局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

研修旅行2

2007-11-20 20:26:22 | 
昨日より続きます。

富岡製糸工場を見て 昼食を食べた後には 碓氷製糸所に向かった。



こちらは農業協同組合が母体となった製糸工場である。


  


養蚕農家から搬入された繭は貯蔵されている繭 ベルトコンベアーで運ばれ

 

サンプリングされ 中の蛹を加熱乾燥して死滅させる。



貯蔵庫から必要に応じて 繰り糸(製糸)される

まず 繭を目視で選別する。奇形のまゆ 内側が汚れている繭などを 下から光をあててとりのぞく。



繭は煮沸され軟化させて 糸を繰り出せるようにする。



小さなほうきのようなもので繭の糸口を掻き出して糸口を見つける



糸の太さに応じて繭の量が調整されていくつかの繭からの糸が何本か一緒になって一本の糸となる。



繰り糸されている器械は糸の節があるとそこで止まり、人の手で繋ぎなおされる。



この過程は揚げ返しといって 小さい枠に巻き取った糸を取り扱いに便利なように大枠に巻きなおすこと




出来上がって出荷される糸
いいわねえ この上品な光沢・・・ 絹は美しい



この工場で繭から糸ができるまでの工程を初めて見せていただいてとても興味深かった。

そして 昨日ショックなことがあったと書いたこと・・・

それは日本で器械での製糸をしている工場が現在二箇所であると言うことを知ったからです。
この碓氷の工場と あと一軒は山形の松代だけだそうだ。

かつて富岡の製糸所から始まって、全国に広まり 日本を発展させた基幹産業だった絹糸や絹織物。その製糸工場がもはや絶滅の危機に瀕しているとは思わなかった。

もちろん、絹に代わるものとしての化学繊維の発明というのが一番の要因かもしれないけれど、着物はもちろん 洋服や身の回りの布製品、やっぱりシルクがいいねって思うことは多々あるではないですか?
じゃ、そのシルク製品の元となる糸っていうのは殆ど中国をはじめとする輸入品になってしまっているわけです。

こうなったのには 政府の偏った養蚕農家に対する保護政策などがあったようだ。農村票が欲しくての保護政策だけ打ち出して 糸や織物の生産者に対する配慮に欠けたことから 製糸業はすたれ 肝心の農家も国際競争から脱落してしまった。
ちなみに碓氷製糸所に納入する繭の農家は 毎年2割ずつ減っているそうだ。
「あと5年でなくなるってことですかね」と淡々と語っていた工場の人。もうあきらめるしかないのだろうか??

ここまで国産シルクってものが風前の灯であるって現状は知らなかった。

朱鷺とか西表山猫と同じですよ!どうにか保存して欲しいと思う。



帰り道くれなずむ秋の日にたたずむ妙義山が悲しかった。

家に帰って電話で実家の父と久しぶりに熱く語った。実家の家業は曽祖父からの糸繭商、親戚一同絹に携わる仕事をしていたから。ただし 私の兄弟、従兄弟の代は誰一人継ぐ人はいないで殆ど東京の大学に出て、こちらでそのまま生活している。
故郷の多くの絹商売の家もそのパターンである。
「政府がバカだから こうなったんだよ」と父は言った。父は幸い他の商売に転化して それが軌道にのったからよかったけれど、やはり自分の先代から受け継いできた家業をたたむのは口惜しかったと思う。

娘としてそういう父の苦悩も知らないで、甘えて育ったんだなと改めて思った。

ホントにショックだった・・・

せめて着物文化を絶滅させないようにせっせと着ようと心に誓った。
 






コメント (2)
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