昨日の昼間電車に乗ったら 幼い子どもを連れた紺色づくめの親子三人組をちらほら見かけた。そう言えば 11月1日 東京の小学校受験の日なんだなあと思った。
懐かしかった。
家は夫も私も小学校受験組だった。と言っても大学までのエスカレーターじゃなくて節目節目でその後受験もあり大学も一般受験したからのうのうと遊べる環境ではなかったけれど。だから何となくというか当たり前のように 夫婦も 両方のジジババも 私達の子どもは小学校から国立または私立の学校に行かせるのだろうという意識はあったと思う。
だけど 息子は喘息だったことや学区の関係から受験はしないで公立にすすませた。中学受験からの中高一貫の学校の方が魅力的に思えたこともあった。だけど地元の公立ってのが家の息子の学年はひどく荒れていて 担任も 四人のうち二人はよかったけど 一人は教える能力がない30代男 もう一人は人間的にも最低と今でも恨んでしまうほどひどい50代の男の先生に当たってしまった。
息子はそう曲がることなく育ってくれたけど、あの時代がなかったらもっと穏健になったかなあなんて思うこともある。(まあたくましくはなったけど)
だから 本腰を入れて取り組んだのは娘の受験の時だった。
一年だけだけど受験塾と体操教室に通わせて模試も受けた。親の模擬面接なんかも受けた(笑)
娘は4月生まれだったし上の兄弟もいたので何でもすんなり器用にこなしてたので そう親子でその受験のための「勉強」に関してはストレスに感じることはなかった。
ただ、私立の小学校が求める 「親子像」「家庭環境」ってものが、娘の様子や親子面接なんてものからうかがい知れてしまうと言うのはなかなか大変なことだったと思う。
求める子ども像を端的にいってしまえば、家庭内が仲良く、親が子どもに愛情深くしかしきちんとしつけている。
例えば、毎食きちんと母親の作ったバランスの良い食事を食べ(おやつなんかも手作りだったりするとモアベター) 季節季節の行事を大切にして(お月見なんかはお母様とすすきを飾ったりすると望ましい) そして 朝ごはんの席でお父様が社会の出来事なんかを子どもにわかりやすく解説したりして(世界のこの国で今戦争が起こっているんだよ 何かOOちゃんに出来ることはないかな なんて問題提起するようなとうちゃんが望ましい)
んなもん無理じゃん。だいたいその頃の夫は今以上に多忙。職住が近かったにもかかわらず殆ど深夜帰りで泊りもしょっちゅう。子育ては殆ど私の役だったし、年子だったので そんな悠長に丁寧に夫婦で子どもに向き合うなんてそれまでできなかった。
まあその私立学校があげる理想像って言うのは間違っているものではありませんからね。むしろちょっと前のよき日本の家庭像にグローバルな視点っていうのを付け加えた理想家庭をあちらは求めているわけだから それを無理して形作ろうとするのは悪い事ではないと思った。
ですから かなりの付け焼刃だったのだけど、それなりにがんばったわけです。受ける学校の沿革とか教育目標を分析し、塾のアドバイスなんかも聞いた上で夫にレクチャーして、結構お受験ってものが大変だよって事を理解してもらった。(自分たちの経験は殆ど記憶にないからね)
私の言うことも聞くことは聞いていたが、夏休みに模擬面接を受けて しどろもどろになった経験を経て夫も変わった。割りに甘く見ちゃいけないって事を感じたらしい。そうなると、自分の受験に関してはその度燃えてクリアして来た人だから結構真剣になった。
この経験でよかったなってことは、それまでもちろんお互いに環境が違う家庭で育った(私のの母親と姑はかなり性格も家庭運営も違ったので)、私達夫婦が ある意味 スタンダードの子育ての指針ってものがはからずも与えられたことだったと思う。 どちらの家庭がスタンダードに近かったのかは敢えて言いませんがww
そしてそれを踏まえて 受験クリアと言う共通目標を持ったことで 子どもに対してかなり真剣に向き合えた時間がもてたこと。
結論から言って この経験で夫はかなり変わったと思うから。それまでは仕事にかまけて子育てに決して積極的な人じゃなかった。その後はそりゃあ忙しくて物理的にかかわらなくても かかわって行こうと言う意欲だけは感じられた。それだけでも私にとっては嬉しい変化だったから。
だから我が家にとってはよい経験だったと思う。
お受験というと 特殊なもの。あんな小さい子に色々詰め込んでかわいそうなんて話も聞かれる。
私も沿線の女子小を受けに来ていたであろう母子数組が、電車の中で一斉に折り紙をやりだしたのを見て 「そこまでやらんでも・・・・」と思ったこともあるし、模擬試験の後で男の子を叱り飛ばして泣かせている母親も見たことがある。
まあ、そこまでヒートアップすると怖いもんがあるけど 子どもの小さいうちに子どもと向き合って色々なことを教えたりする親子の時間って上手に使えばいいものなんじゃないかしらね と 思う。
この頃は物騒で なかなか公園などで子ども同士で遊ぶ機会も減り、ほうっておかれた子どもたちはどうせゲーム三昧になりがちなんだから。。。 それよりはましな時間の使い方だと思うけどな。
娘は入りたい学校に入ったわけだけど、それが彼女にとって良かったか悪かったかはまだ計り知れない。ただなかなか窮屈な学校で 私も色々苦労はしたけど、全体的にはいい教育をしてくれた学校だったと思う。
娘も厳しすぎると文句を言いつつ 大学になった今も 何か悩みがあると中高の先生を訪ね、週末はたいてい その頃の仲間と遊んでいる。離れてみると本当によかったと思えるらしい。
かと言って小学校で不合格になったからと言って その後の人生が狂うわけじゃないですからね。チャンスはそれからたくさんあるしね。
ただ、今は 緊張したおももちで面接スーツで学校に向かう親子に 秘かに 「がんばって」とエールを送ってしまう。
懐かしかった。
家は夫も私も小学校受験組だった。と言っても大学までのエスカレーターじゃなくて節目節目でその後受験もあり大学も一般受験したからのうのうと遊べる環境ではなかったけれど。だから何となくというか当たり前のように 夫婦も 両方のジジババも 私達の子どもは小学校から国立または私立の学校に行かせるのだろうという意識はあったと思う。
だけど 息子は喘息だったことや学区の関係から受験はしないで公立にすすませた。中学受験からの中高一貫の学校の方が魅力的に思えたこともあった。だけど地元の公立ってのが家の息子の学年はひどく荒れていて 担任も 四人のうち二人はよかったけど 一人は教える能力がない30代男 もう一人は人間的にも最低と今でも恨んでしまうほどひどい50代の男の先生に当たってしまった。
息子はそう曲がることなく育ってくれたけど、あの時代がなかったらもっと穏健になったかなあなんて思うこともある。(まあたくましくはなったけど)
だから 本腰を入れて取り組んだのは娘の受験の時だった。
一年だけだけど受験塾と体操教室に通わせて模試も受けた。親の模擬面接なんかも受けた(笑)
娘は4月生まれだったし上の兄弟もいたので何でもすんなり器用にこなしてたので そう親子でその受験のための「勉強」に関してはストレスに感じることはなかった。
ただ、私立の小学校が求める 「親子像」「家庭環境」ってものが、娘の様子や親子面接なんてものからうかがい知れてしまうと言うのはなかなか大変なことだったと思う。
求める子ども像を端的にいってしまえば、家庭内が仲良く、親が子どもに愛情深くしかしきちんとしつけている。
例えば、毎食きちんと母親の作ったバランスの良い食事を食べ(おやつなんかも手作りだったりするとモアベター) 季節季節の行事を大切にして(お月見なんかはお母様とすすきを飾ったりすると望ましい) そして 朝ごはんの席でお父様が社会の出来事なんかを子どもにわかりやすく解説したりして(世界のこの国で今戦争が起こっているんだよ 何かOOちゃんに出来ることはないかな なんて問題提起するようなとうちゃんが望ましい)
んなもん無理じゃん。だいたいその頃の夫は今以上に多忙。職住が近かったにもかかわらず殆ど深夜帰りで泊りもしょっちゅう。子育ては殆ど私の役だったし、年子だったので そんな悠長に丁寧に夫婦で子どもに向き合うなんてそれまでできなかった。
まあその私立学校があげる理想像って言うのは間違っているものではありませんからね。むしろちょっと前のよき日本の家庭像にグローバルな視点っていうのを付け加えた理想家庭をあちらは求めているわけだから それを無理して形作ろうとするのは悪い事ではないと思った。
ですから かなりの付け焼刃だったのだけど、それなりにがんばったわけです。受ける学校の沿革とか教育目標を分析し、塾のアドバイスなんかも聞いた上で夫にレクチャーして、結構お受験ってものが大変だよって事を理解してもらった。(自分たちの経験は殆ど記憶にないからね)
私の言うことも聞くことは聞いていたが、夏休みに模擬面接を受けて しどろもどろになった経験を経て夫も変わった。割りに甘く見ちゃいけないって事を感じたらしい。そうなると、自分の受験に関してはその度燃えてクリアして来た人だから結構真剣になった。
この経験でよかったなってことは、それまでもちろんお互いに環境が違う家庭で育った(私のの母親と姑はかなり性格も家庭運営も違ったので)、私達夫婦が ある意味 スタンダードの子育ての指針ってものがはからずも与えられたことだったと思う。 どちらの家庭がスタンダードに近かったのかは敢えて言いませんがww
そしてそれを踏まえて 受験クリアと言う共通目標を持ったことで 子どもに対してかなり真剣に向き合えた時間がもてたこと。
結論から言って この経験で夫はかなり変わったと思うから。それまでは仕事にかまけて子育てに決して積極的な人じゃなかった。その後はそりゃあ忙しくて物理的にかかわらなくても かかわって行こうと言う意欲だけは感じられた。それだけでも私にとっては嬉しい変化だったから。
だから我が家にとってはよい経験だったと思う。
お受験というと 特殊なもの。あんな小さい子に色々詰め込んでかわいそうなんて話も聞かれる。
私も沿線の女子小を受けに来ていたであろう母子数組が、電車の中で一斉に折り紙をやりだしたのを見て 「そこまでやらんでも・・・・」と思ったこともあるし、模擬試験の後で男の子を叱り飛ばして泣かせている母親も見たことがある。
まあ、そこまでヒートアップすると怖いもんがあるけど 子どもの小さいうちに子どもと向き合って色々なことを教えたりする親子の時間って上手に使えばいいものなんじゃないかしらね と 思う。
この頃は物騒で なかなか公園などで子ども同士で遊ぶ機会も減り、ほうっておかれた子どもたちはどうせゲーム三昧になりがちなんだから。。。 それよりはましな時間の使い方だと思うけどな。
娘は入りたい学校に入ったわけだけど、それが彼女にとって良かったか悪かったかはまだ計り知れない。ただなかなか窮屈な学校で 私も色々苦労はしたけど、全体的にはいい教育をしてくれた学校だったと思う。
娘も厳しすぎると文句を言いつつ 大学になった今も 何か悩みがあると中高の先生を訪ね、週末はたいてい その頃の仲間と遊んでいる。離れてみると本当によかったと思えるらしい。
かと言って小学校で不合格になったからと言って その後の人生が狂うわけじゃないですからね。チャンスはそれからたくさんあるしね。
ただ、今は 緊張したおももちで面接スーツで学校に向かう親子に 秘かに 「がんばって」とエールを送ってしまう。