局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

祖母の法要にて

2008-07-22 21:23:27 | 記憶の箱
昨日は母方の祖母の17回忌だった。
お墓は 関東でよく最高気温を記録する ディープ埼玉のとある墓地とお寺で法要をした。

ここのお墓には母の父母と弟の遺骨が入っている。しかしこの地は父母のどちらにも関係がない。

元々 母の実家も父と同じ生糸関連だった。母方の祖父母もわりあい大きく糸関係の商売や製糸工場をしていたが、母と叔母が嫁に行き 叔父が東京で就職して 跡継ぎがいないままになり、比較的若く祖父が60で亡くなったので 一人になった祖母を 結婚した叔父が引き取った。
後から聞いたことだが 母の実家や工場の土地など祖母の分以外は 母と叔母は相続を放棄して叔父に渡して 祖母の世話をしてもらうようにしたらしい。
その頃 昭和40年代はまだ長男が家をついで 親のめんどうを見ると言うのが 社会通念であったのだと思う。

ところが 叔父夫婦はあまり夫婦仲がよくなく、なんとなく祖母も居心地がよくなかったようだ。しかし、一人娘の私の従姉妹は可愛がっていた。
そうしたら 叔父も50歳で癌死してしまったんですね。
叔母は、これ幸いと 祖母を追い出しにかかった。
娘の教育にお金がかかる とか 私が姑を見る義務はない とか

そして 家の父母のところで祖母は暮らすことになった。
ちょうど 父方の祖父母が亡くなったあとであった。かなり我がままで気難しかった父方の祖母が生きていたら その話は実現しなかっただろう。
母方の祖母は 天然で優しく性格のよい人だったから 年取って違う地に越してきても 老人会などで楽しくやっていたようで 晩年は幸せだったと思う。
そして6、7年後に大腸がんになり、肺、脳と転移して帰らぬ人となった。

家の父母も 父方の祖父母、母方の祖母と 三人の年寄りをほぼ自宅で見送った。
祖父は最後の半年はかなりボケて徘徊などして大変だったと思う。
その頃私も出産したので 実家は殆ど頼れなかったが 特に母の大変さは感じられた。
母もずっと専業主婦で 世間知らずの天然と言われることもあるが、主婦業の完璧さと、骨身を惜しまず人に尽くすと言う点は ホントに我が母ながら 偉いもんだな~と 思う。

祖母が癌の闘病中、父は何度か 叔父のお嫁さんと娘に連絡をとった。祖母が孫の顔を見たがったから せめてお見舞いにきてもらいたかったらしい。
ところが 某私立の歯科大に進学した従姉妹の学校が忙しいからと一度も来ることはなかったらしい。
未亡人だからお金がない と 言うわりには娘をお金のかかる学校に進学させたもんだな~と 思う。

で、祖母のお通夜の時、親戚の席にも座らず 終わるギリギリの時間に来て焼香して挨拶もそこそこに帰ろうとした叔母と従姉妹に 父は玄関先で怒鳴った。
どれだけ 生前祖母が従姉妹に会いたかったか、なぜ一度でも従姉妹の顔を見せに来なかったのかと。

父は口は悪いが温厚で、他の人に対して怒鳴ったりする事はそれまで見たことがなかったので、私はかなりびっくりした。そして表面上は飄々として 祖母を受け入れ、面倒を見ていたが、内心では叔母の情の無さが腹に据えかねていたと言う事を知った。
だから 私は従姉妹とはその時以来会ったことがない。今頃歯医者さんになっているのだろうか・・・

で、またまた前置きは長くなったが、それまで叔父の遺骨は 祖父の遺骨とともに祖父の本家の墓に入っていたが、叔母は それ以降、こちらの親戚とは一切縁を切り叔父の法要もする気がないと言ってきたらしい。
ちょうどその時 ディープ埼玉に居た母の妹の叔母夫婦が まだ家にお墓がないからこの近くにお墓を作って 祖父母と叔父に入ってもらって いずれは叔父夫婦と一人息子がそれを守ろうと言い出し、父もそんなことならと費用も一部負担させてもらって その地にお墓を作ったのである。しかし また ところがで、一人息子で 従兄弟は 関西のDを卒業したあとに関西系の大企業に就職して 彼の地で結構出世してしまった。そして家を建てて自分の父母も呼び寄せることになった。

で、お墓だけ残ったというわけであります。

こういう内々の事情を書いても読んでくれる人には何も面白くないだろうが、一応書いておかないと、私もなんだっけかなと細かいことを忘れてしまうし、万が一私が急に死んだりした時なぞ、これを見れば 夫や子どもも事情がわかるであろう。

で、このお墓も関西に永住することになった従兄弟が将来守るのも不都合だし、跡継ぎはいないしで宙に浮きそうである。
ちなみに 夫は一人息子、私の弟は子無しなので家の子どもたちには従兄弟がいない。必然的に 夫関連、私関連のお墓は息子に集約しそうである。
「あんた 三つ、四つ お墓がついてくるよ」と息子に言ったら
「そこまで面倒見られないから 一つにまとめといてくんないかな~」と困っていた。これも一つの少子化の弊害であろう・・・

そんなこんなだが、もう祖母も17回忌だし、暑い中 大阪から叔父夫婦と従兄弟も出てきてもらうのも大変だということで、昨日は本当に内々で 父母と弟夫婦と私だけで法要をした。

  

わりに由緒あるお寺らしいが、祖母が亡くなった頃には跡を継いだばかりでなんとなく頼りなかったイケ面住職も、だいぶ慣れて風格が出てきたところにも17年という時の流れを感じた。

法要が終わり 卒塔婆をもらってお墓参りをすませ、みんなで法要の食事をした。

   ←この地の地場産業 足袋で一代で財を築き上げた名士の邸宅が料亭になっている。建物も庭もステキだった。

   ←食前酒と先附け・ジュンサイの豆乳仕立ての冷やし汁

   ←鱧とひらまさのお造り・煮物

   ←和牛フィレステーキと 和牛の握り寿司

 ←ゆかりご飯と赤だし・枝豆のジェラードもあったが撮りわすれ。

うちの実家一族もおいしいもの好きの食いしん坊なので 残す人は誰もいなくて食事はすすむ。

今日の法要の話になって

母 丁寧にお経を読んでくれてありがたかったわ
私 それにしても上手になったよね~、あの住職 
父 そうそう ばあさんが死んだ頃のお経なんて聞けたもんじゃなかったな
私 今日のお経は 自分の声に酔ってたって感じだったじゃない こぶしが効いちゃってさ
母 講和もそれなりの事を言うようになったわね
弟 でも カンペ見てたぜ
母 前はお尻を向けたまま講和してたのよ OO子(私ね)が怒ってたじゃない
私 そうそう そうだったよね。後ろ向いたまま説教しても、ちっともありがたくないって怒ったよね 私(笑)
父 卒塔婆の字もだいぶ格好がついてきたな
母 そうよ へったくそだったのよね~ あんまりヘタすぎてお墓に立たせるのが恥ずかしいくらいだったものね
私 今日のは 上手じゃないけど ヘタなりに格好になってきたよね
父 門前の小僧だな あっ 門前じゃなくて本物の坊主か

弟 しかし 家の一族って口わりいよな 「上から目線」だしさ~ 特にねえちゃん 相変わらずだよな

   へいへい、いつでもどこでも口が悪くてすみまへんな   


 




コメント (2)
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