泥水池の前衛、沈泥池の泥浚いを終えた。まあ、水面を開けた程度の泥浚いであったものの、堆積した量が半端ではなかったしもう一層を浚うとなると泥を上げる場所に事欠くし、一所だけに手間暇をかけては全体最適化が果たせない。泥水池の状態悪化払拭もさることながら取水堰の掘り出しも急がないとおっつけ送水が止まる。気は焦れども身体動かず・・・・・。
何んと思おうと身体を動かさない限り保全作業は進まないのであってヨタヨタユルユルと手足を動かし片付けるのであった。この日、除草を開始した泥水池5は一連の池の中で最終池に当たり、役割は放水路との段差を少なくする役割であったけれど、トンボやカエルは頓着しないし環境を好めば水が切れない限りは産卵したりするので、やはり水面を開け湛水している様に漏水部を潰すなどの配慮はしなければならない。
それは気配り・見守りなどの実効の無い作業だけでは済まないのだった。侵入したヒザカキやウシノヒタイなどを四本鍬で打ち込み引き上げ残ってしまった一部は立ち込んで手抜きした終了。面積的には小さいものの踏ん張る作業の連続だと安静時に「膝に負担を掛けてるなあ…」と思わさるを得ず、起きて湿布を貼る夜になってしまった。こんな日々を続ければ回復不可能のダメージを形成しかねないのは理解していても我が日々は「やるべきかやらざるべきか…」なんて岐路の選択肢は無いのであって小説の主人公はいかなる境遇でも活字仮想現実であり幸福である。我、姥捨て山の孤爺であるかぎりは活爺懸想現実なので身体苦痛からは逃れられない。