常々自分の涙腺はあまり一般的じゃないんじゃないかと思っていた。
いわゆる「泣ける話」とか「泣けるドラマ」とか 泣きどころじゃ泣けないのだ。
宝塚なんかで、トップさんの周りの誰かが死んじゃう場面で周りのおばさまたちがハンカチを取り出したり鼻をすすったりしててもたいてい泣けない。いかにも「泣け」ってところだと(しら~~)っとしてしまう天邪鬼体質なんですかね。
「鬼滅の刃」の映画も見に行ったがどこで泣いていいのかわかりませんでした、すみません。
いや、画面の美しさ、完成度の高さに感動したし楽しんだのですけけどね。
映画で泣けた記憶は レ・ミゼラブルで警部が死んじゃった子供の胸に勲章をつけたあの場面で決壊した覚えはある。
しかし、変なところで泣けるんですよね。なぜか毎回涙腺が刺激されるドラマが、クドカン脚本の今期のドラマ「俺の家のはなし」
今回、宮藤が手掛けるオリジナルストーリーで長瀬が演じるのは、ブリザード寿というリングネームで活躍する現役プロレスラーの観山寿一(みやま・じゅいち)。かつては大規模プロレス団体に所属する人気レスラーで、プエルトリコチャンピオンまでなったが、ケガや年齢もあり今は小規模な団体で細々と試合に出ている状態。ある日、寿一は父親が危篤だと知らされる。父親の観山寿三郎(みやま・じゅさぶろう)は、全国に一万人以上の門弟を持つ二十七世観山流宗家にして重要無形文化財「能楽」保持者。いわゆる人間国宝である。その跡を継ぐと期待されていた寿一だが、寿三郎に反発し家出をしたのが20年以上前。以来、音信不通だった寿一が突然、帰ってきたことに家族たちは驚く。一方、奇跡的に一命を取り留めた寿三郎だが、傍らに立つ介護ヘルパーの志田さくら(しだ・さくら)を家族に紹介し、彼女と婚約して遺産もすべてさくらに譲ると宣言。実力と人気に限界を感じていた寿一はプロレスラーを引退し、実家に戻り寿三郎の介護を手伝うことに。家族とさくらを巻き込んで、介護と遺産相続を巡る激しいバトルのゴングが鳴り響く‼
生きていたら誰もが経験する
「人生の関門」=介護と相続
観山家は少し変わった設定の家族だが、どの家族にもあるような「悩み」を抱えていて、どの家族にもあるような「喜び」を感じて生きている。毎日は世知辛いことばかりだけど、そんな中、肩を寄せ合って生きていくうちに、「人生そんなに捨てたもんじゃねぇな」と思えることがちょっとずつ増えていく。
気が合わないと思って離れていた家族が再び集まって暮らし始めたら、面倒くささと同時に愛おしさが込み上げて来ることに気づく。 TBSサイトより
特に笑って、その後に泣けてしょうがなかったのが第6話。バラバラだった家族が一台のワゴン車に乗って、温泉旅館に家族旅行に行く会。
余命も知れる中、認知症も進んでいる人間国宝の寿三郎のために寿一が企画した旅行。途中寿三郎の希望で、過去に多かれ少なかれ関係のあった女性たちのところに立ち寄る。
高価な能面などプレゼントしてしまう寿三郎・・・・
そして温泉旅館に行き、そこで出会うどさ回り歌手の阿部サダヲと出会う。もうこの画面は最高におかしく、一人で笑ってしまったが、その後、車いすの寿三郎が舞台に上がり、そこで「マイウェイ」をうたった場面、西田敏行は実際も病気明けで、決して元の体調じゃないはずなのに相変わらずの美声が聞け、 バックに関係のあった女性たちが、寿三郎からもらった能面や扇子が現在の生活の中に溶け込んでいる様子も映された。
そこでなぜか泣けて泣けて仕方なかった。
ワタシ自身が、実家(祖父母、両親、弟)の家族。そして結婚後の(オット、ムスコ、ムスメ)そしてそれぞれ子供たちが配偶者を得て孫たちも生まれて新しく作られた家族 ってもの3代の合間に置かれ、その変遷の中で色んな問題に直面したり乗り越えたりして来たことを思い出してしまったからかもしれない。
小さい時からずっと守ってもらってきた父が認知症になり、こちらが面倒を見る存在になってしまったことのショック、いつまでもそのままであってほしかった実家も、両親が介護施設に入ってしまった今、維持だけでも大変なことになっているし、手放すことも考えなきゃならない日も遠からずだと思う。あたりまえだけど、家族って変わるんですね。良い方にも悪いほうにも・・・
そして、これは個人的な事情だが、このドラマの背景が「能の宗家」ということ。
これに関わって大いに後悔していることが一つあるのよね。
ワタシの実家は祖母も母も謡をたしなんでいた。ごく幼い頃、祖母のお姉さんを講師として、その姉妹たちが集まり、謡のおさらいをしていたのがおぼろげに覚えている。今考えると、毎週姑の姉妹が集まって、その人たちをもてなさなくてはならない嫁だった母はどんなに大変だったかと思うが・・・
そして母は、ワタシが結婚して家を出たくらいのタイミングで、自分でも謡と仕舞を始めた。
根が真面目な人だから、かなり熱心に稽古に通って、家でもカセットテープ(時代を感じる)でおさらいしたりして、そのうち発表会のように舞台に出たりもあったらしい。東京の能楽堂の舞台も踏んだらしいし、市の協賛行事で子供たちに舞いを教えたりしてたらしいので上手だったんだと思う。
しかし、それをワタシは一度も見てないんですよ!
ちょうど、ワタシが子育てに付随する色んなこと 特に受験だの進学だのでバタバタしていた時期と重なっていたのと、母もまるで
「見に来て」って言わなかったのもある。
舞台に出るので、一時はずいぶん着物も買ってたらしく、それは自分で楽しんだのだろうからいいんだけどね。
しかしどうして、せめて東京で舞う時くらい言わなかったのかなあ・・・ 言ってくれれば見に行ったのに。
介護施設に入って一年くらいは、そこからお稽古に行ったりもあったらしいが、色んな事情もあってやめてしまったらしい。
特にコロナ禍になっての一年はそれどころでなく、会えてもいない今となって余計後悔は募る。
俺の家のはなし の中で「羽衣」とか「高砂」とかポピュラーな調べが出てくるたびに母を思い出してしまうのである。
1月に職員にコロナ陽性が出て、もはやガラス越し対面もかなわなくなってしまった状況なのだが、ゆっくり、顔をつき合わせて、同じ空間で母と話したい、「ママのお仕舞、見たかったよ」と一言告げたいんだけど・・・
いわゆる「泣ける話」とか「泣けるドラマ」とか 泣きどころじゃ泣けないのだ。
宝塚なんかで、トップさんの周りの誰かが死んじゃう場面で周りのおばさまたちがハンカチを取り出したり鼻をすすったりしててもたいてい泣けない。いかにも「泣け」ってところだと(しら~~)っとしてしまう天邪鬼体質なんですかね。
「鬼滅の刃」の映画も見に行ったがどこで泣いていいのかわかりませんでした、すみません。
いや、画面の美しさ、完成度の高さに感動したし楽しんだのですけけどね。
映画で泣けた記憶は レ・ミゼラブルで警部が死んじゃった子供の胸に勲章をつけたあの場面で決壊した覚えはある。
しかし、変なところで泣けるんですよね。なぜか毎回涙腺が刺激されるドラマが、クドカン脚本の今期のドラマ「俺の家のはなし」
今回、宮藤が手掛けるオリジナルストーリーで長瀬が演じるのは、ブリザード寿というリングネームで活躍する現役プロレスラーの観山寿一(みやま・じゅいち)。かつては大規模プロレス団体に所属する人気レスラーで、プエルトリコチャンピオンまでなったが、ケガや年齢もあり今は小規模な団体で細々と試合に出ている状態。ある日、寿一は父親が危篤だと知らされる。父親の観山寿三郎(みやま・じゅさぶろう)は、全国に一万人以上の門弟を持つ二十七世観山流宗家にして重要無形文化財「能楽」保持者。いわゆる人間国宝である。その跡を継ぐと期待されていた寿一だが、寿三郎に反発し家出をしたのが20年以上前。以来、音信不通だった寿一が突然、帰ってきたことに家族たちは驚く。一方、奇跡的に一命を取り留めた寿三郎だが、傍らに立つ介護ヘルパーの志田さくら(しだ・さくら)を家族に紹介し、彼女と婚約して遺産もすべてさくらに譲ると宣言。実力と人気に限界を感じていた寿一はプロレスラーを引退し、実家に戻り寿三郎の介護を手伝うことに。家族とさくらを巻き込んで、介護と遺産相続を巡る激しいバトルのゴングが鳴り響く‼
生きていたら誰もが経験する
「人生の関門」=介護と相続
観山家は少し変わった設定の家族だが、どの家族にもあるような「悩み」を抱えていて、どの家族にもあるような「喜び」を感じて生きている。毎日は世知辛いことばかりだけど、そんな中、肩を寄せ合って生きていくうちに、「人生そんなに捨てたもんじゃねぇな」と思えることがちょっとずつ増えていく。
気が合わないと思って離れていた家族が再び集まって暮らし始めたら、面倒くささと同時に愛おしさが込み上げて来ることに気づく。 TBSサイトより
特に笑って、その後に泣けてしょうがなかったのが第6話。バラバラだった家族が一台のワゴン車に乗って、温泉旅館に家族旅行に行く会。
余命も知れる中、認知症も進んでいる人間国宝の寿三郎のために寿一が企画した旅行。途中寿三郎の希望で、過去に多かれ少なかれ関係のあった女性たちのところに立ち寄る。
高価な能面などプレゼントしてしまう寿三郎・・・・
そして温泉旅館に行き、そこで出会うどさ回り歌手の阿部サダヲと出会う。もうこの画面は最高におかしく、一人で笑ってしまったが、その後、車いすの寿三郎が舞台に上がり、そこで「マイウェイ」をうたった場面、西田敏行は実際も病気明けで、決して元の体調じゃないはずなのに相変わらずの美声が聞け、 バックに関係のあった女性たちが、寿三郎からもらった能面や扇子が現在の生活の中に溶け込んでいる様子も映された。
そこでなぜか泣けて泣けて仕方なかった。
ワタシ自身が、実家(祖父母、両親、弟)の家族。そして結婚後の(オット、ムスコ、ムスメ)そしてそれぞれ子供たちが配偶者を得て孫たちも生まれて新しく作られた家族 ってもの3代の合間に置かれ、その変遷の中で色んな問題に直面したり乗り越えたりして来たことを思い出してしまったからかもしれない。
小さい時からずっと守ってもらってきた父が認知症になり、こちらが面倒を見る存在になってしまったことのショック、いつまでもそのままであってほしかった実家も、両親が介護施設に入ってしまった今、維持だけでも大変なことになっているし、手放すことも考えなきゃならない日も遠からずだと思う。あたりまえだけど、家族って変わるんですね。良い方にも悪いほうにも・・・
そして、これは個人的な事情だが、このドラマの背景が「能の宗家」ということ。
これに関わって大いに後悔していることが一つあるのよね。
ワタシの実家は祖母も母も謡をたしなんでいた。ごく幼い頃、祖母のお姉さんを講師として、その姉妹たちが集まり、謡のおさらいをしていたのがおぼろげに覚えている。今考えると、毎週姑の姉妹が集まって、その人たちをもてなさなくてはならない嫁だった母はどんなに大変だったかと思うが・・・
そして母は、ワタシが結婚して家を出たくらいのタイミングで、自分でも謡と仕舞を始めた。
根が真面目な人だから、かなり熱心に稽古に通って、家でもカセットテープ(時代を感じる)でおさらいしたりして、そのうち発表会のように舞台に出たりもあったらしい。東京の能楽堂の舞台も踏んだらしいし、市の協賛行事で子供たちに舞いを教えたりしてたらしいので上手だったんだと思う。
しかし、それをワタシは一度も見てないんですよ!
ちょうど、ワタシが子育てに付随する色んなこと 特に受験だの進学だのでバタバタしていた時期と重なっていたのと、母もまるで
「見に来て」って言わなかったのもある。
舞台に出るので、一時はずいぶん着物も買ってたらしく、それは自分で楽しんだのだろうからいいんだけどね。
しかしどうして、せめて東京で舞う時くらい言わなかったのかなあ・・・ 言ってくれれば見に行ったのに。
介護施設に入って一年くらいは、そこからお稽古に行ったりもあったらしいが、色んな事情もあってやめてしまったらしい。
特にコロナ禍になっての一年はそれどころでなく、会えてもいない今となって余計後悔は募る。
俺の家のはなし の中で「羽衣」とか「高砂」とかポピュラーな調べが出てくるたびに母を思い出してしまうのである。
1月に職員にコロナ陽性が出て、もはやガラス越し対面もかなわなくなってしまった状況なのだが、ゆっくり、顔をつき合わせて、同じ空間で母と話したい、「ママのお仕舞、見たかったよ」と一言告げたいんだけど・・・