遅々として進まない泥浚いなのである。まあ、父として合格点でもなかった孤爺であるから致し方なしだ。で、三日目にしても我が身体髪膚「痛し仕方なし」の状態にはまだなっておらず、この点は祝着至極なのであるが泥浚いそのものも度重なるゲリラ豪雨で砂泥の堆積はすさまじく、執着地獄での行為でなければ完結しそうもない。「頑張る!」と檄を入れたところで既に辟易しているのが実態なのである。
蛮勇を振るうほど若くも無く体力も減退しては粛々と行為を続けるしかないのであってまあ、これも一種のストーカーに近いだろうなあ…と自嘲するだけである。それでも行わなければ容易に環境は破綻するし頑張れば孤爺が破綻する。やはりハムレットの台詞「やるべきか、やらざるべきか⁉」と言うに近いけれどどっちを選択しても破綻はついてくるから浮世だのう・・・。賽の河原の童子の石積みもそうだが姥捨て山の二度童・孤爺の日々も似たり寄ったりになってしまった。
長柄のジョレンで泥浚いを続けても積み上げる場所は自分の周囲であり泥浚いした面積に比べれば小さいので、どうしても高さが増す。そうなると泥を積み上げるのに苦労をする羽目になって、それがますます辟易感を顕在化させるのだった。場所を変えて泥上げし易い位置で作業を開始すれば後々、場外搬出しなければならない折りに一輪車に積載する手間が増すし、洗濯の回数もまして見かけには良いところは無いんだなあ…これが。
そのうえ、泥浚いもさることながら埋没した取水地の復旧も喫緊の懸念課題に間違いは無いけれど当局の担当者を現地案内して既に半月、どうなる事やら皆目見当もつかないし、どろさらいを一通りすませば当てのない水源地の取水升探索に砂礫掘りをしなければならん。砂金など出ぬ地質だしまあ、膝肩腰が痛くなって他は何も得られず頓挫のシナリオがちらちらする・・・。