自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

飛行士の宇宙至福体験

2013年06月01日 | 健康のための心の波動

大いなる思惟と人間の関係  平成25年6月1日

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エド・ミッチェルの至福体験

エドは 宇宙の中で、至福を得た。それは、自らの本質を悟ったのだ。

理屈ぬきに、理論無く、頭でより、心で、直観と一瞬の体験として、

宇宙でまさに異次元の体験をしたという。

彼の言葉の引用・・

“科学的対立と宗教的真理(彼は原理主義の教会に属していた)の対立を

克服した。

私は二つの真理の相剋(そうこく)を抱えたままで宇宙へ行き、宇宙で

ほとんど一瞬のうちに、この長年悩み続けた、問題の解決を得た。“

 

それは宇宙でのどういう状況下で起こったのか?

“月体験の任務を無事に終えて、予定通り宇宙船は地球に向かっているので、

精神的余裕もできた。

落ち着いた気持ちで、窓から はるかかなたの地球を見た。

無数の星が暗黒の中で輝き、その中に、われわれの地球が浮かんでいた。 

地球は無限の宇宙の中では、一つの斑点程度にしか見えなかった。

しかし、それは、美しい斑点だった。

それを見ながら、いつも私の頭にあった、いくつかの疑問が浮かんできた。

私 という人間がここに存在しているのは何故か?

私の存在には 意味があるのか?

目的があるのか?

人間は知的動物にすぎないのか?

何かそれ以上のものなのか?

宇宙は物質の偶然の集合にすぎないのか?

宇宙や人間は創造されたのか?それとも、偶然の結果として生成されたのか?

われわれはこれから、どこに行こうとしているのか?

すべては再び、偶然の手の中にあるのか?

それとも、何等かのマスタープランにしたがって、すべては動いているのか?

こういったような疑問だ。

 

いつも、そういった、疑問が頭に浮かぶたびに、ああでもない、こうでもない、と

考え続けるのだが、その時は違った。

疑問と同時に、その答えが瞬間的に浮かんできた。

問いと答えと二段階のプロセスがあったというより、すべてが、一瞬のうち

だったといったほうが良いだろう。

それは不思議な体験だった。宗教学でいう神秘体験とは、こういうことかと

思った。“

とエドは語り、続けて、“詩的に表現すれば、神の顔にこの手でふれた”と語る。

それでは、何をどのような答えとして得たのか?

引き続いて、彼の言葉を引用したい。

 

“すべては一体である。一体である全体は、完璧であり、秩序つけられており、

調和しており、愛に満ちている。この全体の中で、人間と神とは一体だ。

自分は神と一体だ。“と悟るのだ。

 

観念ではなく、心の奥底から、自己の本質の自覚と感激がエドの心を覆い、

至福につつまれていく。

彼は宇宙には 神の思惟 が実存して、その思惟によって、一瞬一瞬創造の

プロセスにあるという。

進化 とわれわれが使うこの概念は、創造の継続 を意味しているという。

 

“人間の一瞬一瞬の意識の動きが 宇宙を創造しつつある”とも、エドは

言っている。

我々の意識が、宇宙を作っている!

そして、こういうこと、これらのすべてが一瞬のうちにエドの心に理解でき、

“わたしはたとえようもない幸福感に満たされた“と心中を語る。 

 

般若心経で 是諸法空相・・というフレーズがある。

まさに、宇宙の進化へと休まず動き続けている宇宙の意思エネルギープロセスの

法則、それを、もろもろの”法”と心経で、いっているのではないだろうか?

エドは、この 宇宙の思惟(完全調和の法則を動かすエネルギー)こそ、

“神”と定義した。

敢えて言えば、その エネルギーが 心経のいうところの、”法” の源で

ある”空(の点)” に匹敵するのではないだろうか。

 

エドの言葉を引用する。

“神とは宇宙霊魂(コスミック・スピリット)であると言ってもよい。

宇宙知性(コスミック・インテリジェンス)でもよい。それは一つの大いなる

思惟である。

その思惟にしたがって進行しているプロセスがこの世界である。

宇宙の本質は 物質ではなく、霊的知性なのだ。この本質が神だ。“ 

 

続けて、人間について、こう述べる。

人間というのは、自意識を持ったエゴと、普遍的霊的存在の統合体だ。

前者に意識がとらわれていると、人間はちょっと上等にできた動物に過ぎず、

本質的には肉と骨で構成されている物質ということになるだろう。

そして、人間はあらゆる意味で有限で、宇宙に対して、無意味な存在という

ことになろう。

                                            しかし、エゴに とじ込められていた自意識が開かれ後者の存在を認識すれば、

人間には、無限の可能性があるということがわかる。

人間は限界があると思っているから限界があるのだ。

与えられた環境に従属せざる得ないと思っているから、従属している。

  

スピリチュアルな本質を認識すれば、無限の可能性を現実化し、

あらゆる環境条件を乗り越えていくことができる。“

 

こうして、エドは、誰もが、自分の本質に気が付けば、小さな自己限定意識

(アハムカーラ)が外されること。

そして、宇宙は 物理的な存在というより、大いなる思惟 であること。

 

思惟 という表現、想念とおきかえても可能だろうか?

考え、想い は 一種のエネルギーだ。

その 宇宙の発する、エネルギー こそ、被造物、あるいは、宇宙にある物質

の存在源であるということ。

 

このことに、人は、小さなエゴ意識を取っ払って閉じ込められていた、普遍的

存在意識に 戻ったとき、気が付くのだと、エドはいう。

 無限の宇宙のエネルギー(大いなる思惟)の真っただ中で理屈や理性を 

飛び越えてまさに、感じ取った真実 に違いない。

 

 

 

引用箇所: 

”宇宙からの帰還” 立花 隆 著   

中央公論社  1994年版

 

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