トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

お握りコロリンでは済まない・・・

2024-10-17 | 小人閑居して憮然

 泥水池内、チゴザサのコロニーに四本鍬を打ち引き上げた泥草塊を低い部分に埋めたてようと一歩、足を踏み出したら右足がすっぽり落ち込んでしまった。幸い怪我は無かったのだが場合によっては大腿骨骨折の憂き目になりかねない場面である。この場所は年々、窪みが顕在化してきた場所なので地下に漏水洞穴があるだろうとの推測はしていても、これほど大規模だったとは想像もしていなかった。

 手元の四本鍬の柄は4尺あって、これを入れてみればすっぽり入ってしまう深さで洞内の広がりも孤爺が一人なら十分に収まる空間があった。早めに崩して土砂を投入し突き固めておかねば水域の崩壊にもつながりかねない空洞であるこの空洞の先、漏水の出口は活動当初から棚下の放水路脇にバケツ程度の穴があり降雨の度に土砂を排出していたのである。その元がこの日、我を呑み込まんとした陥没孔であるのは間違いないのだった。

 幸いにも怪我には繋がらなかったものの、泥草塊を搔き集め引きずり出して集積するという一連の作業はことのほか膝に負担がかかるようで床に入って安静状態になると痛みには感じない軽い火照り感と言うか違和感を知る。「これはあかん!」と両ひざに湿布を貼るようになったけれど、湿布はともかく作業を減らさなくてはならないのは体に見えている。とは言え二者択一出来る程の関係性でも無いのが現実である。両立させ双方とも維持させる状態はありえない事も耄碌発展途上の身でさえ理解していてもすべて先送りで有耶無耶のまま成り行き任せかあ・・・が現実。

 折に触れて記載していたがこの周辺の地盤は地下漏水トンネルが縦横に走っているようで、山の斜面にも軽自動車を投棄できるほどのすり鉢状の貫入穴が幾つもある。棚田耕作時代は農耕牛が落ちて、それ以降、農耕牛が田に入るのを嫌がった話は聞いているし、同じ貫入部なのだが小生も土嚢投入していた折りに縁が崩れて奔流と共に下半身を埋もれさせた危険な場面も体験している。危険は思わぬ場所に潜んでいるのがまたまた実体験となった。数日前は代表が急斜面の竹の除伐に入りスリップして転落し右顔面に大きな傷を負ってしまったし、泥田の中でも陸に上がっても危険は潜んでいるのが野生というものであろう。


沈泥池の泥浚い

2024-10-16 | 水辺環境の保全

 ほとんど埋まったように見えている泥水池の泥浚いに入った。ここは路面に流れ込む雨水と絞り水の沈泥池なのだが堆積量はダントツである。それだけ山体の表面を流れた水量は多かった、と言える。この作業に先立ち上の池の新設水路を確認に行って思わぬ補修をしてしまったから半分は草臥れての作業開始だ。その上、堆積土砂の厚さは半端ではなく土砂の体積も半端では無いのである。嫌なら放棄して構わない水域だけれど、そうもいかないので渋々作業である。水面上に出ている土砂にはジョレンは使えず立ち込んでのスコップ作業しかない。身体の負担はスコップの方が大きいのであるが仕方が無いのだった。

 途中、気乗りがしないまま中断して柑橘樹の幼虫を探しに行った。先日見かけたモンキアゲハの幼虫は既に蛹の時期なのだが食樹のユズの樹では発見できなかった。ルリタテハの真っ黒針山幼虫も隣りのサルトリイバラから移動していたのだがこの蛹も発見できなかった、とまあ、失意の休息であったのだ。

 てなもんや三度笠であった結果泥浚いは遅々として進まず1/3ほどを浚っただけでこの日は終了した。泥浚い場所の浚渫土が多くなったので、これを棚田部の陥没孔に投入すればスッキリするしその後の作業も容易になるのだが、これとて一輪車で100回程度は運ばねばならない量だから考えただけで平衡感覚が揺らいでしまう。


流路変更後の初降雨

2024-10-15 | 水辺環境の保全

 上の池の導水路の接続を変更して三日目、雨量が80mmほどあったし、この雨量はしっかりした雨量でもあるから変更した水路の様子を確認に行った。異常が無ければそれで済む事なので他の水域の事も考慮しジョレンだけ携行して行ったのだが「やはり!…」の現場だった。変更前は流路の末端で池に流れ込んでいた部分から砂泥の流入が認められたのである。

 堤とした用土は砂泥そのものであり固着力は弱いうえに胴突きが腐食し使えない事から軽く踏み締めただけだった。水分が抜けてないので強く踏み締めれば長靴が沈む。そんな事で流量が増えた結果、越流ではなく護岸木の下から漏水したのだった。ジョレンであっても携行していた事が幸いで、早速泥浚いして復旧させたが条件は前回と同じなので、またたっぷり降雨があれば同じ結果になるやもしれない。まあ、その時はその時として新設した流路をジョレンで浚い流れをスムーズにして思わぬ作業は終了した。早く水域の沈泥を取り除きたいけれど枯れ木に近い孤爺のご老体ではそうそう進まない。


今日の素労風努「北秋田のなっつ」もどき、なんちゃって・・・

2024-10-14 | 何よりの楽しみ

 夕食を済ませテレビをつけたら「小雪と発酵おばあちゃん」が映っている。「そうか、録画予約していたんだっけ…」とそのまま視聴する。視聴しながら「美味しそう、食べて見なくては!」と材料を書き出してみたものの入手不可能な材料もある。そこは雑駁な孤爺であるからして「ともかく10種類混合だ!」と思いつくままに書き出したのだが翌日まで待てない。そのままスーパーへ直行して材料を用意する。山ゴボウの漬物とナメコの缶詰は無かったので結局は以下の様な材料になった。食用菊は冷凍した物が残っていたからラッキーである。これが欠けたら北国の献立にはならない。ともかく漬物中心に10種類を混ぜ合わせる事が肝要と台所に立った。

 夏の猛暑と度々のゲリラ豪雨でフイールドの手入れが遅れに遅れ、この日も泥水池内のチゴザサの群落を掻き上げて来たので「昼寝30分」を許したのだがアラームを止めてからまた寝入ってしまい寝すぎてしまった。これで普通に就寝すると深夜放送のリスナーになってしまうから夜鍋の惣菜作りはGOODなのである。揃えた材料は写真の物でバッド内は大根の味噌漬け、ラッキョウの溜まり漬け、キュウリの醤油漬け、エノキの瓶詰である。左横二点はしその実入りの昆布の佃煮と食用菊で上段左から高菜漬け、ザーサイ、梅干しのしその葉、ナス漬けの10点になる。これを刻んで混ぜ合わせただけなのであるが大匙一杯をつまみ食いしてみたらこれが馬鹿旨い、「溜息のでるよーな・・・」なのである。まあ、夜な夜なよからぬ妄想の果て寝落ちする人格品性じゃもの手間暇かけ工夫して喰いつなぐ伝統食品しか「旨い・美味しい・食べたい」と思わないのも致し方なし。何せ南魚沼の雅な米作水飲み百姓が出自じゃものグルメなど縁がない。

 さてすぐにでもご飯のお伴、にしたいところだったが夕食は既に済んでしまい、泣く泣く容器に詰めて重しをし、冷蔵庫で数日間馴染ませながら発酵を進めるのだ。糀とヨーグルトチーズを混入した一品も作っておこうと思いはしたものの、冷蔵庫内にキムチとザワークラフトにヨーグルトチーズと糀を混ぜた一品もあるから両者を混ぜて試食すれば良いだろう、と先送りする。こんな一品に納豆を混ぜたら最強の発酵惣菜になるだろうなあ。とは言え、こんな混合物を喜んで食べる孤爺とは「人間ではない化け物」みたいに思われているやも知れん。まあ、人生なんて薄幸の試練の連続なのであるから食材に発酵食を多用して何が悪い!。免疫が強くなるだけスイーツやご馳走なんかよりなんぼかマシだ。

 しその実が入れば香りと食感が増すのだが生憎、市販品が無かった。フイールドの畑に会友が作った紫蘇が放置されていて「実を取っていいよ!」と言われていたのを思い出したから明日採集しよう。既に開花後、日にちが経っているから時期を失しているかも知れないが、とりあえずは行ってみて使える様ならアク抜きの水浸け1日、塩漬け2日で混入できるはずだ。それから数日は馴染ませの時間だから、旨いものを食べようとすると時間が必要で、我慢辛坊はそれを上回るので待てない性格の孤爺にはつらい日々になる。人生、哀しみや辛さはいつでも横に背中にあるのだが小生には頭頂部にもおあしますのだった。


ジョウビタキ入域!

2024-10-13 | 小父のお隣さん

 沈泥池の草浚いを休み休み、近くのカラスザンショウの実をついばみに来るメジロの群れを眺めていた。20羽くらいの群れになっていたもののメジロだけで混群にはなってはいなかった。その「チッチッ」と言う鳴き声とは別の音が聞こえてはいたのだが気にも留めなかったのだった。

 そこに時折来る探鳥写真家のIさんが「おーっ、ジョウビタキが入っている!」と声をかけて来た。そう言われれば「チッ」とか「カッ」とかに聞こえて来る。飛来直後は近くに来て姿をさらさないので孤爺の様な素人には分かりにくい。初見とはならなかったけれど入域した事は小生より小鳥に詳しいⅠさんの同定で決まりだ。いつもは「初見」で記録するけれど今回ばかりは「初音」になった。

 しかし残念なことは小生、「初音ミク」の歌声は知らないのであるがキャンデーズはCDがあるし10月の常備歌・睡眠導入歌なのである。まあ、この歳になって聴く気になったのはたまたま視聴した「プロらしさ」を解剖した番組のせいであって孤爺に責任は全くないのである。

 


*秋うらら鼻くそ丸めピンと撃つ

2024-10-13 | 感じるままの回り道

            木立闇明ける晩秋はらはらと

            トワイモア歌うはこれか青天井

            どこまでも白き峰々遠き里

            つばくろも猛暑も去ってみる群青

            夜半の秋窓を閉じればただ寂々

            昼寝せば布団抱えて夜半の月

            床延べて家蚊と二人夜半の月

            秋うららキチョウ道行ここかしこ

            野ざらしとなりし空蝉かしらのみ

            秋の日や胸の渇きもつのる夕

          赤とんぼ野は緑なり嶺白し


導水路の護岸補強

2024-10-12 | 水辺環境の保全

 上の池の沈泥部を一カ所に集約するため絞り水の流路を接続したのだが護岸のための補強が済んでいなかった。とりあえずは間に合うけれどおっつけ威之志士様の跋扈蹂躙に遭うのはお約束で、その前に流路の保全のために護岸のための丸太を据え終えた。資材は昨秋に使った残りの腐材だけれど芯はしっかりしているから泥土の護岸には全く心配はない。杭が底を尽き新品の杭を購入して使う場所でも無いので数年前に伐採し杭に使えそうな部分だけ集めておいたマキの枝を運んで杭作りから開始である。

 護岸部は新たに掘削して接続部となった部分と今までの流路の護岸である。この部分の流路は絞り水の増水時に泥土も運ばれて堆積し結局は越流して余計な部分に砂泥を落してしまう。だからこそ流路の堤は崩れぬように固める必要があったのだ。その上、泥浚いをしてしばらくすると威之志士様の跋扈蹂躙で崩されるのもお約束であって、こうなると更に流路と池の中に土を落されてしまうのである。根本的な解決には豚熱が流行して自然駆除なされれば良いのだが、前回の流行時にはワクチン餌を撒いた様な話も聞いたし豚熱を生き延びた威之志士様は更に免疫力のパワーアップをしているはずだからお先は暗いのだ。まあ、崩されたらまた修復する、の繰り返しで賽の河原で童子が石を積み積み鬼に崩される構図と全く同じの孤爺の老後なのであった。

 とまあ、ぼやいてもつぶやいても役には立たず黙々と設えるだけの時間なのである。丸太を一列に並べ杭を位置に刺してから掛け矢で打ち込んで終わりだ。地盤は浚渫土であるから造作もなく終わって残りの時間を堆積した砂州の解消にスコップを持って乗り込んだのは良いけれどこれがなかなかの重労働で、水分のたっぷり含んだ砂泥を削り取り護岸木の岸側の窪みまで投げねばならないのだ。ほぼ3m近くを投げるのは結構な試練であってスコップ山盛りでは投げきれない。薄くへそいで投げても届かぬ時もあったりして努力が失意に直ぐ変わる。浮世の人生を実感させてくれた骨折り作業だった。

 結局はメーデーでも無いし賃上げ作業でも無い泥上げ作業なので息が上がったのをみて撤退した。少しばかり残ったのは何とも恨めしいものの「要求貫徹!」なんて熱気や体力はもはや無いのであった。「老練、老練、老練!」の歌で始まる西部劇があったが、孤爺には老練はあったにせよ、なによりスタミナがなくなっておるわい。立ち枯れにせよ倒木にせよ切断処理や曳き移しなども労力が必要なもののそれなりの達成感がある。しかし水辺の土木は身体を折り曲げる動作の連続だけで、後日また同じ個所で同じ作業を行う事が多く楽しく無ーい・・・。それでも行うが因果というものか。かくして姥捨て山の孤老の一日は費えていくんである。


小事は大事、お少水も大切!

2024-10-11 | 水辺環境の保全

 一年中、涸れる事のない絞り水だけれど今期の度重なるゲリラ豪雨ですっかり水路が埋まってしまい半分ほどは道路脇から流れ去っている。そこで擁壁の裏側、水抜き穴の位置に取水升を埋め込んだのだ。まあ、これを取り付けたところで「埋まらなくなる」事は皆無であるが、升で位置がはっきりし壁の崩れも無くなるから、後々の管理が楽になる。

 この水の行く先にある沈泥池とシェルター水路の内、沈泥池の浚渫は終えたので泥土の流入があっても多少は持ち堪えてくれるだろう。しかしながらこれからは水域内に侵出し水面を閉ざしてしまった植生の排除が待っている。除草の中でも最難関の作業だが「溜息の出るようなあなたの口づけに 甘い恋を夢見る乙女心よ」なんて溜息は出ず辟易の溜息、と言うのが姥捨て山の日常であって、で、「そんな歌の様な私に私は成りたい!」と妄想の消えない孤老の今日であった。


今日のトンボ「神様、仏様、ギンヤンマさまー!」

2024-10-10 | 小父のお隣さん

 小生は水域内の除草に汗を流していたのだが代表が棚田の水稲を刈りに来たのでお邪魔虫をしに畔まで行ってトレイルカメラの活用報告書の内容などで話をしていたところに一匹のトンボが頭上を通ったのだ。

 ああーっ、それは紛れもなくギンヤンマのオスだったのである。今期は絶望視し、まさかこの期に及んで視認できるなど考えても見なかったのである。そんな感想を代表に漏らした所「居ないときに飛翔していたかも、でしょう…」と至極平凡真っ当な返事だった。それはそうかも知れないけれど孤爺が居た時に視認、または撮影できていなければ「記録に値しない」フイールドなのである。

 かのオニヤンマ様は棚田を一周もしないで上昇し去っていったのだが「今期初見!」である。ただ撮影する機会がなかったから「視認に口無し」であって記録表にチェックを入れてお終いなのだった。今期の思わぬ作業の連続で辟易した日々なのであるが、これで多少は気分が回復して泥水池の水面を開くのと砂泥の浚渫を頑張るのである、ここにキッパリと宣言する!。これは永田町や霞が関よりも確固たるお約束だ。たかだか一匹一種のトンボに絶望死せずに済み「視認に口無し」と言えど今日は良い日だ!。


トンボ池のコナギ・カサスゲ・カンガレイ抜去

2024-10-10 | 水辺環境の保全

 水源地の復旧は最優先事項なのだがスコップや鍬で片付けられる規模ではないので、とりあえずは県の担当課が現場視察してからの判断決定が待たれる状態では座して待つより他の目白押し作業を片付ける必要もあるのだった。

 上の池の流入路の整備を終えて、この日はトンボ池のコナギ抜去に入った。同じ系統のミズアオイはバッタやヨトウムシに食害され全滅の憂き目を見たのが昨季で今期は復活しなかった。しかし発芽当時「わあ!出てくれた!」と思ったのは結局はコナギで憎さ百倍なのである。コナギは親の敵でも無いのだが他の水域植生と調和しないのが困る。我が物顔で周囲を席巻してしまう性格の輩は浮世にもたんといるけれどコナギもその類いなのであって年年歳歳抜去を続けているが根絶されない。まあ、埋蔵種子も多量なのだろうから仕方がない。

 コナギと合わせて水域内のカサスゲも抜去し大株になったカンガレイは鍬を打ち込んで抜去する。コナギは掻き取るだけで排除できるけれどカサスゲは「ウントコショ、ドッコイショ」とやらねばならない。トンボの羽化台にと春に発芽したカンガレイは越年させると座布団一枚ほどにもなるので鍬かスコップを用い根茎ごと掘り出さねばならないのだった。

 この作業を行う前に今期の役割を終えたミソハギを刈り取り、抜去したものを放り投げ易くしておく。これは選択的に行う必要があるからどうしても手鎌で刈り取りである。この日も10月と言うのに真夏日になって糞暑いし、作業を終わればズボンも眼鏡も泥だらけだ。どこで見ているのか良くしたもので空域も水面も開けると早速トンボの飛翔数が増える。増えれば産卵の機会も増すのだからやらなければならない作業だ。とは言え、こんな泥まみれを行うのは小生ぐらいであろう。まあ、泥まみれより裏金まみれになりたいけれど見果てぬ夢であって、トンボまみれの方が現実だ。


流れぬ所に泥溜まる・・・

2024-10-09 | 水辺環境の保全

 前日に引き続き絞り水が運んだ泥土の浚い出し作業だ。立ち込むと泥土を盛り上げる場所まで遠くなるから長柄のジョレンで立ち込まず打ち込んで引寄せる事を続ける。ゆっくりと引寄せても泥土であるから表面から崩れ離脱して陸に落とせるのは3~4リットル程度なので延々粛々と打ち込んで引寄せて積むのを繰り返す事になる。溜まった砂泥は「溜めたくて溜めた砂泥」なので、結果的には池の水深を保つ役割があるけれど昨今のゲリラ豪雨のゲリラ出水では水域全体に拡散する微粒子の砂泥は半端でなく池の水深が20cm未満になってしまった。中央部は浚渫の手が届かないけれどせめて岸辺から浚える範囲は浚う事で池の寿命を延ばしたいのである。そのための沈泥部なのだ。

 細い流入路から広い水域に出れば流速は衰えて重い砂泥の粒子から堆積していく。ところで永田の田んぼ、あっちとこっちが根本的に堆積の仕方が異なるのは、あっちは軽い金泥から徐々に重い金泥に移し替えると言う意思が存在する事である。まあ、どちらにしても共通するのは流れぬところに溜まり易いのは同じだろう。あっちは浚った金泥の行方は不明だがこっちの砂泥は水域の堤や法面の補修に使う・・・。この浚渫作業中、泥地と化した水面ギリギリの部分にマユタテアカネが連結打泥産卵しに集まって来る。そうなると産卵された場所を崩す訳にもいかずしばしながっめてから撤退遁走した。気持ちだけ数日待って再開しよう。


泥上げするための作業場所

2024-10-08 | 水辺環境の保全

 ゲリラ豪雨に熱中症警戒アラート「危険」レベルの連続では作業時間は激減するのにやるべき作業は倍増なのである。孫悟空ならまだしも男性型脱毛症で若きみぎりより頭頂部が薄かった孤爺としては既に光芒麗しく、抜いた毛に息を吹きかけ人数倍倍増なんて芸当も出来ないのであった。

 さて、災の河原の処遇はまだ分からず、効果の出ない鍬やスコップでの汗だく作業も無意味に思え水域の手当てに向かう。泥浚いして水深を適切に保つ事と水域に大繁殖したイネ科の植生、言わゆる「夜這い草」の類いなのだが、これらの抜去と場外搬出のための作業場所が必要で刈り払いを行った。作業を始めれば踏みたてられ泥を上げられる場所になるのだけれどやはり刈り払いをしておくと作業時の安全度が高まる。とは言え坊主刈りにはせず適度に刈り高は調整した。トンボ池周囲はチヂミザサの穂を刈り払う程度の高刈りで済ます。遠目には作業した場所には見えないけれど草丈が十分にある事で生物層は安泰だ。

 泥水池    棚田部

トンボ池通路  


今日のトンボ「オオアオイトトンボの産卵」

2024-10-07 | 小父のお隣さん

 十数年前に水辺のマユミに集団産卵をしていたのを一度見たきりで、それからチャンスは無かったのだがこの日、泥浚いをしている前を上昇するカップルを見かけた。連結状態はなかなか撮影できないので泥浚いを中断し飛行を追視しながらゴム引き手袋を外し泥中に嵌ってなかなか脱出できない長靴を何とかなだめて泥場から脱出し止まった枝にカメラを向けたのだ。

 単なる休息とばかり思っていたのだがメスが腹部先端を樹皮に立てているではないか。これで「産卵行為」なのがはっきりしたものの光線の具合が悪く順光だとトンボに焦点が合わず背景に合ってしまう。仕方が無いので逆光で撮影したのだが、今度はピントの精度が分からない。とりあえず3枚ほど撮影してPCで再生してみた。当然、細部までわかる鮮明さは期待できない条件だったがモノクロに近い画像でもピントはそこそこの出来栄えでオオアオイトトンボのシルエットには見えるだろう。

     


**深川どぶ板長屋「秋の夜長論語読みの論語知らず講記」

2024-10-07 | 感じるままの回り道

     礼儀をもって党を収めん 裏金隠蔽不問じゃよ ハアコリャコリャ

     石橋叩く打出の小槌 ひと焉んぞ廋さんや ハアコリャコリャ

     改むるには憚らないで 朝令暮改のスピード感 ハアコリャコリャ

     苦節万年講釈しても 巧言令色鮮なし仁 ハアコリャコリャ

     石橋築く腐和雷同は 義を言い飾る信無きなり ハアコリャコリャ

     未だに仁を好む者居ぬ 新造石橋ひびの音 ハアコリャコリャ

     あしたに道をぶち上げ廻り 夕べの椅子で死んだふり ハアコリャコリャ

     朽木だったし糞土の垣だ 石も破れりゃただの礫 ハアコリャコリャ

     椅子を獲ったら豹変為して コメツキバッタの宙返り ハアコリャコリャ

     痴者は楽しみ陣者はアジる 椅子取りゲームのアッパッパ ハアコリャコリャ

     痴者は惑わず陣者憂えず 幽者恥無し同じ舟 ハアコリャコリャ

     他人の助けで石橋わたる 飾って為すのは命乞い ハアコリャコリャ

     同じて和せぬ在庫の一掃 カチカチ山の泥造舟 ハアコリャコリャ

     平時を壊す獪力乱心 過ぎたるよりは中庸よ ハアコリャコリャ


今日のトンボ「ショウジョウトンボかネキトンボか」

2024-10-06 | 小父のお隣さん

 今期はトンボを見る機会が減ってしまって似たような種になるとますます判断がつき難い。この日、トンボ池に立ち込んでコナギの抜去をしていたのだがクロイトトンボ、マユタテアカネ、オニヤンマとこの種で都合四種を視認できたのである。

 記憶力減退もさることながら朝食を食べたかどうかさえはっきりしないし、玄関の施錠さえ数歩歩けば「さーて、どうだったか⁉」となってしまう今日この頃では「トンボの判定」など優先度は低いのである。とは言えこの日は近くに止まったので泥中の脚を抜く時によろけない様、苦心惨憺しつつ接近遭遇したのであった。ショウジョウトンボかネキトンボかは双方とも出現期の終了がほぼ同じなので、ついつい迷う事になるのだがネキトンボでよろしいのだろう。