ガイアは生きている! 平成25年6月6日
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シュワイカートの到達した見解で、
次の2番目のポイントは、
(2)人間は地球に寄生する バクテリア とみなしていること。
シュワイカートは 地球が生きている一つの生物としてとらえている。
地球は 比喩としてではなく、生きている。
彼の言葉を引用すると:
“ 人間と地球の関係は、人間と人間の体内にいるバクテリアのような
ものだ。 地球は二つの循環系を持つ。 大気と水だ。
これが人間における血液循環系のような役割を果たしている
大気と水が循環し、生物はその中で生きているということ自体は
これまでも生物学、生態学の 常識だったが、彼(筆者注:この説
を最初に唱えたラフロック(注1)をさす)のユニークなところは、
その循環の精緻な科学的分析から、これが物質の物理的循環では
ありえず、巨大な有機体の体内循環としなければ、解釈できない
ということを科学的データをもとに示したことにある。
・・略・・
人間は自分が最高の生物であるなどと、これまで誇っていたが、それは、
人間の体内のバクテリアが人間という巨大な生物存在が見えずに、
人間の肉体を単なる物質的循環にすぎないと思い、自分たちこそ、最高
の生物であると誇るようなものであるということだ。“
と語り、自分が宇宙で受けた精神的インパクトは、地球を宇宙から観測し
それが、バクテリアが人間の肉体外に出て人間を見たときの驚きに匹敵
するだろうとしている。
バクテリアが、人間が動いていることを知ったときのように、、
まさに、地球が宇宙で動いて回っているのを眼前に見て、
地球は生きていると 実感したという。
(3)宇宙の創生を考えていくと バラドックス に陥るから考えない。
通常、宇宙の生成に、ビッグバンという仮説が立てられる。
そうだとすれば、それ以前には誇張した宇宙があり、それが収縮して
ビッグバンになり、その前も、その繰り返しがあったのか?
今後の宇宙も誇張拡大し、いずれは、収縮を始め次のビッグバンが起こる
というのだろうか?
だとすれば、どこが始まりでどこが終わりの境界線か?
宇宙の創生の答えにはなっていないというバラドックスが生じるという。
なぜなら、存在が始まる ということは、その前は無であったということが
証明できなければならない。
時間がある~という前提、さらに、時間は直線状に
無限にさかのぼることができるという前提では、
宇宙の始まりのポイントを定めることは難しい。
そこで、シュワイカートは、次の仮説をたてる。
彼の言葉を引用すると・・・
“ 時間は、過去と未来に無限にのびる直線ではなくて、
円環状をなしているのだと考えれば、スタートの問題は消える。
円にはどこにも始まりも終わりもない。
それはそこにあるだけだ。…略…
世界創造の問題は、存在以前、無限の時間といったことを
考えることから生まれている。
しかし、これは、考えなくてよい問題、考えるにしても
考える手段を持たない問題ではないかということだ。
私自身、この問題に解答がなくても良いと思っている。“
とし、時間 という概念の前提へ踏み込もうとするところで
止まってしまっている。
歴史は繰り返す~という言葉がある。
もし、円でもなく、直線でもなく、らせん状の枠組み を考えれば
繰り返しながらも、発展していく(上昇していく)という仮定もあり得るの
ではないかと 筆者は漠然とイメージした。
さて、次の(4)番目の彼のポイントに移ると・・・
(4)宇宙ではしかし、たった、5分の間に、人生最高の忘れがたい
体験を味わった
シュワイカートは アポロ9号に乗船していたが、司令船と月着陸船
を結ぶ通路が使用不能になった場合、月着陸船から外に出て、
船腹にあるハンドレイルを伝わり、司令船に移動できるかどうかの
実験をすることになっていた。
その際、カメラが故障して、彼は、ミッション再開するまでのわずか5分間
何もなすことなく 宇宙空間の 真っただ中でただ一人、予想外の、自分だけの
時間を持つことになったのだ。
その時、彼は何を感じたか?
続く~
注1) J.E.Lovelock “Gaia-a new look at life on Earth”
Oxford Univ. Press
参考文献: ”宇宙からの帰還” 立花 隆 著
中央公論社 1994年版
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