自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

モーナ女史が’わたし’を語る

2014年04月07日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

モーナ・ナラマク・シメホナ(1913~1992) 2014.4.7

******************************* 

 

 

Morrnah Nalamaku Sumeona、モーナ女史は、

 ハワイで人間州宝に認定された

ハワイの伝統的医療のスペシャリストとして

拙ブログでも たびたびご紹介している。

この伝統医療は肉体的病を癒すのみにとどまらず

包括的な問題解決を図るものとして知られている。

第三者や対象者が存在せずに 誰でもどこでも、

たった一人で問題を解決できるように、

古代から伝わる療法ホ・オポノポノ を現代風に

アレンジして、問題が起きたときは、

個人自身と向き合うことを徹底させた。

 

本来のホ・オポノポノは

複数で話あうことで問題解決に臨むが、

モーナ女史のそれは、“SITH ホ・オポノポノ”と

呼ばれ、先にも述べたように個人で向き合う。

 

セルフ・アイデンティティ、“本当の私”を明確化

して、本源の自己に向き合うということにも

つながる。

自然治癒力セラピー的にいえば、アートマ

という、“大我”に帰結することを癒しの基本とし、

具体的な方法とともに示している。

 

モーナ女史は その方法を語るにしても、

決して理屈ぽく、難解な言葉を使うことはない。

すんなりとさらっと、何気なく、語られる言葉は

それだけで 何かほっとさせられる、癒しの波動さえ、感じる。

そんな人柄が良く現れている、モーナ女史の詩集から、

印象に残るフレーズを拾ってご紹介させていただく。

 

わたし”と括弧でくくられて訳されているとき、

神格、あるいは 大我という意味で使われる。

次のフレーズにはそれが語られている:

 

“エゴやプライドなんかで

鏡が曇っていたら、

ほんとうの自分は見えてこない“

 

本当の自分は、エゴやプライドとは無関係ということ・・・

そして、

わたし達がほんとうの自分になるためには

自分の内側にたどりつくことが必要だ“

と、本当の自分、“わたし”は

自分の内側に目を向けた

ときに気づくものだとさりげなく、教える。

 

わたし”にたどりついたとき見えるもの、それを

モーナ女史はこう言う:

 

“消去して手放す。

これだけ。

そこで見えて来るものは

平和(平穏)

調和

永遠

そしてあなたは充たされて 

何一つ欠けるものはない“

 

私たちは誰でも幸運を欲している。

必要な人や物が 必要な時期に与えられて

事故や災害などの不慮の不幸から守られ

自由にのびやかに、愛情に満ちた

周囲と調和のとれた時を過ごしたいと

望んでいる。

それが 本来の私たちの姿であるから。

モーナ女史は その実現のために

“手放す”ということを第一のキーワード

に揚げるのだ。

何を?

 

過去の疎ましい記憶”や

執着”を。

 

どちらも、潜在意識の中にシロアリのように巣食って

健常な心をむしばむ。

長い長い命の旅路、何度も生まれ変わり、

新たな人生を与えられ挑戦してきたことは、

’ほんとうの自分’を見つけることだったのだ。

そのために、このシロアリを除去する必要性と

その可能性を知ることだったのだ。

女史は次のように言う。

執着を手放す。

すると、愛も平和も調和も永遠も

すべてがとっておきのタイミングで

完璧な形となって、あなたのもとに

届く

あなたは完璧な関係によって、すべてと

繋がりあうことができる。“

 

その時、人は幸運といえる人生に遭遇するだろう。

誰でも、例外なしに、“潜在意識の中の記憶”を

持つのだから。

 

以下、女史の言葉が続く:

過去におきたこと。

或る人は創造に満ちた豊かさと生長は

或る人は破壊や混乱、争いを

善い記憶も 壮絶で悲しい記憶も 人はみな

抱えている。

そして、ホ・オポノポノによれば、今私たちが

体験していることこそ、この記憶の表出化

だという。

 

“みんながそれぞれ、今この瞬間

過去を再体験している。

どんな体験であったとしても、

それはあなたが過去に選択してきたことの

結果だ。

幾つものの選択、

幾つものの記憶のあとで、

あなたは今

とうとう平和を求めるようになったのだ。“

 

そして、消去することの意義を知るようになる。

ほんとうの自分に回帰するために。

 “日の出を見上げたときにあなたは知るかも

しれない。

あなたが小鳥を両手で大事に包む様に

あらゆる命が大いなる自然の手に

守られている。

あなたは神聖なる存在の子

愛、バランス、平和の中にいる。

 

過去の事実がどんなものだとしても

本来のためにそれをいつまでも

掴んでいる必要なんてない。

未来へ移動するときに

変化は必要不可欠なんだ。

地に足をつけ、

天に向かって真っすぐたち

腕を大きく広げてすべてをそのまま

抱きしめよう

 

とうとうあなたは気づくよ

あなたはすべての中にいて

すべてがあなたの中にあることを。

あなたが頭で知っている宇宙でさえ

この全宇宙のほんの一部にすぎないんだ。”

 

このモーナ女史の詩にある気づきは

そのままヒューレン博士に受け継がれて

次の世代に語り継がれていくことになる。

 

 

 

 参考書: 叡智のしずく SITH・ホ・オポノポノ アジア事務局 2012年

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒマラヤのババジとの不思議な遭遇

2014年04月05日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

不死身ババジへの思い入れ  2014年 4月 5日

********************************

今回はヒマラヤの麓へいく機会を失うかもしれない。

家の雑事でどうしても、デリーを離れられないからだ。

ベディ夫人のセラピーも行われ、訪問者もありで、

もう残すところ数日のインド滞在となる。

 

さて、ヒマラヤの麓、ヒンズー教の聖地、ガンジス河の

上流に拡がる地域ハリドワールは、バラナシと並んで、

修行者の集まる場所 となっている。

バラナシのガンジス河にラヒリ・マハサヤ師の修行所が

かつてあった。

筆者は 以前、ヨギのシュリユクテスワジのグル、ラヒリ

マハサヤ師のエピソードを何度かブログで取り上げた。

マハサヤ師は写真嫌いで、何度も取られるチャンスがあった

のだがそのたびに幽体化して、肉体を隠すので写真に写らず、

撮影者を困らせた。

 

 

マハサヤ師は ヒマラヤの不死身の大師 

ババジの直弟子でもあった。

ババジの写真はないが、ヨガナンダ師の本に、ヨガナンダ

師が実際、生涯に数度遭遇したババジのお顔を想いだし

ながら専門家に書かせたものが掲載されていた。

 

 

 

実は、筆者は ババジに関して、数年前に不思議な

体験をしている。オカルト体験というと、惹かれる

読者と、引く読者に分かれるだろう。

胡散臭いと思われる方には、興味本位で読むくらいが

適当だと思う。

敢えて、その話を デリーの地にいて、お話しさせて

戴こうと思う。

 

3年以上前にさかのぼる。

鶴川の家で ある霊能者をセラピーしているときのこと・・・

その霊能者をRさんと呼ぶ。

Rさんは霊媒的体質でもあったが、真理にも深く通じて

いて、これまでにも多くの人を癒し、助言を与えてきて

いた。

 

筆者のところに来られたのは、10年前にある方との

出会いがあり、それ以来、その霊力を封じ込められて

しまい元の霊視、霊能力を取り戻すことに主眼が

あった。アートマセラピーを通じ、自己のアートマ

と結びつくことでそれらの眼に見えない、封じは解かれ

少しずつ以前のRさんの感覚が戻ってきたとあるある日

のこと。

 

セラピー後、筆者はヒマラヤのババジの話をして、

ババジを呼んでみようということになった。

Rさんは ヨガナンダ師の本を読んだことも無く、

ババジを知る由がなかった。

勿論、その似顔絵を見たこともなかった。

 

筆者の提案の背景には、すでに、セラピーの時、

高山でしか体験できないような、オゾンに満ちた

冷たい冷気を感じていたから、もしかしたら、ババジ

が来ているのかも・・

という直観があった。

筆者は ヨガナンダ師が創立したアメリカの協会から

正式に今年”クリヤ・ヨガを伝授される”資格を、

いただくことができた。

今年の11月、東京でその伝授式が行われるだろう。

クリヤ・ヨガは、ヒマラヤのババジが 印度では、

すでに何千年も前から、真摯に真理を求めるヨギに

伝授され継承されていたもの愛弟子、ラヒリマハサヤ

師に授けた。

 

マハサヤ師のたっての願いを聞き入れて 師の代から、

同師が選択した直弟子に公開が許され、クリシュナ神が 

ギータの中で述べている瞑想法は、ババジから愛弟子

マハサヤ師、その愛弟子、ユクテスワ師そしてそのまた

愛弟子、ヨガナンダ師に受け継がれているのである。

 

しばし瞑想して 集中していると、筆者の前に座っていた

Rさんが突然、”怖い”と叫んだ。

そして、自分の眼を両手で隠した。

その不自然な態度の理由を後から聞いたところに

よると、ババジが筆者の後ろに現れ、筆者の体に

吸い込まれるように消えてしまったところを目撃した

からだという。

 

Rさんは、これまで、多くの 亡くなった人達の亡霊や

アストラル体は見たことがあるが、実際 生きている人、

しかも、千年以上の高齢と言われる大師が目の前に

現れて、すっかり仰天して、怖くなったという。

その大師の風貌は、・・

背の高さが170cmぐらい、髪の毛が柔らかく肩まで

届いていて、色は白く、眼の眼光するどくも、優しい

眼差しだった。思わず、見るに堪えかねるほどの恐怖心

が先だってRさんは眼を覆い隠してうつむいてしまった

ので、詳細を、観察する事もできなかった。

彼女はうつむきながら、怖いと呟いて、すすり泣いて

いたのだ。

 

想いだしてみれば、

それまで何度か、アートマセラピー中、このような大師

の空気に包まれることがあった。

自衛隊に勤めていた、A子さんは、こうした冷たく、

マイナスイオンに満ちた空気を察知して

”まるでヒマラヤにいるみたいですね”と 冗談ぽく語り 

感慨深く、その霊気を施術中、感じていたようだったが、

冗談ではなかったのかもしれない。

 

バンコクで ムーさんをセラピーしたときは、

35度前後の部屋に19度設定でACをいれたもの

の、途中で寒い寒いと震え始め、結局冷房を

止めたこともあった。

保険会社に勤めていたBさんは ”体の内臓に

ドライアイスをつめられているほど、冷たく感じて

います”と セラピー中、その冷気に包まれ、感想

を漏らしていた。

 

さて、ヨガナンダ師がどのようにしてババジに

遭遇したかが著書に書かれている。

引用すると、

家のドアをノックする音が聞こえた。

戸口に出てみると、簡素な衣を身に着けた隠者の

ような若い男が立っていた。

男は家の中に入ってきた。’この人はババジに

違いない!’と私はそう思って、はっとした。

 

それは、その人がラヒり・マハサヤを若くした

ような顔をしていたからだ。彼は私の心を読み

とった。’そうだ、私はババジだ。’

ヒンディー語で答えられたその声には、美しい

旋律のような響きがあった。”

この会見でババジはヨガナンダに、アメリカに

行って、クリヤ・ヨガの福音を西洋に薦める

ように、選ばれたと語る。

 

ヨガナンダ師はその言葉を聞いて、

”私は、不死身の大師の足元に低く、ひれ伏した。

大師は床から、私を優しく抱き起してくださった。”

 

ババジはヨガナンダ師に助言と予言を与え家を

出た。追いかけようとするヨガナンダ師。

ところが私の足は床に釘づけにされたように

動かなかった。ババジはドアのところで、私に

愛情を込めた最後の眼差しをそそがれると、

祝福の手を挙げられた。”

 

この話はこの著書にエピソードとして載せられるまで

”私は今日まで、ババジとのこの対面のことは誰にも

話したことがない。

この出来事を、私のあらゆる経験の中で最も神聖な

ものと考えている私は、それをひたすら自分の胸に

秘めてきたのだ。

しかし、今この話をあえて、ここに書き入れたのは、

私がこの眼で経験した事実を語ることによって、

この自叙伝の読者諸君が、ヒマラヤ山中に身をかくし

ておられるババジの存在を、より深く信ずるように

なるであろうと考えたからである。”

と綴っている。

 

筆者もRさんによってもたらされた体験を今まで大切に

胸に秘めてきた。

しかし、何故か 今朝このお話しをご紹介させていただ

くことにした・・・

 

 

 

 


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デリーで笑えるノープロブレムの話

2014年04月04日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

”問題ない”は”問題有り”の別表現   2014・4・4

************************************



日本は、お花見の季節ですね?

デリーはこれから夏の本番を迎えます。

昨日の昼間の気温は35度を超えていたようです・・・

 ************

今住んでいるデリーのアパートの部屋を リノベーションする

ことにした。

予定想定外のことで、結局どこにも 外出できない結果になった。

毎日朝10時から夜7時まで 職人さんたちが出入りするので、

ほとんど現場監督をする毎日となっている。

 

まかせっきりにしておくと、壁の色が白から水色に変わって

いたりして、慌てさせる。


約1週間かかって、寝室2部屋とリヴィングルーム、二つの

バスルーム、台所とダイニングルームの壁と天井を全部 

塗り直す予定。


ドアの取っ手やひびや欠損した家具の修理、さらに、

ポリッシュと呼ばれる、古い家具を、新品同然まで磨き

上げて、ニスをかけて、ピカピカに磨く作業も行程に

含まれている。


 30年以上、夫の会社で、コックさんをしていたシタラム

さんの長男、ラジンダーさんが,この仕事を引き受けて

くれている。

20年来の付きあいがあるので気心もしれているし、

仕事を任せて、安心とはいうものの、二人のパートタイム

ペンキ塗り職人に対しては、

貴重品は気を付けて、置きっぱなしにはしないでください”

という注意をあらかじめ頂いている。

 

我々日本人は 概して善良であまり、相手を疑うことも

なく、日常生活を送っているのかもしれない。


信頼関係に基づいて、仕事を頼んだり頼まれたりしている

ので、インドでの契約事に関しては、あてが外れることが

多い。


 たとえば、何か”事が起きそうな気配”を、私が感知して、

心配そうな面持ちをすると印度人が察知して、

ノープロブレム”(大丈夫・・・問題ないです。)”

と言う場面に多く遭遇した。


そのときは、その言葉に安堵して、つい、何となく

安心してしまう。

 ところが、長年インドにいると、この言葉ほど、

胡散臭い受け答えはないという想いにかられるように

なった。


”No Problem"の言葉の背後に必ず、問題が潜んで

いるだろうという気持ちが、反射的に起きて不安に

なってくる。


 ”あなたにとっては問題はないけど、こっちにとって

は大問題なの!!”

と、その言葉を信じて油断していた結果、”何か”が

起きてしまい、頭に血が上った経験も過去にいくつか

しているせいかもしれない。


とは言っても 印度が好きな人間にとって、こうしたこと

時間の経過とともに、笑い話にはなっても、ストレス

にはならないから不思議だ。

 

地元ニューデリーの日本人社会向けに発行されている

小冊子がある。

宣伝や買い物情報、日本食の簡単なレシピ―や、レストラン・

スパなどの案内や地図など、盛りだくさんで面白い。


月刊 チャロ(Chalo) という名前で北インド在住の

日本人達に多く読まれているという。

 4月号の特集は、駐在員やその家族など、デリー在住の

日本人アンケートをとって、インドでの面白かった

エピソード”をまとめている。


その中で 思わずニンマリしてしまう滑稽な話がいくつか

あったのでご紹介したい。


 エピソードその①) 

オフィスの冷房が効きすぎて寒い、と総務のインド人

スタッフに文句を言ったら、自分の席の近くの送風口の

前だけ、風が来ないように、紙が貼られていた。


私から一言)冷房はふつうガンガン 効かせるのがインド風。

寒いくらいだが、彼らにはちょうど良いようだ。

 

その②) 留学生、授業時間が30分過ぎても、教授が

来ない。

窓の外を眺めていると、教授が向かってきたが、途中で、

の良い教授仲間に声をかけられて、そのまま、二人で

談笑しながら、教室を素通りして、チャイを飲みに行って

しまった。

’ま、それでもいいか・・’と怒る気も起こらなかった。

 

私から一言)私がデリー大学の大学院に通っているとき、

カリキュラムのとおり、自分の取っているクラスを受講

するため、真面目に毎日、バスで1時間半かけて、通って

いたが、その教授に出会えるかどうかは、クラスに

よっては、おみくじの”大吉”を引く以上の、厳しい

確率だった。 

 

行ってもお目当ての教授が教壇に出ないという、

何度か、空振りの日を重ねてそのクラスのために、

時間的に交通費を考えても、ワリが合わないと

思って、翌週、その教授のクラスを休んだら、

その週に限って、教授はいらしたようだ。


”家内が入院しているのに、見舞の時間を犠牲に

してクラスに来たのに、どうして、来なかった!”

と後から、その教授から憤慨気に、注意された。

(ちなみに生徒は私一人だった)

 

その③) 引っ越しのとき、ゴミ箱をあさって、お宝を

探していたお手伝いさんの姿。


私から一言)日本製はどんなものにしても、彼らに

とっては高級品。

漁った品物は、自分で使うというより、転売にかける。

もし、それが壊れていても、破損していても、上手に

補修、補正して、中古市場で売って現金に換えられる。


 その④) 野良牛には、チャパティー(インドのパン)をやる

のに、隣で手を伸ばして、食べ物をせびる乞食を無視して

通り過ぎる信仰深い人達


私から一言)インドでは、牛はナンディーと呼ばれ、神の使い。

牛に食べ物をあげれるのは、神様に捧げものをするぐらいの

気持ち。


物乞いの人達には、優しくない。というのも、プロの

乞食屋さんがいるので、インド人たちは、注意深い。


せびられて物乞いに、小銭を渡しているのは。ほとんど、

観光客。

本当に、信仰深い人達は、寺で無料の食事を貧しい人

に振る舞ったり、寄進したりして、むやみに直接、

ねだる人達には与えないことが多い。

 

その⑤)専属のドライバーさん。

新車にもかかわらず、燃費が異様に減る。

ガソリンを抜かれる話は多々あるので、ためしに、

車内にドライブレコーダーを設置した。


すると、車で主人を待つ間、どこかへ運転して

出かけ、ボンネットを開けてガソリンルームの管

からガソリンを抜いている姿が、はっきり

映っていたため、ドライバーは解雇となった


私から一言)私も 息子の学校の送り迎えが必要

になった時点で、一番小型のマルチ800という、

スズキの車を購入して、ドライバーを雇ったが、

数年間で5人ほど変わった。


一年で二人変わった年もあった。

ほとんどが こうした方法で、ガソリン抜き、

あるいは、私が銀行から下したお金を、車から

降りているわずかな隙をみて、袋に手をつっこみ、

その札束から数枚、くすねたドライバーもいた。


銀行では、新札についている番号順が連続していたのを

確かめていたので、車に置いてあった一瞬の間に、

その番号が、バラバラになっていて、発覚してしまった。

 

その⑥) 住んでいる家の天井から滝のように、雨水が

降ってきたとき。


私から一言)豪邸や日本人用住居は別として、ほとんど

の家では、バケツが雨季にはかかせない。


ポトリと雨漏りがするのは通常だが、このお話しの

ように、滝のように、天井から降ってくるのは、

天井のどこかが、ゲリラ豪雨の水圧で破壊されて

しまったのか?


ここまでの雨漏れは、ちょっと、あまり、聞いた

ことのない話ではある。

 

その⑦)路上で i_Phoneを5,000RSで

売っていた。

箱にも入っていたので、買って、中古品と想い

開けて観ると、石鹸の塊が入っていた。


私から一言)ワリと多い話かもしれない。

路上で 真赤に売れたスイカを切り売りをして、

道行く人に試食させている。


自分も食べて納得して、買ってもってかえると、

完全な末成り(うらなり)の西瓜だった。


見本だけが 健全な西瓜で、売られていたものは、

胡散臭い代物だったようだ。

知人が ”印度で西瓜を買うなかれ、あれは 

赤い着色剤を注射して売っているだけだから”

言っていたが、なんとなく、納得できるような

怖い話でもある。

 

このほかにもたくさん 体験談が載せられていて、

おお、インド!” と思える笑い話が面白かった。


それでもアンケートによれば、インドが好きだと

答えた人が70%

インド料理を自宅で一ヵ月に、5回以上食べて

いる人が約半数


インドの国内で3都市~8都市以上を旅行している

人達が70%とかなり 、デリーに住んでいる日本人たち

インド生活を楽しんでいるようだった。

 

20年前のインドは、外交官の基準で 国外の中で、

難易度のもっとも高い国に指定されていたというぐらい、

水、電気、はもとより、インフラも整備されて

いなかったので、住みにくい所と言われていた。


ずいぶんと 印度の生活も変わったのだなあという

のが月刊誌チョロの記事を読んでの実感だ。

確かに いろいろな面で、言葉通り、ノープロブレム

近づいて行っているのかもしれないという気もする。

 

レストランで猿が人気のないテーブルで、砂糖のかけらを
つまんでいた。みんな、見ないふり?か、当たり前のように
無視していた(ボーイさんも含めて・・・)


********************
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インド人とヨギVCR点実験と経絡

2014年04月02日 | 健康のための心の波動

チャクラと経絡の関係…2014・4・2

********************************

先回のブログで詳細にお伝えした、刺激と心身への変化の実験に

関して、日時経過による変化が 刺激の効果をどう変えるかという

ところでもう少し 詳しくお話しさせていただきたい。

 

春から夏に変わる季節の変わり目、この変化に対し

普通人は相応の値の変化を見せた。

ところが、霊能者グループには、この変化があまりないという

結果が出たという。

自律神経作用でも脳活動でも季節の違いが霊能力者には

ないということは、どういうことだろう?

12月から1月にかけてインドの大学でヨギと称する

霊能力者と学生たちに 精神生理学的検査を行った。(*1)

すると、インドの学生たちは日本人が冬に示す冬型パターン

をGSR,VCR,呼吸などの検査で示したという。

ところが、インド留学中のアメリカと日本の学生たちは

自国で示す夏型のパターンを示した。

さらに、ヨギ(霊能力者)は夏型でも冬型でもない

霊能力者特有のパターンを示した。

 

このことが何を示しているのだろう?

普通人といえる、学生たちは それぞれ自国の或る気候

に応じた特有の自律神経機能のパターンを示したわけで、

自律神経機能は気候によって、変化を生じることが

わかった。

これに対して、霊能力者は、気候の変化にかかわらず、

常に霊能力者特有の自立神経機能のパターンを示すという

対比だった。

自律神経機能が普通人と異なるほど、活性化して

そのふり幅が広くなっているということは

このチャクラの開発によるところが大きいとされる。

普通人にとって、肉体と精神(心)が意識の範疇に

あるとするなら、ヨギにとってはもう一つ超感覚的

意識によって、捉える組織の中枢、チャクラへの

認識がある。

チャクラとは何かといえば、気~アートマ~大生命力

を宇宙から享受して、そのエネルギーを心身に還元

させるための気の変換地点といえるだろう。

脊髄、神経系、脈管系 を通じて、身体の隅々に

そのエネルギーは供給される。

そのチャクラは通り道のジャンクションポイントであるなら、

その還元されたエネルギーを身体機能各部に

届ける道を、ナディ と呼ぶ。

チャクラのエネルギーを 気 とあえて漢字で示したが

東洋医学でいうところの経路や経穴(けいけつ)、

そこに流れる気血(きけつ)を体系的に医療として

完成させたものが、鍼灸医学の根源でもあるからだ。

経路とは、チャクラやナディのように、生命力(prana)

が流れる伝導系であることは間違いない。

たとえば、経路では、第8胸椎に相当する場所のチャクラ

f腹部のチャクラ[マニプラチャクラ]で気を受け入れて始まる。

鎖骨下部上方にある第一胸椎あたりの、心臓チャクラ

(アナハタチャクラ)を過ぎて、肺に行く。

そこから、手の太陰肺経に流れ、指の末端で陽明大腸経に

続く。 さらに手の御陽明大腸経は、腕を上って、

大椎~欠盆~肺~大腸に属して、支脈は 欠盆~頬(ほほ)

~下歯~人中~鼻傍を通って、足の陽明胃経に交わる。

以上、簡単だが、各経路が足、手、頭部、胸、腹部で

互いに連絡して、最後に第12経路の足の蕨陰肝経に

到達して、その支脈が第一経路である、手の太陰肺経

に繋がり経路の路線が一巡する。

 こうした説明をしたのは次の意義がある。

それは、経路とチャクラはそれぞれ関係しているという

ことであり、経路はヨガの7つのチャクラのうち、

4つのチャクラを 重要な経穴(けいけつ)として

通っているということだ。

たとえば、12経路の一つである、三焦経と

呼ばれる経路がある。 

三焦(さんしょう)とは三種類の大切な生命力をさすが、

それぞれが、アナハタチャクラ(前述)、マニプラチャクラ(前述)

とスワディスタナチャクラ(脳天のチャクラ、大脳皮質にある)を

通っている。

チャクラの大雑把なな説明に終わってしまったが

ここに出てこない残る4つのチャクラは以下である。

Muladhara chakura ~ 第一チャクラ ~ 尾骨部分

Vishuddha chakura ~ 喉のチャクラ ~ 第三頸椎

Ajuna Chakra ~ 眉間のチャクラ ~ 間脳下垂体

 

これらのチャクラ、ナディ、経路などは それぞれ間接的に

密接につながり、特定の神経叢、特に自立神経、内臓器

などと密接な関係にあることは、古来からの臨床的体験

あるいは、近代的研究によっても明らかにされているところ

である。

ヨギがそれぞれのチャクラを目覚めさすという表現

その要点を開いていくのにはここに意義があると思う。

それぞれのチャクラがそれぞれの臓器や神経叢、

などとの関連があるために、そのチャクラを開くことに

よって、自立神経の内でも、副交感神経を優位に

反応させるという目的があるようだ。

チャクラに目覚めるということは、チャクラに対応する

臓器機能が、常人よりその支配自律神経の活動幅を

大きくさせることができるということでもある。

アナハタチャクラは 心臓に対応、マニプラチャクラは

胃に、スワディスタナチャクラは腎臓に、あるいは

泌尿生殖器に、ヴシュダチャクラは呼吸器系

などに、対応していると考えられている。

 

最後に こうした気のルートは生命力の路で

あり、この生命力の路は、東洋的医術と

西洋医学の大きな相違点になっていることは

皆様もすでにご承知だと思う。

端的に言えば、西洋医学は死体の解剖学から

始まり、生命力(気)の観念が当初より

ないということだ。

解剖学として、内臓器や脈管、神経などの

構造や作用を研究することにかけては発達を

遂げているが、生命の流れということに関しては

無智である。

TVセットを組み立てても、電源がオフでは

動かない。

人間にとっての電源は、エネルギーであり食物や

酸素にあたるという人がいるが、生きている体

でなければ、どんなに栄養の高い食べ物を口

に押し込んでも意味がない。

つまり、生きていること~これはどういうことなのか?

それが これまで見てきた 気の流れ が循環して

生命力として身体隅々まで行き届き、心身ともに

活力を与える源 つまり、プラーナの存在を活用

している状態といえるだろう。

気 について、人間の生命力の不可思議さについて、

さらに解明が進んで東洋医学と西洋医学が

歩み寄ることが 理想なのかもしれない。

 

 

 

 

  参考: ”宗教と医学”~Psi エネルギー(気・プラーナ)の生理学  

昭和55年4月 本山 博 著  宗教心理学研究出版部

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする