おかんのネタ帳

日々の雑感や興味のあることを書いています

あの日から

2012-03-11 23:58:53 | 日々のつれづれ


開花が遅れてた庭の梅の木。
やっと、花が咲き始めました・・・

さすがにここ数日は、震災関係の番組が多くて、
なんか、毎日、涙ぐんでる自分がいます~

遠く離れたところに住んでる私には、どうしたって、
被災した人たちの気持ちを、本当にわかるなんて、
そんなことはできないと思うんやけどね。

昨日は、フジ系で放送してた、自衛隊員が撮った映像を見てたんやけど、
そんな状態やったんやと、今さらながら思って見てましたね・・・

普段やったら、晩酌して、ぐーすか居眠りしてるハズのダンナも、
眠ることなく、一緒になって見てました。
それくらい、リアルなあの日の状況、改めて知ったんですね。

宮城の霞目駐屯地の自衛隊員、目の前で航空機が津波に流される・・・
多賀城駐屯地では、地震後すぐに災害救援の準備をして、
今から出発しようとした車両が、あっという間に水没した・・・
それを、なすすべなく呆然と見つめる隊員たち。

一番、心が痛かったのは、高知県から来た自衛隊員たちのインタビュー。
彼らは、74人の子どもたちが津波にのみこまれた、
あの石巻の大川小学校付近で捜索にあたっていた。

災害救助に来た若い隊員たちの8割は、身内の葬儀の経験もなく、
遺体を見たことがない・・・

26歳の隊員のインタビューに、胸がつまされてしまった。
父兄と思われる大勢の人たちが見守っている中、捜索活動をする彼ら。
遺体が見つかるたびに、ざわめきが起こる。
遺族の感謝の言葉をききながら、水の中に入って必死で捜索を続ける彼ら。

緊張と任務への使命感と、何より、「ご家族になんとかご遺体をおかえししたい」・・
そんな気持ちでいっぱいになったって。

「自衛官は任務を遂行する、その使命感がすごい、とか言われてますが、
 そうじゃない。それもあるだろうけど、ひとりの人間として、
 早く捜索してあげなければ、という気持ちになったからです」

自衛官たちを束ねる隊長?の言葉に、また、涙があふれてきた。

津波に自らも流されながら、流れて来たおばあさんをつかみ、
流れながら、もう片方の手でおじさんをかかえて助けた自衛官。
自分の家族の安否を心配する前に、やらねばいけないことがあると任務にあたる。

福島原発3km以内に入って、捜索活動をした福岡の部隊。
恐怖とともに、捜索にあたる姿。

自衛官が最後の砦なんだ。
日本の国を守るのは自分たちだ。
そう言い切ってはりました。

地震当日から動き、最後に任務を終えたのは8月。

自衛隊が救助した人は、約1万5000人。
収容した遺体は約1万人弱。

食料を運び、水を運び、お風呂を沸かし・・・
本当に頭が下がる。


あの震災から、1年。