年はディーン

詰め寄る。

 

”すぐ、戻るつもりだったんだよ” とディーン。

屋敷に入った警官が、拳銃を持っている少年を見つけるが、少年は 興奮して警官

にも発砲してしまう。

警官は負傷する。

逃げる少年。 

追いかける警官たち。

 

少年は、隣家のプラネタリウムに 方法の体で逃げ込む。

そこを包囲する 複数のパトカー。

ディーンは 少年の後を追う、 そして、止めるガールフレンドに言う。 

”あの子は(A) は オレを信じているんだ。 

裏切ることはできない。助けよう。 事が大きくなる前に・・ 

                              

A少年の立てこもっている、プラネタリウムの前には、すでに、警官たちが、

パトカーに乗っている、彼の両親と共に待機している。

彼らが、見守る中、ディーンは 走ってプラネタリウムの中へ飛び込んだ。

少年を説得し、これ以上、人を傷つけないためだ。

そして、何よりも、自分は少年の味方であるということを伝えるために。

プラネタリウムの部屋の中は、真っ暗だった。

 

少年は、興奮していて、だれかれ構わず、発砲しかねない。

そんな危険な精神状態の少年に、暗闇の中で声をかけるディーン。

 

”どこにいるんだい? オレを信用してくれ。 俺はお前の味方だよ。

誰も御前を傷つけようとしていない。おれと話をしよう。 

真っ暗だ。顔も見えないね。せめて、顔を見せてくれ。”

 

慎重に足を一歩ずつ進め、隠れている少年に近づこうとする。

すると、その優しい、落ち着いた声に、拳銃を手にした、少年が顔を出す。

ディーンは 深い眼差しと心からの言葉をかけて、少年を落ち着かせ、

拳銃を見せてくれ、その代りに、オレのジャケットと着ろよ、あげるよ。”

と 紅いシジャケットを脱いで、少年にわたすために、ゆっくりと腕を伸ばした。

 

少年は 嬉しそうに赤いジャケットを受け取り、頬ずりする。

その間に、ディーンは、少年から拳銃を受け取り、素早く、弾を引き抜いて、

”約束は守るよ。ほら、返すよ” と 拳銃を少年に返す。

落ち着いてきた少年に、ディーンは外へ行こうと促す。

そして、ドアのところで待っていたガールフレンドと合流すると、ディーンと

少年の3人は、プラネタリウムの 外へ出た。

 

少年は、目の前の 並んで待機しているパトカーを観て、再び、興奮する。

駄目だよ。外へ出られない。僕は、警官を撃ってしまったんだよ!”

 

少年の手にしている拳銃が、警官の眼に入る。

防御のために警官から一発がはなたれ、それが 少年Bに命中。

少年が倒れた。

少年の母親が駆けつける。

少年はこときれている。

"銃には弾は入っていないんだ!”と叫ぶ、ディーンの声も届かず、むなしく響いた。

 

この子には、誰もいなかった。寂しい子だった。 誰もいなかったんです・・・

かけつけて泣き崩れる少年の母親。

ディーンも 心配そうに駆け寄った父親の足元に崩れる。

”今度こそ、お前の父を信じてくれ。自分は強くなる。お前が頼れる父親に

なれるように・・” と ディーンの父親は言った。

 

ディーンは 新しい恋人Bを両親に紹介する。

少しほっとしたように、顔を見合す両親。

そこで映画はおしまいになった。

 

そういう映画だった。

真っ直ぐでいたい。人を 傷つけたくない。でも、プライドが高く、

弱者というレッテルにがまんできない。

ひよっこ” とバカにされるぐらいなら、命をかけて、闘う。

大人のように、自分を守ることだけ考えて、自分の正義まで曲げたくない。

嘘はいいたくない。だから、そのためには、本気で戦う。

 

それなのに、自分が 行動を起こす度に、誰かが犠牲になる。

崖っぶちの自動車競走では、友人が死に、その自分を助けようと、自分を

信頼してくれていた少年Aまでが、目の前で命を落としてしまう。

自分の真情と、やること、為すことが、どうして、かみ合わないんだ!

 

誰も苦しめたくないのに・・・すべてが反対に動いていく!

お父さん、せめて、僕が警察に出頭する意義をわかってくれ。

僕のできる精一杯の真実、それを言いに行くのが何故悪い。

自分が決断したのだから。

お父さん、僕の味方になってほしい・・・

 

B少年の父親? 

海戦の英雄で死んだなんて嘘だろう? 

生きているんだろう?・・・そうか、死んでいるのも同然か・・・

唯、養育費を送ってくれる父親なんて、死んでいるのも同じか・・・

 

おやじ、10年たてば、若いときの無鉄砲な 振る舞いを笑って振り返ること

ができるなんて、それまで、おれは待たなければならないのか?

崖から車ごと落ちて亡くなった男の元カノが、ディーンのガールフレンドになった。

自分を認めてくれたその人が 今は自分の傍にいる。 

Bと出会ったことで、ディーンの苦しそうな眼がどんどん、活き活きと

した目に変化していくのは、印象的だった。

 

その若い女性Bは ディーンに こういう。

”今まで、私を愛してくれる、庇護してくれる男の人を探していた。

でも、今は違う。 自分が愛したい、という気持ちになれる人が見つかったから。”

 

不器用な若者の、直情が、ディーンの演技から伝わってきた。

ある意味で、純粋 ということは こういうことかもしれないと思った。

それを、見事に演じきった、ジェームズ・ディーンは いまだに、映画史上に

名前を残すに足りる 青春スター だった。(*2)

どんなに年を重ねても、私たちには、誰もが味わうであろう青春時代の不器用な

一途さを、きっと、彼のように、いつまでも心に残しているのかもしれない。

 

だから、ディーンの演技は、世代を超えた人の心を打つのだろう。

24歳の若さでこの世を去ったディーン。

1955年にこの世を去ったのだから、60年以上たっている現在でも新鮮な感動を

与えてくれたのは、それぞれの配役のセリフの的確さと生活感のにじみ出た誇張の

ない演出によるところも大であるのだろうと感じた。

 

 

*1James Dean. ジェームズ・ディーン

1931年2月8日生まれ アメリカ/インディアナ州マリオン出身

allcinema ONLINE(外部リンク)

本名はJames Byron Dean。幼き頃に母を亡くし、叔母夫婦の元に預けられる。

49年、再婚した父に引き取られてカリフォルニア州サンタモニカに渡り、

ジュニア・カレッジ演劇科に入学。

50年、父の勧めでカリフォルニア大学の法学部に進むが演技への執着から演劇科へ移行。

エキストラとして活動を始める。

が芽が出ずニューヨークへ移りブロードウェイの舞台のチャンスを得た

(この頃アクターズ・スタジオにも入学。同期にはポール・ニューマンやマーロン・ブランドがいた)。

そこで『背徳者』の出演中、監督エリア・カザンの目に止まり「エデンの東」へ大抜擢される。

微妙に揺れるティーン・エイジの青年を魅力的に演じ一挙にスター・ダムにのしあがる。

その後、爆発的な人気と共に「理由なき反抗」、「ジャイアンツ」と主演するが

「ジャイアンツ」撮影終了間際の55年9月30日、愛車ポルシェ・スパイダーで正面衝突し事故死。

24歳の若さでこの世を去った (yahoo 検索)

 

*2 後で検索で調べたら、理由なき反抗 という映画でした。

 ジェームズ・ディーン主演による彼の代表的作品。

酔った17歳の少年ジムが警官に捕まった。

その晩に起こった集団暴行事件の容疑者として 警察に連行された彼は、

そこで美しいジュディと、まだ子供のようなプラトーと知り合う。

間もなく二人は帰宅を許され、ジムも温情ある少年保護係のレイ主任の取り計らいで

帰ることができたが、この三人の出会いは、やがて彼らの持つやり場のない苛立ちを

露呈する事件へと結びついてゆく……。

 

 

 

 

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宇宙空間でただ一人の実感

2013年06月07日 | 健康のための心の波動

自我が極小に感じられた瞬間 平成25年6月7日

**********************************

(4)宇宙ではしかし、たった、5分の間に、人生最高の忘れがたい

     体験を味わった                                

シュワイカートは アポロ9号に乗船していたが、司令船と月着陸船

を結ぶ通路が使用不能になった場合、月着陸船から外に出て、

船腹にあるハンドレイルを伝わり、司令船に移動できるかどうかの

実験をすることになっていた。

その際、カメラが故障して、彼は、ミッション再開するまでの

わずか5分間,何もなすことなく 宇宙空間の 真っただ中でただ一人、

自分だけの時間を持つことになったのだ。

その時、彼は何を感じたか?

宇宙船の中にいるときは 地球上の訓練室で、シミュレーションで

ほぼ、同一条件で 宇宙での、その状態を、体験することはできる。

しかし、宇宙空間 となると、まったく別物だった。

完全な静寂、無音の世界、眼下には地球が見え、宇宙丸ごと見える

無限の空間で 彼は、たった一人で、漂っているのだ。

 

その時の感想を彼はこう語る。

“ 私は その5分間が滅多なことでは得られない時間であることは、知っていた。

スケジュールが詰め込まれている宇宙飛行では、無為 が許される時間は

ほとんどないからだ。

そして、宇宙船の外に出て、ほんとの宇宙空間を体験できるのはその実験を

置いてなかったからだ。 

・・略・・

宇宙をあちこち見まわしながら、意識的にいろいろなことを考えた。

お前はなぜ、ここにいるのか?

何のためにここにいるのか?

お前が見ているものは何なのか?

お前と世界はどう関係しているのか?

この体験の意味するところは何だ?

人生とは何だ?

人間とは何だ?“

 

そして、彼は一つの感覚、感情をはっきり意識する。

それは・・・

 

“ 私の人生にとって、最高に、ハイの瞬間だった。

それは、エゴが高揚する ハイ の瞬間ではなく、エゴが消滅する、ハイ 

の瞬間だった。

…略…

自分個人の卑小さを強く感じた。“

 

自分の自我意識が 興奮した状態を 普通われわれは、

ハイ になっているというが、シュワイカートの場合は

全く、逆だった。

自分 という 個人意識が、消えてしまうほど、

自分を小さく感じ、その感覚が 最高点に達した瞬間だったという。

シュワイカートに、直接、インタヴューした立花氏が、彼を無宗教者” 

という 小題をとつけて、紹介しているが、ほんとうにそうだろうか?

一般に、エゴを滅した感覚になる という証言は、普通の状況でも

難しいのに、世界中からハイライトを浴びているこの瞬間に

自分の自我を限りなく小さく焼却して、自分の小ささを自覚すること

は、より、困難だと思うからだ。

 

宇宙飛行士は ある意味でヒーローだ。

人類の代表として、宇宙に行き、国際人やクローバルという観念

を遥かに超えた、壮大な 宇宙コミュニティー というコンセプトを

地球人に、与える役目を持っているからだ。

その ミッションを遂行しようとして、自分の栄光より、自我の消滅と

自己の存在の小ささを感じるという、謙虚さは、、ある意味 

宗教的なシュワイカートの本質と重なり合った。

 

美しく輝く地球を見つめるシュワイカート。

当時、地球上では第三次中東戦争が行われていた。

人間同士がこの星の上では殺し合い、闘いあっていた。

彼の言葉・・・

人間という種と 他の種との関係、人間という種と地球との関係を、

もっと考えなければいけないと思った。“

 

“ 人間は地球(ガイア)の中で生きている生物であることを自覚して 

生きていかなければならないガイアにとって、人間は何物でもないかも

しれないが、人間はガイアなしでは生きてはいけないのだから。“

 

(5)人間は宇宙空間にこれからどんどん進出していくだろう 

これはシュワイカートの 願い かもしれない。

地球人は核戦争や環境破壊、絶滅の危機にさらされる確率が今後も高まって

くるだろうと予測する。

その時に、こうして、宇宙への関心が高まり、科学技術の進歩で、一般人の

宇宙旅行参加も夢でなくなってきている。

このことが彼にとっては偶然の成り行きと思えないという。

宇宙に進出して、人間という種の子孫を絶やさないように、発展を遂げることも

可能だろう。

同時に、シュワイカートは以下のように警告もする。

 

 人間が今のように、バカげた生活を続けていれば、つまり、エネルギーを

浪費し、資源を浪費し、環境を害し、お互い殺し合うという愚行を続けていれば、

人類の持つ最大の可能性である、宇宙への進出を不可能にしてしまうことも

起こりうると思う。“

 

参考: ”宇宙からの帰還”  

立花 隆 著   中央公論社  1994年版

 

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